ミスリル VS ブリード 4
魔競祭二日目の午前に行われる競技は一つだけだ。その競技、『フォーチュン・レース』が行われるのは北の外壁を越えた所にある広大な森林だ。そこには様々な木々や草花が咲き誇り、小さな湖もある自然に溢れたコースである。
だがこれらは全て魔法によって土地改造されたものであり、去年のこの場所は廃墟を模したコースだったと言われても、すぐには信じられないだろう。しかし森の奥にいけばその名残がまだ少し残っているのがわかる。
ちなみにここは最終日の競技、『シミュレーション・ストラテジー』のフィールドとしても使用される予定であり、いわば競技出場選手は唯一最終日の舞台の下見も出来るのである。
そしてこの競技は街の外で行われるため、観客達は各競技場や街中に多く設置されている映像魔道具を通して観戦することになる。
既に出場選手らは各スタート地点に待機しており、第一走者の選手の中にあくびをしながら準備運動をするグレイの姿があった。
「そっちはお前が第一走者なのか?」
「……なんだソーマか。まあな。エルシアから俺にアンカーは任せられねえからって言われてよ」
「で、結局スタートダッシュを捨てた、ってわけか」
「捨てたって……事実だがそうバッサリ言うなよ。傷付くだろ」
「嘘吐け。今さらこれくらいでお前が傷付くわけないだろ。知ってるか今のお前の評判。最底辺すれすれだぜ?」
共に第一コースを走るソーマにからかい半分心配半分で尋ねられ、グレイは大したことないとバトンを手で弄びながら返答する。
「むしろこれくらい期待されていない方がやり易いんだよ、俺は」
「流石にそれは性格ひん曲がり過ぎだろ……」
心配半分、呆れ半分で苦笑したソーマはそれっきりレース前の準備を始める。
ソーマは一応同じ学院の仲間なので、サポートしあうこともルール上問題はないのだが、こちらがサポート出来ることなどほとんどないだろうな、と考え込んでいると。
「うひゃっ!?」
「あははっ。意外と可愛い声出すんですねぇ」
いきなり脇腹を突つかれて、グレイは思わずバトンを落とし、変な声を出してしまう。すぐに脇腹を押さえながら振り返ると、意地の悪そうな笑みを浮かべた見覚えのない少女がそこにいた。
だが、すぐに一度だけすれ違ったことがあったのを思い出す。
「お前、確か昨日ソーマの妹と一緒にいた……」
「はい。私はシュエット=シーフォームと申します~。親しみを込めてしーちゃんと呼んでくださ~い」
やけに間延びした声で話すシュエットはよろしくと手を差し出す。グレイはやや警戒しながらもその手を取ると、シュエットが手を掴んだままジロジロと色んな角度からグレイを観察する。
何だか居心地悪くなってくるのを懸命に堪えているとようやくシュエットが手を離す。
「へぇ~。実際に触れてみても全く魔力を感じられないなんて。これで本当に魔術師なんですかぁ~?」
「こんなのでも一応、な。機材を使えば何とか測定出来る」
と、言ってからグレイはうっかり余計な情報を話してしまったことに内心舌打ちする。
「そうなんですか~。それで、無属性の魔法ってどんなのがあるんですかぁ~?」
「秘密だ。今から競う相手に手の内を曝すわけないだろ」
「えぇ~。ケチくさい人ですねぇ。マイナス三ポイントです」
「何のポイントだよ?」
「秘密で~す。ケチくさい人には教えてあげませ~ん」
「そうかよ。そりゃ残念だ」
シュエットは人差し指を唇に当てながらいたずら娘のように笑う。グレイは素っ気ない返事をしてバトンを拾いスタートラインに立つ。
それでも尚、シュエットが突っかかってきそうな雰囲気はあったが、時間も時間だったので自分もスタート位置であるグレイの隣へと移動する。
スタート位置は森の入り口手前。ミスリル、ブリードの選手が二人ずつ交互に並ぶ。
グレイは隣に並ぶシュエットを気付かれないよう慎重に横目で様子を伺う。その目はいつもと違って真剣そのもので、シュエットという人物を見定めようとしているかのようだった。
何せ、先程は気を抜いていたとはいえ、直接触れられるまでシュエットの接近に全く気付けなかったのだから。
シュエット=シーフォーム。ブリードの《ハーピィ》序列二位。グレイは一筋縄ではいかない相手に目を付けられてしまったようだった。
そんなグレイの心中などに構うことなく、司会者が選手紹介が行い、とうとうカウントダウンが始まる。無意識にバトンを強く握り締める。
宙に浮かんだランプが一つ、二つ、と点灯していき──三つ目のランプが点灯した瞬間。
「《エアロ・パンク》!」
「──なっ!?」
レース開始直後、シュエットがグレイ目掛けて攻撃を仕掛けてきた。小さな空気の爆弾が炸裂し、グレイは咄嗟に後方に大きく飛び退いて回避するも、スタートダッシュに失敗し、大きく出遅れてしまった。
だがこうした妨害はフライングでない限り反則にはならない。年に一人はこうして開始直後にライバルを潰しに来る選手がいるので珍しい話ではないのである。
シュエットとは別のブリード選手はその行動を予め把握していたようで、そちらには一切目もくれずに駆け出していく。
そしてソーマも、一瞬だけこちらを振り向いたが、構わずそのまま森の中へと入っていった。ここで下手にグレイの救援に回って二人して足止めを受ければ、先に行った相手に追い付けなくなると考えたのだろう。
ソーマを素通りさせたところを見てもわかるように、シュエットの狙いはグレイだけのようなので、その判断は正しかったといえる。
恐らくシュエットは、グレイの後に控えるエルシアとアシュラにバトンを回させないよう、グレイで潰しておくつもりなのだろうと予想する。
「おいおい。弱い者イジメとは良い趣味してるな!」
「あはは~。そうでしょう? もっと褒めてくれていいですよ~」
「…………。くそ、マジで良い性格してやがる……」
グレイの皮肉も効かず、立て続けに放たれるシュエットの攻撃を紙一重で回避しながら森の中へと逃げ込む。だが、木の根があちこちに伸びていて足場が悪く、葉が生い茂っていて視界も悪い。しかも空を飛ぶシュエットにはそれらの障害は何ら問題にはならない。
シュエットの攻撃は速度こそあれ威力はそこまで高くないため木々を盾にしながら進むも、手数が多くあまり気を抜いてもいられない。そんな状況下でグレイは冷静に思考を回転させる。
(何故一気に仕留めに来ない? 警戒しているのか? それとも……)
グレイはこれまでずっと無能な弱者を演じてきた。大抵の者ならさっさとグレイを仕留めてレースに集中しようと考えるはずだ。シュエットのように速さが売りの風使いなら尚更である。だがシュエットはあえてグレイの後ろに着き、しつこく攻撃を仕掛けてくる。
単にシュエットが敵をネチネチいたぶるだけのドSな性格の持ち主だというなら大した脅威ではないのだが、どうやらそんな感じでもない。Sなのは恐らく間違いないが、他の目的があるように思える。例えば──
(俺に魔法を使わせようとしている、か)
この競技の得点を捨ててでもグレイの魔法を引き出そうと考えているのなら厄介だ。グレイは身体強化だけ行い、木々の間を縫うように走る。身体強化だけにしては中々のスピードだが、相手が相手なだけに振り払うことは出来ない。
「猿みたいにすばしっこい人ですねぇ。ではこれならどうです? 《エア・カッター》!」
シュエットは攻撃方法を威力重視の風刃に切り替えグレイの進行方向にある木々を斬り倒し道を塞ぐ。しかしグレイはそれでも立ち止まらず、その上を軽々と越えていく。
それなら、と次は地面を這うように風刃を飛ばすも、今度は木を蹴り上げ身軽なフットワークを駆使し太い枝に飛び乗ると、枝から枝へとまさしく猿のように次々と飛び移っていく。
そこでようやくシュエットはグレイの桁違いの身体能力の高さに気付く。
「なるほど~。パルクールですか」
パルクール。特別な道具を使うことなく、人工物や自然の障害によって動きを途切れさせることなく、効率的に目的地へ移動するための技術。シュエットの読み通りグレイはそれを習得しており、魔力の身体強化で更に質を向上させているのである。
「魔法だけに傾倒することなく、身体も鍛えているわけですか。いいですねぇ、プラス五ポイントです」
よくわからないポイントが加算されたのが多少気にはなったが、足を止めることなく、その後もしつこく続くシュエットの攻撃を躱しながらひた走っていると、前方に四つの洞窟が見えた。
そのうち二つは既に入り口が封鎖されており、前を走っていた二人がここを通過したことを表していた。
その洞窟の中はそれぞれ最短、最長、迷路、戦闘ルートとなっており、しかも入り口からはどれがどのルートなのかは判別出来ないため、ここだけ純粋な運の勝負になる。
しかし残る二つのルートのどちらを選ぼうかなどと悠長に考えている暇は今のグレイにはなかった。
「あれ~? もう洞窟手前まで来ちゃいましたか。中に入られると面倒なので、ここで止まってくださ~い。《ウィンド・アロー》!」
「あぁもうマジでしつけえな! 速さが取り柄の風使いは俺なんかほっといてさっさと先に行けよッ!」
その叫びも空しくグレイの上空からシュエットが放った風の矢が降り注ぐ。グレイは矢を目視しながらバックステップで躱していくが、今回ばかりは流石に全て躱しきることは出来ないと瞬時に判断し、腕だけで矢を捌き、足だけはなんとか負傷させず──
「うおおおおおおおおおっ!!」
グレイは叫び散らしながら洞窟の中へなりふり構わず飛び込んだ。すると入り口は結界で封鎖され、一人残されたシュエットはハァ、と深く溜め息を漏らす。
「まさかここまで魔法を秘匿し続けるなんて…………。これは──面白くなってきちゃいましたねぇ~」
シュエットはグレイの徹底っぷりに呆れを通り越してむしろ感心し、極上の獲物を見るような鋭い目付きで、残る最後の洞窟の中と入っていった。
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「あぁ……くっそ疲れた……」
何とかシュエットから逃れ、息も絶え絶えになっていたグレイは呼吸を整えてから、ボンヤリとした光に照らされた洞窟の中を走り出す。
通路は複雑に入り組んでおり、何が突然出てくるかもわからないので急ぎながらも慎重に進んだ──のだが、特に何が起きることもなくすんなりと洞窟の外に出た。
「あ、あれ……? もう終わり……なのか?」
あまりにもアッサリとし過ぎていたため思わず振り返り、罠の可能性も疑ったがどうやらそうではないらしい。その証拠に前方にソーマの姿を発見し、正規ルートで間違いないとようやく理解した。
「はは……ラ、ラッキー。今日は運が良いみてえだな。これであの二人に小言を言われずに済みそうだ」
グレイはすぐにソーマに追い付きその背中を叩く。普段なら風属性のソーマに追い付くことなどほぼ不可能なのだが、どうやらソーマは少し負傷しているようで、髪や服装が乱れている。
いきなり背中を叩かれたソーマは、グレイの顔を見た途端にうんざりしたような表情になる。
「うげ……。お前に追い付かれるとか、死にてえ……」
「どういう意味だ、あぁ? ……って、どうした? 随分とボロボロみてえだが?」
「洞窟にいた魔獣に苦戦してな。しかも相手火属性だぞ? 相性最悪だろ……」
と、心底疲れたように文句を言うソーマ。どうやら戦闘のルートを引いたらしかった。だが不利な相手に苦戦を強いられつつも勝利し、脱落していないのだからやはりソーマもなかなかの実力者だ。
──等と呑気に考えながら共に走っていると、突如背後から強烈な突風が吹き、驚き振り向くと、遠く離れた場所──恐らくは洞窟の出口付近に竜巻が発生しており、その竜巻の中からシュエットが姿を現した。
すぐさま反転し、急いでゴールへと向かうグレイだったが、上空にいたシュエットは目敏くグレイを発見する。
「あはっ。みぃ~つけた。今度こそ逃がしませんよぉ~」
シュエットが腕を振るうと、螺旋に回転する竜巻がグレイ達の少し背後に着弾、地面は抉られ、草木が舞い散った。
その威力は風属性のそれに似つかわしくないほど強力だった。まだ距離が離れていたため運良く外れたが、今度はそうはいかないだろう。背筋に嫌な汗が流れ落ちる。
「なあソーマ! ここは一時休戦して一緒にあの脅威を排除しないかっ?!」
「やだね! あの女の狙いはお前なんだろ!? それにゴールはもうすぐそこなんだ。後のことはおれらに任せてお前はさっさと犠牲になれ!」
「あっ、ちょっ!? 待てやコラァ!」
ソーマはグレイの提案を却下し、残りの魔力を振り絞ってグレイから距離を取る。
その姿を追うように前方を見ると、およそ数十メートル先に第二走者の三人が並んでいるのが見えた。三人しかいないということは、どうやら現在一位はブリードの選手のようだ。グレイは次の走者を視界に捉える。
「グレイ! ここまで来て潰されるなんてダセェ真似すんじゃねえぞ!!」
「わかってるっての!!」
アシュラの大きな怒号が飛び、グレイも強気で応じる。
背後を確認するとシュエットが先程以上の巨大竜巻を生成しながらすぐそこまで接近してきていた。
恐らく次は確実に当てにくるだろうと予想していると、不意を突くように吹き荒れた風に足を絡め取られ大きく体勢を崩す。
その好機をシュエットは見逃さなかった。
「これで最後です! 魔法を使うか、ここで無様に脱落するか、好きな方を選んでください!」
グレイは盛大に舌打ちし、倒れそうになりながらもゴールへ向かって手を伸ばす。直後、竜巻は剣のように降り下ろされ、木々や大地を削り取り、空高くまで吹き飛ばした。




