夏期休暇の目的 4
「顕現せよ。《空虚なる魔導書》」
「《召喚》」
グレイは宙に浮く灰色の魔導書型アークを顕現する。
対してユンは自身の分身であり半身である相棒を喚び出した。
「行くぞロイン」
「モォ~!」
ロインと呼ばれた牛の魔獣、バーグオックスはユンが契約した魔獣である。つまりユンは《契約者》なのである。
そして魔術師と契約した魔獣は眷獣と呼ばれ、両者は互いの魔力を高め合う。
「ロイン。《バーニング・タックル》!」
「ブルオオオッッ!!」
ロインは火炎を纏って、凄まじい勢いで突進してくる。それに合わせてユン自身もいくつもの火球を飛ばしてくる。
それに対し、グレイは両手をだらんと下げて、体から無駄な力を抜く。
グレイは飛来する火球を紙一重で回避し、ロインの突進は何とか飛び退いて直撃を避ける。
「お得意の無心の構えか。だがいつまで避けきれるかな」
無心の構え。シリウス流の無我の構えと対をなす型である。例えるなら無我の構えは剛の構え。無心の構えは柔の構えである。
そしてグレイはどちらかと言えば無心の構えの方を得意としていた。
だがユン達は攻撃の手を緩めようとはしない。ユンは再度火球を飛ばし、ロインもグレイ目掛けて突進する。
魔獣使い。正式名称は《調練魔術師》。
グレイ達のようなアークを使用する《製錬魔術師》とは違う種類の魔術師。
その主な戦い方として、眷獣との連携攻撃を仕掛けてくる。基本的に眷獣を前衛、魔術師が後衛から遠距離攻撃や支援を担当する。
つまりユンのような魔術師はグレイにとって、一番戦い辛い相手と言ってもいい。何せグレイには遠距離攻撃の魔法を持っておらず、またグレイが得意とする不意討ちや奇襲やフェイントは魔獣相手にはあまり通用しない。
ユンに接近しようにも、それをロインが邪魔をする。だからといって先にロインを倒そうにも、グレイは攻撃魔法と呼べるものすらまともに使えるものがない。
体の小さな魔獣となら格闘戦でまだやりあえるが、ロインのような大きな体に、司令塔のユンが加わればもはや絶望的だ。
グレイはまた火球を回避し、ロインの突進からも逃れたが、逃げてばかりでは埒が明かない。
「どうした? もう手詰まりか?」
「まさか。どうやってお前達を倒すか考えてただけさ」
「そうか。降参しないというなら続けて行くぞ! ロイン!」
「ブルモオオオ!!」
三度向かい来るロインを睨みつけ、あろうことかグレイはそのロインに真正面から突っ込んだ。
「なっ!?」
ユンはそのグレイの奇抜な行動に気を取られ、火球を放つのが一瞬遅れた。
そしてグレイは向かい来るロインと衝突する、その直前に強く地面を蹴り、跳び上がる。
「全て等しく無に還れ。《リバース・ゼロ》!」
グレイは魔法を紡ぎ、右手でロインの背中を強く叩く。その時何かが割れるような破砕音が響いた。それは、魔法が砕かれた音だ。
ロインがずっと纏っていた炎はその音と共に弾け散り、グレイは跳び箱を跳ぶような要領でロインの後方まで跳び、遅れて飛んできた火球も全て《リバース・ゼロ》で薙ぎ払い、消し去った。
「はぁああっ!」
ロインを抜き、ユンへと迫るグレイ。
ユンも、グレイの魔法の効果、『魔法を消し去る魔法』のことは話には聞いていた。だが実際に見るのは初めてだったため、ほんの一瞬驚愕する。
しかしすぐに意識を切り換え、迎撃に移る。まだグレイとの距離はある。十分に間に合う。
グレイは、その『余裕』という名の隙を決して逃しはしない。布石は既に打っていた。
「な、なんだっ!?」
ユンはいきなり降ってきた何かによって視界を灰色に潰されて、咄嗟に腕でその何かを振り払う。
突如ユンの視界を遮ったモノの正体は、グレイのアーク、《空虚なる魔導書》だった。《空虚なる魔導書》は、グレイの意思によって自在に動かすことが出来る。グレイはアークを顕現した時から、この瞬間を狙っていたのだ。
「オラァッ!」
「しまっ──ぐうっ!?」
ユンの視線は、振り払った魔導書の方へと向いていた。グレイはその視界に入らないよう素早く死角に潜り込み、全力の拳をユンの横腹に叩き込んだ。その時また、魔法が砕ける音がした。
「ブルルルルッ!!」
主を傷つけられたロインは怒り狂い、先程よりも力強く突進してくる。突進と同時に火球を放ち、グレイとユンの間に着弾させる。それはグレイの追撃を防ぐための牽制のためだった。
よく調教された最善の一手だ。怒り狂ってはいても忠実に主を守るその姿勢。流石は《シリウス》の実力者が契約した眷獣なだけはある。
そう関心しながらグレイはユンから距離を取り、魔導書を自分の近くへと呼び戻し、次の策を練る。
「うっ……。すまないロイン。助かった」
ユンは攻撃を受けた横腹を抑えつつ、しかし冷静に状況を把握する。
ユンは身体強化の魔法を使っており、当然防御力も上がっていた。にも関わらず、ただの拳でここまでのダメージを受けるのは少しおかしい。
考えられる理由として真っ先に思い付くのが、グレイの魔法を消し去る魔法だ。もしかすれば、グレイのその魔法は、身体強化の魔法すら消し去ることが出来るのではないか、と推測。
証拠に、火球を消し飛ばした時と同じ音が殴られた時にもしていた。恐らく、この推測は正しいものだとユンは断定した。
同時に、その魔法を消し去る魔法は直接触れられなければ問題はないことも見抜いていた。火球をわざわざ殴って消し飛ばしたのもそのためだと。
そして最大の弱点。グレイは、一撃で相手を仕留められるほどの強力な技を持っていないということだ。
もしグレイなら、完全な隙を突いた一撃で手加減などしない。あの格好の場面で、加減をする理由もまたないはずだ。それはつまり、攻撃力の高い魔法は使えないということの証明だったのだ。
「だとすれば。常に一定の距離を保ちつつ、手数で押し切ればこちらの勝ち、というわけか。なら、燃え貫け。《ニードル・フレア》!」
ユンは細かい炎の針を大量に飛ばし、ロインはそれに合わせるように大きめの火球を飛ばす。
グレイは軽く舌打ちし、右へ左へと飛び退いて攻撃を躱す。だが先程までの余裕はなく、ロインの火球が床に着弾する時に生じる衝撃に吹き飛ばされそうになる。
そしてとうとう、足がもつれて致命的な隙が生まれた。それをユンが見逃すはずもなかった。
「そこっ!」
ユンは同時に五発、ロインも五発。計十発の火球がグレイに襲い掛かる。
いくらグレイとはいえ、ほぼ同時に飛来する火球を全て叩き落とすことは不可能だ。
次の瞬間、十発もの火球がグレイに着弾し、爆炎を巻き起こす。見物に来ていた隊員達からもわずかに悲鳴が上がる。
容赦のない攻撃に、だがユンはここから更に畳み掛けた。これはユンが非情で冷酷だからという理由ではない。むしろユンはグレイをとても高く評価している。
ユンはこれしきのことでグレイを倒せたと思っていなかったのだ。
「ロイン! 《バーニング・タックル》!!」
「ブルォォオオオッッ!!」
ロインは地を強く蹴り、今までで一番勢い良く走り出す。まだ爆発で生じた煙が舞っているが、ロインは構わず突っ込んだ。
そして次の瞬間。ロインがその煙を突き破るように飛び出してきて、そのまま天井にぶつかり、天井に跳ね返されるように床に勢いよく叩き付けられた。
「なん──!?」
一体何が起こったのかわからないユンに、煙の中から姿を現したグレイが迫る。
そのグレイはいつの間にか、少し風貌が変わっていた。
灰色の聖衣と帽子。まるでおとぎ話の魔法使いのような姿に、混乱したユンの思考は更に掻き乱される。
しかし、そこは流石《シリウス》隊員。ユンはロインの無事を確認してすぐ、グレイに向かって魔法を放つ。勿論、一発や二発程度ではなく、細かく多くの火の針を飛ばした。
その攻撃は一発一発の威力が低い。しかし、普通の思考をしていればここで咄嗟の回避行動を取るはずだ。その間に態勢を整える。そういう算段だったユンの狙いはすぐさま瓦解する。
あろうことかグレイはまるで回避行動を取る素振りも見せぬままに真っ直ぐ突っ込んできたのだから。
一際強く地を蹴ると同時にグレイは魔法を紡ぐ。
「全て等しく透き通れ。《ミラージュ・ゼロ》!」
その瞬間、グレイの体に霞がかかったかのようにボヤけたかと思うと、ユンの攻撃がグレイの体を文字通りすり抜けた。
「はぁっ!?」
それには流石のユンや、見物人達も驚く。
そこにいるのに攻撃が当たらない。すぐに幻術の可能性を考えた。目の前に見えるグレイは虚像の偽物。なら、本物はどこに? と視線を周囲に巡らせると、視界の端に先程の魔導書を捉える。
あの魔導書はユンの視界を遮った時以外はだいたいグレイの周囲に浮かんでいた。
つまり、あの魔導書の近くに本物がいるのではないか。と推測する。しかしその可能性はすぐに捨てた。グレイがそんな間抜けをするわけがない。
そしてそれはその通りであったのだが、ユンはそれに気付くのが一瞬遅かった。『あの魔導書の近くに本物がいるのではないか』と考えていた時間、それだけのほんの一瞬の隙を、グレイは的確に狙い打つ。
ユンは一瞬だが魔導書に注意を向けてしまい、視線を戻すとグレイの姿が視界から消えていた。
「《噴炎》!!」
即座にユンは自分を巻き込む形で炎の柱を現出させる。
これならグレイが迂闊に接近出来ないだろうと踏んだ。しかし、グレイに対してその行為はまるで無駄だとすぐに身を持って思い知らされた。
「《リバース・ゼロ》!!」
ユンの周囲に燃え盛っていた炎の柱はグレイの拳によって、破砕音を撒き散らしながら打ち消され、その拳はそのままユンの腹部に向けて突き出された。
「ぐっ!? うッ……ロインッ!!」
「モオオオオオオッ!!!」
「なにっ!?」
ユンはグレイの攻撃をギリギリ腕でガードした後、ロインに命令を下す。細かな指示はなかったが、ロインはユンの求めていた通りに迅速に動き、拳を振り切ったグレイへと突っ込んだ。
一瞬驚きを見せるグレイだが、ロインの攻撃は再び霞がかったグレイの体をすり抜けるだけに終わる。
グレイはすぐさまロインから距離を取り、拳を構えなおす。だが、次の瞬間、聖衣は姿を消してしまい、魔力も限界が近付いていた。
魔力消費による疲れは無属性にはない。しかしアークが消え、身体能力が低下したことにより、体が少し重く感じ、大きく長く息を吐き出した。
一方ユンは攻撃を受けた腕を押さえつつグレイを睨み付ける。グレイの一撃は見事なものだが、ユンとて並の鍛え方はしていない。例え身体強化の魔法を消された上での打撃を受けようと、すぐに倒されるようなことはない。
ロインも先程のダメージをものともせず、ピンピンとしていた。グレイにロインを殴り飛ばせるほどの腕力はないはずにも関わらず、勢いよく天井にぶつかるほどの威力で殴り飛ばした方法については気になるも、今は置いておく。
ロインは警戒しながら、ユンの傍らへと近付く。そして、ユンとロインの目は今まで以上に熱の籠ったものとなった。
そんなほんの一瞬の激しい攻防に息つく暇もなかった隊員達。その中で二人、シエナとヴォルグだけが冷静に状況を判断し、審判役を買って出たシエナが口を開く。
「あ~、この勝負。引き分け! と、いう訳で、はい終わり終わり! 皆仕事に戻って」
「「…………はっ?」」
グレイとユンが同時にシエナを見る。そのシエナはパンパンと手を叩き、見物人達に撤収を呼び掛けている。
「お、おい待てシエナ! 何で急に止めるんだよ!」
「そうですシエナ先輩。理由を教えてください」
「もう。二人とも熱くなってるのはわかるけど、これ以上やったらどっちかが大怪我するでしょ。それにユン。貴女も今、本気出そうとしてたでしょ?」
そう指摘され、ユンはぐっと黙り込む。
「それにこれはあくまで訓練。れーくんはまだ学生で、ユンはこのあとに仕事だってある。これ以上やってどっちかに怪我なんかされると困るんだよ。わかるでしょ?」
説教のように言いつけるシエナ。正しくその通りの正論に、グレイもユンも大人しくなる。
「わかったよ。この決着はまた今度つけるからな!」
「そうだな。また相手してやる」
グレイとユンは健闘を称えあい、その場はそこでお開きとなった。
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そのあとグレイはヴォルグに呼び出されて、一人隊長室を訪れた。ちなみに、既に扉は修繕されている。
「何の用だ?」
「……取り合えずまずはノックしてから入れよ」
それどころか声をかけることもなくいきなり扉を開いて開口一番がこれだ。ヴォルグも軽く頭を抱える。
「まあ、いい。今更だからな。それでだ。呼び出した理由は他でもない。あの件についてだ」
「……新しい情報でも入ったのか」
「悪いが、その真逆だ」
つまり、何の情報も得られていない、ということだ。グレイは小さく、そうかとだけ呟く。
「《閻魔》は未だ動きを見せない。シエナにゃこれから各地の拠点らしき場所を回ってきてもらうつもりではいるんだが、あまり期待は出来んな」
「そうか。で、場所は?」
「言わねえよ。言えばお前一人ででも行く気なんだろ。だからわざわざ釘刺すために呼び出したんだ」
グレイは内心舌打ちする。グレイの行動パターンなど、ヴォルグには筒抜けだったのである。
「ユンとの戦いを見て、お前が成長しているのはわかった。あのトリッキーな魔法には確かに驚かされた。だが、あのままやっててもユンには勝てなかったろう。そして《閻魔》の幹部にも勝てやしねえ。それは自分でもわかってんだろ?」
そう。これでは足りない。末端の人間相手なら今のままでもやれるだろうが、そんな程度で幹部と戦えるはずもない。
グレイ自身それは十分理解していた。そんなグレイに対して、ヴォルグがこんな話を持ち掛けてきた。
「だから、当分俺が修行をつけてやる。ありがたく思いやがれ」