問題児の集う場所 4
グレイは一人、半壊した旧校舎の練習場に来ていた。ただの気まぐれで散歩がてら何の気なしに訪れたのだ。
ちなみにミュウは食べたら眠くなったのか、エレメンタル・コアに戻っている。
「うわ……。ひでぇ~」
半壊した練習場内は未だ手付かずのまま放置されており、そこかしこに瓦礫がたくさん散らばっていた。
グレイの勢いが付きすぎて壊した壁。エルシアの魔法で破壊された天井。アシュラの魔法で破壊された観客席。
そして、全員で壊した防護結界装置。
仕方がない状況だったとはいえ、罪悪感を感じずにはいられない。
これだと修復は一日二日じゃ終わらないだろう。当分ここで練習はできそうにない。せっかくの貸しきりだったのに、とグレイは肩を落とす。
闘技場を使うという手段もあるが、あそこだとミュウのことが他の誰かにバレる可能性があるので、ミュウの実力を試すことは出来ないからだ。
グレイはそう言えばここ以外にも被害があったという話を思い出した。
グレイは事件が終わるまで知らなかったことだが、《イフリート》の校舎に魔獣が出現し、校舎を一部破壊されたのだということを後で聞いた。
あと、ギャバル達はあれから魔法病院に運ばれたそうだ。しかし、まず命に別状はなく、薬の後遺症もないだろう、とのことであった。
ただ、少しばかり改良されていたイビルフェアを服用したらしく、体力や魔力の回復までは少し時間がかかるらしい。
それでも、ちゃんと今まで通りに戻れるのだから、そこまで深刻になることでもないだろう。
そしてグレイは差別者組織《閻魔》を思い出す。
グレイは過去にも《閻魔》の構成員と何度か戦ったことがある。もちろん当時は魔法どころか魔力すら持ってはいなかったが。彼の戦闘能力はその頃に培ったものであった。
グレイと《閻魔》は何かと因縁のある相手なのだが、今は考えるのはやめた。
練習場に誰かやって来たからだ。少し警戒しながら壊れた扉付近を凝視すると、見覚えのある派手なドレスを着たリールリッドが姿を現した。
「おや? なんだグレイ君か。こんなところで何をしているんだい?」
「学院長ですか……。別に。ただの散歩ですよ。学院長こそ何の用が?」
「ここは私の学院だ。どこに行こうが私の自由だろ?」
「そっすか」
「ふっ。冗談だよ。実は──君に会いに来た」
「はっ?」
予想外の答えが返ってきてグレイは思わず身構える。
「そう警戒するな。私は君に話したいことがあるだけだ」
「話? なんすか?」
「君が好きだ。一目惚れした。私と付き合え!」
「え? えぇぇっ?!」
「嘘だ」
「…………は?」
「本当は君がここにいるなんて知らなかった。ただ単にどれくらい壊れているのか見に来ただけだ。騙されたか? ドキドキしたか? はっはっは~。それらは全て私の嘘だ!」
とても楽しそうにどや顔で笑うリールリッド。それを睨みながらグレイは皮肉を漏らす。
「ええ、ある意味ドキドキしましたね。こんなのがうちの学院の長なのか。やばいな。いつか潰れるんじゃね? という意味でドキドキしましたね」
そしてそのまま立ち去ろうとしたグレイだったが、またリールリッドに呼び止められてしまった。
「ところでどうだ? 最近の学院生活は」
「はぁ……? ま、色々と刺激的っすね」
それはグレイのリールリッドに対する皮肉だった。だがリールリッドは意に介さない。
「それは良かったよ。楽しんでもらえているようで何よりだ」
「ここまで来るといっそ清々しいっすわ」
いくつも問題が起こっているのにも関わらず反省の色のないリールリッド。それはいつかの時とまるで正反対の状況だった。
「ま、でも確かに最近はいくらかマシになってきましたかね」
「そうだろうそうだろう」
「一応言っときますが、別に学院長のおかげじゃないんで悪しからず」
「…………」
リールリッドは一瞬不満げな顔をしたが、すぐにニヤリと顔を歪める。
「何だ? 好きな奴でも出来たのか? 一応ミスリル魔法学院は恋愛自由だが、ちゃんと清く正しい交際をだな──」
「そんなんじゃないっす」
「つまらないな君は……」
グレイにじと目で睨まれ、リールリッドは唇を尖らせる。
「おぉ。そういえば君に言伝てを頼まれていたんだったよ」
「嘘ですか?」
「いやいや。本当だよ。病院で目を覚ました《イフリート》の彼からだ」
グレイはすぐにギャバルのことだろうとわかった。
「で、何と?」
「うむ。『本当にすまなかった。そしてありがとう』だそうだ。何がすまなくて、何がありがとうなのかな?」
リールリッドは既に把握していることをあえてグレイに確認を取る。
「すまなかった、は一回目の決闘で俺達が勝ったから。ありがとう、はあいつがドMで、殴ってくれてありがとう、って意味でしょうね」
そしてグレイはさらりと嘘を吐く。前者はともかく、後者は確実に違うだろう。
グレイはリールリッドは今回の件についての出来事を全て把握していることを見抜いていた。
それでも彼は嘘を吐いた。《虚言の魔女》に向かって堂々と。
「そうか。君が言うならそうなんだろう」
「あ、あと俺も言伝て頼んでいいすか?」
「言ってみたまえ」
「謝罪するなら俺の目の前に来い。殴られて喜びのあまり、ありがとうなんてほざくドM貴族が。あと、喧嘩ならまた買ってやる、と」
リールリッドは声を上げて笑った。こいつは本物だと。
それはつまり、ちゃんと学院に戻って来いという意味だ。ひねくれたグレイらしい物言いであった。
リールリッドはキャサリンとグレイ、エルシア、アシュラの働きに免じ、今回に限り《イフリート》三人のことを厳重注意に留めることに決めた。
「そうか。わかったよ。伝えておこう。君があくまでもそう言うのなら。でも言わせてくれ。彼らを救ってくれて、学院を救ってくれてありがとう。グレイ君」
「何で学院長にお礼言われるんすか? 俺はあくまで喧嘩のために決闘しただけですよ。彼らを救った、って一体何のことだか」
肩を竦めながら首を振るグレイ。バレているのによくもまあここまで堂々と嘘が吐けるものだと《虚言の魔女》は感心する。
「それに、学院生活はあいつの夢でしたから。夢のねえ俺が代わりってのもアレですけど、叶えられなかったあいつの夢の分くらいは俺が叶えてやりたいって思うんすよ。それを《閻魔》ごとき犯罪者に潰されたくなかった。だから撃退した。それだけです」
──夢の代行なんて何の意味もないだろうけどな。
そう心の中で自虐し、グレイの顔が少し曇るが、リールリッドはそのことについて深く尋ねはしなかった。
それはおそらく、グレイにとって一番根深い何かなのだ。他人が容易く無遠慮に触れていい領域ではない。
そして、その話をしていたグレイの目は愛情と悲哀と後悔が混じりあったような複雑な色をしていた。
学院の長であるリールリッドが生徒であるグレイの過去に、土足で踏み入ってはいけない。一人の生徒に加担し過ぎてはいけない。
だが、これだけは言っておかないといけないと思った。
「……そうか、わかった。だが、一言だけ、一人の講師として言わせてもらいたい。グレイ=ノーヴァス。君は君のために生きたまえ。誰の代わりでもない、君自身のために。それを、その者もきっと望んでいる」
相変わらずグレイの瞳は灰色をしている。
それは実際にグレイの瞳が灰色をしているという意味ではない。未だにしっかりと前を向けていないという意味である。
でもリールリッドは愛しい生徒の一人であるグレイにも、しっかりと前を向き、少しずつでいいから前に進んで、彼自身のために生きていってほしいと。
無属性という、数奇な魔力と運命を背負わされた、まだ幼く弱い少年の未来を案じ、いつか必ず見つけられるであろう彼の夢がどうか叶いますようにと。
自分を殺そうとしてきた者達を殺すことなく全て倒し、救いさえした心優しきこの少年の未来が、彼の心と同じくらいに優しい世界でありますようにと。
《虚言の魔女》であるリールリッドが、一切の偽りなく、心の底からそう願った。