5
パチパチとまばたきをする大介のさまに、鯨は「しまった」と思った。パグは確かに犬だが、一般的には“不細工なところが可愛い”と言われる類の犬である。パグに似ていると言われて、喜ぶ人間は稀だろう。どうフォローしたものか、鯨は一人慌てるしかない。
――しかし次の瞬間、大介は輝くような笑みを浮かべた。
「ほんと!」
嬉しそうだった。無表情な少年の、初めての笑顔だった。鯨が本当だとも嘘だとも言えぬ間に、大介は一人でウキウキして「パグ」と呟いている。とりあえず外していなかったようなので、鯨はそれ以上何も言わず、ただ笑みを浮かべて大介を見た。そして心の中だけで、「マジで変わってンなあ」と呟くのだった。
*
大介を連れて繁華街を抜けた鯨は、そのまま北へ進んだ。高架下のあたりに小さな交番がある。窓から煌々とした光が漏れているそこを指差して、鯨は言った。
「あそこだよ」
大介は、「もう歩き疲れた」と若干ぐったりした様子で言う。「あとちょっとだから頑張れ」と励ましつつ、鯨は交番へ向かう。引き戸をあけた。一見無人だったそこに扉の音が響いた瞬間、奥から警察官が一人、のそのそと顔を出した。
「鬼先輩、戻りました」
鯨が言うと、相手――鬼と呼ばれた青年は、眠たそうに目を細めながら「おう」と答える。しかし、鯨のそばにいる大介に気付き、すぐに瞳が開いた。吊り上がった眉を訝るように歪めた鬼は、小さく首を傾げる。
「誰?」
「迷子ですよ」
「迷子? お前、繁華街のパトロール行ったンじゃねえの?」
「そうです。繁華街で迷子です」
「繁華街? そんなとこで迷子?」
しげしげと見られた大介は、同様に相手をまじまじ見つめ返した。何だよ、と眉を寄せる鬼に、鯨は「何だよじゃないですよ」と肩を竦める。
「警察官でそんな髪してたら、そりゃ見られますって」
――鬼の髪色は、派手な桃色をしているのだった。それも、目がさめるような明るい桃色である。加えて、ワックスで毛先を四方八方に跳ねさせているのだから、制服を着ていなければ、警察官だなんて誰も思わないだろう。むしろ、繁華街の住民だと言われた方が納得がいく。
大介が鯨を見上げた。
「鯨さん。警察官の人って、頭ピンクにしてもいいんですか」
鯨は口をもごつかせたが、結局「物事には例外があるんだ」という理屈で逃げた。大介は不思議そうにしていたが、それ以上は問わない。内心安堵する鯨に、鬼はくつりと笑った。そして、改めて大介を見る。
「にしても、繁華街で迷子になって、よく無傷だったな」
大介がきっぱりと「無傷じゃないです」と答えた。
「自転車も盗まれたし、高い水も買わされました」
「水? 何、悪徳宗教か占い師の話?」
「違います。ごはん屋さんです」
「は?」
「鬼先輩、違うんです。この子ちょっと“水商売”を勘違いしてるんです。説明すれば説明するほどこんがらがりそうなんで、そのままにしてるだけで」
「鬼先輩」
鯨が警察官に対して言った呼び名を、大介が異国の発音でもするように、たどたどしく繰り返す。
「怖い名前。それもあだ名ですか」
「そうそう。この人は“鬼瀬”さんって苗字なんだ。だから一文字取って、鬼先輩って呼ばれてるだけ。オニセセンパイって、セが二回続いてて言いにくいだろ」
「なんだ。鬼みたいに怖い人なのかと思った」
「いや、それもあながち間違いじゃ……」
うっかり口を滑らせかけた鯨の頭を、鬼の拳がどついた。痛ェ、と声をあげて後頭部を押さえる鯨をよそに、鬼がパイプ椅子にどっかり腰をおろす。
「とにかく、迷子なんだな?」
「はい」
「なら、とりあえず住所とか地図で確認するから。そこ座って」
「ありがとうございます」
大介は言われるままに、鬼の正面に座る。鬼は、机の上に置きっぱなしになっていた地図帳を広げながら、「で?」と視線を大介に向ける。
「住所は?」
「春日中学のあたりです」
「は? ……春日中学!? 春日市ってことか!?」
鬼は素っ頓狂な声をあげ、大介を見た。まだ頭を撫でていた鯨が、痛みのあまり涙目になりながらも二人のそばに寄る。
「その子、朝イチで春日市から自転車で来たらしいんですよ」
「チャリで!?」
「はい。で、帰ろうとして迷子だそうです」
「いや、帰ろうとしてっつうか……ここまでチャリで来ようと思ったら、片道三時間はかかるだろ」
「だから、片道三時間かけてきたんですよ」
「きました」
無表情で頷いた大介に、鬼は口をぽかんと開く。そして深々と溜息をついた。
「……市民に対してマズイ発言だとは思うけどさあ」
馬鹿だろ、お前。容赦なく放たれた警官からの暴言に、大介は「すみません」と謝った。