1-12.『狩人百人』
帝都アイアンウォールから、港湾都市ブラッドハーバーまでは馬を使って二日ほどはかかる。一日目に南下し、中継都市となるクロスロードを経由。そこから西に進路を取ると、二日目の正午までには到着する段取りだ。
すなわち、ブラッドハーバーから北に五日ほどの位置にいる喰人蟲に先んじて目的地に到着することができる。偵察隊の報告までの日数も考慮しなければならないうえ、奴らの休みない進軍も脅威だが、馬を持って五日の距離ともなれば、僅かながらだが迎え撃つ手筈を整える余裕くらいはある。
クロスロードを発ち、北東から昇ってきた太陽がぎらつく頃、レニは百を数えるハンター達と共に砂埃を上げながら荒野を疾走していた。相棒のほかに、トバイアスとアイシャが並走している。
「なんだか楽しそうだな、レニ」
トバイアスの優しげな笑みが、眩しい陽の光で一際輝いて見えた。
「こんなに大人数で狩りに出るのは、初めてだから」
帝都を出る時は半分の人数だったが、道すがら合流する者でその数は倍に膨れ上がった。ハンターとなってまだ日の浅い者が数人いるものの、九十九人と一匹いるうちの約八割はレニよりもナンバーの位が高い。それだけで勇気付けられ、なんとも心強かった。
彼らひとりひとりには様々な過去があり、十人十色の想い、意志、誓いがある。それを思えば思うほど、湧いて出る好奇心は止めどない。
「あまり、気を抜くんじゃないぞ」
ブリンクが厳しい眼差しで睨みを効かせる。
「わ、分かってるよ。足を引っ張ることはしない」
息子の気の緩みに、父は敏感だった。それは親として、相棒として当然のことなのだろう。お互いを気にかけ合うことがハンターの鉄則で、そうやっていままでの苦境を乗り越えてきたのだから。
「微笑ましいな。羨ましいよ」
トバイアスは声高らかに笑った。
「そうでもないぞ」ブリンクが口を尖らせる。「二十にもなって未だに酒を一滴も飲めやしないなんて、親不孝も良いところだと思わないか?」
「それは関係ないだろ。相性だよ、相性。体に合ってないんだ、酒が」
「だからって、ミルクはないだろ」
顔を真っ赤にして膨れるレニを見て、ブリンクの口元がニヤリと動く。
レニは下戸だった。アルコールにはとことん弱く、成人したのをきっかけに十五で初めて口にした時は、死ぬほどの思いをした経験がある。あれだけ不味いものを、美味そうに飲める大人達が信じられなかった。それならば温めたミルクを飲み、気持ち良く眠りに着いたほうがよほど健康的で良い。
ブリンクはそのことでいつもレニをいじる。それも、嫌らしいことに日課にまでなっていた。
「苦手なものは誰にでもあるからな」トバイアスらしい優しいフォローだ。「ところで、エリィはあれで良かったのか?」
その名が、先日の記憶を蘇らせる。
<狩人の集い>本部で、ブラッドハーバーとサウスウインドに班を分けることになった時、一番に手を挙げたのが、エリィだった。
「レニさまと同じじゃなきゃ、ヤダ!」とレニにしがみついて駄々を捏ね始めたエリィに、皆が腫れ物に触るような戸惑いを見せた中、彼女を一喝して落ち着かせたのはホワイトだった。
誰かがほっと安堵の息を漏らしていた。
しゅんと縮こまるエリィに言い渡された派遣先は、無情にも愛する者とは別の道、サウスウインドであった。泣き崩れる彼女の頭をレニが優しく撫でて別れを告げ、いまに至る。
「仕方ないさ。怒らせてもダメ、悲しませてもダメ。彼女の扱いは一筋縄では行かないからな。こいつの傍にべったりくっついて、何かあるたびに一喜一憂されてたんじゃ、こっちが持たん」
ブリンクは想像するだに恐ろしい、と自分の両肩を抱いて身震いするふりをして見せた。
「確かにな」トバイアスが笑う。「イリーンも良く彼女を制御できているもんだ」
「お互い変人同士、お似合いなんだろ。美男美女なのに、勿体ない」
変人の筆頭である自らを棚にあげておいて言うことか、とレニはカウボーイ姿のナンバーツーに冷ややかな目線を送る。自らの脚で駆けるアイシャと目が合うと、彼女の瞳にも一種の憐みが浮かんでいるような気がした。
「まあ、早いうちに嫁さんの扱い方は見つけておけよ」
ブリンクがレニに向けて、意地の悪い笑みを放った。
「だ、誰がっ!」
赤くなるレニに、トバイアスが首を傾げる。
「お前にその気が無くても、あちらさんは随分とぞっこんみたいだがなぁ。昔、何かあったのか?」
「知らないよ」
本当だった。ナンバーエイトであるエリィに好意を抱かれていると気付いたのは、彼女と初めて出会った時からだと、記憶している。だから、何故彼女が自分のことを良く思っているのか、いまだ見当もつかずにいる。
「稲妻に打たれるような、激しい一目惚れだったんだろ。良かったな、レニ。あんなに可愛い娘なら、将来には困らないぞ」
「だから違うって言ってるだろ!」
いつまでもしつこく茶化してくる父親に、レニはたまらず怒りをぶつけた。
聞き耳を立てていた周りのハンター達からも自然と笑みが零れているのを感じて、より一層レニの顔は紅潮していく。
「ところでトバイアス」
談笑はここまで、とばかりにブリンクの眼差しが急に真剣なものに切り替わった。その瞳は、遠い遥か先の何かを見つめているようだ。
「あの禿頭が言ってたウルブロンの件、お前はどう思う?」
しばしの時を経て、答えは返ってきた。
「俺には根も葉もない、ただ軍に都合の良い作り話にしか聞こえなかった」トバイアスは忌々しそうに吐き捨てる。先日のアーサーの非礼を、思い出したのだろう。「そもそも海を渡る術を持たないウルブロン族が、どうやってこちら側へ来れたんだって話だろ」
「それは皆、同じことを思っただろうな。それに戦いの達人とも言える奴らが、こうも頻繁に見つかるようなヘマはするまいよ」
ふたりは互いの意見に、納得するような相槌を打つ。
「それにしてもだ。あのアーサーが憎たらしいくらい、自信たっぷりだったろう。この話が嘘だとしても、奴ら裏で何か企んでるに違いない」ブリンクは苦々しい苦悶を顔に張り付ける。「戦はもう御免だぞ」
「そうだな」
ふたりの顔に、暗い影が落ちた。戦争経験者だからこそ、いまあるこの平和がいかに尊いもので、再び戦を始めることの愚かさを理解しているのに違いない。
ゴラドーン帝国、プロト王国に、ウルブロン族。三種族との間で続いてきた世界戦争は、いまやその起源が何であったのかと忘れ去られてしまっているほど、長い年月の間に繰り返されてきた。
いまだに続く三種族の睨み合いは、もはや憎しみただひとつで受け継がれてきていると言っても過言ではない。
だからこそ、休戦となったこの時代を未来に繋ぐためには、いかに平和が掛け替えのないものであるかを知り、戦争を起こさないための努力を欠かしてはいけないのだと、ブリンクは口酸っぱくして毎日のように語っている。
「でもさ、なんで軍は<狩人の集い>に協力を要請してきたのかな?」
レニは抱いていた疑問を投げる。
「俺たちの持つ”力”が欲しいのさ」トバイアスが重い吐息をひとつ、答えた。「ブリンクやベリルには卓越した銃のスキルがあるし、ナンバーフォーのバッシュには誰にも負けない強大な筋力があり、人々からの支持もかなり厚い。元来があらゆる”力”を原動力に動く帝国軍にとって、これほどまでに都合の良い組織はふたつとない」
「<狩人の集い>を吸収できれば、誰にも文句が言えないほどの力と権力を手にできるからな」とブリンクが付け加える。
「そういうことか」
レニは納得した。帝国軍らしい、汚い考え方だ、と。自分たちを取り込めば、確かに失ってきた国民の信頼を回復すると共に、手に入れた新たな力で絶対的な権力を誇示することができる。戦争においても、圧倒的な力で敵国を打ち負かせられるのは間違いない。
「そもそも、なんで信頼を失うことになったか、ってとこを考えるのが先だろうにね」
レニは思ったことを口にする。
「それが出来る組織なら、あんな”狸”は産まれやしないさ」トバイアスにしては、辛口な意見だった。「唯一の良心とも言える、シルヴェント卿があの様子じゃ、ちょっとな……」
「そう言ってやるな、トバイアス。あの爺さんは爺さんで、相当苦労していると思うぞ」
苦笑混じりにブリンクが言い、トバイアスが馬の手綱を握ったまま肩を竦めた。
「まぁそうだな」そして、思い出したかのようにはっと息を飲んだ。「そういえば、今回の作戦でサウスウインド側の指揮を取るのは、そのシルヴェント卿だと聞いたが……、こちら側はなんとアーサーらしいな。あんな粗悪な人間が兵を指揮できると思うか? これが本当なら、あきらかな人選ミスだろ」
軽い侮蔑の混じった苦言に、周りのハンター達も同調の意を示し、大きく頷いた。
しばらく考え込んだブリンクが返事をする。
「まぁ構わんさ。お手並み拝見といこう。俺達はただの遊撃隊として、好きなようにやらせてもらおうさ」
口では軽く言っては見ても、ブリンクにはナンバーツーだからこその考えがあるのだろう。それにこちらにはナンバーズの内、フォーのバッシュとシックスのトバイアス、そしてセブンのクラウンに、多数の熟練ハンター達も付いている。もしものことがあったとしても、乗り切れる自信を持つには十分すぎるほどだった。
だからレニは、ブリンクに向けて大きく首を縦に振ったのだ。自分も少しでも、父の役には立ってみせたい。
「だが気をつけろよ、ブリンク。あの狸は恥をかかされたことでお前を目の敵にしてるようだからな。蛇のように執念深いやつだ。それこそ何か企んでいるかもしれんぞ」
トバイアスが釘を刺すと、ブリンクは神妙な面持ちで目の前に現れた目的地に目を向けた。
「あぁ、分かっている」
目的地であるブラッドハーバーには、散々と照り付ける太陽が頭上に浮かんでいるが、その更に向こうの空には、不吉な無限の暗雲が立ち込めている。




