問題児の集う場所 2
アシュラは夢の中で、腐った汚物の臭いがするごみ山の中に今より少し幼い姿で立っていた。その目の前にはかつての彼の仲間、友人が立っている。
しかし、その表情は優れない。土のような色をした顔をしながら、目も何も写していないのか、虚ろを見つめていて、まるで生気が感じられない。
それは、彼が既にこの世にいない者であるということを意味していた。
その友人が急に走りだしアシュラもその友人を追いかけるようにごみ山を走る。
すると場面は変わり、今度は血の臭いのする戦場へと変わった。アシュラの姿も更に幼くなっている。そして友人の姿は消え失せた。
そして手には知らぬ間に魔道具が握られている。結局、一度も使うことはなかった魔道具だが、何故か夢の中ではその魔道具は血に濡れていた。
その血は、皮肉なことに彼が慕う者の血であった。
魔道具から視線を上に向ける。目の前には、自分と同じ褐色の肌を持つ者達と、一人の女性が血を流している。
その夥しい量の血は、確実に致死量を越えている。つまり、その者達もまた既に死んでいるということを示している。
──俺は一体、何人の屍の上に立っている?
そう自分に問いかける。答えは出ない。わからない。何人死んだかわからないのだ。
絶叫しそうになる。発狂しそうになる。
何人も、何十人も死んだ。それでもアシュラだけは生きている。
罪悪感を感じたのは一度や二度ではない。そして何度もこの悪夢を見る。それでも尚、アシュラは生きる。
ごみ山で出会った、今は亡き親友と約束した。
くそったれなこの世界を必ず変えてやるからあの世で見てろ、と。
その約束を守るため、彼は今日も腐った悪夢を喰い潰す。
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グレイを追い出した後、エルシアは布団をかぶり、ベッドの中で丸まった。
カーテンを閉めきっているので、昼でも部屋は少し薄暗い。そんな中でもはっきりとわかるくらいにエルシアの顔は赤かった。
エルシアはコアラのぬいぐるみ、名前はグレネード(仮)、を抱き締めながら、頭の中で色々な言葉がぐるぐると飛び交っている。
馬鹿。アホ。変態。鈍感。天然。優しい。やっぱり変態。非常識。顔近い。デリカシー無さすぎ。恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい!
「うあああ…………」
恥ずかしさのあまり、口に出た小さな呻きが誰に届くこともなく部屋の中で静かに消える。
抱き締めていたぬいぐるみに顔を埋め、その呻きも出ないように口を無理矢理ふさぐ。
しばらくして。ようやく落ち着いた。頭は冷静になった。そして、今日急に改名されたぬいぐるみ、グレネードを見る。
どことなく、どこかの誰かに似た顔をしたこのぬいぐるみを見た瞬間、エルシアは即買いした。
灰色の体と眠たげな眼をしたそのぬいぐるみをもう一度しっかりと抱き締めながら、しかし、さっきとは違ってどこか悲しげな顔をする。
──私は、こんなことに現を抜かしていていいのか。
冷静になったもう一人の自分が冷静にもう一人の自分に問いかける。
答えは決まっていた。ノーである。
エルシアは何が何でもやらねばならないことがある。自分を救ってくれたあの優しい家族を、今度は自分が救ってやるのだと。
──私は、そのために今を生きているのだから。
優しい家族を置いて、先に一人で勝手に幸せにはなれない。なってはいけない。それだけは決して許されない。例え家族の皆が許しても、自分自身がそれを許さない。
目を強く瞑り、思い出されるはセレナイト家の者達。
厳しくも優しい父と穏やかな笑顔の似合う母と自分など比べ物にもならないほど美しい姉達と可愛らしい小さな弟。
あの頃の皆とまた幸せに生きるために《彼女》の元で魔法を勉強し、推薦書を書いてもらい、やっとエルシアは今、ここにいるのである。
そしてここを卒業して魔術師となり、更なる高みに登り詰め、再び貴族の称号を得て、家族全員を探し出す。
それまでは絶対に、止まるわけにはいかないのである。
少し感情が高ぶり過ぎたのか、目の端にわずかに涙が浮かぶ。
エルシアはその涙を強く拭い、誰も見ていないのにわざとらしくあくびをし、疲れたから寝る、と誰も聞いてないのに言い訳し、昔、グレイという名を与えられていたコアラのぬいぐるみを抱き枕代わりに抱き締めながら、ゆっくりと寝息を立て始める。
その寝顔はまだ幼さを残す、可愛らしい少女のものであり、どこか幸せそうな表情をしていた。
夢の中で家族と幸せに暮らしているのか、もしくはどこかの誰かと一緒にいるのかはわからないが、せめて夢の中でだけでも、今はまだ叶わない願いを見ているかのようだった。
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ようやく泣き止んだキャサリンは椅子に座り、机の引き出しの中から一冊の手帳を取り出す。
少し古ぼけていて、汚れているが丁寧に管理されている手帳のページを一枚めくる。
そこには彼女の師の言葉が書かれていた。
魔術師は基本弟子を取らない。弟子となりうるのは自分達の子供、もしくはそれに近しい者のみだ。
だが、いつの世も変わり者は多く存在する。後継者がいない、という独り身の魔術師が弟子を取るようなこともある。
キャサリンの師は、変わり者だった。
それに師と言っても、キャサリンはその師から魔法を学んだわけではない。
そもそもキャサリンがその師と会ったのは学院を卒業した後だ。なので今更特に学ぶものもなかったのである。
しかし、それでもその者を師と呼ぶキャサリン。理由は一つ。魔法以外の大切なことを教わったからである。
その師の手帳には丸っこい字でこう書かれていた。
「素敵な講師に必要な全ての事柄ファイル」
ファイルじゃなくてメモです。とキャサリンが師に突っ込んだのを思い出す。
そして、そんな小さいことは気にしないの。でないと余計小さくなるよ。と言われたことも同時に思い出す。
キャサリンの師は変わり者だ。
学院を卒業したキャサリンを小さな子供扱いし、ぐーたらで、泣き虫で、でも砂糖のように甘く優しい。
そんな師が遺した最期の言葉。
──キャサリン。貴女は、私より甘くて優しいわ。だから、立派な先生になれるわよ。この私が保証するわ。
当時の彼女は《氷河鬼》と呼ばれていた。そんな彼女を捕まえて、甘いだの優しいだのと、キャサリン自身全くもって信じられなかった。
でも、キャサリンは師の言葉に、想いに答えるためにかつての母校であるこのミスリル魔法学校の門をもう一度くぐったのである。
キャサリンはその手帳をゆっくりと撫でる。
「今回はなんとか、クビにはなりませんでしたけど、本当にこれから大丈夫なんですかね……? ちゃんとやっていけますかね? もしかして《虚言》を言ったわけじゃないですよね、師匠?」
そんな愚痴を手帳に向かってこぼすキャサリン。
かつて、《虚言の魔女》と肩を並べ、共に魔法界を背負って立ったキャサリンの師、《鮮明の魔女》を思い出しながら、キャサリンはゆっくり手帳を引き出しに閉まった。
なんだか手帳に書かれた師の文字に励まされたような感じがした。
「なんだか、お腹空きましたね……」
キャサリンは顔を二度軽く叩き、鏡の前に立っていつもの笑顔になり、呟く。
「素敵な講師に必要なもの。まずはとにかく眩しい笑顔!」
顔を上げ、前を向き、笑いながら進んでく。
かつての 《鮮明の魔女》が最期までそうであったように。その師の背に追い付くがために。そしていつか必ず追い抜くために。
キャサリンは、とりあえずは今感じている空腹を満たすために、部屋の扉を開け放った。