それぞれの休日 3
「あぁ。つーわけだから俺帰らねえから。……はぁ?! ちょ、ふざけんな! 嘘じゃねえよ! 美人講師との秘密のマンツーマンだっつってんだろ! ……いやいや来るなよ変態!! だぁああっ! うるせえ! 切るからな! ぜってえ来んなよ! いや、ちっげえよ! 逆の意味なんかねえよ! 来んなっつったら来んな! 今度こそ切る! あ~、あ~、なんも聞こえねえ~!」
わざとらしく聞こえないフリをして、通信用の魔道具を切るアシュラ。ただの通話だったのに、何故か息を切らしている。
「……一つ聞いていいですか?」
「何だよ!?」
思わず勢いで乱暴な口調になったアシュラだったが、振り返った先にいる笑顔と大きなリボンが似合う少女、もとい大人の女性を見てピシリと凍りついた。
「美人講師と、いったい何をするんですか?」
「は、ははは……。やだなぁ、勿論────勉強ッス……」
「はい。美人なキャサリン先生と、お馬鹿なアシュラ君との、秘密でもなんでもない、ただの地獄の勉強タイムですね」
完全にさっきの会話を聞かれていたことを悟るアシュラ。まさか、帰ってきていたとは。気のせいか、夏なのに冷や汗が止まらない。
「それを何やらいかがわしい説明をしていましたねぇ~。それでもし誤解が生まれて、あらぬ疑いがかかり、あまつさえクビになっちゃったりしちゃったら、アシュラ君。どうするつもりなんですか?」
「責任取って結婚します」
「慰謝料だけいただくことにします」
「ひでえフラれ方したっ!!!」
滂沱の涙を流してうずくまるアシュラだったが、キャサリンは何事も無かったかのように告げた。
「宿題」
「……………………はい」
ガチ泣きを一旦やめて、大人しく椅子に座り、まだ半分以上残るプリントの山を見て更に絶望する。
「ところで。アシュラ君は実家には帰らないのですか?」
「…………まあ、帰ったところで馬車馬の如く働かされるだけなんで。それに、宿題も終わる気配ねえっすから」
嫌そうな顔をして言うアシュラ。帰るも地獄。残るも地獄。それならいずれ来る天国のために、宿題地獄の方を選ぶ。それがアシュラの選択だった。
「確かアシュラ君の家は定食屋さんでしたね」
「その前に売れない、って付くタイプの寂れた店ですがね」
わざわざ自分の家の店を貶すアシュラだが、それはアシュラ自身の腕が否定していた。
アシュラの作る料理の腕はもはやプロの域であり、安い食材でも十分に美味しい料理を作る。
「今度行ってみましょうかね」
「やめた方がいいっすよ。あんな店に行くくらいならハイドアウト行った方が千倍良いっすから」
「ふっふっふ。知っていますよアシュラ君」
「……へ? 何を?」
「そうやってわざと悪口を言ったりする人のことを、ツンデレ、と言うんですよね」
「は……? …………いやいやいや、ちょいちょいちょい!? 何言ってんすかキャシーちゃん。んなのじゃねえっすよ。そもそも男のツンデレとか誰得っすから!」
全力で否定するアシュラだが、キャサリンは微笑ましいものを見るような目をしている。どれだけ否定しても、それら全てがツンデレだと認識されてしまっているのだった。
「くそ……。なんだこの負のツンデレスパイラル……!? 抜け出す道が見当たらねえ……!」
「こらこら。手が止まってますよ。まだ時間はあるとはいえ、このままだと宿題と合宿の二つしか思い出できませんよ」
「うわ、それは辛すぎるっ! うおおおっ! 一夏のアバンチュールのためだ!」
「動機が不純過ぎますよ……」
だがまあ、やる気になったのは良い傾向だ、と思っていたのだが、その五分後。
アシュラはテーブルに突っ伏し、頭から蒸気が出ているように見えた。
「駄目そうですね。ん~。こうなったら、一度息抜きしましょうか」
「息抜き?」
「少し体を動かしましょう」
「ベッドの上で?」
アシュラは問答無用で殴り飛ばされた。
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「なるほど。こっちね」
「それ以外あり得ないでしょうがっ!」
「いやいや。男と女が二人でいりゃあ………………マジ、すんません」
氷より冷たく鋭い視線に、このままふざけ続けていると本気でヤバイと直感し、素直に謝ることにした。
「全く……。アシュラ君はいつもいつも」
「欲望に忠実なんすよ」
「少しは自重しなさい。わかりましたね?」
「へ~い」
「返事は『はい』です!」
今、キャサリンとアシュラは旧校舎用の魔法練習場を訪れていた。
完全に集中力の切れたアシュラの息抜きとして、キャサリン直々に模擬訓練を付けることにしたのである。
「にしても、キャシーちゃんとやるのは随分久し振りな気がするな」
「最近は三人で勝ち星競ってばかりでしたからね。では始めますよ。アシュラ君はアーク使っていいですからね」
「キャシーちゃんも使ってくれていいぜ?」
「いりません。必要ないと思いますし」
「はっ! なら意地でも使わせてやるぜ! 来い《月影》!」
アシュラはアークの名を叫び、顕現したのは漆黒の大剣。その大剣を大きく振り上げたかと思うと、大量の黒い魔力が大剣から迸る。
「《月禍狂刃》」
アシュラの大剣から放たれるは、荒れ狂うように飛ぶ影の斬撃。それらは一斉にキャサリンに向かって襲い掛かる。
「そんな大振りの攻撃は当たりませんよ」
キャサリンは慌てることなく、冷静にその斬撃を躱す。アシュラの攻撃は迫力や威力はあれど、速度はそこまでではないので、落ち着いていれば何とか対応出来るのである。
「まだまだぁ! 《角影》!」
今度は地面から何本もの歪な角のような影を出現させ、キャサリンを襲う。
「おっとと」
ピョンピョンと跳びまわり、間一髪で直撃を凌ぐも、逃げ場がどんどん塞がれていく。
「《三日月ノ影》!」
そこにアシュラは横薙ぎに、三日月のような形をした斬撃を飛ばす。アシュラの出した《角影》をも斬り倒しながら飛ぶ斬撃の攻撃力は計り知れない。いくら講師とはいえ、直撃すればキャサリンも無傷では済まない。
そう──直撃すれば、だ。
キャサリンはその斬撃より高く跳び上がり、難なく直撃を回避する。
「よっしゃ、そこだぁ!!」
しかしここまでは全部アシュラの作戦通りの展開だった。空中にいればどうしても身動きが出来なくなる。
「もらったああああ!! 《凶禍衰月》」
アシュラから発せられたのは、夥しい量の影の手。それがまるで水流のように蠢きあい、宙にいるキャサリンに迫る。
「《クッション・バブル》」
だが、キャサリンは更にここまで読んでいた。冷静に足元に弾力性のある泡を出し、それを強く踏む。その反動でキャサリンは更に高くまで飛び上がる。
「んなっ!?」
「《スコール・レイン》」
完璧なタイミングで放った攻撃を躱されたアシュラを見下ろしながら、魔法を紡ぐ。
まるで土砂降りの雨のように降り注ぐキャサリンの魔法をアシュラは全身に浴びる。しかし全くダメージは無く、一体何の魔法なのか、と疑問に思った瞬間。
「な、何だっ!?」
急に体力が落ちたかのように体がダルくなり、握る大剣が重く感じる。
「《スコール・レイン》は相手の体力を削ぎ落とす魔法です。効果自体はそこまで大きくはないですがね」
気付くと背後にキャサリンが立っており、アシュラは慌てて飛び退くも、体が思うように動かない。
「でも、アシュラ君はさっきから魔法を大量に無駄撃ちしていたせいで魔力の消費が激しく、同時に体力も消費しています。そこにわたしの魔法を受けて、かなり辛いはずです」
それに対してキャサリンは今だ余裕の表情だ。何せまだキャサリンは魔法を二つしか使っていない。魔力はまだまだ有り余っている。
「へへ……。さっすがキャシーちゃん。やりやがるぜ。だけどなぁ! この程度でやられるかってんだぁぁあ!」
アシュラは更に全身から魔力を放ち、その魔力を大剣に集中させる。
「《上弦ノ剣》!!」
大剣は巨大剣へと姿を変えて、アシュラは渾身の力を振り絞ってキャサリンに向かって振り下ろす。
その攻撃を見上げるキャサリン。間近で見ると大した迫力だった。並の、それこそ同年代の生徒達なら足がすくんでしまうだろう。
だが、キャサリンはやはり冷静に、真っ向から受けることもなく、淡々と地を蹴って攻撃圏内から離れた。
次の瞬間、巨大剣が地面を打ち鳴らし、練習場が揺れる。
「くそっ! まだだぁ!」
「いや。終わりですよアシュラ君」
ゾクッ、とアシュラの体が震える。それは、キャサリンから恐怖を感じた、というわけではない。実際にこの練習場が冷えているのだ。
見ると、自分の足元や、巨大剣にいつの間にか氷が張り付いていた。
「さっきの《スコール・レイン》は、アシュラ君の動きをこうやって止めるための布石だったのですよ」
トコトコと身動きが取れなくなったアシュラの元へと歩くキャサリンは、まるで授業をしている時のような口調で話す。
「アシュラ君の魔法は攻撃力と防御力がずば抜けて高く、そして同時に魔力量も相当なものです。ですが、無駄が多いのです。牽制のための魔法にも大量の魔力を注ぎ、当たりもしないのに大技を無駄撃ちする。アシュラ君の攻撃には確かに派手で迫力はありますが、万全なわたしにとって、それは全く脅威ではないのですよ」
それはテストの間違いを指摘するような話し方だったが、アシュラは半分以上聞いていない。ここからの反撃を狙っていたからだ。
幸いなことにキャサリンは自分からアシュラの方に向かって歩いてくる。その隙を突くために、残った魔力を練り始める。
そしてとうとう射程圏内に入った。
「油断大敵! 《影れ──」
「《アイス・クラック》」
ビキンッ、と大きな音を立てたのは、アシュラのアーク、《月影》だった。剣に張り付いていた氷が、《月影》を砕いたのだ。
「ぐぁっ……!」
魔術師はアークを破壊されると、一気に大量の魔力と体力を奪われる。先程までですら限界に近かったアシュラの意識はそこで途切れた。
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次にアシュラが目を覚ましたのは、それから数分後。そこは練習場内にある簡易の医務室だった。
「あっ。起きましたか?」
アシュラが目を覚ましたことに気付いたキャサリンはパイプ椅子から立ち上がってアシュラを見る。すると何故かアシュラが悔しそうに震えていた。
「…………くそぅ。何で、何でこのシチュエーションで膝枕じゃないんだ……ッ!」
「嫌ですよ。足痺れますし、動けませんし」
バッサリと拒否られ、寝起き一発目で精神的ダメージを受けるアシュラだったが、何とか持ちこたえ起き上がる。
見るとキャサリンはわずかに額に汗を滲ませ、軽く息を切らしていた。アシュラはその原因にすぐに思い至る。
「あぁ、すんません。ここまで運んでもらった上に回復魔法まで使ってもらったんだな」
「いえ。気にしないでください。これくらいなら全然平気ですから」
キャサリンは水属性でありながらも、回復魔法を苦手としているのだ。回復魔法を使えば、普通の魔術師より多くの魔力を消費してしまうのである。キャサリンが今疲労しているのはそのせいであった。
「それに、生徒の一人や二人背負えずして何が講師ですか」
だが当の本人はそう言って笑っていた。全く。見た目は誰より子供のくせして、ここぞというときには頼りになる人だとアシュラは関心した。
「……ははっ。やっぱキャシーちゃんはいい女だな」
「何ですか急に? 褒めてもわたしの財布の紐は一ミリたりとも緩みませんよ?」
「歪みねえな、キャシーちゃん……」
少しは照れているようにも見えたが、それ以上のことは何も起こらなかった。
それを少し残念に思いながら、アシュラは自分の課題を見付けた気がした。