魔法の基礎授業
怒りとイラつきに満ちた朝食会から数分後、楡木達は馬車に揺られていた。
二頭の馬が引く、外見から内装までシンデレラが乗る様な豪華な馬車。その向かいにはヴェロニカが相変わらずの上機嫌でかつ不気味な笑顔を浮かべながら座っている。
「それで?何処に行くんだ?」
「言ってませんでしたか?」
「知るかよ。飯を食った後、お前がいきなり馬車に押し込んで来たんだろ」
「そうでしたね」
クスクスと笑うヴェロニカを一発殴ってやりたいと思ったが辞めた。
この女の機嫌を損ねたら最悪日本に帰れなくなるかもしれない。
「それで結局どこに行くんだ?」
「申請フレイミア帝国の支配者である皇帝陛下がおられるアルスター城です」
「皇帝……」
今から会いに行く皇帝とはどんな人間なのか楡木は想像する。
一般的イメージから、皇帝は自らの権力拡大をもくろみ、隣国に戦いを挑み続ける独裁者と言う設定が先行する。そして見かけは肥え太った男か、厳つく恐ろしい男。
少なくとも良い人間の想像は出来なかった。
最も、次元を超えてまで厄介ごとに巻き込ませようとする人間が善人な訳ないが。
「皇帝陛下は異世界人である楡木様にお会いするのをとても楽しみにしておられます」
「俺は楽しみじゃないぞ」
「まあ仕事だと思って我慢してください」
「今日はオフの日なんだけどな……」
愚痴りながら溜息を零すが、憂鬱な気分は全く晴れない。
「そう憂鬱にならないでください。よろしければ一杯どうですか」
そう言ったヴェロニカは馬車に備え付けられていたワインの瓶と二つの杯を取り出した。
しかし楡木は手を振って、丁重に断る
「要らねーよ。昼間から飲めるか」
例え夜だったとしても飲まなかっただろう。
数分前にあれほどひどい二日酔いを経験したのだから。
しかも薬を盛ったヴェロニカから差し出された酒なら、尚更飲みたくない。
「ならおタバコはどうでしょうか?上等な物らしいですよ。私は吸わないのでよく分かりませんが」
ワインとグラスをしまうと、次は葉巻を取り出し、指先からだした日の魔法で着火する。しかしこれも断った。
「吸わない。高いし臭いし健康に悪いし、体力も落ちる」
「懸命な判断ですね」
そう言ったヴェロニカは火のついたタバコを窓から投げ捨てる。
『ああああああああ!熱い熱い!』
遠くの方で痛々しい悲鳴が上がった気がするが、おそらく気のせいだ。
そう決めつけた楡木はさっきから気になっていたことをヴェロニカ問いかけた。
「なあ聞いていいか?」
「私で答える事が出来る範囲なら」
「お前は俺と同じ人間で、この世界で言う所の『ヒューマン』なんだよな?」
「そうですよ」
「じゃあお前が魔法使うみたいに、俺も魔法が使えないのか?」
「使えません」
ヴェロニカは即答し、解説を続ける。
「魔法を使うには体内にマナを取り込む必要があり、異世界の人間。つまり楡木様はそのマナを取り込んで保管する術を持っておりませんので、魔法及びそれに伴う道具を使用することは出来ません」
「マナってなんだ?双子のタレント?」
「マナは魔法を使うエネルギーです。マジックポイントと言っても構いません」
冗談はスルーされると結構傷つく。大発見だった。
「マナは水や空気、食べ物を摂取したり、祈りを捧げたり、悪徳を積むことによって体内に取り込み、蓄積するエネルギーです。しかし……」
「エネルギーを溜め込む事が出来ない俺には魔法を使う事は出来ないという事か」
「ご理解が早くて助かります」
せっかく魔法が存在する世界に来たのだから魔法は使ってみたかった。
しかし普段使えない物が急に使えるなんて虫の良い話はやはり無いらしい。
肩を落とし少しだけ残念がる楡木にヴェロニカは微笑んで慰める。
「魔法も良い物ではありませんよ。燃費が良いとは言えない技術ですから」
「燃費?」
「対価、代償、副作用。言い方はどれでも構いませんが、どんな者にも限界と言うものがあります」
「無限に使える訳じゃ無いのか」
「はい」
ヴェロニカは深く頷いた。
「火の魔法は火のマナ。水の魔法は水のマナと言ったようにそれぞれのマナを代償に魔法が発動されます。しかしそれを使えば体内のマナが枯渇し、体に様々な異変が起きます。火のマナが無くなれば体温が低下し寒気を感じる様になりますし、水のマナが無くなれば渇きを覚えます」
「もしかしてさっき頭から血を流したのも?」
「はい。時魔法を使えば古傷が開いたり、体が老化するといった症状が起こります。因みに光魔法を使えば心が荒み、イライラしてきますね」
「けどそんな副作用があっても、魔法は使ってみたかったな」
肩を落とし項垂れて落ち込むポーズをとる。
「そう落ち込まないでください。楡木様にも一つ魔法をかけておりますので」
「え?」
「私はともかく、ポーラやコレットまで日本語を操っている事に違和感を感じませんでしたか?」
「そう言えば……」
ヴェロニカに言われて気付いた。
日本から異世界に連れてきたヴェロニカなら日本語が話せてもおかしくない。だが二人のメイドまで日本語が操れるだろうか。
ポーラはともかく、少なくともコレットは言語多彩な人間には見えない。
「楡木様にはこの世界。フレイミア帝国で使われる言語、フレイ語が日本語に自動翻訳される魔法を施させてもらいました。腕にある術式がそれです。その術式は水に濡れると消え、魔法も消え、自動翻訳がされなくなってしまうのでくれぐれも御注意ください」
「腕か」
楡木は徐に腕をまくり、術式の有無を確認したが、
「何だこれ!」
腕の半分は黒く塗りつぶされ、もう半分はよく分からない文字がびっしりと書き込まれていた。その文字も所々途切れ黒く塗りつぶされている。
「これが翻訳魔法の術式か?」
「どうでしょうか?」
ヴェロニカは首を傾げて質問を質問で返す。
「……お前がやったんだろ?」
「いいえ。翻訳魔法はコレットに頼んだのですが……コレット!」
「なんだ主」
馬車の前方から声が聞こえてきた。
それもその筈。馬車の運転席に座り手綱を引いているのはコレットなのだから。因みにその隣にはポーラが同乗している。
「楡木様に翻訳魔法の術式を施すように頼みましたよね?」
「ああ。キチンとやったし、ちゃんと言葉は分かるだろ?」
「そこは問題ありません。ですが私の記憶では翻訳魔法は小さな魔方陣の形をした術式の筈です。なぜ腕を覆い尽くすほどの文字が書かれているのですか?」
「それは……話すと長いし、理解するには時間のかかる深い意味があって……」
歯切れが悪くなってかつ、良い訳じみた言葉が続く。何か隠し事をしているのは明白だった。
「正直に言いなさい。怒りませんから」
「じゃあ言うけどさ……」
溜め息を着き、観念したコレットは渋々言い訳を始める。
「俺最初は頑張ったんだよ……不器用なりに、けど何度も線が歪んだり、書き順間違えたりして何回も失敗しちゃったんだ」
「その失敗作を消す為に塗り潰した訳ですか?」
「目立たない様に目も書いて毛虫にしたぞ!」
「余計なことするんじゃねーよ!」
そもそもそんな大事な事なら、一度で成功させてほしい。
「それで?後の文字は一体何なのですか?」
「描いてる途中でライムと胡椒を切らしていた事を思い出してさ。それを忘れない様にメモしようと思ったんだけど手直に書く物が無かったから仕方なくニレノキの腕に書いたんだ」
「俺の腕をメモ帳代わりにするなよ!」
「けどメモと描き間違いだけではありませんね?」
「流石ご主人!何度も失敗していい加減飽きて来たんだよ。それで適当な絵を描いて気分転換しようと思ったんだけど、やっぱり俺って絵心無いから碌な物描けないんだよな。それで失敗作を見られるのも恥ずかしいから適当に塗り潰した」
「お前人の腕を何だと思ってるんだ……」
このズボラでかつ、良い加減な無責任メイドに対して最早怒る気すらなくなっていた。
「それで?これ一生消えないなんて事無いよな?」
「一日たったら水で簡単に落ちると思いますよ」
「逆に言えば一日経たないと何をしても消えないけどな!あっはっは!」
「何が可笑しいんだよ……」
一日位腕を捲らなくても過ごせる。楡木はそう前向きに思いながら袖を戻す。
コイツには金輪際体を触って欲しくない。そう思った楡木は、突如もう一つ大事な事を思い出す。
「そう言えばお前らが俺に飲ませた薬って何だ?」
「薬?」
「カンタレラかどうか分からない薬を飲ませただろ!」
「ああ。あれはポーラが作った酔い止めと栄養剤だ。毒も無いし依存性も無いから心配するな」
「それ本当か?」
「座薬タイプも作ったんだけど……そっちが良かった?……」
薬の正体と、それを尻から飲まされ無かった事に楡木は安堵した。
最も、金輪際、この世界の薬物なんか口にはしたくないが……




