月影の剣 光翼の銃 無限の拳 5
~無限の拳~
「ミュウは安全な所まで下がってろ。あいつとは一対一で決着を付ける」
「……了解しました。ですが、マスターに危険が及ぶようなことがあれば、わたしは無理矢理にでも介入します」
「あぁ、それで構わない。でも、俺は強いから大丈夫だ。お前の主を信じろ」
「はい。ご武運を。我が主」
ミュウは両手の指を絡め祈るように目を閉じる。
グレイは帽子の上からミュウの頭をポンと叩き、一人、拳を握りしめながら前に出る。
「そもそも、お前程度にミュウはもったいない。俺一人で十分だよな。ギャバル」
「舐めすぎなんだよお前は! ジェンダー家の一人息子である俺をよ! その余裕な顔ごと焼き尽くしてやる!!」
ギャバルはわめき散らすように声を荒げ、体から炎を噴き出す。どうやらギャバルは他の二人より更に人格崩壊の症状が濃く見られるようだ。
元々気性の荒い人格だったとはいえ、今のギャバルからは余裕も、貴族としての誇りも感じられない。
ただ純粋な悪意、復讐心に取り憑かれているようにしか思えなかった。
その原因はグレイもよく理解していた。
「デコピンで倒されたのがそんなに悔しいか?」
怒りを露わにしたギャバルの顔が更に一層険しくなった。
「……あぁ、そうだ。お前のせいでジェンダー家の名に泥を塗ったんだ……。だから、お前の命で償ってもらう!! 《フレア・ボール》!」
《フレア・ボール》は下級魔法だ。しかし、魔力の異常な上昇を見せるギャバルが放った火球は通常の五倍の大きさにまで膨れ上がっていた。
「悪いな。俺の命はそこまで安くはないんだ」
一瞬、グレイの顔が曇る。だが次の瞬間にはいつもの不敵な笑みに戻り、手を前に翳す。
「全て等しく無に還れ。《リバース・ゼロ》」
グレイの魔法によって巨大な火球は破砕音と共に跡形もなく砕け散る。そもそも最初から火球など無かったかのように。
「さっきから、何なんだよその魔法──ッ!?」
自分の放った魔法が消えたことに僅かながら動揺したギャバルの懐にグレイは瞬時に潜り込み、右フックを繰り出す。
「ぐぅっ!?」
「ちっ!」
咄嗟にギャバルは突きだしていた手から炎を噴射し、グレイの動きを牽制し、同時に距離を取る。
「ふぅ。一撃で仕留めてやるつもりだったんだがな」
グレイは軽口を叩きながら思考を巡らせる。
昨日までのギャバルなら軽口でも何でもなく、今ので決着が付いたはずだった。
だが、今のギャバルは魔薬により魔力が上昇しているため、魔力を練る必要もなくほぼノーモーションで瞬時に魔法を発動させることができる。
今の攻撃を回避できたのもただ反射的に魔法を放っただけに過ぎない。
それでも、事実攻撃は回避され、ギャバルもそのことに気付いた。
グレイはもう一度心の中で舌打ちする。やはり、今の一撃で倒すべきだったと。
「はは、すげえ。これなら……勝てる! 食らえ《バーニング・アロー》!!」
鋭く伸びた炎の矢が隙間なく飛んできて、《リバース・ゼロ》で防ぎきれないと見切ったグレイはもう一つの魔法を詠唱する。
「全て等しく透き通れ。《ミラージュ・ゼロ》」
怒濤の炎の矢がグレイの体に何本、何十本も突き刺さる。しかし、そのまま何事もなくグレイの体を通り抜ける。その度に魔力がどんどん消費される。
やはり多用するのはやめた方がいいと判断したグレイは火の矢が止んだ瞬間に《ミラージュ・ゼロ》を解除した。
ギャバルはまたしても目を見開いて驚く。目の前で起きた現象に理解が追い付いていない。
確実に攻撃は当たったはずなのに、何事もなかったかのように立つグレイを見て目を擦る。
「目の前の敵から目ぇ離すな。ド素人」
その声はギャバルの真下から聞こえた。
その直後に、ギャバルは顎を拳で殴り上げられた。
それは皮肉にも、彼らの争いの元となった最初の一撃と全く同じだった。
違うところがあるとすれば、ギャバルがその一撃で気を失わなかったことだろう。
「うぐおおお……。や、りやがったな!」
「マジか……。あの時より強めに入れたつもりなんだが……」
《リバース・ゼロ》で、防御のために纏っていた魔力も霧散させたにも関わらず、ギャバルはグレイの渾身の一撃をも耐えてみせた。
グレイは恐らく魔薬により痛覚をかなり遮断して、通常の身体能力も上がっているのだろうと推測した。
「今度は俺の番だ! 出ろ《ゼルク》!!」
ギャバルが言い放った言葉は《キーワード》だ。つまり、それがギャバルのアークの名前。
ギャバルに喚ばれ現れた彼のアークは火を纏うエストックだった。
「串刺しにしてやる! 《フレア・チャージ》!!」
《ゼルク》を構えたまま、爆発の勢いを利用して突進してくるギャバル。
だが、グレイにそんな単調な攻撃はむしろ逆効果だった。
グレイは冷静に見切りを付け、魔力を纏わせた手のひらで僅かにエストックの腹に触れた後、ギャバルの足を蹴り崩す。
ギャバルは突進の勢いそのままに顔面から地面に激突したが、すぐに起き上がりグレイを睨み付ける。
そのグレイは何かを理解したような顔をしていた。
「なるほど。アークに纏ってある魔力は消せてもアーク本体は消せないのか。気を付けといてよかったわ。実験台になってくれてありがとよ。まさかアシュラやエルシアのアークで試すわけにもいかなかったからよ。もしそれで本当に消えたりしたら怒られるからな」
グレイは少しだけ怪我を負った左手を見下ろした後、ギャバルに笑いかける。
「試した、だと……。この俺を、実験台だと……。舐めるのもいい加減にしやがれえええええ!!」
突如、更に爆発的に魔力が上がり、急激に大気が熱せられ視界がぼんやりと揺らぐ。
「まだ上がるのか!?」
「死ね! 《フレイム・スラッシュ》!!」
魔力の暴走を起こしたギャバルの凶悪なまでの炎の斬撃を、グレイは動揺しながらもなんとか《蜃気楼の聖衣》で防いだが、そのまま《蜃気楼の聖衣》は消えてしまった。
アークであるはずの聖衣を一撃で破壊した今の攻撃を、生身の体でまともに食らっていたらグレイもただでは済まなかっただろう。
「はははははっ! テメエのアーク消えちまったなぁ! 次はテメエ自身が燃えて消える番だっ!」
自身の体が暴走によって悲鳴を上げているのにも気付かず、ギャバルはグレイを圧倒したという事実に酔い、妖しい光を宿した瞳でグレイを見下ろす。
「悪い。確かにどこかお前を舐めてたかもしれねえな。その点については謝罪しよう。でも、やっぱり死んでやるつもりは無い」
だが、そのグレイは先程までとは違う雰囲気を纏いながら立ち上がった。
その顔は先程までの不敵な笑みを携えてはおらず、目はいつもの眠たげなものではなく、刃物のように鋭く冷たいものだった。
「だから本気でお前を倒させて貰う。さあ、かかって来い。ギャバル=ジェンダー」
そう言ったグレイは両手をだらんと下げた状態で、構えも何もあったものではなかった。
本気と言っておきながらそのやる気の無さに神経を逆撫でされたギャバルは再びエストックに炎を灯す。
「《バーニング・ラッシュ》!!」
ギャバルの一番得意であり、多用するその炎の球の連撃を、グレイはまるで風のようにヒラヒラと最低限の動きで躱し、躱しきれない攻撃は《リバース・ゼロ》で消し飛ばす。
遠距離魔法は無意味と悟ったギャバルは次にエストックのみの攻撃に切り替える。
だが、グレイはギャバルの連続の刺突をも紙一重で躱し続け、逆に連続で打撃を加える。
「うぐ、くそっ! 何で当たらねえ! 何だその動きは!?」
「教えるかっての!」
そう言ったグレイはギャバルの顔面目掛けて蹴りを放つ。
そのタイミングを見計らってギャバルは顔の前にエストックを構える。このままではグレイの足は斬られ、最悪斬り落とされる。
「《ミラージュ・ゼロ》」
だが、そうはならなかった。
グレイはそれすらも先読みしていたのだ。それどころか、こんな場面で魔法の限界の実験をしていた。
結果、グレイの足はエストックを何事もなく透過し、そして直後に《ミラージュ・ゼロ》を解除し、ギャバルの顔面を蹴り飛ばした。
グレイは自分が《蜃気楼の聖衣》を着ていなくても《ミラージュ・ゼロ》を使えることと、魔法を発動してその場から動けなくなったとしても、体が硬直するわけではなく、その前に放った蹴りの勢いまでは止まらないということを見抜いた。
だが、《ミラージュ・ゼロ》の必要となる魔力が聖衣を着ているときよりも多いようである。聖衣を着ていない時の多用は禁物だ。
そして透過攻撃。グレイの研ぎ澄まされた直感があって初めて使える技であり、ここぞというときにだけ使うことにしようと決めた。
しかし、それと同時に一つの命に関わるかもしれない疑問も生まれた。が、考察は今は置いておいた。
ギャバルがまた起き上がってきたからだ。
「しぶといな。おい……。お前ほんとにデコピン一発で倒されたあのギャバルかよ……」
ギャバルはグレイの皮肉に、何故か反応しなかった。
さっきまではことあるごとに反応を示していたギャバルのその様子の変わりように警戒心を高めるグレイ。
そして気付く。ギャバルは、立ったまま意識を失っていた。
魔術師の意識が途切れると大抵の魔法の効果は消え、魔力も収まるはずである。
だが、魔薬によって暴走させられているギャバルの魔力はギャバルというリミッターを失い、その勢いを逆に高めていき、尋常でないほどの容量を持った魔力が衝撃波となって練習場内を暴れまわる。
「嘘……だろ? ぐっ!!」
意識を失ったギャバルのアークは既に消えていたが、彼の魔力の奔流により生じた衝撃波に思わずグレイも吹き飛ばされる。
魔力が完全に暴走している。しかも意識のないまま魔力が暴走し続けたら最悪、体が自壊して死に至る。
そしてその直後に魔力の大爆発が起きてしまう。これほどまでの魔力の爆発だと、この練習場は吹き飛んでしまうかもしれない。
「クソッ! 近付けねえ!」
グレイは急いでギャバルの暴走した魔力を止めようとしたが、衝撃波によって前に進めない。
この衝撃波は魔法ではないため、《リバース・ゼロ》では消せない。
どうすればいい!? グレイは辺りを見渡しながら考える。
アシュラやエルシアは既に倒れており、サブとニックも気を失っていた。
キャサリンもそんな生徒達を守るために魔法を使っていて手助けは期待出来ない。
「マスター。ここは危険なので、下がってください」
「ミュウ!? いつの間に!?」
気付けばグレイの真後ろにミュウが聖衣をはためかせ、帽子を手で押さえながら立っていた。
そのミュウの周りを浮かぶ《空虚なる魔導書》を見て思い付く。
「ミュウ! この状況を打破できる魔法を作れないか!?」
グレイの切羽詰まった問いに、しかし、ミュウは首を横に振る。
「それは不可能です、マスター。新たな魔法を生み出すための魔力が、まだ足りません。それに、仮に魔力があったとしても、この場を打破することが出来る魔法が生まれるとは限りません。《空虚なる魔導書》は、あくまで魔力が貯まれば魔法を作り出すというだけで、マスターの思い通りに魔法を作り出せるわけではありません」
ミュウの説明を聞き、グレイは落胆するより早く次の打開策を模索する。
そこで唯一、閃いた案にグレイは一か八かの賭けに出ることにした。
「ミュウ。俺をギャバルの所までぶん投げてくれ」
「え?!……それは、出来ません。あの中心は危険です。マスターの身に危険が及ぶことを、わたしは了承出来ません」
「……そうか、ありがとうなミュウ。心配してくれて。でも、やれ。これは俺がやらなきゃいけないことなんだ」
グレイは初めてミュウに命令を下す。しばし沈黙したミュウだが、アークは主に忠実だ。ミュウは目を伏せながら了承する。
「…………受諾。ですが、どうか無理はしないでください」
「あぁ、言ったろ? 主を信じろってな。さあ、やってくれ!」
「では、行きますっ」
「よし、行くぞ! 《ミラージュ・ゼロ》!」
グレイはミュウに投げ飛ばされ、同時に《ミラージュ・ゼロ》を発動して、暴走する魔力の渦の中心へと一直線に飛んだ。
グレイの予想通り、空中で発動させれば、それまでに生じた移動エネルギーのままに飛ぶことが出来た。
「正気に戻りやがれ! この馬鹿野郎がぁぁあ!!」
そして、グレイはギャバルとぶつかる直前に《ミラージュ・ゼロ》を解除した。
理由は勿論、《ミラージュ・ゼロ》発動中に他の魔法は使えないからだ。
魔法を解除した途端に暴走した炎の魔力にグレイは身を業火に焼かれる。
でも怯むことなくグレイは右手を振りかぶり、喉が焼けそうになるのも構わずに叫んだ。
「もう一発食らっとけ! 《リバース・ゼロ》!!」
直後、今までとは比べ物にならないほど大きな破砕音が練習場内に轟いた。