エーデルワイス
大きな噴水を中心に、動物や竜の形をしたトピアリーが飾られた本来美しい筈の中庭は現在、地獄の様になっていた。
彼方此方に崩れ散った死骸が打ち捨てられ、トピアリーには肉片がこびり付き、噴水からは真っ赤な水が噴き出し、空気は鉄臭い死臭で満ちている。
そんな地獄の片隅に置かれたベンチに楡木とリーデルは一休みを決め込んでいた。
リーデルは槍に付いた汚れを鼻歌を口ずさみながら磨いているが、それに反して楡木は暗い顔で項垂れている。
「まあまあ。元気出だしなよ」
「出る訳ないだろ……」
心身ともに疲れ果てた楡木を、リーデルは能天気な口調で慰めた。ポンポンと背中を叩いてくる手が余計にムカつく。
怪物達が爆散した後、私物をグレムリンに盗まれた一行は三十分近く城中を走り回る羽目になった。しかしその結末は報われないもので、奴らは盗品を中庭の噴水に投げ、それを囮にして逃げてしまったのだ。
リーデルの槍は濡れても問題無いし、ハルベットのトランクもしっかり閉じられていたので中身は無事だった。しかし楡木のスマートフォンは防水仕様で無かった為、中までしっかり汚水が入って故障。立ち上げる事すら出来なくなったのである。
彼方此方追い掛け回した結末がこれとは実に報われない。
因みにハルベットは、魔法の使いすぎで体力を大きく消耗してしまった上、走るのが苦手だった為、すぐ追跡を断念し、ヴェロニカは逃げたグリムリンをそのまま追いかけて行った。
そのためリーデルの接待は楡木の一人の仕事になったのである。
「もしかしてニレお疲れ?」
「凄くな……」
楡木の今に至るまでの時間はとても濃厚な物だった。
目が覚めたら見知らぬ異世界に連れて来られ、精神が擦り減らされる様な死体を散々目にし、そして凶暴な異形の怪物が暴れ回る戦場を走らされた挙句、スマホを壊された。
五体満足で居られてかつ精神に異常を来して居ない今の状態が不思議でしょうがない。
「それにしてもお前元気だな……」
「なんで?逆に疲れる理由が無いんだけど」
眩しい笑顔で答えるリーデルを楡木はおかしく思う。
グロテスクな死骸を見ても全く動じないリーデルは見かけによらずタフな精神を持っているのか、それともヴェロニカ同様頭のネジが跳んでいるのか。
それに精神面だけでは無い。大広間では襲い来る何十、何百とも思える怪物の大軍を一人で次々となぎ倒していたのだ。
戦闘力は勿論、スタミナも常人外れだ。そして極めつけは自然治癒力。
ポーラにはクロスボウで左脚を射抜かれ、右足はハルベットに魔剣を突き刺されていた。
しかしリーデルはそれらを痛がる様子も無く引き抜き、出血と傷は物心つく頃には綺麗に消えていた。
一人称視点のシューティングゲームにある体力システムの様に、一定時間待てば体力が回復する身体でも持っているのかと訊いてしまいそうだった。
だが楡木はそんなゲーム脳張りの質問は飲み込み、代わりの質問を問いかける。
「リーデル……お前は一体何者なんだ?」
「皇帝だけど?」
「いや、そうじゃなくて」
「最強竜騎士『ドラゴンマスター』の称号も持ってるよ」
「地位や肩書の話じゃねーよ」
楡木はガシガシと頭を掻き、質問文を変える。
「お前……本当に人間か?」
「うん。ヒューマンだよ。エルフもコボルトもケットシーの血も入って無い、純潔なヒューマンだよ」
「お前の戦闘力と身体能力を見ていたらとても只の人間には思えないんだけど」
普通の人間は息を切らす事無く怪物の大軍を無傷で倒したり、刺さった矢や剣を痛がる事無く引き抜き、すぐに傷が治癒したりしない。
「別に大したこと無いよ」
リーデルはキシシと歯を見せて笑う。
「昔からキツイ修行一杯やらされたから妾すごく強いんだよ。今も時々するけど」
「昔ってどれ位だよ」
「八歳かな?師匠に山に連れていかれて、熊や大きな怪物と沢山戦ったからね。あの頃はきつかったけど、今じゃ妾に勝てる人殆ど居ないから今は感謝してる」
「皇帝だから強く無きゃいけないのか?」
「そう言う事。まあ妾も戦う事好きだから嫌じゃないけど」
眩しい笑顔で言うリーデルに、楡木はまたも怪訝な顔を浮かべた。
「国の指導者として今の発言はどうかと思うぞ」
「どう言う意味?」
「戦争を起こそうとする発言は国のトップがしたら国民から反感を買うんじゃないかって事だよ」
戦争を推進する指導者は、少なくとも現代では歓迎されない。
リーデルは暴君と呼べる存在だと楡木は思ったが、リーデルはあっさり否定する。
「戦争は嫌い」
「お前言ってる事無茶苦茶だな」
情緒不安定な節があると決めつける所だったが、すぐにその判断は取り消される。
「何で?戦争になったら妾、帝都から出られなくなるじゃん。それに軍事会議とか書類申請とか戦況報告とか、机仕事ばっかりで妾は戦えなくなるし!」
なんとも自分勝手な戦争反対論だった。
「とりあえずお前の強さと戦争嫌いなのは分かったが、もうひとつ教えてくれ」
「何?」
「お前の身体どうなってるんだ?」
「オッパイはまだ育ってるよ。けど身長は中々伸びないんだよね」
斜め上に行く答えが返って来た。
「そうじゃなくて、お前の傷の治り方だよ。剣と矢が刺さった傷、もう無くなってるだろ。魔法で治した様には見えなかったし、一体どうなってるんだ?」
「ああ。それはこれのお陰」
リーデルは得意気な顔をして胸を張った。
「どれのお陰だよ」
「これだよ」
ツンツンと自分の身に着けた白銀の鎧を突いた。
「鎧?」
「只の鎧じゃないよ。妾の妹がプレゼントしてくれた竜鱗を加工して作った超特別な鎧だよ」
「どう特別なんだ」
ここまで訊いて、言いたいことは大方予想は着く。しかし敢えて尋ねた。
「この鎧を着けてるとどんな怪我もすぐ治っちゃう!」
そう言ってリーデルは自分の槍で自らの足を突き刺す。
見ているこっちが痛くなるような自傷行為だった。しかしリーデルは何食わぬ顔をして槍を脚から引き抜く。
そこからは大広間で見た時と同じだった。
傷は瞬く間に塞がり、跡形も無く消えていく。
「ほらね」
自慢げに傷が無くなった足を自見せつけるるリーデル。
だが傷が完全にふさがると同時に鎧からからピシッと、ひびが入る音が聞こえていた。
何の音だと思ったその瞬間、リーデルの身に着けた鎧が破裂するように砕け散る。
「……ほらね」
「何がだよ……」
何を持ってその言葉が出たのか全く理解できなかった。
「怪我を負いすぎると鎧がくたびれて壊れちゃうんだよ」
「つまり耐久力があって、それがオーバーすると鎧が壊れるって事か?」
「そう言う事」
それを説明する為にワザと壊したとは思えない。さては考え無しに怪我を負って、鎧を壊してしまったんだろうな。
「しかし勿体ない事したな」
金属の価値も加工の仕方も分からない楡木だが、リーデルの身に着けていた白銀の鎧は相当な価値があり、製造に相当の労力が必要だったのが容易に想像が付く。
「仕方ない……エーデルワイスにまた鱗貰おうっと」
「エーデルワイス?」
エーデルワイス白い花の名前だった筈。だがリーデルの口ぶりからそれは生き物の名前のように聞こえた。
「エーデルワイスって誰だ?」
「妾の妹」
あっさりと答えたリーデル指を咥え、ピーッと指笛を吹いた。
指笛が上手く吹けない人間にとっては羨ましく見える。
「今エーデルワイスを呼んだからすぐに来るよ」
「そうか」
ゲームで馬を呼ぶような方法で妹を呼ぶリーデルに、楡木は少し呆れた。
そんな方法で人を呼べるはず無いと。そもそも妹をそんな方法で呼びつけるなんて酷い姉が居たものだ。
「あのさ」
妹を呼ぶなら大声を出すか、誰かに呼びに行かせたらいい。そう提案しようとしたその時、大きな団扇を仰ぐ様な音が頭上から聞こえ、それと同時に大きな影が二人を覆う。
何事かと思った楡木が上を見上げた瞬間、思わず声を上げる事すら忘れてしまう程の驚きに包まれた。
ヒレの様な翼を持った、大きなトカゲが現れたのだ。否。それはトカゲでは無く惑う事無きドラゴンだった。
架空の存在であったドラゴンが実在した事に驚いた楡木だったが、それと同じくこのドラゴンの持つ美しさにも驚いてしまう。
体は輝かしい白銀の鱗に包まれ、爪や牙からはダイヤモンドの様な虹の煌めきが放たれている。瞳はルビーのように赤く危うい色をしているが、その目付きは優しく柔らかで凶暴性は微塵も感じさせない。
『神の使い』『聖竜』と呼ばれても何ら不思議でない神々しくも美しい竜の登場に、楡木は息を飲んで見惚れてしまった。
地面に足を着いたドラゴンは頭を下げて猫の様な、喉を転がす音を立てながらリーデルにすり寄る。
「よしよし。エーデルワイス来てくれてありがとね」
リーデルが頭を撫でるとドラゴンは嬉しそうに目を細めた。
「ニレ、紹介するね。妾の妹。プラチナドラゴンのエーデルワイス」
「妹?」
「そう妹。血は繋がってないけど妾の自慢の妹だよ」
「なるほどな」
リーデルは一言も妹を人間とは言ってない。
つまり妹分とか盃を交わした兄弟と同じ様な関係なのだろう。
「しかし驚いたな。まさかドラゴンまでこの世界に居るとは」
この世界に置いて何が来ようと驚かないと思っていたが、流石にドラゴンの存在には舌を巻かざるを得なかった。しかしリーデルはそんな楡木の反応がおかしいと言わんばかりに問いかけてくる。
「何言ってるの?そっちの世界にもドラゴン位居るでしょ?」
「いねーよ」
「嘘が下手だねニレ」
「は?」
鬼の首を取ったようなニヤケ面を作るリーデル。一体何を言ってるのか分からなかった。
「何の事だ?」
「この前ヴェロニカが異世界から持って返って来てくれた学術書には凄く分かり易く書いてあったよ。まあ字は読めないから挿絵しか分からなかったけど……」
ヴェロニカが日本から持って来た学術書の正体に楡木は心当たりがあった。
「その本ってもしかしてドラゴン以外の怪物の絵も載ってて、武器の一覧とか何処かの地図も載って無かったか?」
「よく分かったね。やっぱりそっちの世界でも有名な本なんだ」
リーデルが言ってる学術書と言うのは恐らく……いや間違いなくゲームの攻略本の事だろう。だがそれをリーデルに説明する気にはなれなかった。
説明した所で信じないし、信じた所で何の意味も無い。
それにしても日本語が読めないリーデルに学術書と称してゲームの攻略本を与えるとは……ヴェロニカは何を考えているのか。
「ところでエーデルワイス。鎧が壊れちゃったからまた鱗少しくれない?」
リーデルはそう言ってエーデルワイスの首を撫でる。するとエーデルワイスはまたグルルと喉を鳴らし、キャイと奇妙な鳴き声を上げた。
「え?妾そんなに臭い?」
どうやら何か会話をしているらしい。
「そいつの言ってる事分かるの?」
「うん。鱗はくれるって。あと妾から変な臭いがするから体を洗った方が良いって。それとお昼ご飯はもう食べたけどデザートが欲しいから何か取って来てだって」
「今の一声でそんなに言ったのか!?」
「ううん。言わなくても分かるよ。妹なんだから」
兄弟姉妹で以心伝心が出来るなら世界中テレパスで溢れかえっている。
恐らくこの少女と竜と間には、想像もつかない程の強い絆があるのだろう。
「因みにさっきは『この野郎、姐御に向かって舐めた口聞いてますね。〆ちゃいますか?』って言ったんだよ」
「チンピラか!?」
神々しい見かけの割に、中身はヤンキーの様な性格だった。
心なしか獲物を前にして舌なめずりをしている様にも見えて、安心できない。
「なあ。そいつに俺を食わないように言ってくれるか?」
「エーデルワイスは勿論。竜は雑食だけど人は食べないよ」
「それでも言っておいてくれ」
「エーデルワイス。この人はニレっていう大事なお客さんだから、口に含んじゃだめだよ」
リーデルはエーデルワイスの首を撫でながら優しく言い付ける。するとエーデルワイスはゴフと言うゲップを上げて、何かを吐きだした。
「何だこれ?」
吐き出されたのは涎まみれのナイトキャップだった。先程まで追い掛け回していたグレムリンが被っていた物とよく似ている。と言うか、奴らが被っていた物と全く同じだ。
「エーデルワイス。ちゃんと噛んで食べなきゃダメじゃん」
「おい。コイツ昼飯食ったって言ったけど、何食ったんだ?」
「妾達が追いかけていたグレムリンを食べたらしいよ。尻尾を踏んづけられてムシャムシャしてやった。だって」
「そうか……」
「まあ、これもショクモツレンサだね」
「お前言葉の意味分かって言ってるのか?」
絶対人伝に聞いた難しい単語を口にしているだけだ。
「それにしてもお腹空いたね。お昼だから当然だけど」
「この状況でよく腹が減るな……」
改めて中庭を見渡す。
青々としていた筈の芝は赤黒く血で染まり、アニマルトピアリーには肉片がこびり付いている。中央の噴水は血が混じった赤い水が噴出し、むせ返りそうな死臭が蔓延していた。
普通の人間がこの場に連れて来られたらなら丸一日食欲が失せ、赤い物や肉料理がしばらく食べられなくなる。実際今の楡木はその状態でいる。
「けど喉は渇いたな……」
食欲は無いが、乾きはある。ずっと戦場を走り回っていたので、楡木の喉はカラカラだった。
「はい」
「おお、気が利くな」
リーデルは水が入った瓶を差し出してきたので、楡木は快く受け取る。そして一気に飲みほした。冷えては居なかったが、喉の渇きを潤すには充分だった。
「ああ、生き返るぜ」
「まだ沢山あるよ」
「は?」
いつ開けたのか、リーデルはハルベットのトランクを漁りながらそう言った。
ここで楡木は気付いてしまった。自分が飲んだ者は何だったのかと。
「おい……ちょっと待て」
「何?」
「俺が飲んだ水って……まさかその中から取り出したのか?」
「そうだよ」
ガサガサと漁るアタッシュケースには絵や文字が書かれた書類、タグが付いた長剣と杖。そして液体の入った小瓶が入れられている。
その液体は何らかの薬品である事は容易に想像が付いた。
「おい、人の物を勝手に漁るなとか言いたいことは色々あるが、まず言わせてくれ」
「何?」
「俺に一体何を飲ませたんだ!」
怒鳴りながらリーデルを揺さぶる。
「水だと思って飲んじまったぞ!どうするんだよ!毒だったらどうするんだよ!」
「毒なのかな?」
リーデルは空になった瓶を拾い上げ、張り付けられたラベルに目を凝らす。
「スイミンヨウ……って書かれてるよ。多分眠くなるだけじゃないかな?」
「だと良いけどな……」
毒を飲んでしまったかもしれないと言う心配が新たに生まれ、楡木はまたしても頭が痛くなった。ここに来てから頭痛の種が生まれっぱなしで、悪い事に何一つ消えそうにない。
「まあ何とかなるよ」
顔を青ざめる楡木を余所に、リーデルはトランクの物色を再開する。
「食べ物は入ってないのかな?」
「肉でも入ってると思ったのか?」
「ジュースとかドライフルーツ位あると思ったんだけど……あ!」
期待に満ちた声を挙げたリーデルは一本の酒瓶を取り出した。
「ジュースじゃないけどワインが入ってた!」
「まさか飲む気じゃないよな?」
リーデルの年が幾つか知らなかったが、見かけからして未成年の可能性が高い。未成年の飲酒は犯罪だが、だがこの世界の飲酒年齢が幾つか分からないので楡木は強く止める事が出来なかった。
「これ中々珍しいワインなんだよ。発酵した臭いが強烈だけど凄く美味しいって評判なんだって」
「じゃあ尚更飲むな!」
始めは盗みを阻止するつもりだったが、臭いがキツイ代物を開封したら、リーデルの纏っている強烈な花の臭いと中庭の死臭が相まってとんでもない公害を引き起こす事になる。
「お前は俺を殺す気か?」
「大袈裟だなニレは……」
「とにかくそれは開けるな」
「はいはい」
口を尖らせたリーデルは渋々ワインをアタッシュケースに戻し、物色を再開する。
「あ!鼠が入ってた!」
リーデルがワインの次に取り出したのは小さな鼠が入ったガラスケースだった。大きさからしてまだ幼体だ。実験用に連れてきた物なのかもしれないが……
「まさかお前……それ食べるのか?」
まさかと思い、恐る恐る訊いてみる。
「幾らお腹空いててもこれは食べないよ」
「そうだよな」
「生では食べられないし。これはエーデルワイスにあげる」
「ちょっと待て。調理したら食べるつもりだったのか?」
「ハハハハ」
真剣に尋ねると、リーデルは大笑いをした。
「冗談が通じないんだねニレは」
「冗談は嫌いだ」
そもそもこの世界に存在する物全てが冗談に見える時点で言葉の冗談なんか無いに等しい。
「まあ。ネズミは食べないよ。これは疫病の元なんだから」
リーデルの言う通り、ネズミが元になった伝染病で大勢が命を落としたは出来事は楡木の居た世界にも存在する。
その事が異世界にも共通していた事に楡木は少し驚いた。
「だから。これはエーデルワイスにあげる」
「エーデルワイスが病気になるんじゃないのか?」
「ならないよ。ドラゴンの胃袋は丈夫だし。何よりドラゴンはみんな鼠が大好物なんだ」
そう言ったリーデルはガラスケースを開けようとする。だが中々開かない。否、開け方が分からないと言った方が正しかった。そのガラスケースはなぜか開け口が無いのだから。
「どうやって開けるんだろう?ニレ知ってる?」
「俺が知る訳無いだろ。箱の裏に説明でもが書かれてるんじゃないのか?」
投げやりに適当な事を言ったが、リーデルはそれを真に受け、箱の底に目を移す。
「おい本気にするなよ」
「けどなんか書いてあるよ?」
「マジで?」
「えっと……ピカラットの幼生体(第一級重要試験体)につき取扱注意……尚生後三日目の成体は雷を纏っている為、接触厳禁の事……つまりどうやって開けるの?」
「つまりヤバイ物だから触るなって事だよ!」
楡木はピカラットが入ったガラスケースを取り上げる。
子供のピカラットは安全だが、それでも油断できない。
間違ってリーデルがケースを落としてこの鼠を逃がす様な事をしてほしくなかった。
楡木は慌てながらも薄氷を踏むかの如く慎重に、ガラスケースをトランクの中に戻す。
「ちょっと!ニレそれ返してよ!」
「これはお前の物じゃないだろ!」
「じゃあエーデルワイスのデザートはどうするのさ!」
「これでも食わせておけ」
楡木は水没して壊れたスマホをリーデルに渡す。
「良いの?」
「何でも食うんだろ?」
壊れたスマホを持っていても意味は無い。それに持って居たら持って居たで未練を感じてしまう。何よりエーデルワイスはスマホを壊した怪物たちを食べ、敵討ちをしてくれたんだ。礼代わりにこれを処分してくれるならそれも悪くない。
「じゃあ遠慮なく貰っておくよ。エーデルワイス!」
リーデルはスマホを受け取り、それをエーデルワイスの口元に持って行った。
エーデルワイスは大きな口を開け、器用にスマホだけ口に入れる。
一瞬機械を生き物に食べさせて大丈夫なのかという心配が頭を過ったが、それは杞憂に終わった。
エーデルワイスはゴリゴリとスクラップするような音を立てて咀嚼して、ごくりと音を立てて飲み込む。そして、
「キュオオオオオオオオ!」
怪獣映画でよく聞く雄叫びを上げた。
「凄く美味しかったって言ってる」
「そうか」
機械を食べて美味しいと言う感想が言える生物はきっとドラゴンしか居ないだろうな。
「兄貴って呼んでもいいかだって」
「勝手にしろ」
そもそもどんな呼ばれ方をしようと鳴き声しか聞こえないし、餌付け程度で認められる兄貴分なんか大して嬉しくない。
「あまり嬉しそうじゃないね」
「空想上の生き物に認められてもな……」
嬉しくも悲しくも無い、微妙な感想を言おうとした時、リーデルは突如トランクから瓶を取出し、それを楡木の後方目がけてを勢いよく投げつける。
ガシャンと言う音と共にビンが割れる音に遅れて、聞き覚えがある怒号が飛んできた。
「陛下!」
「見つけましたぞ!」
怒号を飛ばしたのは、剣を持った老騎士と、白銀の鎧と赤いマントで身を固めた騎士だった。
老騎士は帝国軍総司令官にして今日殺される男、セシル・アーヴィング。
そして鎧で固めた騎士は玉座の間で気絶していた宮廷警護隊長のサリエル・ラングレン。
二人とも、特にセシルは戦場で見かけなかったが、無事だったようだ。
しかしリーデルは臣下の無事を喜ばず、苦い顔を作った。
「サリーに師匠……なんでここに妾が居るって分かったの?」
「儂の陛下に対する忠義……侮らないでいただきたい」
「我ら帝国騎士。とくにアーヴィング卿にかかれば陛下の居場所を特定するなど造作も無い事です」
「エーデルワイスのせいでバレたんだろ?」
でかい図体と特徴的な鳴き声を辿って行けば誰でもリーデルの場所に行きつけるだろう。
「陛下、観念して公務に戻ってください」
「サリエス君の言う通り。公務に戻ってくだされ」
二人のドスの効いた声にリーデルは僅かに冷や汗を流す。
「サリー……もしかしてエーデルワイスが槍をぶつけた事怒ってる?」
「怒っていません。いつもの事ですから」
「いつもやってるのかよ……」
「シショーももしかして怒ってる?瓶投げた事は謝るよ」
「構いませんよ。何時如何なる時も油断するなと教えたのは儂ですから……しかし……」
剣をリーデルに向け、
「公務から逃げ出す為、人を魔女のようにカマドに閉じ込める様な事を教えた覚えはございませんぞ!」
烈火の如く怒号を吐き出した。
だがリーデルは悪戯っぽく笑い、槍に手を掛ける。
「別に良いじゃん。ちゃんと出られたんだから」
「お陰で料理長に衛生上良くないと御叱りを受けてしまいましたぞ!」
「怒る所そこかよ!」
セシルも料理長も起こり所が違うと指摘したかったが止めた。今空気が読めない発言をする場面では無い。
「とにかく……遊びは終わりですぞ皇帝陛下」
「今すぐ執務室に行き、公務にお戻りください」
セシルとサリエスが剣を構える。
そしてリーデルも槍を構えエーデルワイスも唸り声を挙げて威嚇した。
仕事をさせたい臣下と仕事をしたがらない皇帝の戦いが始まろうとしている。
何だこの壮大に見えて下らない対戦カードは……
「参る!」
セシルとサリエスは鎧を身に着けたとは思えない速度でリーデルの間合いを詰める。だがリーデルはその場に屈み、ハルベットのトランクに手を突っ込んみ、
「これでも喰らえ!」
中身の入った薬瓶を二人の騎士目がけて投げつける。
セシルは瓶を躱すが、サリエスは躱し切れず、兜にビンが直撃する。
瓶は割れ、薬品が飛び散り、異臭に満ちた煙が舞い上がった。
「エンッ!」
煙を吸い込んだサリエスは奇妙な声を上げてその場に崩れ落ちる。
「お前何投げたんだ!」
「知らない!アンモニアって書いてあったんだけど大丈夫かな?」
「じゃあ大丈夫だ」
アンモニアは凄く臭いだけで、特に毒は無かったはず。
「お喋りとは余裕ですな陛下!」
「ヤバッ!」
「ヒィ!」
瞬く間に間合いを詰めたセシルの剣がリーデルと楡木を襲う。
リーデルは紙一重にそれを躱すが楡木はダメだった。
最後に見たのは眼前に迫るセシルの刀剣。そしてそれが顔にぶつかる鈍い音と痛み。
それらを感じながら楡木は意識を失った。




