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「スミレ。君はリリと同郷の者であり、リリと同じく女神がこの地へ運んだ者だ。我らが女神サクレイドルがそう思し召したのだから、君もまた相応の使命を帯びているんだろう。だけど、僕らにとって君は招かれざる客人だということだけは忘れないでほしい」

「……」


 女性的な美しい顔を嫌悪に歪め、クロードはそう吐き捨てる。璃々の前で見せる優しそうな表情なんて今は見る影すらなく、赤紫の瞳は険しく細められていた。

 他の二人の男達も同じような顔をしている。整った目鼻立ちが侮蔑やら嘲笑やらに染まると、負の感情の迫力は倍増するようだ。せっかく顔はいいうえ物語の住人のような身分を実際に持っているんだから、それにふさわしい表情をすればいいのに……なんて軽口を叩けるほどすみれは彼らとの信頼関係を築いていなかったし、そんなことを口に出せるような性格でも雰囲気でもなかった。


「リリから聞いた。君達の身分は、本来ならば平民に等しいらしいね。それでもリリは聖女だ、この僕すらをも傅かせるに足りるけど……君はそうじゃない。君は本来、僕と言葉を交わすどころかこの城に足を踏み入れることさえ叶わないんだ」


 浅緋(あさひ)の髪の青年は、傲慢そうに言い切った。実際に彼は傲慢で、そのうえ彼の言っていることは正しいのだろう。だって彼はこの国の唯一の王子様だ。すみれとは文字通り住む世界が違って、王政の国家であるラムグルナでは一番目か二番目か、とにかく上から数えたほうが早いぐらいに偉い。彼の璃々への接し方が、そして璃々の彼への接し方がイレギュラーなだけだ。

 クロードとの晩餐は、アンリとカミーユも交えてのものだったらしい。話は盛り上がり、食事を終えてもしばらく四人は一緒に過ごすことにしたようだ。それならどうせ旅の仲間なのだからと、璃々はすみれとカーディナル・フォウも同席することを望んだ。

 けれどカーディナルは誘いを拒み、場違いなこの空間の末席にはすみれだけが座る羽目になった。すみれだって辞退したかったけれど、王子達のほうから「聖女の誘いを断るのか」なんて威圧めいた目で睨まれれば拒めるわけがない。その結果がこのざまだ。


「まったく、女神は何のために二人目なんて連れてきたのかね。リリちゃんの身に何かあったときのための代わりか何かか? こいつに聖女の代役が務まるとは思えねぇが。リリちゃんと同じところなんて、最初に着てた服ぐらいだろ」

「カミーユ、めったなことを言うのはやめろ。リリ様のことはオレ達が命に代えてもお守りするんだ。オレ達はそのために選ばれたんだろう? オレ達がいる、リリ様の身に危険が及ぶことはない。やはり、スミレが来たのは間違い……いや、どちらかと言うと手違いだと思うぞ。女神の御業に悪意をもって介入したんじゃないのか?」


 男達の言葉が胸に刺さる。甘酸っぱいあんずのジャムの色をした瞳を持つアンリの眼差しは酸っぱいだけでちっとも甘くないし、炎のような色の髪をしたカミーユの態度は全然温かくなかった。璃々が少し席を外した途端にこれだ。用意された軽食が喉を通らないのは、カーディナルのところで少しごちそうになったからではない。いっそ、それが理由だったらよかったのだが。


「……わたしは、巻き込まれただけです。それ以上はわかりません」


 悔し涙をこらえ、キッと睨みつけるようにしてそれだけ言う。聖女だけが持つという不思議な力を、璃々は自分でもよくわからないまま使えていたが、そんなものはすみれには備わっていなかった。

 璃々いわく蝶の痣は生まれつきのものだが、不思議な力が使えるようになったのはこの世界に来てかららしい。けれどすみれにそんな兆しはない。すみれでは璃々の代わりなどできなかった。だから結局のところ、彼らが盲目的に信仰している女神とやらが間違えただけなのだろう。あのとき偶然すみれが璃々の側にいたから、すみれのことまで()んでしまったのだ。

 すみれには特別な力などなく、はっとするほど美しいわけでもない。璃々と同じく女神に選ばれた者だとしても、すみれには璃々のように丁重にもてなされる理由がないのだ。他人が喉から手が出るほど欲しがるような才も美貌もない、無愛想な痩せっぽっちの根暗女のことなど誰が大切にしようと思うだろう。

 女神の力を宿した麗しの聖女様に図々しくもひっついてきた、余計なおまけ。すみれの存在はそれ以上でもそれ以下でもなく、むしろ女神の御業を穢したとみなすのなら歓迎どころか嫌悪の対象でもあった。

 すみれが禊の旅に同行するのは、旅が終われば元の世界に帰れるからだ。城中の全員がそう思っているのか、いつの間にかそう決まっていた。日本には帰りたくないと、この城を出て暮らしたいと訴えたのだが、一笑にふされるだけだった。そうなったら双方円満に別れられただろうが、女王の許可が下りなかったのだ。異界の客人を放り出すわけにはいかない、と。

 正論と言えば正論だ。ならせめて少しぐらいは客人らしく扱ってほしいと思ったが、置いていただけるだけありがたいと思うべきなのだろうか。

 もしすみれ自身に利用価値があったなら、もっと大切に扱われたのかもしれない。少なくとも今の待遇よりはましだろう。しかしすみれには何もない。少しピアノが弾けて、少し家事ができる。それだけだ。城内の人間にとって家事は使用人の仕事だし、ピアノに至っては披露する機会がない。そもそもプロ級の腕なんて持っていないから、宮廷楽士達に混じれるわけもなかった。

 

「相変わらず反抗的な奴だな。かわいげってもんがねぇ。俺らが誰だかわかってねぇのか?」

「まったく、リリ様とは大違いだ。同郷のご友人がよりによってこれ(・・)とは、リリ様もお可哀想に」

「……まあいいさ。ただし、勘違いだけはすることのないようにね。僕達が真に尊ぶのは、あくまでも聖女であるリリだけだ。たとえいかなる使命を帯びていようとも、聖女そのものではない君に払う敬意を僕らは持たない」


 何が女神だ、何が聖女だ。そんなものは知らない。そっちが召喚に関与していないと言うなら、こっちだって好きで召喚されようと思ったわけじゃない。確かにあの世界にいたくないとは常々思っていたけれど、それがトリガーになったのなら私だけを聖女として()んでくれればよかったのに……深呼吸をし、精いっぱいの恨み言を飲み込んだ。それは勝手な願いで、どうしようもないわがままで、今さら言っても意味のない文句なのだから。


* * * * * * * * * *


 すみれに対しては辛辣な男達も、璃々に対してはとことん甘いらしい。何やらにぎわう街の様子を見たいと言えば、アンリとカミーユが護衛兼案内役を買って出た。クロードも行きたがったようだったが、さすがに周囲に止められたそうだ。結局、すみれ達は四人で街に出た。璃々に手を引かれるすみれのことなど、アンリもカミーユも目に入っていない様子だが。


(カーディナルさんへのお礼、何がいいかな……)


 昨夜カーディナルに振る舞われた軽食のことを考えながら周囲を見渡す。異性にプレゼントなどしたことないが、形に残る物はさすがに重いだろう。食べ物のお礼なのだから、ここは食べ物で返すべきだ。彼の好みなどわからないが、昨日テーブルの上に載っていたものなら間違いはない……と信じたい。


(あ……あの紅茶缶、カーディナルさんが飲んでたものと同じやつかも)


 大通りに面した店の窓から見えた、棚に並べられた缶に目が止まる。彼のティーカップを満たしているのは紅茶のようなもので、テーブルの上に紅茶缶らしき容れ物は一つしかなかった。使っていないなら出しっぱなしにしておく必要はないだろう。彼は多分、あれと同じものを飲んでいたはずだ。あれなら贈り物として間違いないだろう。唯一の問題は、すみれはあれを買う金を持っていないということだが。

 カーディナルへのお返しを考えたところで、用意できないなら意味がない。むなしいだけのウィンドウショッピングに、すみれは自嘲気味に笑った。すみれどころか璃々すらも、この国で使える金銭の類は持たされていないのだ――――璃々の場合、傍にいる者が自ら望んで財布役を買って出ると誰もが判断したからだろうが。

 璃々が直接頼まなくても、璃々の興味を引いたものがあれば彼らは競い合うようにして買っていた。それができるだけの財力があり、そうまでして璃々の歓心を得たいのだろう。璃々は璃々で嬉しそうに受け取っていたが、「まあこれぐらいは迷惑料ってことでもらってもいいっしょ。あたし達は誘拐されたわけだし?」と言っていた。彼らの意図と璃々の真意はことごとくすれ違っているようだ。


「あっ!」

「……っ!」


 露店が立ち並んでいる通りに差し掛かると、璃々の歩調が変わった。急なそれにすみれは合わせられない。はぐれないようにと繋がれた手が、人ごみに押されてほどかれて。にぎわう人の群れに、すみれはあっという間に押し流された。


「ねえこれ、すみれちゃんに似合――あれ?」

「ちょっ、まって、通、して……!」


 あげた声も、かき分ける腕も、行きかう人々の前ではあまりにも無力なものだ。

 ――――そうこうしているうちに、すみれはまたカーディナルに助けられて。けれどすみれには、彼に返せるものなど何もなかった。


* * *


「ようカーディナル。ちょっと邪魔するぜ」


 魔術師カミーユはカーディナルを押しのけて客室に入ってきた。名乗られて乱暴にドアを叩かれ、渋々開けたらこれだ。どうやら彼ももう城に帰ってきていたらしい。たった今買ってきたものの荷ほどきもろくにできないまま、カーディナルは迷惑な闖入者を見る。そのぶしつけなほどの強引さはむしろ賞賛に値するだろう。彼は魔術師より押し売りの行商人のほうが向いているのではないだろうか。


「本当に邪魔をされるとは思いませんでした。今入用の品物は特にないのですが」

「あぁ?」


 宮廷魔術師、カミーユ・アティアス。由緒正しい貴族の家柄の出だと聞き及んでいるが、振る舞いからはとてもそんな風には見えない。いや、粗雑に見えるのは平民階級のカーディナルが相手だからで、それなりの相手にはもっとちゃんとした対応を……せめて気さくだとかなんとか言い繕える程度のそれをするのかもしれないが。


「お気になさらず。それで、一体何のご用でしょう? できるだけ手短にお願いいたします」

「チッ。いいぜ、こっちも長居はしたくねぇ。……おいカーディナル、身分ってもんはわきまえろよ。リリちゃんは三王国の希望を背負う聖女様だ。本当なら、お前みたいな聖職者モドキが禊の旅に選ばれるわけがねぇんだからな」

「おや、何か勘違いをしておられるようですね。禊の旅の同行者を決めるのは、他ならない女王陛下です。陛下がお決めになられ、女神の赦しを得たそれに、貴方は異議を唱えるというのですか?」


 本来、女神の加護を受ける三王国の王位継承者は、いずれも国章(せいこん)(いだ)いて生まれてきた者でなければいけない。聖痕がなければ、正統なる王位継承者とはみなされないのだ。

 聖痕は、国主の第一子であれば必ず受け継いでいる。何か不測の事態が起きて第一子が亡くなってしまえば、聖痕を持たざる者が王位につくこともあるが、そういったやむをえない事情がない限りは聖痕を持たざる者など王とは認められはしなかった。たとえ聖痕を持たない国主でも王族は王族だ。他に聖痕を持つ王族がいない場合、彼あるいは彼女の第一子は聖痕を持って生まれてくる。血筋によるならわしは崩れなかった。

 聖痕をもって生まれ、しきたり通りに即位したラムグルナの国王は、けれど五年前に病没している。本当は、王が亡くなった時点で第一王子であるクロードが即位すべきだ。だが、当時の彼はまだ十六歳と国を背負うには若すぎたうえ、十年以内に聖女が現れて禊の旅が行われるとの予測から彼の即位は少し先延ばしになった。その時点ではまだ三つの国のうちのどこに聖女が降り立つかわからず、さすがに国王本人が長く国を留守にするわけにはいかなかったからだ。

 それにより、聖痕持ちだとされているクロードが代理を任命したという形で、現在は母である王妃が仮初の女王として即位した。あくまでも王の妻だった彼女は王の血筋ではない。しかしすでにクロードがいるので、聖痕を持たないどころか王族ですらない者がほんのいっとき王位についても問題視はされなかった。

 代理とはいえ国主は国主だ。クロードが母を女王に任じた以上、彼女の(めい)は絶対だった。旅が終わればクロードが正式な国王として即位することになるだろうが、それまで彼女を従えることができるのはクロードただ一人しかいない。カーディナルはおろか、貴族の子弟に過ぎないカミーユが女王に逆らえるはずがなかった。


「そんなことは言ってねぇだろうが! 俺が言いたいのは、女王陛下に選ばれたからって調子に乗ってリリちゃんに気安くするなってことだよ!」


 何を言いだすかと思えばそんなことか。思わず嗤ってしまう。それは権力欲か、独占欲か、あるいはただの色欲か。醜い牽制をしてきた青年を前に、カーディナルは小さく肩をすくめた。


「そういうことでしたらご安心を。貴方がたの邪魔をする気はございませんので」


 禊の旅が終わり、役目を果たした聖女は元の場所に帰還できると言われている。しかし歴代の聖女達は、そのままこの地に骨を埋める決意をした者のほうが多かった。少なくとも、軽く遡れる限りではみなこの地での永住を選んでいたはずだ。それは、この地でかけがえのないものを見つけたからだという。

 帰るか帰らないか、それを決められるのは聖女ただ一人だ。表向き、誰もが聖女の意思を尊重しようとしている。けれど本当は、聖女がこの世界にとどまることを望んでいる。だから、誰もが聖女に傅いてその望みを叶えようとする――――帰還を阻む楔とするために。

 女神への信仰によって成り立つ三つの国家において、聖女の血は誰もが欲するものだ。百年に一度舞い降りる女神の使者。三王国で暮らす大抵の男は、聖女に選ばれる栄誉に焦がれ、聖女の心を射止める妄想を一度は思い描いたことがあるだろう。それはほとんどの民にとっては雲の上の夢物語で、彼らもそんなことははじめから理解していて、けれど聖女が降臨した世代の王侯貴族にとっては手の届く未来だった。

 もしも万が一、カーディナルが聖女を篭絡すれば、きっと誰もカーディナルを嘲笑(わら)わなくなる。これまでカーディナル・フォウを見下し、ないがしろにしてきたすべての者が、逆にカーディナルに跪く。それはそれで、きっと面白い景色を見ることができるだろう。

 それはやりすぎだ。信仰の象徴、女神の力を身に宿す聖女をカーディナルが手に入れれば、越えてはいけない一線を越えることになる。命すらも狙われるはずだ。他ならない、女王の怒りに触れるのだから――――けれど、その危険を冒してでも挑む価値はある。


「女王陛下が私を選びたもうたのは、ただの数合わせ……あくまでも皆様の補佐のために過ぎません。出過ぎた真似はしませんとも」

「おう、身の程ってもんを知ってるならいいんだ。リリちゃんは誰に対しても明るくて優しいだけだ、何かあっても勘違いだけはするんじゃねぇぞ。……ったく、女王陛下もどうせならもっとちゃんとした聖職者を呼べばよかったのによぉ。王都にも聖都にも、腕のいい祈術師はごまんといるだろうが」


 好き勝手に言いたいことだけ言って、カミーユはふてぶてしく出ていく。一人残されたカーディナルは小さく呼吸を繰り返して――――拳を強く、壁に打ちつけた。


「痛い、ですね……」

 

 我ながら無駄なことを。物に八つ当たりしたところで何も変わらない。頭ではわかっている、それでも苛立ちはどうしても収まらなくて。かちゃかちゃと音を立てて金具を外し、取った仮面を床に叩きつけるように放る。たとえ壊れてしまっても、予備の仮面はまだあった。


(もしも何かが少しでも違えば……私と()の立場が逆だったなら……)


 それは数えきれないほど繰り返してきた妄想だ。無意味な無意味な可能性の話。選ぶ余地もないまま消えた、ありえもしない別の姿。数字と役職ではない、人としての名を与えられて、顔を仮面で覆う必要もなくて、誰からも誕生を祝福されて、それで――――代わりに()が不幸になる。その生を呪われて、名前すらも与えられず、仮面こそが顔になる。そして今の自分と同じように、()は妬みと憎しみだけを抱いて生きるのだろう。

 自分も()も幸せになれる未来なんてどこにもない。踏み台になるのが()か自分か、それだけのこと。踏み台になるのは自分だと、初めからそんな運命が決まっていただけだ。


「それでも私は……! 私、だって……!」


 思わず禁句を口走りそうになった直前、はっと我に返る。急いで仮面を拾い、軽く払った。大丈夫、傷はついていない。慌ててつけ直す。手元が狂って少し時間がかかったが、ずれてはいないようだ。


「愛も幸福も、何も求めてはいけない……。そうでしょう、母上。私は、罪の子なのですから」


 得ようと唯一誓ったのは、己の存在証明だけで。そこから先は、求めてはいけない。左胸に手を当てて、そう自分に言い聞かせる――――生まれながらに背負わされた罪が赦される日は、きっと来ないのだろうけど。

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