この次のために 1
第37話
《水賊艦隊》の襲撃から一日経ち、合宿三日目の今日。しかし砂浜はめちゃくちゃ、林の木も何本もへし折られ、生徒達は全員引き続き部屋で寝込んでいた。
「これは、今日の修練は無理そうだな」
「当たり前でしょう。皆、昨日の疲労が抜けていないのですから」
残念そうに呟くリールリッドにカーティスは、お前は一体何を言っているんだという視線を向けていた。
「しかし、中止にしようにも全員動けないようでは学院に戻ることも出来ませんな」
「別にいいだろう。最初から四日間の予定なのだ。明日には皆回復しているだろうよ」
そう言うとリールリッドはつまらなさそうに視線を手元の報告書に落とす。
それは《水賊艦隊》による襲撃の際に生じた被害をまとめたものだ。アプカルコの魔術師団は三分の二が重軽傷を負い、現在他の魔術師団や、フリーの魔術師を雇い防衛に当たってもらっているらしい。
他、関連性はまだ不明だが、アプカルコの一般市民三名が死亡している。犯人は水属性の魔術師とのことで、やはり《水賊艦隊》の者が関わっている可能性が大きい。
これほどまでに甚大な被害を受けたというにも関わらず、ミスリル魔法学院の者の中で死者を出さなかったのは不幸中の幸いだった。だがホークは重傷、キャサリンもかなり体力を消耗させており、昨日のあれからまだ目を覚まさない。
「……全く、何が《魔女》だ。笑えない……」
と、自分を責めるように呟くリールリッドの声が聞こえたのか、カーティスはそれを否定するように首を横に振る。
「貴方の責任ではありません。《水賊艦隊》はいわば天災のようなもの。誰もこの事態を予期することなど出来なかった」
「そうは言うがなカーティス。海を合宿の場所と決めたのは誰でもない、この私だ。しかもその私は一番大変な時にここにいなかった。ただの私の軽はずみな提案で、生徒達を危険な目にあわせた私の罪は重い。何故だろうな、今年は厄年なのだろうか。先月のことといい、不甲斐ないことばかりではないか……」
珍しく本気で落ち込んでいるらしいリールリッドを見て、もう何も言えなくなる。当然、それも直接的な原因にはなり得ない。本当に、ただ運が悪かったとしか言い様がない。
だがしかし、悪運だけは強かったのか全員生きている。生きてさえいれば次がある。今回のことは最悪といっていい事件ではあったが、彼らにとってプラスにせよマイナスにせよ、価値のある経験だった。
生きてさえいればこの経験はいずれ糧となり、彼らをより大きく成長させてくれることだろう。
「なんとも、皮肉な話ではありますが」
と、カーティスは誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。
イルミナから聞いた話では生徒全員が一つとなり、《水賊艦隊》と戦闘を行った。それは今回の合宿で身に付けるべき、チームワークを遺憾なく発揮していたらしかった。
その中心となったのが《プレミアム》の三人。カーティスが副担任となったクラスの問題児達。
そしてその三人とキャサリンは《水賊艦隊》総督、レヴェーナ=コラルリーフとも死闘を繰り広げていたと、魔術師団の者から話を聞かされた。
何の誇張もなく、一歩でも間違えれば死んでいただろう状況で、よく命を拾ったものだ。《水賊艦隊》が撤退した理由は不明とのことだったが、何はともあれ取り返しのつかない事態は防げたのだから、リールリッド一人落ち込んでいる必要もないはずだが、今は一人にしておくべきだろうと静かにその場から離れることにした。
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その日の夜。アプカルコの沖合いでは一人の男が激昂していた。
「あんだと!? ふざけんじゃねえぞ糞がぁっ!」
ジョージは叫び散らしながらレヴェーナに詰め寄る。
「あのガキ共を皆殺しにしねえと気がすまねえ! てめえも舐められたままでいいわきゃねえだろ!」
「別に私は気にしません。実際にあの子達に負けたのは貴方一人。私には関係ありませんわぁ」
嘲笑するようにジョージを見下すレヴェーナ。その態度を見てジョージは更に激昂する。
「てめえも俺をコケにするってぇのかい? 何だったら今ここでてめえの首を食い千切ったっていいんだぜ?」
「ただの子供に負けた貴方に、それが出来ますでしょうか?」
「いい度胸じゃねえかッ!」
ジョージはレヴェーナの首元目掛けてナイフを突き立てる。目にも止まらぬ速度で、そのまま本気で刺し貫くつもりで突き出されたナイフは、しかし小さな泡一つに受け止められた。
「《アクア・ソーサー》!!」
続けてジョージはわずかに下がってから円形の水の刃を放つ。だがそれすらも体の周りに纏った水の膜に弾かれて、レヴェーナには傷一つ付けられない。
「つまらないですわねぇ。あの子達の方がよっぽど楽しめましたわ。何せ、私に切り札を切らせたのですから。ねぇ?」
レヴェーナは本気でつまらなさそうにジョージを見てパチンと指を鳴らすと、彼女達の立つ白い大地が震動する。
その途端、ジョージは全身から汗が吹き出し、白い大地から大海原へと身を投げ出した。
「あらあら。どうしたのかしら。私の首を食い千切るのではなくて?」
「チッ……! あんま調子乗ってんじゃねえぞ糞アマ。俺ぁてめえらと同盟を結んじゃいるが、それはてめえの旦那と交わした同盟だ。その忘れ形見の捜索くれえなら嫌々ながらも手伝ってやったが、これ以上は──」
「構いませんわよ。その同盟をここで破棄しても。さあ、私を楽しませてくださいまし」
両者激しいにらみ合いを続ける中、シーラを乗せたタロウが二人の間に入る。
「喧嘩は駄目だよ。ママもジョーも仲直りしないと」
「ふふ。喧嘩ではないですよ。これは教育というものです」
「あぁ?! いい加減にしろ糞アマ!!」
「駄目だってば~!」
シーラは両手で大きなバツを作り、二人を落ち着かせようとする。ジョージは苛立たし気に大きく舌打ちをして、背を向けた。
「もういい。俺一人で奴等を皆殺しにしてくらぁ!」
「返り討ちにならなければよいですわね」
ジョージはくすくすと笑うレヴェーナに鋭い眼光を向けたが、争うだけ無駄だと悟るとそのままアプカルコのある方角へと向かっていった。
「ママ。ジョー行っちゃったよ?」
「構いませんわ。どうせ何を言ったところで彼は私の言葉なんて聞きませんもの。あの人ならともかく、ね……」
と、レヴェーナはシーラと、その下にいるタロウを少し悲しげな目で見下ろした。
だが次の瞬間。暗闇の向こうで魔力のぶつかり合いを感知した。この大海原の上でだ。しかもその方角は今まさにジョージが向かっていった方角だった。
野生の魔獣と遭遇でもしたのだろうかと感覚を研ぎ澄ましていると、すぐにその魔力のぶつかり合いは予想外の結果に終わった。
「あらぁ?」
「どうしたのママ?」
「………………はぁ。面倒なことになりましたわね」
シーラは非常に珍しいレヴェーナの困ったような顔を見た。
「タロウさん。どうやら、彼のようですわ」
そして声をかけられたタロウも、どこか神妙そうな顔付きになり、こちらに近付いてくる魔力を感じ取り、その方角を見つめた。
すると一人の老人が、大海原に杖を突きながらこちらに向かって歩いてきた。
よく見ると、その背後には気を失ったジョージが泡の中に閉じ込められている。
「久し振りですね。《水賊艦隊》総督、レヴェーナ=コラルリーフ。それと、《海呑み》ゲンドウ」
「ええ。確か前に会ったのは、私の夫を殺した時でしたわね」
「そうでしたな。いやはや時の流れは早いものです」
「いくら時が流れようとも、私は貴方のことを一時たりとも忘れたことはありませんわ。《滝波の賢者》様」
《賢者》。《魔女》と対を為す魔術師の最高峰の称号。それを持つ老人は朗らかに笑いながらタロウを見る。
「ゲンドウ殿。貴公も変わりないようで。その背に乗せた子はあやつの忘れ形見ですかな」
神妙な面持ちのタロウに向かって、ゲンドウと呼び掛ける老人に、レヴェーナが口を挟むより早くに他の者から否定の言葉が放たれた。
(その名はもはや、過去の名だ。今は、タロウと呼ぶがよい)
低く重い声音が静かに響く。ただ声を発しただけでその場の緊張感が増した。
魔獣のタロウが、《滝波の賢者》に向かって、久方ぶりに口を開いたのだった。