女の愛憎 4
「ちょ……キャシーちゃん。ちょっと、待って……!」
「情けない声を出さないでくださいグレイ君。他の皆さんはたぶんグレイ君よりもっとずっと大変な目にあってるはずなのですよ?」
「そりゃ、怒り狂った女子達に半殺しにされるよりは、マシなのかもしれませんけどぉっ……」
「あははっ。がんばれお兄ちゃん」
「大丈夫ですか、マスター?」
レオン達男子チームがピンチになっている頃、グレイは汗だくになりながら町まで続く道を歩いていた。
その少し前にはキャサリンと手を繋ぎながらこちらを振り向き笑っているシーラが歩き、隣にはグレイを心配そうにしているミュウが並んで歩いている。
そしてグレイの背には、シーラから『パパ』と呼ばれている亀がずっしりと乗っかっている。グレイの与えられた罰とは、この亀を町まで背負っていくことだったのだ。
最初は楽な罰だと思ったグレイだったが、この亀は予想以上に重く、またこの照りつける太陽と、地味に長い道のりのせいですっかり疲弊しきっていた。
「すぐ、近くに、水路あるじゃないですかぁっ……! こいつにゃ、そこを泳いで、もらいましょうよ!」
「それだとグレイ君の罰にならないのですよ。覗きは犯罪です。しっかりと反省してもらわなければ」
「うへぇ……」
何とも情けない悲鳴を漏らすグレイだったが、キャサリンは甘やかすつもりはないのか、どんどん距離を離されていく。
「遅れないでくださいよ~」
「へ~い、っと……。ん? 何だ?」
気力を振り絞って歩みを進めていると、ようやく町にまで辿り着く。しかし、どうも町の様子がおかしかった。
昨日町に入った時も賑わってはいたが、今日のは賑わいというよりかはざわついていると表現した方が正しいような気がする。それにどこか不安や恐怖が入り交じったような空気も感じた。
それはキャサリンも同様に感じたらしく、道行く人に何かあったのかを尋ねた。
「あぁ、何でも殺人事件が起きたらしいんだ。しかも、三人も殺られたらしい」
「えっ? そうなのですか?! それは……怖いですね」
「全くだ。しかもその殺され方ってのがまたえげつねえらしい。何でも、一人は陸上で溺死、一人は全身が穴だらけ。最後の一人なんて頭が真っ二つになってたらしい」
「そ、そんな……」
「って、あぁ済まねえ! 嬢ちゃんには刺激が強すぎだったな。ほんと済まねえ」
「あっ、いや。た、確かにそうですね。すみませんシーラちゃん」
不謹慎ながらグレイは心の中でキャサリンにツッコミを入れた。一方、謝られたシーラは平気そうな顔で首を横に振る。まだ言葉の意味をよく理解していないのかもしれない、と判断したキャサリンは話を聞かせてくれた人に感謝してから、一応当初の目的通りアプカルコの魔術師団、《ヌンキ》を訪れた。
しかし、やはり団員達は件の事件の捜査のために多くの団員を割いているらしく、すぐにシーラを送り届けてやることは出来ないらしかった。
「と言っても、連れ帰るわけにもいきませんしねえ。う~ん」
「取り合えず、預かってもらうだけでもいいんじゃないっすかね?」
「それもそうなんですが、何だかお忙しそうですし」
「つっても、俺達がこの子を家まで送っていくことが出来るわけでもないじゃないですか」
キャサリンは、今の慌ただしい魔術師団にシーラを置いていくことに、少し罪悪感のようなものを感じているらしく、どうにも煮え切らない。面倒見のいい彼女らしい迷いなのだが、グレイの言う通り、一個人がシーラを海の向こうにある家にまで送り届けるなんて、普通は不可能だ。
グレイはミュウに遊んでもらっているシーラを見ながら、あくまで第三者の視点から正論を述べる。だが個人の感情から言えば、キャサリンと同じく見放すみたいでスッキリしないのも事実だった。
しかしだからといって、今の状況でやれることなんてない。まさかこの町で起こった殺人事件を解決するなどという選択肢はない。それこそ魔術師団の仕事で、部外者のグレイが介入していいことではない。
何より情報が少なすぎる。ただ唯一わかっているのは、相手が水を扱う魔術師であることのみ。そんなのはこの町だけでも沢山いる。水の魔術師だからというだけで疑っていてはキリがない。
「と、言うわけですし、俺達に出来ることはしたわけですから、そろそろ帰り──」
と、そこにキャサリンが持っていた小型の通話型魔道具が鳴った。
~~~
その少し前。アシュラとゴーギャンは林を抜け出し、海岸でエルシアとラピスを迎え撃っていた。
「姿が見えりゃこっちのもんだぜ!」
「反撃開始ッスよ!」
「それくらいで勝てるなんて思わないでよね」
「戦況は二対二ですが、属性とアークを見てもこちらの有利は変わりません」
四人はそれぞれアシュラ対エルシア、ゴーギャン対ラピスの構図となって戦闘を続行する。
だがラピスの言う通り、戦況は女子側が有利だ。特にゴーギャンは、序列、属性、武器。これら全てにおいてラピスに負けている。しかしそれくらいで諦めるほど、ゴーギャンも素直ではなかった。
その彼の様子を見て、任せても大丈夫だと判断したアシュラはエルシアを見据える。
「アークありだからって調子乗ってたら痛い目見るぜエリー!」
「痛い目に会うのはあんたよアシュラ。昨日のあれだけで済んだと思ってたんならとんだ大間違いだからねっ!」
次の瞬間、光と影の応酬が始まる。だがやはりハンデのせいか、エルシアの方が優勢だった。
押され気味のアシュラは表には出さないが、この状況の打開策が思い付かずに焦っていた。
すると、視界の端に見慣れぬ人物が映る。それと同時に視界の広いエルシアもその人物に気付き、攻撃の手を止めた。
「あれ誰だ? ここら一帯は俺らの貸し切りだったんじゃねえのか?」
「さあ。もしかしたら学校側が手配した人かもしれないわよ。特別コーチみたいな」
とは言うものの、随分と厳つい目付きと、口回りに生やした髭のせいで、どうにも不審者に見えてしょうがなかった。
エルシア達の戦闘が中断したことにゴーギャン達も気付き、同様に戦闘を止めて謎の人物の方を見る。これでは気になって訓練どころではない。
「仕方ないわね。私が直接話聞いてくるわ」
そう言ってエルシアがその男の元へと近付いていく。そんな中、アシュラは酷く深刻そうな表情をしながら何かを必死に思い出そうとしていた。
「あの……すみません。どちら様ですか? もしかしてミスリルの関係者の人ですか?」
「いんや。ちょいとおじさん、人探しをしていてよぉ。そいつがこっちの方角に向かって歩いていった、っつー話聞いたもんでよ」
話を聞いてみると、ただの迷子探しのようだった。そこでエルシアはハッと気付く。もしかしたら、その迷子というのはシーラのことではないのかと。
そうだとすればどうにも言いづらい。何せ今朝方、シーラはアプカルコの方へと戻っていってしまったのだから、すれ違いになってしまったことになるからだ。
とはいえ、訳を話さないわけにもいかないと思い、事情を説明しようとする。
「その、それがですね──」
「《三日月ノ影》!!」
それを、突然エルシアと男の前に走った影の斬撃のせいで中断させられる。
「なっ、アシュラ! あんた何を──」
「そいつから離れろエリー!!!」
アシュラのふざけた不意討ちに怒りを露にしたエルシアが振り返った先にいたのは、余裕なんて微塵も感じない、初めて見るアシュラの焦り狂った表情だった。
アシュラは反則であるはずのアークを顕現しており、それだけただごとではないことが起きているのだと悟り、エルシアは《レイジング・ライカ》で男から距離を取り、アシュラの横に並ぶ。
「何なのよ!? 説明しなさい!」
「俺は……あいつの顔を知ってる……」
「何? 知り合いなの?」
「んなわけねえだろ。あれは、キャシーちゃんとギルドハウスに通い詰めてた頃に見た顔だ」
ギルドハウス。様々な依頼を受注出来る、フリーの魔術師や騎士達が通う互助組合。アシュラの言うギルドハウスはミーティアのものだとすぐに理解するも、そこで見た人物がここにいるなんてすごい偶然だ、などと楽観出来るほど、エルシアも愚かではなかった。
「それで、一体何者なのよあいつは?」
「あいつは……ギルドの手配書に載っていた犯罪者だ」
「なっ!?」
「忌み名は確か……《絶海の殺し屋》、つったか? おっさん?」
アシュラの話を聞いたエルシア、ラピス、ゴーギャンに戦慄が走る。
忌み名とは犯罪を犯した者に付けられる忌むべき名前のことを指す言葉だ。称号としての意味が強い二つ名とは違い、畏怖や恐怖を体現しており、忌み名が付けられるということは、かなりの実力者であることを意味する。
「カッ。知らねえなら知らねえで目的だけ果たさせてもらいたかったもんだがねぇ。それで、一応ダメもとでもう一度聞くが、そこの白い嬢ちゃん。さっき何か、言いかけなかったか?」
「おい、エリー。わかってんだろうな。殺し屋が探している人物っつーことは──」
「……ターゲット、ってわけね。そんなの、教えるわけないでしょ!」
エルシアもアークを構え直し、全神経をフルに活性させる。
「あぁそうかい。なら、吐きたくなるようにするしかねえか。んじゃまあ、さっき紹介してもらったことだし、礼儀として名乗っといてやるよ。俺は《絶海の殺し屋》、ジョージ=ゲルマンだ。今ならもれなく全員ミンチにしてやるからまとめてかかってきやがれや!」
「そんなことさせるわけないだろうっ!! 《サイクロン・エッジ》!!」
「あ"ぁっ!? ──ぐおぉっ!?」
ジョージの名乗りに被せるように叩きつけられた竜巻の刃はジョージの体を容赦なく切り刻む。
「下がれお前達! こいつは危険だ!」
「ホーク先生!?」
今の攻撃は、ホークが放った魔法だった。すぐにジョージと生徒の間に着地し、避難を促す。その表情にはやはり全く余裕が無い。
その証拠とでも言わんばかりに、ホークの魔法が弾け飛ぶ。先程まで竜巻があった場所には全身血塗れになったジョージが立っていた。
ジョージは、自分の腕の傷から流れ出た血をベロリと舐めると、残虐な笑みを浮かべた。
「ほう……。久し振りに自分の血を見たぜ。てめえ、なにもんだ?」
「……ミスリル魔法学院講師、《戦嵐》のホーク=スフィンクスだ」
「ミスリル……。そうか。さっきも見せてもらったがやはりか」
そういうとジョージは不敵な笑みでホークを睨む。
「気が変わった。糞だりい仕事押し付けられて苛ついてたんだ。少しおめえらで憂さ晴らししてやるよぉっ!! 《虐流瀑布》!!」
「失せろ!! 《旋迅ノ螺旋斬》!!」
ジョージの放つ暴虐の滝に、ホークの放つ暴風の竜巻が激しくぶつかりあい、その衝撃にアシュラ達は吹き飛ばされた。
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「な、なんだ今の?」
「風の魔力、だよね? でも何で?」
「風属性は全員ここにいるだろ? なら、あれは誰の魔力だよ?」
その頃、レオンやアスカ達は男子チームのリーダー、ウォーロックのいる布陣にまで攻め込んでいるところだった。だがその最中、海岸方面から異常なほどの大きな魔力のぶつかり合いを感じ取り、全員が動きを止めていた。
「いや、一人だけいる。ホーク先生だ。でも、相手は誰だ? あの方角にいるのは確か……」
「エルシアさんとラピスですわっ!」
「あと、ゴーギャンとアシュラもいるはずだな。でも今の魔力、風と相対していたのは水の魔力だった。だがラピスはあれほどの魔法は使えないはずだ」
「な、何が起こってるの……?」
「わからぬ。だが、これは訓練ではないことだけは確かだ」
ウォーロックの言葉を聞き、全員が神妙な面持ちになる。不足の事態が起きた時、自分はどう動いたらいいのか。一つは簡単だ。単純に、逃げればいい。だが彼らにその選択肢を選ぶ余裕は無かった。
「何があるのかはわかりませんが、あっちにラピスがいるのは間違いありませんの! わたくしが行って様子を見て来ますわ!」
「それなら俺も行く! あっちにはゴーギャンもいるはずだ」
「ならアタシも行くわよ!」
「それと、エルちゃんとアシュラ君もね!」
「ならば、全員で行こう。訓練は一時休戦。男子も全員アークを顕現しろ。周囲を警戒しつつ、海岸へ向かう!」
「「「了解!」」」
ウォーロックの指示に全員従い、最大限警戒を怠らず、尚且つ全速力で海岸に目掛けて駆け出した。
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キャサリンは、イルミナからの突然の連絡に驚きを隠せなかった。
訓練中に不審者が乱入してきただけでなく、その不審者がホークと戦闘を開始したことを聞かされると、キャサリンはすぐに通話を切り、踵を返す。
「合宿所が襲撃されてるみたいです! グレイ君とミュウちゃんはここで待機──って!? あれ?! グレイ君達はどこにっ!?」
「お兄ちゃん達なら、お姉ちゃんがお話ししてる間に飛び出して行っちゃったよ?」
「は……? ま、またですかぁぁっ!!」
グレイはいつも面倒事や厄介事に首を突っ込む。キャサリンもそれは知っていた。だから細心の注意をしておくべきだったのだ。だが今回の事件は今までの比ではない。いくらグレイでも危険だ。
「もうっ! すみませんシーラさん。わたしも行きます。あなたのことは魔術師団の方達にお願いしておきましたので」
「うん。ありがと。お礼に良いこと教えてあげる」
「はい? 何ですか?」
急いでいるので早く教えてほしいキャサリンは足踏みしながらシーラの言葉を待つ。そしてシーラが、にこりと笑いながら発した言葉は、余程小さな子供が口にするような言葉ではなく、頭の中が一瞬真っ白になった。
「早く行ってなんとかしないと、あのお兄ちゃんや白い髪のお姉ちゃん。あと他のみんなもぐちゃぐちゃになって死んじゃうよ? って、パパが言ってる」