男の友情 5
「ちっ、まだかよ。焦らしやがるぜ」
アシュラは一ミリたりとも目線を逸らすことなく女子の露天風呂を凝視し続けていた。
そんなアシュラの邪念が届いたのか、とうとう露天風呂の扉が開かれる。
おおっ、と声を上げそうになるのを必死に堪え、入ってきた人物を見る。湯気のせいで全体がハッキリとはわからないが、聞こえてきた声の主はアシュラのよく知る人物だった。
「おっ、この声はキャシーちゃんか。おいグレイ。お待ちかねの合法ロリが来たぞ?」
「ここで死にたくないなら口を閉じろ」
アシュラは露天風呂を凝視したままグレイに声をかける。グレイはそのアシュラの背後に立って殺気を放つも、アシュラはガン無視だった。見るとキャサリンに続いて他の女子達も一斉に露天風呂に入ってきていた。
「おぉ……。綺麗な露天風呂ですね」
「それに結構広いですわ」
「湯加減もいい感じだよ」
気付くと女子メンバー全員が露天風呂に集まってきており、その中には当然エルシアやミュウの姿もあった。
「どう? ミュウちゃん。露天風呂の感想は」
「すごい、です。外に、お風呂があります」
「う、うん。そうね……」
見たまんまの感想を述べるミュウに苦笑しつつ、エルシアも湯船に浸かる。
するとすぐ近くにツインテールをほどいたアスカが同じように湯船に入ってきた。
「あら珍しい。メイランと一緒じゃないの?」
「……うっさいわね。色々あるのよ、色々」
アスカは随分と苦い顔をしながら湯船に深く浸かり、ある一点を見つめる。その視線の先には、キャサリンが他の生徒達に囲まれている姿があった。
「前から思ってたんですけど、キャサリン先生って胸おっきいですよね~」
「ふぁっ!? い、いきなり何ですかメイランさんっ!?」
「それは拙者も思っていたでござる。背丈は拙者らとそう変わらないというのに、この差は一体何なのでござろうか?」
「お、大きくする秘訣とかないんですかっ!?」
「シャルルさんにコノハさんまで?! 秘訣なんて別にないのですよ。勝手に大きくなっただけで──」
「なんやねんそれ!? そんなん羨ましすぎるわぁぁあっ!」
エルシアはキャサリン達から聞こえてくる話から全てを察した。
「…………どうせ、あんなのはただの脂肪の塊であって、戦闘の邪魔にしかならないのよ」
そんな小さな負け惜しみを聞き、エルシアはアスカの肩を優しく叩くのだった。
そんなアスカのことはお構い無しと言わんばかりにメイラン達の話は盛り上がっていく。
「先生。その胸ちょっと触ってみてもいいですか?」
「えっ、やっ、駄目です駄目です。絶対駄目ですっ!」
「えぇ~。いいじゃないですか。減るもんじゃないですし」
「そういう問題じゃないのですよ!」
まさかの展開にキャサリンは温泉に入っているのに冷や汗をかきそうになる。折角先程エルシアから上手く逃れられたというのに、今度は複数人から狙われることになるなんて予想だにしていなかった。
何とかしてこの場を乗り切るために標的を自分から逸らそうと試みる。
「ほ、ほら。わたしよりもイルミナ先生の方が背もあってスタイルいいんですから、あっちにお願いしたらどうですか?」
「いやぁ、イルミナ先生は何というか……」
「神聖視されているというか、触れてはいけないような気がするんですよね」
「だ、だったら同い年のカナリアさんや、アルベローナさんにお願いすれば」
「いやいや先生。生徒のあたいを売らないでくださいよ」
「わたくしは別に構いませんが?」
「構ってください。というかもっと淑女として慎み深くなってください。お願いですから」
微かに見えた希望はラピスに早々に潰され、キャサリンはまたもや追い詰められる。
端から見ると同年代の少女達が戯れているだけにしか見えないのだが、本人は至って真剣な表情をしていた。
「わ、わたしはこれでも講師なのですよ? さすがにこういうのはあまり良くないと思うのですよ」
「でも、キャサリン先生って親しみやすいし」
「優しそうでござるし」
「うちらも仲良うしたいだけなんや」
「うわぁぁん! 嬉しい言葉のはずなのに、今は全く嬉しくないのですよぉぉ!」
逃げ道を全て封じられ、若干涙目になるキャサリンの視線を浴び、イルミナがふぅと息を吐く。
「皆さん。キャシーは昔からその大きい胸がコンプレックスだったの。だからあまりいじめないであげて」
「あっ、そ、そうだったんですか。すみません……」
それを聞いたメイラン達は申し訳なさそうな顔になる。キャサリンはホッと安堵の息を吐く。だが、何故かイルミナの言葉はまだ続く。
「それに、キャシーは胸が弱点なの。人より感じやすい体質らしくて、ちょっと触られるだけで──」
「ちょっ!? それ以上余計なことは言わなくていいのですよ!」
「でも、とても柔らかいんですよ。女の私ですら嫉妬してしまうほどに。だから皆さん。ちゃんと手加減してあげてくださいね?」
「「「了解です!」」」
「イルミナァァアア!! もしかしてさっき身代わりにしようとしたこと怒ってるんですかっ?! もしそうなら全力で謝るのでどうか助けてくださいいいいいっ!!」
キャサリンの全力の懇願を、軽く受け流すイルミナ。その間にキャサリンはメイラン達にもみくちゃにされてしまい、その度にキャサリンの艶かしい声が響いた。
「ひゃっ! ちょ、ほんとに、駄目! あんっ。こら、はぅっ、え、エルシアさんっ! たす、助け、ひゃあっ!?」
「や、やばい……。女として自信を無くしそう……」
「でも、何だか癖になりそうでござる」
「羨まし過ぎる……」
「なんや、めっさ悔しい……」
彼女らの様子を少し離れた場所で見ていたエルシアとアスカは目だけで意思疏通し、その輪の中に混ざることにした。当然、キャサリンの望まない方向に。
その騒ぎの中で一人、ミュウだけは全然別の方向を見つめながら首を傾げていた。
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露天風呂からは女子達の楽しげで艶かしい声が聞こえてくる。そんな中、アシュラは悔しげに唇を噛み締めていた。
「くっそぉ……。折角目の前にパラダイスが広がってるっつーのに湯気が邪魔してほとんど見えねえじゃねえか。おいソーマ。お前の風魔法で湯気吹き飛ばせねえのかよ」
「無茶言うな。んなことしたら一発で気付かれるわ」
「うぉぉ、もどかしいッスね……。あともうちょいなんスけど」
アシュラ、ソーマ、ゴーギャンの三人が必死に目を凝らして見るも、絶妙に湯気が邪魔をしており、シルエットくらいしか確認出来なかった。
「ほ、ほんとに駄目だって。今ならまだ間に合うから早く戻ろうよ 」
「そうだな。こいつらは放って置いて僕達だけでも帰ろう」
「あはっ。何言ってるの? もうここまで来たら二人も同罪だよ? 逃げたって無駄無駄。どうせなら一緒に楽しもうよ」
そういうとエコーはクロードとマルコシウスの肩を抑え込んで無理矢理座らせる。
そんな彼らの背後に一人の男がやってきた。
「貴様ら、こんなところで一体何をしているんだ」
「あぁ? 今更何言ってんだっつの。覗きに決まってんだろ」
「ほう……。随分と潔く認めるんだな」
「認めるも何も、お前だってそのつもりで来たんだろが」
「いいや違う」
「はぁ?! ここまで来た奴が覗き以外で何しようってんだよ」
「ちょ、お、おい……。アシュラ……。後ろ見ろ……ッ!」
「あぁ? んだよソーマ。なんで目の前のパラダイスほったらかして後ろなんざ見ねえといけねえんだよ。男は前だけ見てりゃいいん──」
「いいから早く……っ!」
「ったく。何があるってん──」
彼らの後ろに立っていた人物の顔を見てアシュラの表情は一瞬で硬直する。何せそこにいたのは──
「は、はは……。ホ、ホーク先生じゃないっすか。どしたんすかこんなとこで?」
「わざわざ言わないとわからないか?」
「………………」
凄まじく鋭い眼光で睨み付けられ、全員ホークの目を直視出来ない。加えて嫌な汗が溢れ出てきて止まらない。
アシュラはダメ元で、グレイから聞かされたホークの対処法を試みることにした。
「ど、どっすか? こっからなら、イルミナ先生の一糸纏わぬ姿が拝めますけど……?」
その悪魔の囁きに、ほんのわずかだが、ホークが反応を示した。おっ? と誰もが思った次の瞬間。
「…………講師を……」
「はい?」
「講師を、侮辱するんじゃない!!」
「「「「「「う、うおわあアアアアアアああああッ!!?」」」」」」
ホークの放った強烈な暴風は、その場にいた全員を飲み込み空高くまで吹き飛ばした。
はぁはぁと乱れた息を整え、恥ずかしさから来たのか、怒りから来たのかはわからない顔の赤みも引いてきた頃、ホークはようやく自分の失態に気付いた。
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「ん? 何か聞こえない?」
「え? いや特に何も……?」
エルシアはどこからか魔力の波動と誰かの声が聞こえたような気がしたのだが、隣にいるアスカには聞こえなかったようで、自分の気のせいかと思っていると、その声がだんだんと大きくなってきて他の者達もそれに気付き始めた。
「「「「「「…………ぁぁぁぁアアアああああ!!?」」」」」」
聞こえてきたのがいくつもの叫び声だと認識した次の瞬間には、空から何かが露天風呂に勢い良く落ちて大きな水飛沫が上がる。
「きゃあっ!? な、なに?!」
水飛沫のせいで視界を遮られ、その分聴力を働かせてみると、何人かの話し声が聞こえてきた。
「げほっ! えほっ!? っだぁあっ! くそ! おい! 全っ然効果ねえじゃねえかよ!」
「うへぇ……。目が回るッスぅ……」
「ゴホッ!? ゴバボゴッ!?」
「いったぁ~い……。って、クロード君。エコーの下で何やってるの? むっつりエッチ眼鏡ぇ~」
「ちくしょお……。マジ容赦無さすぎじゃね……?」
「ゲホゲホッ!? お、お湯飲んじゃ……ゲホッ!」
聞こえてきたのは、ここにいてはいけない者達の声。急激に下がるこの場の温度。やがて視界も回復し、目を開いた先にいたのは、六人の男子。
「な、なにを、しているんですか、アシュラ君?」
「…………げっ?! キャシーちゃん。って、え? こ、ここって、まさか──」
アシュラはずぶ濡れのまま周囲を見渡す。そこに広がっていたのは、彼の憧れたパラダイスだった。
そしてわずか一瞬で今起きている全ての事情を理解したアシュラは、これから訪れるであろう、パラダイスとは真逆の世界を想像しながらも、高々と拳を突き上げた。
「我が生涯にいっぺゴボルォアッ!?!?」
──後に変態はこう語った。とびきりの天国と底無しの地獄を一度に見た、と。
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「………………ふぅ、危ねぇ。もう少しで見付かるとこだった」
グレイは誰もいなくなった林の中で一人呟く。実はグレイはホークの接近にいち早く気付き、誰にもバレることなく透明になる魔法、《ステルス・ゼロ》を発動して事が済むまでずっと身を潜めていたのである。
だが、グレイが魔法を使ったことはグレイと一心同体であるミュウにだけはバレているはずだった。
ミュウのことだからいちいち告げ口をすることはないだろうが、軽く身震いを覚えすぐさまその場を立ち去ることにした。
周囲を警戒しながら宿舎内に戻り、男子部屋まで戻ると、そこにはカイン一人だけが残っていた。
「あぁ、おかえり。あれ? 他の皆はどうしたんだい?」
「恐らく死んだ」
「そ、そうか……。グレイ君だけ逃げてきた、ってことかい?」
「何のことだか俺にはさっぱりだ」
「しらばっくれるつもりなのか……」
まるで何を言われているのかわからないとでも言いたげなグレイを見てカインは苦笑する。この話をこれ以上続けられても面倒なので、グレイは早々に話題を切り替える。
「それより、レオンとウォーロックはどうしたんだ?」
「あぁ。二人なら大浴場に行ったよ。僕はシャワーで済ませたけどね。そうだ。今ちょうど二人しかいないんだし、これでもやらないかい?」
そう言ってカインが取り出したのは二人用のボードゲームだった。どうせミュウと合流するまでは暇なので、その提案に乗ることにした。
「言っとくが、地味に強いぞ俺は」
「そうなのかい? それは楽しみだ」
グレイとカインはレオンやウォーロックが帰ってくるまでそのゲームをやり続けた。勝敗は三勝二敗でギリギリグレイが勝ち越し、そのまま就寝時間となった。
ちなみに、アシュラ達は宿舎の廊下で正座のまま夜を明かすこととなった。
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「…………ミュウちゃん。もうそろそろ大丈夫だと思うけど?」
「…………ふぁい」
「眠いのはわかるけど、もうちょっと頑張って」
深夜。エルシアは皆が寝静まったのを見計らってから音を立てないように起き上がり、今にも夢の世界に旅立とうとしているミュウを連れて部屋を出た。
つい先程までガールズトークに巻き込まれていたせいで、ミュウはだいぶお疲れのようだった。
誰にも見付からないようにこっそりと宿舎の外に出ると、すぐ近くにある木の陰に、グレイの姿を見付ける。
「おっ。来たか」
「いた。ほらミュウちゃん」
「はい……。ありがとう、ございました……」
ミュウはうつらうつらとしながらもペコリと頭を下げると、その姿は空気に溶けるように消え、グレイの中へと戻った。
「悪かったなエルシア。わざわざ連れて来てもらって」
「別に。私はまだそこまで眠くないし」
と言うのは嘘で、いつも寝る時に抱いているぬいぐるみがないせいで寝付けないだけなのだが、それを悟られないよう素っ気なく答える。それと、一つ確認しておかなければならないことがあったのを思い出した。
「それより私、あんたに聞きたいことあるんだけど?」
「何だ?」
「変態共があんたも覗きに参加してた、とか言ってたんだけど」
「……さて? 何のことだか」
グレイは一瞬、露天風呂の光景を思い出し言葉を詰まらせるも、すぐにおどけて見せる。が、エルシアは人を殺せるんじゃないかと思うくらい冷たい目で睨みつけてきた。しばしの沈黙の後、先に折れたのはグレイだった。
「……すみませんでした」
「はぁ……。やっぱり。まあ、正直に言ったんだし、半殺しで許してあげるわ」
「…………それ、全然許されてなくね? つか、ここで嘘吐いてたらどうなってたんだよ?」
「殺してくれ、と懇願するくらいの地獄を見せるわ」
「誠に申し訳ありませんでしたぁぁあっ!!」
眩しいくらいの笑顔でそう言うエルシアに心底恐怖し、グレイは即座に土下座して謝った。
──でも、半殺しは免れなかった。
「それじゃ、さっさと戻るわよ」
「あ、あぁ。おや、すみ……」
「なに? あんたはここで寝るつもりなの?」
実際、今グレイはズタボロの状態で地面に倒れ伏している。寝る、というよりは気絶すると言う方が正しいかもしれない。だが、別にそういうことではなかった。
「いや、もう少し風に当たろうかと思って」
「はぁっ? あんたが?」
エルシアは大袈裟なくらい驚く。しかし無理もない。何せグレイは暇があればいつも寝ているような人間だ。それが、もう夜だというのにすぐに眠ろうとしないなんて、何かあったのではないかと思うのは自然のことだ。
それに、思えば今日のグレイはいつもとどこか違っていた。それを思い返し、エルシアは踵を返し、未だ寝転がったままのグレイの元へと戻る。
「な、なんだよ……?」
「……ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」
「またかよ。次は何だ?」
「昼の訓練試合。いつもならこんなとこで本気を出すことなんかしなかったし、自分からチームに指示を出したりもしなかったでしょ? 全くもってあんたらしくない。これで全員があんたの強さを認識し、次から厳重に警戒してくるはずよ」
「だろうな。でもどうしてもあぁする必要があったんだよ」
「……? どういう意味よ?」
「まあ、話してもいいけど。少しだけ長くなるぞ?」
エルシアは、どうせ寝付けないしいいかな、と思った。が、すぐに今の状況を思い出す。
月明かりが淡く照らす真夜中の海の近くで、グレイと二人きり。しかも今着ているのは寝巻き用に持ってきただけの至ってラフな服だ。
今更ながらそんな状況を冷静に考えてから、ボッと顔が赤くなる。幸い、辺りは暗くグレイに顔の赤みを悟られることはなかったが、エルシアの思考はぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「……どうした? 眠いなら無理せず戻っていいんだぞ?」
「ね、眠くないって言ってんでしょうがっ?!」
「あっ、いや、ごめん。……って、何で今ので怒られるんだよ」
エルシアの心中を知らないグレイは理不尽に怒られて、訝しげにエルシアを見る。
これじゃあいけない、とエルシアは大きく深呼吸する。少し冷静さを取り戻すと、つい先程のことを思い出し、ほんの少し気合いを入れる。
「よし。いいわ。聞かせて」
「そんな覚悟のいる話でもないんだけどな……。そうだな、取り合えず歩きながら話すわ。ここだと見付かりそうだし」
そう言ってグレイがゆっくり歩き始め、エルシアもそれを追うように歩き出した。