神殿と軍
長い髪をかっちりとまとめ鏡を見返す。
やや赤みの勝った金色の髪に囲まれた細面の顔の中、きつい紫の瞳が鏡の向こうから自分を見返している。
もともとの顔立ちだけでなく。表情も険しい。
「瑯杏はまだあの馬鹿どものところにいるの」
彼女にとって姉、瑯杏がはまり込んでいる宗教というものはただただすべてが無駄に思えた。
浪蓮にとって、神とは原始時代の迷信そのものだ。
だが、瑯杏は違う。瑯杏に取って神とは生まれて初めて得た人生を捧げるにふさわしいものだった。
そののめり込みようはすでに余人の及ぶところではなく。その宗教を介さなければまともな会話すら成立しないありさまだ。
自らの意思など持っているのかと常に流されるまま生きてきた姉が、どうしてここまで思い込んだのかと不思議に思うが。あるいはそう不思議ではないのかもしれない。
結局瑯杏は神に依存しているだけだ。
浪蓮は自ら選んだ服を鏡越しに観察する。
それは濃紺の軍服だった。
襟から裾まで金の縁取りがされ、袖ぐりは黒い別布が張られている。
女性軍人はタイトスカートが選べるが、浪蓮は常にゆったりとしたパンツを愛用していた。
その姿で、姉のもとに向かう。
柔らかな銀と見まごうくらい淡い金の髪をゆったりと垂らし、瑯杏は祭壇に跪いていた。
それは姿のない神。その象徴たる十字と丸を組み合わせたマークが祭壇にでかでかと描かれている。
その祭壇に額ずいて真摯に祈る。
祈り続けることだけが、彼女にできること。
祈ればきっと神は答えてくれる。
瑯杏は美しかった。
清楚な美貌に柔らかな金の瞳は神から遣わされた巫女だとほかの信者たちは口々に言う。
しかし瑯杏はただ祈るだけだ。
そんな瑯杏をほかの信者はほれぼれと見とれている。
思わず、祭壇ではなく瑯杏に祈りを捧げてしまいそうなくらい。
静謐な祈りの時間は唐突に妨げられた。
乱暴に扉をたたき開けた人物によって。
「ごきげんよう、お姉さま」
言葉だけは柔らかだが、その口調は柔らかとは程遠い。
「相変わらず、こんなところで時間を潰しているのね」
姉をねめつける冷たい紫の瞳。
「ここは神聖な祈りの場ですよ、浪蓮、控えなさい」
「神聖な、ね」
浪蓮は唇をひん曲げる。
「その神聖な祈りの場で、ただ祈っていただけでしょう。祈って何が変わるんです」
言葉は冷笑で返された。浪蓮と瑯杏、美しい姉妹だがその内面は遠く隔たっていた。
「貴女は何も変わらないと思っていましたよ、何もせず何もかも見ないふりで、押し通す、でも今の貴女は過去の貴女よりなお悪い。役にも立たない祈りをすることで何にも意味がないのに何かした気になっている」
弾劾の言葉はただ鋭利だ。しかし、瑯杏は憐れむような目で、浪蓮を見返すだけだ。
「祈ることに意味がない、それは一度でも祈ったことがない貴女にはわからない。いつだって傲慢に人の気持ちを踏みにじって顧みない」
「だから神罰が下る、か」
浪蓮は嘲笑を唇に刻んだ。
「言っておこう、私がしたことで報復を受けるなら、それは神がきめることじゃない。私を怨む人間の仕業さ、神など関係ない」
その笑みは確かに傲慢さが浮きあがっていた。しかし人を魅いる力も持っていた。
「お姉さま、今日、この神に別れを告げないのなら、私と永遠のお別れですよ」
急にその様子を変え、いっそ朗らかですらある笑顔を作る。
「私は神を捨てる気はありません」
「そうですか、私は少々遠い任地に向かうことになっております。それで、お姉さまが進行を保つなら私にとって少々都合が悪いのですよ、というわけでお姉さま、永遠にさようなら」
清々した。という顔で浪蓮はその場を立ち去る。
結果はわかりきっていたのだろう。
瑯杏ハ屈辱に、唇をかみしめて、妹の後姿を見送っていた。