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愛ゆえに狂う  作者: ルノア
第一章 『Story Begins-物語の始まり-』
13/28

1-11.『白黒』

 水を打ったように静まりかえった部屋に、時を刻む秒針の音だけが木霊する。


 皆の視線はいまや、鈍色に光る老騎士の鎧に集まっていた。ホワイトが言う本題とは、一体何なのか。


「お前さんにはやはりお見通しだったかのう」


 シルヴェントは短く息を吐いた。蓄えた白髭をなでながら、問いに答える。「個人的にはあまり気乗りする話ではなくてな……」


 騎士の三人が、互いに目配せした。三人が三人とも、浮かない顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。シルヴェントの温厚な笑顔にもうっすらと陰りができ、微小な戸惑いが垣間見える。


「近頃、巷で良く囁かれている噂だから、聞いたことはあるじゃろう。”ウルブロン”の目撃情報に関することじゃ」


 ウルブロン。そう聞いてレニは記憶の辞書を引いた。


 ジオに住まう三種族のうちのひとつで、狼の姿をした”人狼”とも呼ばれている種族だ。草ひとつ生えぬほど極寒である”白銀の大地”に住まう者達で、その過酷な環境下で鍛えられた肉体、そして高いバイタリティによる生存技術はかつて戦場で猛威を振るったと、ブリンクの過去の体験を聞いたことがある。特に体格に大きな差のあるゴラドーン人は、彼らの持つ闘争本能と”他には無い特殊な力”に何度も苦戦を強いられたという。


「確かに最近良く耳にする気もするが、昔からその類の噂話はあっただろう? 結局どれも根も葉もないただの作り話で、暇を持て余していた奴等の迷惑な娯楽に過ぎなかった」


 トバイアスが肩を竦めた。


 他の者もそれに同調する。レニも、いままでに何度か聞いたことがあった。人狼が現れたぞ、とか人狼が人を食っているぞ、とか。噂が流れる度に街はその話で持ち切りになるのだが、結局はどれも、混乱する街を見て楽しむ悪趣味な者たちの戯言か、戦争に怯える者たちの幻覚だったらしい。


「それで? それをここで話すからには、それなりの理由があるのだろう?」


 ホワイトが話を進めるよう、促す。


「うむ……。そうじゃのう」さきほどまでとは打って変わり、実直だったシルヴェントの言葉は急に自信を失っていく。「これは又聞きじゃから、わし自身どこまでの信憑性があるのかが良くは分からん。じゃが、帝国軍内部ではこの一連の目撃情報を”本物”であるとの判断を下す方向で話が傾き始めておる」


 部屋に広がりつつある疑念の渦。十五年前に世界で停戦協定が結ばれた時、各国はお互いに不干渉の契りを交わしている。すなわち、国境をまたいで他国に干渉してはならないという決まりごとだ。


 だから軍の見解が正しければ、この話は再び開戦するきっかけともなる大事件になり得るだろう。しかし、ここにいるほとんどの人間が、それを信じていない様子だった。


「じゃあ、敵国が偵察を送ってきてるってとこ? 軍の考えは」


 エリィが尋ねる。


「そういう見方が強いみたいですね」ルークが答えた。「いままでの虚偽の情報に比べると、目撃される頻度も高く、ゴラドーン帝国各地でもその姿が確認されているそうです。実際に家を焼かれたりした被害も出たのだとか。情報の出所に不安が残りますが、十五年もの時が経てば、奴等が抑えこんできた闘争本能に限界がきてもおかしくはない、という上層部の考えだと思われます」


 そう答えたルークですら、その内容を真正面から信じているようには見えなかった。


「それだけでは材料に乏しいな。家が燃えたと言っても、ただのボヤ騒ぎをウルブロンのせいだと言ってしまえば、そうなってしまう。それに、奴らが海を渡って来たということを考えると、どうにも疑問が多すぎるのだが……、根拠は何かあるのか?」


 ブリンクの言うことは最もだ。明確でない情報を鵜呑みにすることほど危険なものはない。実際、いままでに幾度となく騙されてきたのだから。


「それが、特にも無さそうでな。無論、わしらには知らされていない情報が何かあるのやもしれんが……」


 沈み行くシルヴェントの語気には、どこかやるせなさがこもっている。


 帝国軍内部での騎士団の立ち位置は微妙なものだと、誰もが言う。彼らは彼らで様々な葛藤を抱えているのだと。長年蔑まれてきた騎士団に、その原因を作ったとも言える軍が与えるものは、そう多くはないのだろう。彼らがここにいる理由ももとより、ただ犬猿の仲である帝国軍とハンターとの仲を取り持つためだけだと思われている。


「ちょっと……困ります……!」


 突然、部屋の外で声があがったかと思うと、次の瞬間には部屋の扉が乱暴に開かれていた。


「シルヴェント卿。後はもう良いぞ。俺が説明する」


 ハンターズの事務員を突き飛ばし、蹴って開けた扉を忌々しげな眼差しで舐め回すと、腹を突き出し、肩で風を切るようにして部屋を闊歩(かっぽ)する。わざとらしく持ち上がった顎の高さからは、この部屋にいる全ての者を見下してやろうという歪んだ魂胆が見てとれる。傲慢な帝国軍をその一身で表現しているかのような人物を見て、「あっ」とレニは声を漏らした。


「アーサー……」


 継いだブリンクの放つ雰囲気が一瞬にして変わった。それに呼応するかのように、他のナンバーズの様子も一変する。


 嫌悪の眼差しが集中する中、自慢の黒マントを翻したアーサーは、そんなものは一切気にも留めず、空いていた一席にどかりとふてぶてしく座り込むと、背もたれに踏ん反り返った。


「アーサー少佐殿。貴殿をお招きした覚えはないが」


 部屋を黒く汚されたことに憤慨しているのだろう。ホワイトの静かな唸りが、場を凍らせていく。


「だ・ま・れ」しかし、アーサーの面の皮は予想以上に厚かった。「この俺がわざわざ足を運んでやったんだ。逆に感謝して欲しいものだね」


 アーサーの言動は、この純白の部屋には似つかわしくない。同様に、隠すそぶりも見せない腹黒さが、この部屋においてとてつもなく際立った。人望に厚く、ハンターズリーグの象徴とも言えるホワイトへの暴言が、ハンター達の敵愾心を煽ったことは言うまでもない。


「良いか? ウルブロンに関する情報は確かな筋のもんだ。近いうちに停戦協定なんて口約束は、破られることになるだろうよ。いままでの噂話と一緒だって片づけてちゃあ、痛い目を見る。闘うことしか能のないあの野蛮人どもが、十五年も我慢してきたこと自体、奇跡みたいなもんだろ」


 まくしたてるような早口で言葉を発すると、ひとり満足したかのように鼻を鳴らした。


「確かな筋とは? それを明らかにしてもらわねば、聞く耳を持つことすらできないではないか」


 普段は明るくて軽快さが売りのバッシュでさえ、この時ばかりは言葉に棘を含ませざるを得ないといった様子だった。


「そんなことはどうでも良いんだよ」アーサーは手のひらを大袈裟に振って、突っぱねた。「問題は、そうなった時に、お前達はどうするのかって話なんだ。簡単な話だろう? なぁ、シルヴェント卿」


「……」


 銀の老騎士は目を瞑り、黙したままだ。軍に属していながらも、その心はどちらかといえばホワイトよりなのだと思われる。しかし、組織のしがらみに縛られた者として、思うままを口にできない立場というものがあるのだろう。


 メリッサは血走った眼でアーサーを睨みつけ、ルークは冷ややかな微笑を携えたまま。しかし、ふたりからの反論は出ては来なかった。


 それを良いことに、アーサーは彼らを小馬鹿にしたようにわざとらしく嘆息してみせる。「まったく、こんな簡単なお使いすらできないのか。役立たずめ。だから騎士団はダメなんだ」


 そして再び、ホワイトと対峙した。


「で。まさか、お宅らは国民を守るための組織などとのたまっておきながら、非常時には”害虫駆除が専門で、ウルブロンは専門外です”なんてぬかすわけじゃないだろうな。当然、武器を取って戦うな?」


 憎たらしいほどの饒舌さはますますエスカレートしていき、アーサーの禿げあがった頭が興奮で真っ赤に染まっていく。


「ちょっとあんた! いきなり乗り込んできて、あまりにも失礼すぎると思うんですけど!?」


 たまらず噛みついたのは、エリィだ。


「小娘は黙ってろ! 俺はおたくの頭に聞いてるんだよ」


 アーサーが裏返った金切り声で、一蹴する。


「こ、小娘ぇ……!?」


 頂点に昇った怒りが、エリィの顔をひどく歪ませた。あと一歩アーサーが踏み込もうものなら、彼女は怒りに身を任せてしまいかねない。


 円卓を挟んで飛び交う火花にレニは少し戸惑ったが、胸の奥から湧いてくる嫌悪の波は次第にぐつぐつと煮立ち始めていた。エリィが言うように、我が物顔でハンターズリーグの聖域に土足で踏み込み、あまつさえ誠実な騎士団を馬鹿にするだけでなく、尊敬するナンバーズの皆を、ホワイトを一方的に嘲っている。


 以前交易行路で見かけた時もこの男はこうだった。自分勝手な屁理屈を押しつけ、相手の気持ちを微塵たりとも考慮しない。権力を笠に着た帝国軍が横暴で高慢だと言われる所以は、こういう輩が多いからだ。ブリンクに拾われて十五年。レニは軍の卑劣さや国民に対して威を振るうような場面を幾度となく見てきた。自分達がこの世で一番偉いのだと、勘違いしているのだ。


 こういう大人が国を、世界を腐らせているのだ、とようやく怒りの源を見つけたレニが、野次のひとつでも飛ばしてやろうと思ったその時。


「金次第だろうよ」


 静かに眠っていた男が、初めて声を発した。


「あん?」


 いままで気配を消していた者の発言に周りが静まるなか、アーサーだけが醜く引きつった視線を男に送る。


 男が羽のついたカウボーイハットを人差し指で押し上げると、欲望に忠実なぎらつく瞳が飛び出し、口角がゆっくりと持ち上がった。


「慈善事業でやってるわけじゃねぇんだ。食うために仕事してんだから、割に合う金さえ積んでくれりゃあ、文句はねぇ」


「ベリル、何勝手に皆の総意みたいに言ってんの! ナンバーズ新入りの癖に生意気よ!」


 エリィの怒声に気圧されることもなく、上げていた足をようやく下すと、ベリルは背もたれにのけ反るかのように更に深く腰掛けた。


「新入りったって、ハチもキュウも、そんなに変わらねえだろ。きゃんきゃん吠えるんじゃねぇ、”小娘”」


 にやついた薄い笑みがエリィを小馬鹿にする。


「きぃぃ! どいつもこいつも!」怒りのはけ口がふたつに増えたことに限界を感じたのか、エリィはたまらずレニの胸に飛び込んだ。「え〜ん。レニさまぁ」


 彼女を受け止めつつ、レニは測るような瞳でベリルを見た。この男には用心しろとのブリンクの注意を思い出す。


 この男の原動力は、金なのだろう。確かに生きていく上では必要なものだ。しかし、ハンターとはただそれだけのための存在ではないことをレニは理解し、信じている。ベリルというハンターには、それが欠如しているのではないだろうか。


「で? お宅の回答としては、どうなの?」


 予期せぬ茶番が挟まったところで興奮がやや冷めたらしいアーサーは、汗の噴いた頭部を撫でながら、ホワイトを指差した。


「それは、仮に敵国の襲撃にあった場合に、うちが軍と協力してウルブロンの駆逐にあたるかどうか、という質問として受け取って良いのだろうか?」


 毅然とした態度でホワイトが答える。


「さっきからそう言ってるだろ。そうすることで、お宅のつまらんモットーってやつにも則ることができるし、軍としてもあんたらの持つ奇怪な力を借りられれば、百人力だ。お互い良い事ずくめじゃないか。良い宣伝にもなるし、断る理由が……」


「丁重にお断りする」


 べらべらと息を吐くように悪態をつくアーサーを、ホワイトの一言がばっさりと切り捨てた。


「は、はぁ?」


 呆然とし、固まってしまう禿頭。


「ご自身でも仰っておられたが、<狩人の集い(ハンターズ・リーグ)>は”害虫駆除が専門”です。個々の能力が他を凌駕する強者揃いであることは認めますが、その力は殺人を目的としたものではありません」


「じゃ、じゃあ何か? もしウルブロンが攻めてきたとして、お前達は侵略される街や住人たちを、指を咥えて見殺しにするとでも言うのか」


 ホワイトはゆっくりと首を横に振る。


「街を守り、人を助けるのも、手段は様々です。戦うこと以外にも方法はある」


 席から立ち上がったハンターズリーグの総司令は、それから皆に訴えかけるように話を続ける。


「第一に……、人にはそれぞれ役割というものがある。私たちが喰人蟲から人々を守るためにいるようにな」そして力強い眼差しを、アーサーに向ける。「敵国からの侵略を抑えこみ、国を、延いては国民を守るのは、帝国軍の義務。違いますか?」


「そ、それはそうだが……!」


 当然、アーサーに反論の余地はない。


「国民を守るご協力は惜しみません。しかし、敵とはいえ人を殺めることは我々の存在意義に反する行為。真っ黒な行為だ。我らが国民に誇れる純白な存在であり続けるため、そのようなお手伝いはいたしかねます」


「この話を蹴ることがどういうことなのか、お前たちは分かってない!」たまらず、アーサーが席を蹴るようにして立ち上がった。「ハンターである以前に、お前達は帝国国民なんだ。これは皇帝陛下直々のご命令であるといっても過言ではないのだぞ!」


 青筋を立てて吠えたところで結局、虎の威を借る狐であることに変わりはなく、自らに現状を打破するほどの能力がないことを露呈するだけである。


 たまりかねたブリンクが幼子を諭すように口を開いた。


「アーサー。この円卓の意味をお前は理解しているか? ここには上座下座なんてものはない。つまり、ここに座る全ての人間が平等であるということだ。ハンターは全ての人を分け隔てなく救うという誓いをもって活動している。そこに皇帝だからとか、軍だからとか、そういった強引な理由は通用しない。俺達には俺達の、譲れない意志があってここにいるんだよ」


 レニの心に響く、熱い語りだった。言葉にならなかった自分の想いを、代弁してもらったかのような気分になれた。


 他のハンター達も、羨望の眼差しを持って同意見だとばかりに頷くのを見て、ナンバーツーに憧れる人間は、自分だけではないのだということを実感した。そんな父を、誇りに思う。


「検討します、考えておきますなどというグレーな言葉が、私は嫌いだ。有耶無耶にせず、ここで白黒はっきりしておいたほうが貴殿のためにもなるのではなかろうか?」ホワイトは、悪戯な笑みを浮かべる。「アーサー少佐殿」


「し、シルヴェント卿……!」


 破裂するのではないかと言わんばかりに怒りで膨れ上がり、紅潮させた顔面は、やり取りを静かに見守っていたシルヴェントに向けられた。援護射撃が無かったことに憤慨しているのだろう。


「……彼らの想いは強い。そう簡単に折れるほど、単純ではないことをワシは知っておる。今日のところは出直したほうが良いと思うのう」


「ちっ、老いぼれめ……! 誰のおかげでいまの騎士団があると思っているんだ!」アーサーは地団駄を踏む。「もう良い! 上にはありのままを報告するだけだ。あとがどうなろうと、俺は知らん。せいぜい首を洗って待ってるんだな」


 そんな三流の捨て台詞を吐いた黒マントの軍人を、「ささっ。お引き取りを」と朗らか過ぎて逆に怖く感じる笑みを浮かべたバッシュが、入り口へとエスコートする。


 部屋を追い出されたアーサーは、頭から湯気が立つほどの怒りを抱えたまま、踵を返して本部を後にした。


 この日、レニはハンター一同が抱く崇高な意志と、強い団結力を改めて確認できたことで、胸のうちの炎が再び燃え上がる思いだった。しかし、何故か一番印象に残ったのは、盛り上がる一同を冷めたふたつの瞳で見つめるひとりの男の横顔だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 情報の出所を秘されれば秘されるほど気になります…… 嫌なヤツは撃退出来たけど、事態が良くなったわけじゃないんだよねぇ。
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