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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
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1-17.『挫けない心』

 遠のいていた意識が戻った時、レニは地面と一体化してしまったかのように身動きひとつ取れなかった。現実と虚空の狭間で、朦朧(もうろう)とした頭はまだうまく機能できていないようだ。


 果たして現実に戻れたのか、はたまた死後の世界に辿り着いたのか。


 自らの居場所を探るため、レニはわずかに感覚の戻った手を伸ばし、這って前進しようとした。


 辺りは既に暗闇が支配する黒の世界。一体どれくらい気を失っていたのか、見当もつかない。


 あれから、戦場はどうなったのだろう。


 強大な敵を前に尻込みしてしまった自らが情けない。怯んだその一瞬の隙が、敵の攻撃を誘いこんでしまった。


 ゴラドーン人は喰人蟲(マンイーター)を甘く見ていたのだろう。少なくとも、レニはそうだった。個体の持つ力は人間に勝るものがあるが、その思考の単純さ故、これまではハンターという狩人が上手く制御できていたのだから。


 だが、誰も奴らの本当の姿を知らなかった。絶対的な指導者の下、喰人蟲は軍隊よろしく規律正しく進軍し、命を賭けた大胆な発想と帝国軍の裏を取るだけの知力を兼ね備えていたということを。奴らはその油断を利用したのだ。


 ブリンクやハンターの皆は無事だろうか。苦境を何度も切り抜けてきた猛者ばかりだが、今回ばかりは付き纏う不安がどうしても拭えない。


 だがあの場にいたとして、何かを変えることができただろうか。いや、できなかったに違いない。無力感に襲われた時、そう自分に言い聞かせるほかなかった。


 ふと、いまだ(もや)のかかった頭の中に、すすり泣くふたりの声が届いた。誰か、聞き覚えがある。


 ヨシ……? ミノリ……?


 気付けば、目の前にはブラッドハーバーで会った時のままのふたりの姿がぼんやりと浮かんでいる。


 彼らの愛らしく、無邪気な笑顔はいまや消え失せ、顔は悲しみと恐怖で濡れてしまっていた。


 どうして、泣いているのか。


 触れようとすると、ふたりの姿は手の平から(こぼ)れる砂のように消えていってしまった。


「助けて、ハンターのお兄ちゃん」


 そう、言い残して。


 取り残された手の平を、レニはぎゅっと握り締め、決意に変えた。


 そうだ、守ると約束したんじゃないのか。ふたりのことも、街のことも。いつもと同じ明日が来るようにと。


 だから、立ち上がらなければ。彼らの側にいてあげなければ。喰人蟲の侵攻を、自分が止めるんだ。再び、ふたりの笑顔を見るために。


 地面に落ちた右手が、何かを掴んだ。


 優しい暖かさが、右手から全身に伝わると、不思議なその力は体の感覚を取り戻させ、立ち上がらせた。朧げな視界が途端に鮮明になり、そこでレニは自らが窮地に立たされていたことに気付く。


 見えていた世界を黒く塗り潰していたのは、大きな口を開けたマジロ型だったのだ。まさにレニを捕食せんと牙を光らせていたところだった。


「……っ!」


 まだ、終わっていない。戦いはまだ続いている!


 全身に走る痛みが蘇り、レニに生を実感させた。聴覚が研ぎ澄まされ、周りで弾ける戦の音を拾い始める。


 レニは右手に掴んだ愛武器である石の大剣を、すかさず敵の口の中にねじ込んだ。


 美味い飯にありつけるはずだったマジロ型は、想定しえなかった異物の侵入に身悶えする。


 反撃の隙は与えない。


 レニは敵の口に突っ込んだ剣で、力任せに斬り上げた。


 剣のような形をしているとはいえ、元々切れ味のある武器では無い。殴ったり、潰したり、無理矢理引きちぎったりと、敵を破壊することを得意とした槌のような打撃武器である。


 口から真上に動かすと、石の大剣はマジロ型の上顎を壊し、骨を砕き、脳を貫き、頭の天辺を突き破った。


 断末魔をひとつあげたマジロ型の絶命を確認しながら、レニは違和感を覚える。


「重い……」


 いままで紙切れ一枚ほどの重さだった石の大剣だったが、この時に限って石ころを数個持っているかのような重量を感じるのだ。十五年もの間振り続けてきたが、こんなことは一度もなかった。


 何故だ。いまだ記憶こびりついているあの人型への恐怖心がそうさせているのだろうか。


 考える暇も無く、倒れたマジロ型を乗り越えて別の敵が二匹。


 違和感を乗せたままの大剣で、レニは二匹を一刀のもとに振り払う。


 やはり、違う。


 三匹叩き伏せてみて、良く分かった。大剣の重量の変化もだが、それに加えてマジロ型の硬さ。いままで経験してきた喰人蟲とは明らかに硬度が違う。大剣で触れる度に、引っ掛かりを感じるのだ。


 この防御に特化した構造の殻を破るには、いままでのように大剣の重みに任せるだけじゃいけない。レニが持つ力を更に上乗せしなければ。


 既に不覚の一撃を受け負傷しているレニにとって、マジロ型のこの硬さは苦痛だった。一匹斬る度にずしりと身体に痛みが響き、疲労が蓄積していく。


 疲労は戦が終盤であることを期待していたが、実際は気を失ってまだそんなに時間も経っていないらしい。見上げれば、空は青と黒のマダラ模様で、再び黒が世界を支配しようとしているが、辺りをより暗くしている原因は他にもある――周囲を囲む死骸の山だ。


 そこには不気味な光景が広がっていた。ゴラドーン兵士も、マジロ型も、無数の死体が折り重なって壁となり、レニを閉じ込めているのだ。そして背中には盆地の緩やかな斜面が反り立っている。


 中にはまだ息のある者や蟲もいて、言葉にならない呻き声をあげながら、壁の中で手や足だけを動かしている者もいる。徐々に傾きつつある太陽の光はこの壁に阻まれ、明かりを届けることができずにいるようだ。


 そしてレニが倒した三匹が新たな壁の礎となって、残された空間を侵略してくる。


「た、助けてくれ!」


 背後で悲鳴が上がった。


 閉じ込められたのは、どうやらレニだけでは無かったらしい。声の方角に振り返ると、帝国の兵士三人が互いに身を寄せ合って喰人蟲二匹と対峙している。


 助けなければ。レニは考えるよりも先に、間を割るように跳んだ。


 上空からの一撃。マジロ型を顔から体の中心にかけて、真っ二つに引き裂くように潰す。素早く剣を反転させ、もう一匹を横に薙いで粉砕した。


「大丈夫ですか?」


 レニには手を差し伸べる余裕こそ無かったが、絶望しかなかった表情の兵士達には僅かながらの生気が戻ったように感じた。


「あ、ありがとう。助かったよ」


 兵士達の顔を見るに、うちふたりはまだ若い。レニと同年代か、それよりも若いのではないだろうか。そしてそのふたりを守るかのように、熟練の顔立ちの兵士がひとり。


 ハロルドだった。


「申し訳ない、ハンターの少年。私の力では、一匹を相手にするのがやっとでした」


 作戦開始時には人が変わったかのようだったが、この時はハンターのキャンプで見た時の無表情の彼に戻っていた。


 相変わらず発言は淡々としていて、本心は読み取りづらい。それでも、仲間を庇う姿勢やそれによって傷ついたのであろう身体を見る限り、少なくとも彼自身はアーサーなんかと違って良識な人間性を有しているようにも思えるのだが……。


「いえ……。自分もいまのいままで気を失ってましたから」


 ハロルドの良く分からない性格に困惑したレニだったが、「危ない!」との若い兵士の声で、背後から迫る新たなマジロ型の存在に気付く。


 体を丸めての突進ではなかったものの、その巨躯に反して脚の速さは異常で、レニは再び防御に専念することしかできなかった。


 大剣でガードはしたものの、硬い甲殻との衝突は思った以上に重く、優に数メートルは飛ばされてしまった。


 宙でどうにか姿勢を整え、着地と同時に大地を踏みしめる。脚に力を集中し、じめついた土を踏み固めると、その脚をバネにして反撃に跳躍した。


 旋回の遅い敵の脇に入り込み、大剣を地面とマジロ型との間に刺し込む。そのまま大剣を振り上げ、相手をひっくり返してみせると、弱点である腹を曝け出させた。


 トドメをと武器を握る両手に力を入れた時、電撃が走るような痛みが全身を駆け巡った。体が蝋で固められたかのように強張(こわば)り、思うように動かすことができなくなる。


 手負いの身で、無理をしすぎたせいか。


「任せてください」


 不調を察したのか、ハロルドが軍刀を持ってすかさず追撃する。


 その実力には、レニも驚いた。


 障害物の間を素早く駆けたかと思えば、うねるマジロ型の脚を搔い潜り、正確に敵の心臓を貫き、腹を切り開いてみせた。その身のこなしたるや、ハンターほどでは無いにしても、帝国兵には珍しくキレのある軽やかさである。


 切り裂かれたマジロ型は数秒もがいたあとに、腹から溢れ出すどす黒い体液がいよいよ尽きると、あっけなくその命を終わらせた。


「まだ来るぞ!」


 若い兵士が再び震える声で叫んだ。


 それは一匹や二匹ではなかった。列をなして続々と壁を越えてやってくる。生者の匂いを嗅ぎつけ、執拗に群がってきているのだ。一匹仕留めれば二匹増え、二匹潰せば四匹が姿を現す。戦場で見たあの真っ黒な濁流が、いままさにこの場に流れ込んできていた。


 固まったままの体に鞭を打ち、ハロルドと協力しながら複数匹を叩き潰すが、数は減るどころか、倍に膨れ上がってさえいる。周りには、順番待ちの喰人蟲が今か今かと垂涎(すいぜん)しながら自分の番を待っていた。


 大剣を握る両手は疲労の痺れに侵され、感覚も曖昧のままレニは戦い続けている。しかし一向に終わりの見えぬ敵の数に、「これ以上は……」と弱気になってしまったのが良くなかった。敵の一匹を仕留めんと足に力を入れた、まさにその時だ。


 赤黒い血でぬかるんだ地面に足を取られ、喰人蟲の死骸に(つまず)いてしまう。


「しまっ……」


 その一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。一匹目が鉄に近い自らの体をレニにぶつけ、続けざまに二匹目が一匹目に倣って突進した。


「うっ……ぐっ……!」


 この時ばかりは、レニに自身を守る余裕がなかった。骨という骨が悲鳴をあげ、皮膚が裂け、血を流し、地面に叩きつけられた時には思わず血反吐を吐いてしまった。


 痛い。辛い。体はもう限界だ。死んでしまう。


 減ることを知らない喰人蟲の数。抗い続けても狭まる一方の壁。逃げる道は無い。


「どうして……。なんで、こんなことに……」


 なんとか立ち上がろうともしたが、思い通りに動かずにバランスを崩した片膝が、絶望に浸された地面に落ちてしまう。


 壁の向こう側からも微かに聞こえてくる帝国兵達の断末魔。地をならすように転がるマジロ型の虐殺は、なおも続いている。


 守らなければならないものがまだあるのに。体は意思に反して、動こうとはしない。


 じりじりと詰め寄る敵を前に、「動け、動け」とレニは自らの体を奮起させようとした。


 その時だ。


「私たちはまだ生きている。生きている限り、まだやれることはある」


 ハロルドの、若い兵士に向けた言葉が聞こえた。恐怖に腰が引けたままの彼らを奮い立たせ、同時に僅かながらの安心を与えようとしたらしい。


 無意識のうちに脳に張り付いていた、ある言葉が浮かび上がった。


 ――死んでしまったら、終わりなんだ。


 戦いが始まる直前に、帝国兵のジャックはそう言っていた。命を落としてしまえば、それから何をすることも出来ない。助けを必要としている誰かを救うことも、交わした約束を守ることも。


 そして、大切な人と再会することも。


 ブリンク……。


 ――何があっても、心だけは挫かせてはいけない。


 父のその言葉を思い出した途端に、心の奥底から湧き出る無限の生命力を感じた。


「ハロルドさんの言う通りだ……! 生きてさえいれば、なんとかなる。だから、絶対に挫けちゃいけない!」


 不思議とレニの脚に力が入った。無理を通して、限界を超えたのだろうか。身体が苦痛に悲鳴を上げようが、心や脳が起こした爆発的な火柱が痛みを燃やし尽くした。


「心が挫けてしまったら、もう誰も守れない! 自分のことも! 誰かを守りたいのなら……、生きて再び会いたい人がいるのなら、立って、戦わないと!」


 迫る蟲を一匹薙ぎ払い、続けざまに飛び出してきた二匹目のマジロ型を地面に叩き付ける。三匹目にはまた体当たりを受けて地を転がされてしまうが、すぐに立ち上がり反撃の一手で黙らせる。


 傷付きながらも不死身であるかのように立ち上がる、怒涛の抵抗であった。いまだ数十匹が周りを囲む中、レニはマジロ型の無慈悲な猛攻を耐え忍んだのだ。


「生き抜いて、俺は約束を果たさなきゃいけないんだ!」


 レニは自分に言い聞かせるように、叫びながら戦った。ハロルド達に群がろうとする蟲も、降りかかる脅威はすべて叩き潰す。


 レニの鬼人的な強さが敵を蹴散らすなかで、二匹同時に攻め込むことを考えた蟲がその背後を取った。


 気付いてはいたが、どうにも対応のしようがなかったレニは、その一撃を受けることを覚悟するしかなかった。


 しかし、敵の攻撃がレニの背中を切り裂くことはなかった。


「少年」ハロルドが倒れた喰人蟲の上で、軍刀についた黒い血のりを振り払いながら言う。「私たちも共に戦おう。生き延びるために」


 その後ろでは若い兵士ふたりが震える手で軍刀を握っている。その瞳には、揺らぎの無い決意が燃えていた。


 レニの言葉とそして行動がハロルド達の心を掴み、魅了し、奮い立たせた結果である。


「その意気や良し! 素晴らしい心構えだ!」


 レニ達とは別の、誰かの声が轟いた。歪みの無い、真っすぐで透き通った力強い声。耳にするだけで勇気がとめどなく湧き上がり、そして揺るぎない安心感を与えてくれる。


 それが誰の声か。憧れの人物のひとりであることが分かると、レニの瞳は安堵に潤んだ。


 壁の一部がけたたましい音を立てて爆発、崩れ落ちた。残った火薬の臭いが風に巻かれていく。


 穴の開いた壁の向こう側から夕焼けを帯びた光が差し込み、それを後光として背負った一人の男が姿を見せた。


「さすがはナンバーツーの子。これまで良く耐え、守り抜いたものだ!」


 ハンターズ・リーグの勇者、無敵のナンバーフォーだ。


「バッシュさん……!」


 目頭の熱くなったレニに向けて、バッシュは大きくゆっくりと首を縦に振り、光り輝く笑顔を見せた。


「あとはこの私に任せておきたまえ!」

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― 新着の感想 ―
[一言] よく耐えた! 一縷の望みが、光と共に差し込んできましたね。 外の惨状も気になりますが……
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