十二月二十五日
当事の風俗について知らないことだらけですので、ご指摘当お待ちしております。
十二月二十五日。日曜日。
日本晴れ。星もよく見える。そんなことはだうだつていい。それよりけふはとんでもないことが起こつたんだ。けふは人生の轉機かもしれない。別段今後に直接繫がることが起きた譯ぢやない。心持ちそんな氣がするだけだ。それにしてもあれは奇蹟であつた。この世のどんな奇蹟も、あれには劣るだらう。それほど僕は驚いてゐるし、感動もしてゐるし、また恐怖も感じてゐる。實のところ、僕はだいぶ興奮してゐるやうに見えるが、けふの出来事で死といふものを身近に感じた。死はあのやうに突然現れるのかと思ふとゾツとしてしまう。とはいへ無闇矢鱈に、死に怯えたり、延々と死から逃れる策を講じたりするのは馬鹿々々しい。だうせなら、常日頃からいつ死んでもいいやうに準備をして置くべきだ。その準備に一生を費やすのが人間が與へられた使命である。僕はこの準備といふものを、自分の生きた證、つまり遺産を築くことだと思つてゐる。
こんな考へに及んだことから、僕はけふから日記を付けることにした。色々考へてみたのだが、僕には後世に名を殘せるやうな才や創造力が無いから、生きた證を遺すには日記しかないと思つた。日記なら、誰でも簡單にそれができる。ただ自分の生きた儘を綴れば日記は成立つ。その上日記は尤も自分が詳しく描かれる自傳である。遺産としては小さいが、十分生きた證になる。
まだ十七の靑年が自分の遺産について考へるのは可笑しいと思ふが、本當に死はいつ來るかわからないのである。それにけふは日記を書き始めるだけの出來事があつた。
以上が僕が日記を書き始めた主な理由だ。他にも、現代に於ける世間一般の日記を付ける理由もある。(例へば讀み返して過去を懷かしんだり、過去の經驗を省みてそこから何か學んだりするといつたもの)
だいぶ話が長引いてしまつたが、ここからは本題のけふ起こつた出来事について書かう。
けふは本當によく晴れた一日であつた。冬にはたまにかういふ日があるから趣深いといふのを最近感じ始めた。東京はクリスマス騒ぎになつてゐたやうだが、僕には一嚮なんのことだかわからぬ。僕の家ではクリスマスとやらを祝う習慣はない。
昨日の晩、東京に大きな洋式邸宅を構える金本の野郎から、クリスマスパーテイーへの招待狀が來た。
金本は僕が尤も嫌ふ奴だ。僕と同じ學校に通ふ一つ上の學年の生徒で、僕がちよつと裕福だつたことから向から近寄つて来た。金本とは我慢して何度か話に付き合つてやつたことがあるが、金本のする話は全部自分の自慢で、始終學問や藝術に關する敎養を衒つてくるから腹が立つ。實際金本が話すことの學問の面では解せるといふよりか、輕蔑の念さへ抱けるから惡い氣持はしないが、藝術の話となるとさうはいかない。
僕は幼少の頃から類ない敎養を受けてきたものの、藝術に關しては、僕には感性といふものの缺如が著しいらしく、だうも繪やら音樂やらがよくわからない。その代わり學問はできると自負してゐる。僕の藝術の先生は僕が出來ないことをわかつてゐた筈なのに、僕を褒めることしかしなかつた。だから僕は一向藝術といふものが解せず、ただ有名な作者と作品の名前だけを頭に積んできただけであつた。屹度僕は一生さういつた類のものとは緣がないのだらうと思ふ。
だから僕は金本が藝術の話をひけらかしてくる時が一番嫌だつた。
僕は金本のことが嫌いだつたが、どうせ金本のことだから何か美味いご馳走でも食はしてくれるんだらうと思ひ、そのクリスマス・パーテイーとやらに行つてみることにした。面白くなかつたらこつそり抜け出してきて歸ればいい。
けふの午前九時、女中の梅やを殘して家を出た。最寄りから省線で一時間程で金本の家に着く。驛までの道中には、廣大な畑地あり、伸びやかな山々があり、雲一つ無い無邊際があつた。冬の風は冷たかつたがそれが又この世の廣大さを思はせた。あの山の向から運ばれる風にさへ壓倒された。今思ふとけふの異常さはこの時から伺へたのかも知れない。見慣れてゐた筈の場所でさへ、日が違へば感じる景色も違ふものだなあと思つた。
僕は路の眞中で廣洋な靑空を見上げながら、これから金本の家に行くことを思つた。それで何と無く溜息をついたら、急に尿意に驅られた。それも今迄經驗したことが無い程强い尿意であつた。この時僕が居たのはちようど家と驛の眞中邊りで、どちらかといふと驛の方が近い氣がした。便所は恐らく驛まで無いと思つたし、道中に公衆便所を探してゐる暇があつたら驛まで行つた方がいいと思つた。たつしよんは流石によさうと思つた。僕は驅け足になつたり止まつたりしながら尿意に負けじと驛へ向かつた。
あの大根ばかり賣つてゐる八百屋の角を曲がると、もう驛が見えた。
僕は驛の便所まであと少しだと少し安心した。その時氣が緩んだせいか、何故か僕は突然宙に浮いた。
氣付いたら僕は地面に仰向けに寢轉んでゐた。
「大丈夫ですか」と言はれてその方を向くと、改札の驛員が居た。その他周りを見てみると十人くらいが僕を取り圍んでゐた。僕は無性に恥ずかしくなつて、すぐ樣起上がつて便所へ急行した。笑ひたきや笑へ、人が引ツ繰り返るるのを見て何が面白ひ。ほら見ろ、引ツ繰り返つたつておしつこが頭に登る譯ぢやない。あらいけない。服に土が付いてゐる。こんなんぢや金本の野郎に笑はれちまう。そんなことを考へながら用を済ませた。
便所を出ると、まだあの人だかりがゐた。僕は「何だ何だ、そんなに轉び方が面白かつたか」と言はんばかりの目で睨み付けた。すると、一人の中年の驛員が僕の元へ走り寄って來て「お客さん本當に怪我は無いのですか」と聞いてきた。僕は最初この驛員の氣遣いを嫌みと取違へた。僕はこの時ちよつと轉んだだけでここまでしてくるのは流石に失禮だらうと思つた。しかし、尿意が無くなつた頭で少しく冷靜に考へ直すと、驛員が客に向かつて失禮な態度を取る譯が無い。僕は自分が引ツ繰り返つた時のことを思ひ浮かべた。
「怪我は無いのですが、僕の轉び方はそんなにまずかつたのでせうか」
「自分に何が起きたかわかつてゐないのかい。あれは轉んだなんてもんぢやないですよ。あなたの眞上に雷が落ちて、あすこからここまで跳んできたんですよ」
僕は驛員が指差す方を見た。そこからここまで五間はあつた。言はれてみれば僕はその道を歩いた記憶が無い。僕は漸く驛員の言つてゐることが飲込めて頗る驚いた。
「それぢやあ僕は雷に撃たれて生きてゐるといふことですか。それともこれは夢か何かですか」
「夢だと思つてゐるのはここに居る人全員ですよ。本當に怪我は無いのですか」
「はい。痛みも何もありません」
「はあ、こりや驚いた。雷に撃たれて怪我一つねえとは。地面に頭を打つたりはしなかつたかい」と驛員の後ろで話を聞いてゐた見知らぬおぢいちやん。
「わかりません。しかし身體のどこにも痛みは無いのだから問題ないのでさう」
「念の爲一度病院に行かれた方がいいですよ。これからどちらへ行かれる豫定だつたのですか」
「いやたいした用ぢやないからいいですよ。これから病院へ行きます」
「さうですか。では、病院までの道中くれぐれも氣を付けて」
「有難うございます」
僕は自分の誤解からとつた態度の謝罪も込めて叮嚀に禮を言つた。
病院では、脊中に大きな稲妻の樣な變つた火傷を負つてゐたことがわかつた。痛みは感じないが、確かにこれは雷に打たれた證據だと醫者に言はれた。僕も鏡で見てみたところ、成程洒落た火傷ではないか。これならいつまでも負つていけると思つた。鼓膜が破れてゐる樣なことはなく、普通に聞こえた。雷に撃たれて生きてゐること自體奇蹟だが、大きな火傷も無く鼓膜も破れてゐなかつたのも奇蹟だ。何だか一生の運を使ひ切つてしまつた氣がする。結局、大きな問題は何も無かつたし、雷に打たれて生きてゐた事例は少ないから、診察は十分で終へざるを得なかつた。
僕はこれから金本の家へ行かうか迷つたが、面倒くさくなつてきたのでけふは家でゆつくり休むことにした。
歸りの道中僕は色々なことを考へた。日記を書かうと思つたのもこの時だ。
あの八百屋を曲つた時、ふと、この調子で家へ歸つたら梅やに今日のことを説明しないといけないと思つた。僕は別に医者に行つて問題無いと言はれたのだからたいしたことは無いのだが、梅やには餘計な心配をされるから嫌だ。何遍も大丈夫かと聞かれる。寢たくても、けふ一日寢かせてくれないだらう。かといつて梅やはけふ僕がパーテイーに招待されて行つたといふのを知つてゐたから、やつぱりけふのパーテイーはよしたと言ふと、せつかく招待されたのにひどいぢやないですか、それだから友達ができないんですよ云々と説敎が始まる。
僕は足を翻して適當に町でも步いて時間を潰す事にした。
この町へ出て來て数年になるのだが、知らないことが意外とあつた。
三十分程步いてゐたら、何處からかピアノの音が聞こえてきた。僕は何だか急にその音の流れてゐる場所を突き止めたくなつた。
その音の流れてゐた場所は不思議な程遠かつた。十分は步いたであらう。僕が辿り着いたのは樂器屋であつた。僕は音樂が終はる迄その店の前に立つてゐた。結局何の音樂かはわからなかつた。ただ、自分でも不思議な程に音樂を聽いてゐた。何だか愉快であつた。その店の看板には「音夢堂」と書かれてゐた。僕はまた来ようと思ひ家へ歸る事にした。
けふの出来事はザツとかうである。最後に、梅やが晩飯を失敗して糞みたなものを食はされたといふことを付け足しておかう。
記念すべき、僕の日記の第一日目これにて終了。
全三十囘程を豫定して居ります。
一囘が一日分の日記にするつもりですので、文章量には大きな差があると思はれます。