初めての連続 1
第44話
三回戦も難なく勝利し、決勝の舞台へと上がったグレイの相手はシュエットの予想通り、ゴーギャンとカナリアを倒して勝ち上がってきたギャッツだった。
ギャッツの武器は棍棒で準決勝ではカナリアとかなり激しい殴り合いの末勝利しており、かなり頑丈な体をしているようだが、武術の型らしいものは見受けられず、どちらかというと喧嘩で鍛えたといった感じだ。
決勝戦は今まで雑魚プレとまで呼ばれていたグレイが勝ち上がってきたとあって、観客席は一回戦の時とは比べ物にならないほど賑わっていた。それでも満員というわけでもないのだが、決勝だけ見にきた者も大勢いるとのことで、審判が新規の観客のためルールを再度説明していた。
そのわずかな間、こちらを睨み付けていたギャッツが口を開く。
「おいお前。あんま調子に乗るんじゃねえぞ。優勝すんのはこの俺だ!」
「……あぁ、はいはい。そうですね〜」
めんどくさい相手だな、適当にあしらおうと思ったのだが、逆にその態度が気に食わなかったのか、ギャッツは怒気の混じった声で突っ掛かってきた。
「なめやがって……。姫さんもだが、てめえら《プレミアム》って連中はどいつもこいつもうざってえな。ただ珍しいだけの奴らが調子に乗りやがって」
「姫さんって、ティアラのことか? 一応同じ学校の仲間だろ。流石にそんな言い方ねえんじゃねえか?」
「仲間ァ? 確かに大会中はそうだが、あんな奴ァ学園にゃいらねえよ。誰もがそう思ってるだろうぜ。鬱陶しくて迷惑なだけだってな。姫さんのせいで俺らがどれだけ負担を強いられてるか……ッ!」
ギャッツの言う負担とは何なのかは知らないが、余程不満が溜まっているのは理解できた。グレイはギャッツとの会話からブリードで厳戒な情報規制と行動規制が敷かれていたのだろうと悟った。
今大会が始まるまでティアラの存在が全く表に出てこなかったところを見ると、余程厳しいものだったのだろう。
しかしそれなら、その規制の原因と言えるティアラ本人にはより厳重な規制を強いられていたのではないだろうか。
だが恐らく彼は──それどころかブリードにいるほとんどの者達がそんな簡単なことに気付いていないのだろう。
「魔術師は我が儘で傲慢な奴が多い、か……」
グレイも他人のことを言える立場ではないが、ギャッツも大概だなと肩を竦めているとちょうど競技の説明が終わった。
『それではいよいよ決勝戦です! ミスリルのグレイ選手 VS ブリードのギャッツ選手の試合を開始します!』
試合開始の合図が鳴り、グレイはナイフを逆手に持ち両腕をだらんと垂らす。そして目だけでギャッツを威圧する。その何も映していないかのような虚ろな目にギャッツはぶるりと身を震わせたが頭を振って飛び掛かる。
「うらあああああっ!!」
右、右、左と連続で棍棒を振り回すギャッツ。めちゃくちゃに振り回しているようでいて、的確に頭部を狙っている。
それをグレイは宙に舞う木の葉のようにひらりひらりと躱し、すれ違い様に右の脇腹を切りつける。
刃引きされているため血が吹き出ることはないが、かなりの激痛が走りギャッツはその痛みを堪えながら回転し棍棒を振る。だがグレイはわずかに屈んで棍棒を躱して再度接近し、鳩尾に肘を打ち込む。
ギャッツは苦悶の息を漏らしながら体をくの字に曲げ、グレイは続けてギャッツの顎を下から打ち上げるように拳を放つ。ギャッツは何とか寸でのところで仰け反って躱すも、グレイはその場で回転、先程ナイフで攻撃した箇所とまるで同じ場所を蹴りつける。
「ぎぃっ……! げほっ……!?」
ギャッツの足がザザザッと地面を擦り勢いを殺しようやく止まると、堪らず地に膝を突き苦しそうに咳き込んだ。
その瞬間、野生の勘ともいうような第六感がギャッツをがむしゃらに横飛びさせ、次の瞬間先程まで自分がいた場所にグレイの踵が振り下ろされていた。
「くっ……そ!」
ギャッツはゴロゴロと転がって距離を取り何とか体勢を整えるも、間髪入れずグレイが縮地で距離を詰め蹴り掛かってくる。
反射的に棍棒でガードすると、腕がビリビリするほどの重い衝撃を受け顔を歪める。
グレイはその隙に棍棒を握る手の指をナイフで突き棍棒を落とさせ、そのまま遠くへと蹴り飛ばし今度はその逆方向へギャッツを放り投げる。
ギャッツは何とかリング端で着地、顔を上げる。すると目の前には鈍く光るナイフが飛来してきており、反射的に首を傾け回避する。凄まじい反応速度だったが、既に縮地で距離を詰めていたグレイの拳までは躱しきれず、顔面を殴られたギャッツはそのままリングの外へ落下した。
顔の痛みを我慢しながら目を開くと、リング分高い位置からグレイがギャッツを見下ろしていた。そのグレイの瞳は既に普段の眠たげな瞳に戻っていた。
一方的に、圧倒的に、一発も攻撃を当てることすら出来ずに負けた。だがそんなことよりももっとギャッツを驚かせたことがあった。
通常なら戦っていれば闘志や怒気、あるいは覇気や殺気などといったものを放つものだ。気配と言い換えてもいい。だがグレイからそれらをまるで感じられなかったのだ。一度グレイの攻撃を躱したが、あれは単なる偶然でしかなかった。
グレイにあるのはただただ虚空を見つめる灰色の瞳のみ。全く気配を感じ取れず、次にどう動くのかも予測出来ない。まるで人形と相手取っているような感覚。その感覚に名を付けるならそれは──恐怖。
「やっぱ手強かったな。こんだけ叩き込んでまだ意識があるなんて」
抜かせ、と喉元まで上がってきた言葉を、しかし吐き出すことは出来なかった。
ギャッツは決して弱くはなく、手を抜いたわけでもない。単にグレイの身体能力が学生のそれを大きく凌駕していたのである。
〜〜〜
「へぇ。全試合無傷で優勝するとはね。これは他の選手が弱いというよりは、彼が規格外の力を持っていたといったところかしらね」
「ぬぬぬ……。それはつまり妾との試合の時は手を抜いておったというわけか。小癪な奴……!」
グレイの試合を観た二人のそれぞれの感想を聞きながら、ミュウはどこか違和感を感じ首を傾げる。いつものグレイらしくない。勿論グレイの強さは誰よりも知っているが、その強さを滅多なことでは人に見せないのだ。
映像越しではグレイの表情は確認出来ないが、魂で繋がっているミュウにはかすかに主の心のざわめきが流れ込んでくる。
「あら、どうかしたの? ようやく満足してくれたのかしら?」
いつの間にかミュウの手が止まっていたことにロゼが少し期待を込めて尋ねる。しかしすぐにミュウの表情が優れないことに気付き、ティアラも不安そうに顔を覗き込む。
「ど、どうしたのだミュウ? もしかして食べ過ぎてお腹痛いのか? びょ、病院か?! 医者を呼んでくれば良いのかっ?!」
「落ち着いてください。どうやら腹痛ではなさそうですよ」
何故ミュウが落ち込んだように顔を伏せているのか全くわからないティアラは慌てふためくも、ジルベルトが冷静に宥める。
その間ロゼは映像に目を向けると、ちょうどグレイの表彰が始まった。
そのグレイの顔を見るとどことなく──いや、見れば見るほどミュウと似ていることに気付いた。
「もしかして貴女、あのグレイ=ノーヴァスの親族なんじゃない?」
「…………えっ?」
ロゼの言葉に反応したのは、ミュウではなくティアラだった。そう言われてからミュウの顔をよく見ると、だんだんそうとしか思えなくなってきた。むしろ何故今まで気付かなかったのか不思議なほどだ。
「そ、そうなのか、ミュウ……?」
ティアラはどこかすがるようにミュウに問い掛ける。だが心のどこかではそれは愚問だ、聞くべきじゃないと訴えてもいた。
ミュウと初めて会った時デジャヴを感じたのは、先にグレイを見ていたからなのだと理解したからだ。ティアラの目はわずかに潤んでおり、かすかに声も震えていた。
「……はい。その通り、です」
だがミュウは素直に、正直にその質問に答えた。それを聞いたティアラはガタンッ、と勢いよく立ち上がり、きょとんとするミュウを涙を溜めた目で一瞥して何か言おうと口を動かすも、何も言わずそのままこの場から走り去っていった。
「ティアラ、さん……?」
「………………ふぅ。何であの子が泣いて走っていってしまったのかわからない、って顔ね」
ミュウの心境を完璧に言い当てたロゼは優しげに諭す。
「貴女はまだ幼いからわからないのかもしれないけれど、人間は欲望にまみれていてとても醜い生き物なの。恐らくあの子はその人間の醜さをよく知っているのでしょう。だから貴女のことをスパイか何かだと勘違いしてしまったのかもしれないわ」
「わたしは、別に、そんなことは」
「ええ。そうなのでしょうね。でもあの子に貴女の心を読む力はない。貴女にあの子の心がわからないのと同じように。故に誤解や勘違いが生まれ争いが起きる。特にあの子は人と付き合うのが苦手そうだから、一度信頼した貴女に裏切られたと思って余計にショックだったのかもしれないわ」
ロゼにティアラの過去の話はしていない。にも関わらずまるで見てきたかのように語る。そしてミュウはようやくティアラが泣いていたわけを理解した。
「それで、これからどうするの?」
「えっ……?」
「あの子とは、このまま別れていいのか、ということよ」
「いや、です」
即答だった。それに満足したのかロゼはジルベルトに目配せする。
「ティアラ様なら、あの角を曲がっていかれました。この方角、恐らくはブリード魔術学園のホテルでしょう。急がれた方が宜しいかと」
「と、いうわけよ」
「ありがとう、ございます……!」
ミュウは深くお辞儀すると、すぐさまティアラを追い掛け出した。グレイのことも気になったが、今はそれよりもティアラのことが気掛かりだった。
ティアラにとっての初めての友達は、ミュウにとっても初めての友達でもあるのだから。
〜〜〜
「ふぅ。とても有意義な時間だったわ。まあ、その代償はかなり大きかったけれど」
二人が去った後、ロゼは伝票をジルベルトに渡して席を立つ。ジルベルトは伝票に書かれた額を見て眉間に皺を寄せる。
「ほら、行くわよジルベルト。まだあいつらに見付かりたくはないもの」
「…………はい」
ロゼは日傘を差し、ジルベルトと共に人混みの中へと姿を消した。