魔競祭前夜 5
「そうですか。姉様達も今日再会されたんですね」
「ええ。飛行場で偶然にね。そういえばエルシア。さっきから部屋の中を見渡しているのだけど、一つもぬいぐるみが見当たらないわよ? ぬいぐるみを抱いてないと眠れない~と言っていたのに」
「な、ナタリア姉様っ! そんな昔の話を持ち出さないでください! 私だって成長してるんですから出先にまで持ってきたりはしませんっ!」
「あらあら。その言い方だと学校の寮にはぬいぐるみが置いてあるのね。やっぱり可愛い」
「ちょ、セフィリア姉様まで! もう~っ!」
その頃、隣の部屋ではエルシアが姉二人にいじられながらベッドを動かしていた。部屋には二人分のベッドしかないが、くっつければ三人は余裕で眠れそうだ。
昔、屋敷に暮らしていた頃は全員に部屋があり、同じベッドで眠ることなどほとんど無かったから少し新鮮な気持ちになる。
エルシアを真ん中に挟むようにナタリアとセフィリアが寝転がりながら、それぞれが今までどう過ごしてきたかを語り合っていた。
「そう……エルシアはあの《慈悲の魔女》に」
「はい。師匠には感謝してもしきれません。それで、ナタリア姉様は今はどうされているのですか?」
「私は各地のギルドハウスを転々としながらのその日暮らしよ。幸いなことにお父様から授かった剣術もあるし。セフィリアは今はどこに?」
「えぇ……。今私はとある御方の女中として働かせてもらっています」
「えっ? セフィリア姉様がっ!?」
「セフィリアは昔から何でも出来る子だったけど、まさかメイドとはねぇ……」
今まで貴族として育ってきたセフィリアがメイドになっていると聞いたエルシアはわずかに表情を曇らせる。ナタリアに至ってもそうだ。成人しているとはいえ、本来なら聖騎士団に入っていてもおかしくないほどの剣術を持つナタリアは明日をも知らない不安定な生活を送っているという。
二人の境遇を知り、自分がどれ程恵まれていたのかを知った。師に救われ、ミスリルに通い、平和な学院生活を送れている。そのことが申し訳なく感じてくる。だがナタリアがエルシアの額を指で弾く。
「なんでまた泣きそうな顔をしているの。言っておくけれど、私達に遠慮する必要はないからね」
「そうですよエルちゃん。お姉ちゃん達は大丈夫だから。貴方には学校の皆と仲良く平和な学院生活を送って欲しいわ」
二人の姉の優しさに慰められ、エルシアは目に溜まった雫を指でぬぐい笑顔を見せる。
「はい姉様。ではあともう少しだけ待っててください。必ず私がセレナイト家を復興させてみせます。それで、また家族皆で暮らしましょう。そのために私頑張りますから!」
「……ええそうね。そんな日が来たらいいわね。さぁ、エルシアはもう眠りなさい。明日から魔競祭が始まるのだからしっかりと休まないと。セレナイト家の一人として情けない姿は見せないでね」
「はいっ。ではお休みなさい」
ナタリアはそう促し、エルシアも素直に言うことを聞いて瞳を閉じる。しばらくしてからエルシアの寝息を立て始めたのを確認してナタリアはセフィリアに声をかけた。
「……起きているわねセフィリア」
「…………はい」
「少し、外に出ましょうか」
エルシアを起こさないように小さく返事するセフィリア。二人はそのまま極力音を立てないようにベッドから立ち上がり、バルコニーに出る。秋の夜風が肌に刺さり、少し寒く感じる。しばしの沈黙の後、ナタリアが神妙な面持ちで話し始める。
「さっきはエルシアも起きていたから、あえて聞かなかったけれど。貴方、今どこの誰に仕えているの?」
セフィリアはそのことを聞かれるだろうことは予想していたのか、視線をナタリアからサムスの街並みへと逸らす。そのセフィリアの横顔からは様々な感情が読み取れた。
「私は今、この国の外にいます」
「……理由を聞いてもいいかしら?」
「勿論、あの日の真実を確かめるためです。お姉様も、そのことを調べるために各地を回って情報を集めているのでしょう?」
妹に図星を突かれ、一瞬たじろぐナタリアにセフィリアは深く頭を下げる。
「勝手をしてごめんなさい。でも、国の外からなら別の見方も出来るかもしれないと思って。私……」
「いいわ。何も言わなくて。私も同じ気持ちだもの。でも、これだけは答えて? 貴方の主は信用出来る人なの? 今の暮らしは、貴方の心に平穏をもたらしている?」
「はい。あの方は怪我をしていた私を救ってくださいましたし、セレナイトの人間と知っても尚、雇ってくださっています。完全に信用出来る相手かどうかはまだわかりませんが、不自由を覚えたことはありません。なので、受けた御恩はしっかりと返したいと考えています」
「そう……。ひとまず安心したわ、本当に」
ナタリアは心底安堵したように長い息を吐く。
「二人とも、良い人と出会えたみたいで良かった。……後の心配はお母様とテオル、それとアリシア姉さんだけね。貴方は他の皆のことを何か知っている?」
「いいえ。お父様のことだけしか……」
セレナイト家当主でありエルシア達の父、カルナ=セレナイトは現在、王都にて身柄を拘束されている。
事が事なだけにこのことをどう処理すべきかまだ判断が付いていないのである。
《王道十二宮》の一角がクーデターを目論んだ、という情報が国中に広まり始めた頃、その時はまだセレナイト家にその容疑が掛けられた、というだけの段階だったのだ。
その聴取のためカルナに王都への召喚命令が出た、その直後のことだった。突如セレナイトの屋敷が襲撃されたのである。その事件のせいで家族が命からがら逃げ出すことになり、家族がバラバラになるきっかけになってしまった。
そしてその事件は未だ犯人が誰かすらわかってはいない。しかし勝手なマスコミ連中はセレナイト家は王家に粛清されただの、闇取引をしていた組織に消されただの、証拠を隠すための自演だったなどと無責任に囃し立て、その風評被害も相まってセレナイト家は取り潰されることとなったのである。
「私は何としてでもお父様の名誉を取り戻したいのです。そのためなら何だって……」
「貴方の気持ちはわかりました。だけどこれだけは覚えておいて。私は家の名誉なんかよりも、貴方の命の方が何倍も大切なの。お父様だってそうお考えのはず。だから絶対に無茶なことだけはしないで。何かあれば必ず私を頼りなさい。いいわね?」
「はい……ナタリアお姉様」
セフィリアは泣きそうになりながらも穏やかに笑い、ナタリアはベッドで眠るエルシアを見つめる。
「それに、セレナイト家はあの子が何とかしてくれるみたいだから安心なさい。でも当然あの子に何か困ったことが起きたらフォローはしてあげなさいね」
「勿論ですわ。エルちゃんは私達の可愛い妹ですもの」
静かにベッドに戻ったナタリアとセフィリアはエルシアのまだ幼さを残す寝顔を眺めつつ眠りに就いた。
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それとほぼ同時刻。サムスにあるホテルの最上階。そこから見えるもう一つの大きなホテル、ちょうどミスリルの生徒達が宿泊しているホテルを見つめている眼帯の少女がいた。
「うん……。とうとう明日、だね。そりゃ緊張はしてるよ。も、もうっ大丈夫だよ……たぶん、恐らく、きっと……。え? えっと、確か相手の名前は……グレイ=ノーヴァス、エルシア=セレナイト、アシュラ=ドルトローゼ、だったはず。……うん。そうだね。三人とも私と同じ、《プレミアム・レア》だよ」
彼女は誰かと会話をしているようにも見えるがどう見ても屋上には彼女一人の姿しかない。端から見れば独り言ばかりを呟く少し危ない人にしか見えない。
しかし、周囲にはやはり誰もいないので少女は気兼ねなく独り言を呟き続ける。
「わ、わかってるよ……。明日こそ私達こそがブリード魔術学園最強だってことを思い知らせるんだ、でしょ。そうしたら、他の皆だって私のこと……」
少女は膝を抱え込むように座り、明日の対戦相手がいるホテルを右目だけで見つめる。
「それに、初めて私と同じ《プレミアム》の人達に会えるから、そこもちょっと楽しみ、かな……? もし出来ることなら、その人達と──」
眼帯の少女は広く静かな夜空を見上げながら、か細い声で、ほんのささやかな願いを小さな星に託した。
──その数分後、ホテルの従業員やブリードの講師に真夜中に部屋から出てウロウロしていたことを叱られることになるのだが、彼女はまだそのことを知らない。