1-10.『異常事態』
ゴラドーン各地に散らばる数多のハンターの中でも、ナンバーズと呼ばれる猛者達がいた。喰人蟲の生態を熟知し、優れた技能、戦闘力を有する者達だ。特に優秀な者をワンからテンまでの十の番号で呼び、数が小さいほど実績のある人物だとされている。
今回招集を受けたのはそんなナンバーワンからナンバーテンまでの十名で、その中にはブリンクやイリーンも含まれていた。
「お勤めご苦労。早速で悪いが、席に着いてもらえるか」
トバイアスが真っ白な扉を開くと、すぐに部屋の奥から声がかかる。ホワイトだ、とレニの記憶が答えた。
芯のしっかりとした、威厳に満ち溢れた力強い一声だった。そこに込められたホワイトの気迫たるや、まだ部屋に入ってすらいないレニの耳に届くまでに、一切の減退をも許さず。聞く者の鼓膜を震わせ、全身を揺さぶられるかのような錯覚にさえ陥らせる。昔と何も変わっていない。
一礼して入室するトバイアスとブリンクに続き、レニは畏縮してしまった身体をどうにか動かすので精一杯だった。
扉の先はハンターズ・リーグの創始者、および総司令であるホワイトの執務室になる。限られた者にしか立ち入ることの許されていない、聖域だ。
床には磨き抜かれた白の大理石が敷き詰められており、椅子も机も棚も、その部屋にある何もかもが白一色で統一されている。
そして、解放感のある大きな窓がひとつ。空にはうんざりするほどのスモッグが敷き詰められているが、時折顔を出す真夏の陽が差し込むと、床や壁に反射して部屋全体に広がる光の渦を形成していった。この一滴の不純物をも許さない純白の一室こそ、ホワイトのこだわりそのものなのだろう。
レニにはいささか眩しすぎる趣味だったが。
「よ、よろしくお願いします」
辺りを見回すこともおこがましく感じられ、深々と腰を折ってお辞儀する。しばらくそうした後に、頭を上げるとようやく部屋の全体像を把握できる程度の気持ちの余裕を得た。
部屋は組織の長たるものに相応わしく、五十人程ならば余裕で入る広さを有している。ちょうど、奥の執務席から立ち上がったホワイトが、部屋の中央に設置された円卓へと歩み寄ってくるところだった。二十名分の席が用意された巨大な白のテーブルだ。
その円卓には、既に先客数名が座していた。入り口から見て奥には、イリーンのものと良く似た鎧の騎士が三名。そのすぐ右脇には、弾けそうな筋肉の盛り上がりを見せる大柄な偉丈夫と、”小袖”と呼ばれている独特な服装に奇妙な道化師の仮面を着けた男。
そして一番手前、レニの目の前に知った男の背中がひとつ。組んだ両足を円卓に乗せ、椅子の背もたれに深く沈んでいた。羽付きのカウボーイハットで素顔を隠し、眠っているのか、その表情は何を浮かべているのか分からない。
ベリルだ。
彼もまた、ここに招かれたナンバーズのうちのひとりなのだろう。
先程見た彼の常人離れした動きはブリンクとほぼ対等に渡り合えているようにも見えたし、会話の中から薄々そうなのではないかとレニは思っていた。しかしながら、錚々(そうそう)たる顔ぶれが集まる厳粛なこの場には削ぐわない、なんともだらしない姿には違和感を覚えざるを得ない。レニが抱くナンバーズの理想からは大きくかけ離れていたひとりだった。
そうした面々に対する様々な興味は止めどなく沸いてくるが、それは次第に彼らを束ねる絶対的な存在であるホワイトへと収束していく。
清楚そのものとも言える初老の男性で、整えられた白髪に、これまた白の上等なスーツを着込んでいる。言うまでもなく、白に対する凄まじい執着心によるものだろう。
レニが彼と対面するのは実に八年ぶりであった。反対するブリンクを押し切り、ハンターになりたいとの願いを仲裁してもらったのが最初で最後。当時と変わらぬホワイトの姿、そして衰えを感じない無言の威圧感には気圧されっぱなしだ。その身ひとつでハンターズリーグを立ち上げ、これほどまでに巨大な組織へと育て上げる手腕を発揮した彼は、押しも押されもせぬ時代の立役者だ。
「皆、常日頃の任務遂行、ご苦労である。レニもアイシャもよく従事してくれているな」
改めてハンター達の功を労ったホワイトは皆を一瞥すると、自らも円卓の一席に座る。レニ達も会釈を返し、同じように席についた。丁度左側にホワイト、そして騎士三人がくる位置となる。
ホワイトと同年代と思われる銀色の甲冑を着た老騎士に、青の甲冑の女騎士、そして金色の甲冑を輝かせている三十代くらいの伊達男。背を伸ばし、胸を張って堂々とした彼らの姿は誠実そのものだ。
「始めようか」
ホワイトの一声に、トバイアスが手を挙げ、「あとの二人はよろしいので?」と空いた席を指差した。
レニも名誉ある者たちの面々を確認し、心の中で人数を数えたみた。招集を辞退したイリーンを除けば、確かに十人いるナンバーズのうちふたりの姿が見えない。
「良い。ファイブもテンも、それぞれに別の役割がある。今回の件にあの二人は不要だ」
そう言うと、トバイアスが頷くのを待って、次を来客に譲った。
騎士が三人揃って席を立ち、深々とお辞儀をする。明確な意志の宿った真っ直ぐな瞳に、歪みの無い実直さと勇ましさをレニは見たような気がした。
「多忙の折、このような場を設けていただき、感謝申し上げる」
銀色の老騎士が言った。穏やかで、不思議と包容力のある声色だ。
「こちらの”おじい様”がシルヴェント卿」ホワイトが少しおどけてみせ、三人の紹介を始めた。「それとご息女のレディ・メリッサ。そして金色に輝く彼がサー・ルークだ」
互いに目配せし、微笑みあっているところを見るに、老騎士のシルヴェントとは古くからの知り合いで、深い交流があるであろうことが窺える。
「”おじい様”と呼ばれるほど年は取ったが、この体はまだまだ衰えておらぬよ」
シルヴェントは含み笑いをひとつし、蓄えた白髭をなでた。その言葉に偽りは無いだろう。年齢のわりに、堂々たる体つきである。鎧ひとつではとても隠しきれないような強靭な肉体に浮かび上がるのは、これまでに潜り抜けてきたいくつもの戦場だ。
そんな父を横目に、右隣にいた青の女騎士メリッサは口を真一文字に閉じていた。男性的な顔立ちで、失礼ながらも女性的な美しさはほとんど無いように思う。シルヴェントの娘というからには、ブリンクと同年代なのだろうか。寡黙なところが騎士らしいといえば騎士らしいが、正直に言って、レニには近寄り難い印象しか持てなかった。
そして三人目が口を開く。
「”おじいちゃん”になれるのは、いつでしょうね?」
ピカピカに磨かれた黄金色の鎧を着たルークだ。人の好い笑顔を浮かべ、剽軽なしぐさを見せた。
“ルーク”という名は意外と良く知れ渡っている。レニも名前くらいは聞いたことがあった。帝都では有名な好色漢で、その美貌はイリーンにも引けを取らない。彼の為に人生を変えた女性が何人もいる、との噂が絶えないほどだ。
「ル、ルーク……お前は! 余計な口を開くな!」
静かな雰囲気から一転、頬を赤らめたメリッサが開いた第一声が震える声でのそれだった。
「老婆心ですよ、老婆心」
悪びれもなく、ルークが肩を竦めて見せる。
「ルーク!」
メリッサが睨みをきかせてついに怒声をあげると、ルークは首をすぼめて口にチャックをするような動作を見せ、その後は観念したかのように押し黙った。
「賑やかなことで」
ホワイトが笑みを浮かべる。
「寡黙さが売りの騎士団といえども活気は大事よのう。お互いが気持ちを高め合わねば、続くものも続きはせん」シルヴェントが言った。「して、どうじゃ、ブリンクよ。お主もそろそろ騎士になってはみぬか?」
その朗らかな笑みが、ブリンクへと向けられる。
「ご冗談を。俺は軍も剣も、大が付くほど嫌いです」
ブリンクは呆れ顔で返した。もう何度目の冗談か、とでも言わんばかりに。察するに、このふたりも以前から面識があるのだろう。
「相変わらず、はっきり言ってくれるのう。ガハハ」
シルヴェントがたまらず高笑いした。その笑いは周りがつられてしまうほどに豪快で、見ていて清々しい。
「騎士もまた人数が減ったと聞くが」
ホワイトが問うた。
「うむ。今はもう五百人ほどしか残っておらん」
シルヴェントは少しばかり視線を落とすと、悲しい顔を垣間見せた。五百といえば、二十万はいるとされている帝国軍と比べると、そのほんの一部にすぎない。
騎士団は、ゴラドーン帝国軍に属する組織ながらも、その歴史は帝国軍のそれよりも古い。正式な名称は<正義の騎士団>だが、いまではその名を知る者は数少ない。
かつては数々の絵画や物語に剣と盾を手にした騎士達の勇ましい姿が登場するほど、戦場での目覚ましい活躍があったとされているが、昨今では蒸気機関の発明が発端となり、更には銃の登場が追い打ちとなったことで、帝国内でのその存在意義は薄れてきている。周囲からは時代遅れとまで揶揄され、新たな志願者も当然激減し、そうして騎士団の存続が危ぶまれているらしい。
「父上、そろそろ本題に入らねば、時間がいくらあっても足りません」
痺れを切らしたメリッサが、辛辣な言葉を投じた。
「おお、すまぬな。そうであった」
にこりと微笑んだシルヴェントは椅子に深く腰掛けると、次は困った顔を見せた。蓄えられた白い髭が顔の三分の一をも隠しているというのに、なかなか表情豊かな老騎士である。
「ルーク」、と指名を受けた金色の鎧が立ち上がった。
「では、私より此度皆さまにお集まり頂いた理由をご説明いたします。昨晩、調査隊からの急報が届き、ブラッドハーバーより北に五日の位置に喰人蟲の群れを確認とのこと。その数およそ一万」
「へっ? 一万?」
レニの真横で素っ頓狂な声が上がる。いつの間にやら椅子を並べ、べったりと寄り添っているエリィだった。
「それはまた、とんだ大所帯じゃないか」
向かいに座る大男、バッシュが白く輝く歯を剥き出しにしてにっと笑う。浅黒く日焼けした顔に、白さが良く映える。ナンバーフォーの実力者で、国民からの支持も厚く、厳つい見た目に反して大らかな人物だ。
彼の英雄的な活躍の数々を良く知るレニは、憧れの眼差しで彼を見つめ、バッシュもまた親指を立てて、強者の持つ余裕をアピールした。
「異常繁殖か」
トバイアスが問う。
「だと思われます。あくまで推測ですがね」
蟲のことはさっぱりなので、と付け加えたルーク。
一万という数字がどの程度のものなのか、レニはすぐに想像できなかったが、先日のケラ型がたった一匹で複数人の訓練された帝国兵を瞬殺したことを考えるに、その数字への危機感がじわりと湧いてくる。
「ブラッドハーバーへとまっすぐに南下しているようで、彼の地の防衛は必須と言えます。そして、一万という数に対抗するにはそれなりの戦力が必要です」
「数だけで言えば、軍のみで対処できそうなものだが。俺達は必要なのか?」
難しい顔をして話を聞いていたブリンクが問う。軍嫌いらしい、つき離したかのような言い方だった。
「うむ、まことその通りなのじゃが……」シルヴェントが頷く。「ご存知の通り、帝国軍には喰人蟲の知識が浅いものも多く、近頃の兵士達は当然のことながら実戦経験にすら乏しいものばかりでの。ハンター諸君のように何かしらの超人的な力を持つわけでもない。だから、軍としても兵士という貴重な財産を失うのは忍びないものでな」
「加えてもうひとつ……」ルークが申し訳なさげに、胸の前で手を挙げた。「全く同様の異常繁殖が、南のサウスウインド近辺でも確認されました。その数、こちらも約一万」
この報告に、会場がしんと静まり返った。
「ど、どういうことなの?」
席から飛び上がったのはエリィだけ。だが、レニには分かった。内心皆驚いていること。それまで陽気な場の雰囲気がガラリと変わり、レニにもその緊張感が重たくのし掛かったからだ。
「十数年に一度と言われている大量発生が、同じタイミングで二箇所も起きるとは、にわかには信じられないな。偶然で片付けるには早計か」ホワイトが腕を組んだ。「何が起きている」
各々が口を閉ざした中で、仮面の男がひとり手を挙げた。
「……ブラッドハーバーから五日の位置といえば、カームグラス平原があるはずだが」
物静かな男で、その声も仮面の裏に隠れてしまっているせいか、とてつもなくか細い。耳を澄まさねばはっきりとは聞こえないだろう。”クラウン(道化師)”の名を持つ彼はナンバーセブンであり、バッシュの相棒でもある。動と静、両極端にいるふたりの相性は抜群と聞き、依頼主の間で根強いファンも多いらしい。
物静かなクラウンの後を、相棒のバッシュが継ぐ。
「あそこには帝国軍の砦があるだろう? いまは各国とも休戦中とはいえ、それなりの人数が常駐していたはずだ。彼らはどうしたんだい?」
「三百人は配置されておったかのう?」
シルヴェントの言葉が語尾に向かって小さくなっていく。そしてルークに目配せすると、続きを促した。
「……全滅です。それもおそらくものの数分で」
ルークが答えるや否や、それまで静かに構えていた一同の疑念が大きく膨れ上がり、弾け、どよめきが沸き起こった。
レニにとっては、元よりあまりにも大きすぎる話だったのに、また更に一回り大きくなってくると、想像できる限界を優に通り越してしまった。もはや混乱する頭を抱えることしかできないレニとエリィのふたりに、ブリンクが人差し指をあげて解説を始める。
「砦ってのは、元来敵の侵略からその土地を守るためのものだ。防衛用の兵器と三百人もの熟練兵を抱えたその要塞が、数の差があるとはいえものの数分で攻略されるなんて、ただの蟲にできることじゃあない」
「その通り」メリッサが立ち上がる。「そうしたこともあり、敵が従来の喰人蟲とは何かが違うであろうことに危機感を感じた私たちは、蟲に詳しいハンターの皆様のお力と知恵を拝借できないかと思い、今回こうしてお願いに参った次第なのです。ブラッドハーバーもサウスウインドも、軍にとって極めて重要な拠点であり、数多くの国民が平和な生活を送っています。国財である彼らをこれ以上失うわけにはいきません」
そして深々と頭を下げた。
その先に、腕を組み、瞑目したままのホワイトがいた。皆が彼の口元に視線をよこし、その答えを待つ。全員の答えが一致していることは明らかなのだが、総意を持って最終的に決断を下すのは、トップであるホワイトの役目だ。
「話は良く分かった。皆、異存はないはずだ」そういって円卓に座する者を見回す。「事は一刻を争うだろう。西と南、ここにいる優秀な人材をお貸ししよう。『黒き者に苦しめられる白き民に、救いの手を』。それが組織のモットーだからな」
ホワイトの熱い眼差しが、暗く沈んだ部屋に明かりを灯した。
「相変わらず頼もしいの。感謝申し上げる」
当然、受けてくれるだろう。そうひとり納得したような表情でシルヴェントは数回頷いた。厳格な顔つきのホワイトも、いつの間にか口角を上げている。ふたりの間柄だからこそ、言わずとも通じるものがあるのだろう。
話も終盤を越えたかと思って、緊張で固まっていたレニの体がふっと糸が切れたかのようにだれた。ほんの十数分の話だったはずなのに、蓄積した疲労感は喰人蟲との戦闘以上だ。
しかし、ここで場に再び緊張感を呼び戻す一矢が、ホワイトの口から投じられることとなる。
「で? 本題は他にあるのだろう?」
シルヴェント卿へと向けられたものだった。




