新任の代表講師 1
第10話
グレイとメイランの決闘から三日経ち、《プレミアム》が《イフリート》の三位に破れた、という情報が学院中に広まりきった頃。
ミスリル魔法学院の学院長、リールリッド=ルーベンマリアは一人学院長室で無駄に大きな椅子にもたれ掛かりながら、窓の外に見える旧校舎を眺めていた。
「ふ~ん。グレイ君が負けた、ねぇ……」
グレイとメイランの決闘の話はリールリッドも既に知っていた。
今年度の新入生は例年に比べても一際優秀な生徒が多く入学してきていた。特に四クラスの上位者四人は《プレミアム》の三人に勝るとも劣らない実力を持っている。
故にほとんどの生徒や講師はその結果になんら違和感を感じてはいなかった。
だが、リールリッドはグレイが本当の意味で本気を出さずにわざと負けたということをあっさりと見抜いていた。
その本来の力を出していたとすれば、メイランは容易く倒されていたであろうことも。
そして《イフリート》にまとわりつく疑念の噂も当然のように承知していた。
グレイの犠牲をもって噂は移り変わり、《プレミアム》の敗北という話が今の学院を賑わしている噂だ。
リールリッドは生徒達に噂の処理をさせてしまった己の不甲斐なさを恨みながら、《イフリート》の元代表講師であったファラン=アラムストのことを思い出していた。
彼女──ファランはとても優秀な魔術師だった。ただ生まれた場所と時期が悪かった。彼女の人生がほんの少しでも違っていれば、と悔やまずにはいられない。本当に惜しい人材を無くしたと思っていた。
そのファランを直接倒したリールリッドは、その時のようにどこか虚しさを覚えたが、扉がノックされる音に気付き、すぐさま気持ちを切り替えた。
「入りたまえ」
「はい。では、失礼します。学院長。先程彼女が学院に到着しました。ですが、既に時間も時間ですので直接大聖堂に向かって頂きましたので、学院長もお早くご準備なさってください」
「ほう。ようやく着いたのか。だが、なんともタイミングのいいことだ。いや、ご苦労だったなカーティス。私もすぐに向かうので先に行って待っていてくれ」
「はい。ではお先に失礼します」
そう言って初老の講師、カーティス=ハイヤーは扉を静かに閉めた。
「さてと。一応これで準備も整った。これから良い方向へと向かえばいいのだがね。頑張ってくれたグレイ君やメイランさんのためにも、な」
リールリッドはそう呟きながらゆっくりと立ち上がり、豪奢なドレスをたなびかせながら学院長室を後にした。
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大聖堂は全校生徒が集まってもまだあまりあるほどの広さを誇っている。だが、流石に全校生徒が集まってるため、大聖堂内はがやがやと騒がしかった。
大聖堂には赤、青、緑、黄色の制服を着た生徒達が綺麗に分かれて並んでいる。
それは上から見ると色の足りない虹のように見えた。
そして集会の時間となり、カーティスがマイクで生徒に静かにするよう促すと、やや時間をかけてからようやく静かになった。
「では、学院長……おや? ……はぁ、またあのクラスですか……」
カーティスは一度マイクのスイッチを切り、リールリッドに壇上に上がるよう促したのだが、ふとある一点に視線が向かい、現状を把握し、疲れきったような溜め息を吐いた。
リールリッドも釣られてそちらを見る。
そこには他のクラスから離れた場所に設置されている三つの空席があった。
よく見ると講師陣の列の中にいなければならない人物も一人見受けられない。
全校集会に遅刻、いや、おそらくサボったのであろう《プレミアム》の三人の顔を思い浮かべ、リールリッドは薄く笑う。
「まあ、仕方あるまい。来ない者を待って他の者を待たせるわけにもいかんだろう」
そう言ってリールリッドは壇上へ登り、マイクを手に持ちスイッチを入れる。
絶世の美女であるリールリッドが満面の笑みを浮かべながら自分の生徒達を壇上から見渡し、第一声にこう言い放った。
「やあ、おはよう。私の愛する生徒諸君」
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リールリッドが壇上に上がったちょうどその頃。久し振りに《プレミアム》しかいない旧校舎でキャサリンが一人、声を張り上げていた。
「三人とも早く立ってください! 大聖堂に行きますよ! ってぇ!? もう集会が始まってる時間じゃないですかっ! ほら急いでっ!」
「「「わざわざ大聖堂まで行くのめんどくさいので今回はパスします」」」
「……します」
「全校集会にパスとかないのですよ!!」
グレイ達は今日も変わらず問題児だった。
グレイは目を擦りながらあくびをし。
エルシアはノートに何かを書き写し。
アシュラはエロ本を読み耽っており。
ミュウはただただボ~っとしていた。
そんな四人にキャサリンは尚も食い下がる。
「ほらっ! 今日は《イフリート》の新任講師さんがやって来るんですから、私も挨拶しなくてはいけないんですよっ」
「なら、行ってきていいっすよ。俺ら留守番してるんで」
「グレイ君達を置いて行けますかっ!」
「大丈夫だぜキャシーちゃん。心配はいらねえ。ここは任せて先に行ってくれ。俺らは留守番のプロだ!」
「そんなプロフェッショナルはいらないのですっ!」
「なら守護者って言い換えます。ほら、なんかすごそうでしょ?」
「た、確かに……。じゃないのですよっ!!」
「…………マスター。お腹、空きました」
「さっき朝御飯食べたばっかりじゃないですかっ!? ミュウちゃんは本当にマイペースですねっ!」
全員に律儀に突っ込みを入れたせいか、息を激しく乱すキャサリン。
やれやれと言った風に三人がキャサリンに向かってこう言った。
「キャシーちゃん。実は俺、朝から熱あるみたいなんで、動けそうにないんだよ。だから、わりぃ……」
「えっ!? そ、そうだったんですっ!? アシュラ君が風邪だなんて、信じられません……」
「キャシー先生。実は、私も、ちょっと貧血気味で、立ち上がれないんです……」
「えぇっ!? エルシアさんも体調が悪いんですか!? 大丈夫なんですか?」
「キャシーちゃん。俺、今、眠くて、仕方ないんですよ……。だから、俺らに構わず行ってください……」
「ええぇっ!? ……ってぇ! それただの寝不足じゃないですかぁ。それに他の皆さんも絶対嘘ですよねっ!?」
「「あぁ~あ。グレイのせいでバレた」」
「悪い……。本音を言っただけなんだ」
「あああぁぁぁもおおおおっ!!」
キャサリンの苦労も虚しく徒労に終わりそうな頃、《プレミアム》の面々抜きで全校集会は進行していった。
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「さて。全員、は揃ってはいないようだが、話を始めさせてもらうぞ」
リールリッドはそう前置きしてからこの前の事件のことを話し始めた。
「諸君らも当然ながら存じていることだろうが、このミスリル魔法学院は先日、魔法犯罪組織《閻魔》による襲撃を受けた。目的は未だ不明だが、おそらく何者からか依頼を受け、事に及んだ物だと推測される」
リールリッドは平然とした顔で嘘を吐く。
目的も、犯人も、すべてリールリッドは承知しているが、それでも彼女は嘘を吐いた。
それには二つの理由があった。
一つはグレイ達の功績を称えるためだ。
グレイ達は同級生、ギャバル=ジェンダー、サブ=ヘンリー、ニック=タングストンの三名を擁護したのだ。
自身を殺そうとした相手を、学院の長であるリールリッドに平然と嘘を吐くまでして。
本来、魔法犯罪組織に、間接的にも荷担したギャバル達は魔術師団に引き渡され、処罰を受ける。当然学院も退学になる。だが、それをグレイは阻止したのだ。決闘というシステムを利用して。
しかし、そんなものはリールリッドにはお見通しであり、グレイの嘘など容易く論破し、ギャバル達を魔術師団に引き渡すことも出来たのだ。
だが、リールリッドはそうしなかった。それはひとえにグレイの不器用な優しさに惚れたからだ。
勿論異性として、という意味ではないが。
そして、もうひとつの理由。それは──
「幸いなことに死傷者や重症を負った者は出なかった。これは講師の方達が死力を尽くして戦ってくれたからに他ならない。改めてこの場で感謝する。だが、残念ながら数名の生徒や講師は今もまだ学外の病院に入院している。その責任を取ると言ってファラン先生は辞職されてしまった」
実際はファランは牢に入れられてしまったのだが、それは極一部の講師と極一部の生徒のみが知っていることで、その他の者達にはそういうように誤魔化しているのであった。
当然こんなタイミングでの辞職である。悪い噂もちらほらと出てきたが、何とか噂の域を脱することはなかった。
そしてリールリッドは続けて話す。
「そして私は今回、学院を離れていて全く役に立たなかった。学院に到着したときには事態は既にほとんど解決されていた。本当に申し訳なかった。高いところから済まないが謝罪させてくれ」
そう言ってリールリッドは深く頭を下げる。
「故に、今回逆賊の侵入を許した責任を取るため、私も学院を去ることを決めた」
そのリールリッドの突然の辞職発言を聞き、大聖堂に一気に大きなどよめきが起きた。
だが、しかし──リールリッドはニヤリと口角を釣り上げた。
「ふっ。騙されたな! 今の話は全くの嘘だ。私は学院長を辞めるつもりは一切ない! 微塵たりともない! どうだ、驚いたか? 焦ったか? それとも安心したか? あっはははは。その皆の表情、実にいい!」
どよめきは一気に静まり返り、大聖堂の空気が凍りつく。中には少なからず怒りを覚える者もいた。だが、リールリッドはそんなこと気にもとめずに、その美貌とは裏腹に幼い少女のような無邪気な表情を見せながら笑い声を上げる。
彼女──リールリッドには学院長としての名前《聖域の魔女》とは別に、彼女自身を表すもうひとつの名、《虚言の魔女》という二つ名を持っていた。
つまりもう一つの理由とは、ただ単にリールリッドの平気で嘘を吐く、という悪癖が出た、という、どうしようもないほどしょうもない理由なのであった。