第5話 vs 歩くゴリラ 121回目の婚約破棄
突然のバトルシフト
泣く子も黙る騎士団長ブレイブファントム様からの依頼です。騎士団長は、顔はさわやか系イケメンという風なのですが、大剣と盾を振り回して戦うからかゴリゴリのマッチョで、顔と体に違和感があるくらいです。魔王種と呼ばれる強力な人型の魔獣と戦った際には、大剣と盾を失いながらも、素手で殴り殺したと言われており、ハートフル帝国の勇者と呼ばれています。実際はただの戦闘狂らしいのですが。
騎士団長ですし、勇者と呼ばれるほどの武勇をお持ちですから、縁談が持ち込まれることも多々あるのですが、強い女性が好みらしく、うちの国ではお眼鏡にかなう貴族女性がいないために断っているそうです。
さて今回の依頼ですが、ジャポーネからの留学生リーラ・ブトーハ嬢と縁談を結びたいから協力してほしいそうです。
ええと、それって、もはや「称号」も関係ないですよね。縁結びの神様にでもお願いすればいいのではないでしょうか?
騎士団長から聞いたところ、リーラ・ブトーハ様は武力こそが正義という脳筋国家ジャポーネ国の武力大学校(意味不明)に通う辺境伯令嬢で、武力留学(意味不明)に来たそうです。スパイか何かでしょうか。
ジャポーネでは「暴力姫」「魔王討伐RTA」「歩くゴリラ」「腹パンされたい」などと言われているそうです。婚約破棄してきた王子も殴って許したという話ですから、相当な脳筋武闘派なのでしょうね。
なんでしょうね、とりあえず、魔王種を最速で討伐できるような方に腹パンされたら死にません? ジャポーネは自殺願望者の多い国なのでしょうか。
ちなみにサナは「当て馬姫」「婚約破棄RTA」「歩く経験値」「踏まれたい」などと言われているぞ、とビブリオがひそひそ声で伝えてきますので右足の小指を踏んでおきます。踏まれたいらしいですからね。
今回は縁結びの依頼ですが、悪役令嬢ロール以外のやり方が分かりませんので、いつも通りに行きましょう。騎士団長にリーラ様に話をつけておくように依頼して、あとはビブリオに調整を任せます。
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騎士団長主催の立食パーティにリーラ様を招待したので、私とビブリオも参加いたします。早めに来場して準備をした私は、庭園に下りる階段の踊り場でビブリオと話すふりをしてリーラ様を待ち構えます。リーラ様だけ早めに集合時間を連絡してあるので、他の方と遭遇することはないと思いますが……。
いらっしゃったようですね。控室から庭園への階段を下りてくるのが、リーラ様でしょう。騎士団長から聞いている容姿に相違ありませんし、何よりハートフル帝国の女性では見たことがないほどの強者の風格があります。
ドレスの裾を踏んでしまったように見せかけて、リーラ様に寄りかかり、そのまま階段から突き落とすように背中を押しました。武力を貴ぶ国らしいですし、階段もあと10段ですから、ケガしても軽いだろうと思いながら見ていましたが……。
リーラ様は華麗な足さばきでくるりと態勢を整え、ドレスにもかかわらず、がに股で踏ん張って踊り場からの落下を免れました。
なんですか、その強靭な足腰は。
そもそも令嬢がとっていいポーズではないのでは、と思いましたが、落とせないなら仕方ないですね。
肩を前に体を低くして背中からタックルを決めます。そう、鉄山靠ですね。
流石に二度目の攻撃には耐えきれなかったリーラ様は、階段の先の通路まで飛んでいきますが、足をつき、膝をつき、そのまま回転して勢いを消して着地します。
5点着地、だと……?
圧倒的無傷で落下の衝撃を殺したリーラ様に衝撃を隠せない私は思わず呟きます。
「こいつ、できる……」
流石に階段から落とされたリーラ様も我慢はできなかったのか、なぜか笑顔になって声をかけてきます。
「ケンカですね、買いましょう。表に出ていただけますか?」
庭園はもう表なのでは?
他の方が来場しても邪魔にならないであろうスペースに移動した私とリーラ様は、互いに向き合って、臨戦態勢をとります。
それにしてもリーラ様は、恐ろしい殺気です。さすが脳筋国家出身にして、武力留学(意味不明)に来ているだけはあります。
リーラ様は赤いドレスに白いヒール、銀色のおそらく魔道具と思われる腕輪を両腕につけており、口紅はオレンジベージュでナチュラルメイク風、素材の良さを引き立てるメイクをしております。この殺気さえなければ武力留学(意味不明)に来ているとは到底信じられませんね。
香水は、フルーツ系の薫りで、どこかで嗅いだことがあるような……。あ、バナナですね、これ。香水としては珍しいですが、ジャポーネのメーカーのものなのでしょうか。
「私はサナ・ヴェルトラウトハイト。ヴェルトラウトハイト辺境伯の長女ですわ。貴方には恨みはありませんが、騎士団長からの依頼でして、貴方と騎士団長の仲を取り持つために悪役令嬢として嫌がらせを行う必要があるのですわ」
なんかもう嫌がらせとかそういう雰囲気じゃないよね、ただの決闘だよね、これだから脳筋は、とビブリオが少し離れたところでぶつぶつ言っていますが無視します。
「私はリーラ・ブトーハ、ジャポーネの当代のゴリラですわ。ゴリラとは、古代ジャポーネ語で王家の忠臣の中で特に圧倒的な武力を持つ者。事情はよくわかりませんが、ジャポーネのゴリラとしては売られたケンカは買わなくてはなりません。さあ、参りますよ!」
ジャポーネのゴリラ概念を説明されても結局意味はわかりませんでしたが、臨戦態勢を取ります。
両手を軽く握った状態で胸の前で同じ高さにそろえ、右手を引くと同時に左足を前に出して構えます。
ふうっ、と息を吐き終わった瞬間、リーラ様が光速の右上段突きを放ってきます。なぜか拳が光っているのですが、どういう原理なのでしょう。
頭を右下に下げて上段突きをかわします。
そのままリーラ様の肘よりやや肩に近い箇所を右手で払い、右肘を曲げて胸に当てつつ体重をかけて押し込みます。
リーラ様が後ろに飛んでいきますが、ダメージにはつながっていません。当たる瞬間に後ろに飛んで勢いを殺したのでしょうか。
リーラ様が再び距離をつめて来ます。
リーラ様が顔面に向けて右手で肘鉄を放ってからの左ハイキックを放ちます。早すぎてこれはかわせなかったので、正中線を外して顔で受けるしかありません。
ズパアン!
思った以上の衝撃がきました。脳が震えての気絶をぎりぎりで耐えたところでリーラ様が左手の中段突き、右手の中段突き、と迷いなく連撃を叩き込んできます。仕方ありません。ノーガードで殴り合いましょう。
「おほほほほほほほほほほ」
ドドドドドド!
リーラ様が本当に楽しそうに笑いながら、秒速10発で殴ってきますので、こちらも同じペースで殴り合います。
ガガガガガガ!
10秒経ったところで、お互いにいったん距離を取ってダメージの確認です。ハァハァ。
骨は折れていませんが、100発分の中段突きで腹筋にかなりの負荷がかかっています。
おや? リーラ様が腕輪を外そうとしていますね。あの魔道具はいったいどんな仕掛けがあるのでしょうね。
「腕輪をしているとはいえ、私と10秒間殴り合える同年代の方は、もうジャポーネ国にもいなくなったのですわ。この国に武力留学に来てよかったですわ! 腕輪を解放して本気を出してもよさそうですわね!!!」
おいおいあれ拘束具なのかよ、制限ありでサナと殴り合えるとか化け物かよ、とビブリオが震えていますが無視します。とはいえ、あれが拘束具ならまずいですわね。というかもうこれ悪役令嬢とかそういう話ではなくなっているのではないでしょうか。ビブリオが初めに言っていた気もしますが。
腕輪を外したリーラ様がなにやら左右の胸を交互に拳でたたいていますが、あれは何をしているのでしょうか。
「あれはドラミングですね」
私の専属メイドであるメルトが音もなく現れて解説を始めました。
「知っているのですか、メルト」
リーラ様のドラミング(?)から目を離さず、メルトに尋ねます。
「拘束具で抑えていた身体強化魔法を瞬時に全身に行きわたらせるための技術で、ブトーハ家のゴリラだけが使うとされています。ジャポーネが発行している観光パンフレットの第3章、『野生の格闘家に出会った時の対処法』の最後にコラムとして書いてありました。ドラミングが完了すると今までの2倍以上の身体能力になるそうです」
解説を終えて満足したのか、メルトの気配が消えました。
野生の格闘家に出会うことが想定されているジャポーネという修羅の国、恐ろしすぎませんか。
そうこうしているうちにリーラ様がドラミングを終えたらしく、にこりと笑いました。
リーラ様がこちらに向かって一歩踏み込んだように思えた瞬間、姿が消えました。
東洋の神秘、縮地でしょうか。もはや動きが見えませんでしたが、気づいた時には目の前に移動していました。
「サナ様とお会いできてよかったですわ!!」
先ほどの倍、ということは秒速20発のパンチが迫ってきます。
秒速10発でしか殴れない私にはこれを殴り合っても分が悪いことは明らかです。顔の前に両手を構えてガードするのが精一杯です。
右、左、右、左、右、右、左、右、と打ち込まれるパンチを何とかガードするも、左フックで右手のガードを崩されてからはガードの薄い箇所を狙い撃ちされます。
ドパパパパパパ!
ある程度はさばけていますが、ガードが間に合わなかった右頬、左わき腹に一発ずつ、もろに当たりました。ガードしている両手もそろそろ限界のようです。
まずいですね、両手の力がわずかに抜けた隙を見計らって、リーラ様が止めのつもりの大技を放ってくるようです。正中線を狙った連撃に来ることが目線から分かりましたが、ガードする余力は残っていません。
ここまでですわね。
ふっと気を抜いた瞬間、抱きかかえられてリーラ様から離れていく感覚がありました。
リーラ様の正中四連撃が空を切ります。
後から聞いた話ですが、ドドドドドとおよそ人間の肉体から放たれるとは思えない音を立てて殴り合う私たちにドン引きしながらも、虎視眈々とビブリオは止めるチャンスを狙っていたそうです。
というか、私たちに介入できるくらいなら、最初から止めてほしかったのですが……。
ビブリオが私を抱えながら苦言を呈します。
「サナ、別に悪役令嬢が物理的に嫌がらせをする必要はないと思うんだが……」
「ですが、リーラ様に小賢しい嫌がらせが通じるようには思えませんわ。普通に殴られて終わりそうですもの」
「水でもかけておけよ」
「避けるのでは?」
などと話しているうちにリーラ様も頭が冷えたのか、腕輪を拾って付け直しています。
これなら話を聞いてくれるかしらね。
落ち着いたリーラ様に、騎士団長がリーラ様に好意を持っていること、フロルス教の「称号」のことなどを話していきました。リーラ様は、ふむふむ、と頷いてから回答をくれました。
「久しぶりの強敵の気配を感じて忘れていましたが、そういえば騎士団長からそういうお話を伺っておりました。それでしたら紅茶でもかけて下さいまし」
「メルト、お茶を」
私の専属メイドであるメルトを呼ぶことにしました。
「すでに用意してございます」
メルトが音もなく現れます。うちのメイドは有能ですね。
用意したお茶をリーラ様にぶっかけたところで、ビブリオに騎士団長と証人としての3名を呼んでもらい、いつもの台詞を言ってもらうことにしました。
「サナ嬢、そんな人とは思わなかった! 婚約破棄をさせてもらう!」
「はいはい」
あとはリーラ様とお好きにどうぞ、と安心したところで、リーラ様と殴り合った疲れから、急に眠くなってきた私はビブリオにもたれかかりながら眠ってしまいました。ビブリオが回復魔法をかけてくれている感覚があります。おやすみなさい……。
その後、暴れ足りなかったリーラ様は、口説いてきた騎士団長と血みどろの殴り合いをしたとビブリオが震えながら語ってくれましたが、それはまた別のお話です。騎士団長ブレイブファントム様は戦闘狂ゆえ強い女性が好きだそうなのでお似合いかと思いますが、いいのでしょうか、それで。
悪役令嬢とは一体何なのか、もはや見失いつつありますが、ビブリオと私はこの後も続々と149回目の婚約破棄までをこなしていきます。
終着点はどこにあるのでしょう。
続く
次回が最終回ですわ。
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誤字報告ありがとうございます。修正しました。