全ては母のために 2
「ぐおおおおおおっ!!」
アシュラは先程とは比べ物にならないほどの勢いで突進してくるザギラの攻撃を大剣で受け止める。だが、威力を殺すことは出来ずにそのまま海に放り投げ出されてしまう。
大きな水飛沫を上げて海に沈むアシュラに、ザギラが追随する。ホームグラウンドに敵を追い込んだザギラは、鋭利な歯が並んだ大口を開け、容赦なくアシュラを噛み砕こうとする。
水中ではうまく身動きが出来ないアシュラは、大剣を逆手に持ち魔力を流し込む。
すると大剣はどんどん大きくなり、海の底に突き刺さる。そしてそのまま更に大きくなり、アシュラはその巨大剣にしがみついて、間一髪で海上へと飛び出す。
「ブハッ! くそ、あのサメ公! よくも俺を水も滴る良い男にしてくれやがって!」
アシュラは眼下に広がる海を睨みながら恨み言をぼやく。そのアシュラを逃がすまいとザギラは海から飛び上がり、アシュラへと迫る。
「影に決まった形はなく、月は日に日に姿を変える。《月影》形状変化。《双月ノ剣》」
一方アシュラも巨大剣の形を、漆黒の双剣へと変化させ、交差に構える。
「うおおおおおおっ!! 《如月ノ月影》!!」
一瞬の交錯の間に、アシュラは二本の双剣を縦横無尽に閃かせ、ザギラの体を斬り刻む。
攻撃は確実に当たった。確かな手応えも感じた。しかし、宙にいるまま背後を振り返ると、無傷のザギラがこちらに向かって大口を開けていた。
「マジかよッ!?」
次の瞬間、ザギラの口から放たれた暴虐な激流に飲み込まれ、そのまま海に叩き付けられた。
~~~
「アシュラ!?」
「よそ見してんじゃねえぞ! 《バブル・ボム》!!」
アシュラがザギラの攻撃を受け海に沈むのを横目に見たグレイだったが、ジョージの攻撃に阻まれ、意識をアシュラからジョージに戻す。
無数の泡が連続で爆発し、グレイの動きを牽制する。
ジョージはグレイの魔法を消す力は、グローブや靴に何か特殊な魔道具を仕込んであるのではないかと考えていた。
そのため、その両手足に触れられないよう、細心の注意を払う。
そして魔法が効かないからといっても、相手はただの子供。それに魔法以外の攻撃手段が無いわけではない。
殺し屋にとって、魔法は殺害手段の一つでしかない。他にいくらでも方法はある。例えば──
「うらぁっ!!」
「ぐっ!?」
ジョージは太い腕を振るい、グレイを殴り飛ばす。グレイも両手でガードしたが、純粋な力の差で押し負けて砂浜を転がる。グレイはすぐに立ち上がるも、眼前に水の砲弾が飛んできて、咄嗟に《リバース・ゼロ》で打ち消す。
その隙にジョージがグレイに迫り、地を強く踏み込んでグレイの腹部に重い一撃を叩き込み、呻くグレイの後頭部に向かい、上方で両手を強く握ってそのまま勢い良く振り下ろす。
振り下ろされた両の拳が直撃する寸前に、グレイは腹部を押さえながらバックステップし、何とかギリギリ攻撃を回避するが、ジョージはそのまま今度は拳を下方から振り上げ、グレイの顎を殴り上げた。
今のジョージは眷獣を《進化》させたことにより、基礎身体能力も上がっており、純粋な攻撃力も格段に上昇していた。
それは魔法による身体強化と似ているが、少し違う。《進化》による強化は基礎的な身体能力を上昇させているのである。
つまり、体の外側から強化する通常の身体強化とは違い、体の内側から身体能力が強化されているということだ。言い替えれば底上げされているのである。
そのせいなのか、グレイの《リバース・ゼロ》でもその身体強化の効力を消すことが出来なかった。
一度目の攻撃を受けた時に違和感に気付き、二度目、三度目の攻撃をわざと受けて、その事実を確認し、そう結論付けた。
──と、冷静に考える思考の反対で、顎に受けた攻撃による激痛に苦悶しながら膝を突く。するとそんなグレイの背に、いきなり何かが勢い良くぶつかり、グレイはそのまま砂浜に顔からダイブした。
「……っつつ。いっだぁぁ……! あのサメ公がぁ……!」
「ぶはっ!? いってぇなこの……。何やってんだよアシュラ。さっさとそのサメ喰い殺してもらえませんかねぇ?」
「ぁ? てめえがおっさん挑発して《進化》なんざさせっから面倒になるんだろうがよ!」
「何だ? 《進化》した眷獣は恐くて仕方ないってか? ならとっとと帰れよ。俺が何とかしとくから」
「ふざけろ! あんなただでけえだけのサメ公なんざ恐かねえっつの! そっちこそチビってんじゃねえのかよ?」
「誰が!」
グレイとアシュラは敵の動きを警戒しつつ、互いに低い姿勢のまま背中合わせで罵倒しあう。
アシュラの言うように、ジョージを挑発し、今のこの不利な状況を作ったのはグレイだ。
だが文句を言いつつもアシュラも理解していた。例えグレイが挑発しなかったとして、アシュラがザギラを瀕死にまで追い詰めれば、ジョージはそのタイミングでザギラを《進化》させてきたであろうことを。
つまりグレイは出来る限り早い段階で、もっと言えば、こちらに体力と魔力の余裕がある間に、ジョージに《進化》という切り札を切らせたかったのだ。
「ったく。文句だけは一人前だなアシュラ。そんなんだから昨日みてえなボロ負けするんだよ。少しは俺を戦い方を見習えっての」
「あぁ?! 昨日のことなんざ今は関係ねえだろ! …………つか、俺はお前みてえなセコい小細工なんかせずに、一撃で仕止められたっつーの」
「よく言うぜ。じゃあやって見せろよ。今すぐに!」
「あぁやってやんよ! その目ん玉かっぽじってよく見てやがれ!!」
アシュラは双剣を握り締めてザギラに向かって駆け出す。同時にグレイもジョージに向かって走る。
「仲間割れはおしまいか? なら、喧嘩の続きはあの世でやれや!」
縦、横、斜めと、様々な形をした水の刃が襲い掛かる。それをひらりひらりと躱しながら進むグレイだったが、それはジョージの罠だった。
既にジョージはグレイが類い稀な身体能力を有していることを認め、それを逆手に取ったのだ。あえて隙を作って誘導し、グレイが射程圏内に入った瞬間に、隠し持ったナイフで首を切る算段を付ける。
──さあ、来やがれ!
ジョージは心の中で首をかっ切られて、何が起こったかもわからないまま倒れ伏すグレイの姿を想像し、思わず口角がつり上がる。
そしてあと一歩で射程圏内に入る、というそのタイミングで、グレイは纏っていた灰色の聖衣を脱ぎ、ジョージに向かって投げつけた。
ばさりと広がり視界を覆う聖衣。突然視界を遮られたジョージは、後方に飛び下がり周囲を警戒する。しかし──
「なにっ!? あの野郎! どこにいきやがっ──!?」
たった一瞬の間に忽然と姿を消したグレイを探していると、突然見えない何かに首を締め上げられた。
そして次の瞬間、首元に人の腕が現れ、耳元で大きな声が響いた。
「アシュラァアアアアッ!!」
その声を聞き、にやりと笑ったアシュラは即座に踵を返して叫ぶ。
「エリー!! ちょっくら俺の後ろ頼まぁっ!」
「えっ?! ──って!? こんな時にアドリブぶっこむんじゃないわよぉぉっ!」
アシュラの叫び声を聞いたエルシアは、ジョージの背後に回り込んで首を締め上げているグレイと、凶暴なザギラに無防備な背中を晒しているアシュラを見て慌てるも、すぐに状況を理解した。
その理解速度は大したものだったが、それは昨日の訓練と、とてもよく似ていた。
「《クリエイト・ライト》モード《エレクトロ・ウィング》!」
エルシアは即興で自身のアークの形を創り変える。
二丁の拳銃は二本の長い長方形のレールを持つ一つの電磁砲へと姿を変え、冷静に狙いを定めて引き金を引く。
「《エレクトロ・ブレッド》!!」
そして今にもアシュラを食い殺そうと大口を開けたザギラの横っ腹に、強烈な雷光弾をぶち当てた。光速の雷電はザギラを海まで吹き飛ばし、大きな水柱を上げさせた。
「ナイスだ、エリー!! 《月影》形状変化。《月影ノ剣》!!」
アシュラは双剣を通常の大剣に戻し、大量の魔力を流し込む。その目は完全にジョージに狙いを定めていた。
「おいっ……! 糞! てめえ……ッ! まさかこのガキもろともやる気かぁぁあああッ!?」
アシュラが全く躊躇いもせず大剣を振り上げる様子を見て焦り出し、必死にグレイを振りほどこうとするジョージに、グレイが耳元でぼそりと呟いた。
「ちょっくらあの世まで付き合えよ、おっさん──」
「──《暗影咬牙》ァァァァァァ!!」
そして放たれた闇色の顎は、容赦なくジョージとグレイを飲み込み噛み砕きながら石垣に激突した。
その闇が通った後の砂浜には、大きな溝が出来ており、溝の底をよく見ると、そこにはうつぶせに倒れ伏すグレイの姿があった。
「ふぅ……」
やがてグレイは《ミラージュ・ゼロ》を解いてゆっくりと立ち上がり、その溝から這い出る。
先程の言い争い。実はあの間にグレイはアシュラにヒントを与え、この作戦を企てたのである。戦闘に関してだけは妙に勘が働くアシュラは、そのグレイの意図に気付き、ザギラをエルシアに任せてジョージに渾身の一撃を叩き込んだ。
グレイには必殺となる技が無い。だが代わりに相手の防御を完全に消し去ることが出来る。だから、とどめを最高の攻撃力を持つアシュラに託したのだ。
「よっし。完っ璧に決まったぜ。これならもう立ち上がれ──なにぃっ!?」
言葉の通り、完全に倒したと調子づくアシュラを嘲笑うかのように、ザギラが強烈な水爆弾を放り込んでくる。
大剣を盾代わりに攻撃を凌いでいると、ザギラが直接突進してきて、グレイの元まで吹き飛ばされる。
「アシュラ!?」
グレイは飛んできたアシュラを受け止める。そこに間髪いれずにザギラが放った巨大な水砲が襲い掛かる。グレイはそれを《リバース・ゼロ》で消し去った。だがその水砲の陰にザギラが身を潜ませており、その巨体を勢い良く回転させ、尾ヒレでグレイとアシュラを弾き飛ばす。その衝撃は鉄の壁を思いきりぶつけられたかのような威力だった。
二人は為す術もなく砂浜に強かに体を打ち付け、エルシア達のいる近くまで押し戻されてしまった。
「く、そ…………タレッ。効いたぁ……!」
「はぁ……っ、マジか……よ……ッ!」
砂浜に倒れ込みながらも視線を上げてザギラを見る。そして、決してそれが幻でないことをはっきりと理解し、二つの意味で絶望する。
一つ。ザギラの体には今まで受けたであろうアシュラの攻撃による傷や、先程受けたエルシアの雷光弾による傷がまるで残っていなかったこと。
一つ。眷獣を倒せば主はその分フィードバッグとしてダメージを受ける。だが主が倒されれば眷獣は姿を消す。正確には主の魔力中枢に強制的に戻る、という事実。
すなわちそれは──
「ガア"ア"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"ッッ!!」
まるで獣のような雄叫びが砂煙の中から聞こえ、それが幻聴であればいいのに、と淡く儚い願いを抱きながら注視すると、そこには怒りに狂うジョージの姿があった。
いくら《進化》による内的身体能力が底上げされているとはいえ、外的魔力防御を完全に打ち消されていた状態で、アシュラの全力を受けたというのにジョージの体は完全に無傷だった。
「そ、そんな……!?」
「不死身かあいつは……!?」
その異常な姿を見た他の者達に動揺が走る。
「狼狽えんなっ!!」
しかしそれをグレイは息も絶え絶えの状態だというのに、悲鳴を上げる体に鞭打ち、無理をして活を入れる。
「あいつは不死身でもなんでもねえっ! ただ単純に自己回復しただけだ! 確かに傷は消えてはいるが、魔力と体力は確実に削ってる! 今までの分がゼロになったわけじゃねえんだ! だから恐怖に飲まれるな! 絶望に押し潰されんな!! 前を見ろ! 武器を握れ! 敵を倒せ!!」
その眼差しは強く、鋭く、ジョージを睨み付ける。この絶望的な状況でまだグレイは諦めていない。そんなグレイの姿を見て、全員がなけなしの勇気を奮い立たせる。
だが状況は何一つ好転していない。むしろ悪化している。
海からの襲撃者は減らず、ジョージとザギラを抑えていたグレイとアシュラは深いダメージを負っており、絶体絶命の状況に追いやられている。
希望があるとすれば、《進化》の効果切れだ。時間にしてみればあともう少しのはずなのだが、今のジョージを見れば悠長に効力が切れるまで自分達を見逃してくれるはずもない。むしろ最後の一撃としてこちらを全力で葬ろうとしてくるだろう。
アシュラは何とかしようとあがくも、まだ体が思うように動かない。グレイもまた、立ち上がったはいいが、膝に手を突き肩で息をしている。
その二人にジョージは、一切の容赦をしなかった。
「その目だ……その目が、気に入らねえぇぇんだよぉぉおおお!! ザギラ! 《ガレオス・フラッド》!!」
主と眷獣、両者一体の混成魔法。今まで分断されていたため使えなかった、彼の最大で最強の一撃。
飲み込んだものを粉々に刻む渦潮の中央に、大口を開けて回転するザギラ。まるで巨大で残虐なミキサーを連想させるその一撃を前に、グレイは不敵に笑みをこぼす。
《リバース・ゼロ》を使っても、ザギラは止められない。
《ミラージュ・ゼロ》を使えば自分は助かるがアシュラは死ぬだろう。そんな状況で尚、グレイは笑う。
しかしそれはグレイの頭がイカレてしまったからではなかった。その笑みの正体は──覚悟の現れだった。
「死ねぇぇぇえええええええええっっ!」
迫り来る死の脅威を前にグレイは、ヴォルグとの修行中に聞かされた話を走馬灯のように思い出す。
──奥の手を隠すのは大切だ。切り札は出来る限り伏せておくべきだ。だが、決して使い所を見誤るな。本当に守るべきものを間違えるな。
ジョージの咆哮を聞き流しながら覚悟の笑みを浮かべたグレイは呟く。
「……わかってるっつーの」
そして無色透明の魔力を右腕に纏わせた。
「《空虚なる魔導書》第三項──」