あ
ピンポーンとインターホンが鳴った。なんだなんだと出てみると昨日の女の人がいる。
「どうしたんですか。」
「突然すみません。あの…今日はあなたに話があってきました。」
「どうしたんですか。」
「あの…あなたが私にあんな嘘をなぜついたかと…」
「なんのことですか。」
「ほら、昨日のことです。なんであんな嘘をついたんですか?」
「意味がわかりません。」
「本当ですか?あなたは私をからかったのでしょう?」
「説明できますか。」
「あ、その、昨日の雨に濡れていた理由が、傘をさすことを忘れたからだとか、そういうことです。」
「ああ、あれ。」
「なぜ私に理由を隠したのですか?私は理由をずっと考えていたんです。」
「それできたのですか。」
「そうです。」女の人は力強く頷いた。私は息を吐いて「あなたはなかなか積極的なようですね。」というと「あ、すみません、やっぱり事情があったんですね。わかりました。それでは失礼しましー」「あ、理由はないのですよ。」「え?」女の人は驚愕している。
「嘘ですね。」
「いや、ほんとです。」
「言えないなら言えないでいいんです。私昨日あなたが本当にそんなに物忘れが多いと大変なんじゃないかと思っただけなんです。」
「大変じゃないですよ。」
「え?」
「逆に、周りの人たちはよく平気だなあと思います。そんなにたくさんの記憶を積み込んで、何がいいのやら。」
「で、でも、あなたは昨日のことは覚えているじゃないですか。」
「あ、あれはね、なんだかね、嬉しくなったようだったのでね、覚えておいたんですよ。」
「え!」女の人はこちらを見る。
「確か名前も言ってたね。なんといったっけ。」
「花森 舞です。」
「そうだったっけ。まあ、私はとかく物忘れしやすいんですよ。」
「あの、嬉しいというのは?」
「そりゃあ傘をさしてもらって嬉しくない人はいないじゃあないですか。」
「本当ですか?」
「本当です。」
しばらく黙っている。
「あなたは、不自由だなって思うときはありませんか。」やっと花森さんが口を開く。
「いや、特に何も。」
「家のお金はどう払うのです?」
「わかりません。」
「職業はなんですか?」
「知りません。」
「知らない!ではあなたはどうやって暮らしているのですか。」
「いや、ちょっと。」
「あの、家を見ていいですか?」
「え、ああ、まあ、いいですけど。」
花森さんはどんどん入っていって、いろんなものを見つけてしまった。まず、お金がかごの中にたくさんあったこと。それから、タクシーの運転免許。歯ブラシ。ソファ。テレビ。ゴミ袋。調理台。そればかりか、花森さんは勇敢にもタクシー会社に連絡して、私が辞めたことまでも突き止めてしまった。きっと、変に思われただろうな。
「あなたはタクシーの運転手さんだったらしいですよ。」
「そうですか。」
「つい最近辞めたそうじゃないですか。」
「そうですか。」
「本当に覚えていないんですね?」
「はい。」
これはえらいことだ、というふうに花森さんは腕組みしてしまった。
「あの、私、度々お邪魔してもいいですか。」
「いいですよ。」
花森さんは笑って、私の顔を見つめながら、「それでは、そうさせていただきます。」と丁寧に言った。私はなんだかどぎまぎしてしまって、目をちらちら動かしたが、顔がほてっているのに気が付いてもっと慌ててしまった。




