奇術師と嘘つき 5
一方、ミーティアのコロシアムでは一年生の決勝戦が行われていた。が、他の二、三年とは少々異なる試合となっていた。
と、言うのも、本来の決勝戦は二回戦を勝ち上がった三名によるバトルロイヤルなのだが、一年生だけは決勝戦は一対一の試合となっている。
理由は一つ。一年生の二回戦第三試合。アシュラとエルシアによる試合は両者の棄権、及び逃亡により、勝者を決められなかったからである。
その時の会場のブーイングの激しさといったらなかったが、リールリッドが一言『黙れ』と言った途端、水を打ったかのように静まり返った。そしてそのまま一年生の決勝戦のみ、一対一の形式を取るという方向に決定した。
リングでは今、ウォーロックとレオンによる試合が行われている。《プレミアム》という名前の陰に隠れてしまってはいたが、この二人も確かな実力者であるため、会場全体も大いに盛り上がっていた。
──ただ一人を除いては。
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「恐らく、当面の危機は去ったと思っていいだろう。リングに仕掛けられていた爆弾もあの問題児が偶然破壊してくれたようだからな」
リールリッドは隣で顔が青白くなっている少女に話し掛ける。だが、少女は先程からある一点を見つめたまま動かない。その方角は西。その方角には先程まで白い煙が上がっていた。
「それと、何やら町の方がやたら眩く光っていたが、特に被害が出たという報告も上がって来ない。どこぞの問題児がパフォーマンスでもしていたのだろう」
あえて核心を突かず、じわじわと真綿で首を絞める性格最悪の魔女、リールリッド=ルーベンマリア。
普段なら笑って大抵のことは見逃す彼女でも、今回のことばかりはどうしても見逃すわけにはいかなかった。
だが同時に心の底から感心もしていた。まさか自分に、《聖域の魔女》にこのような形で喧嘩を売ってくる人間がまだいるとは思ってもいなかった。むしろ良い教訓になったとすら言える。
しかしそれとこれとは話が別だ。なんせ、リールリッド本人だけを狙ったならまだしも、ミーティアの町や、リールリッドの宝である学院の生徒達をも標的に加えたのだ。
それが例え、囮だろうと脅しだろうと、何一つとして看過出来ない。つまり彼女らは正しく《聖域の魔女》の聖域を侵そうとしたのだから。
「先程からだんまりか? つい先程までの優秀な君はどこへ行ったんだい? なぁ──エミーシャ」
名を呼ばれ、わずかに反応を示したエミーシャは怯えた様子でリールリッドの顔を見る。
「…………え?」
「いやはや。私としたことが見事なまでに騙されたよ。君の演技力、見習わせてもらいたいくらいだった。その怯えた顔、プロとしての意地を見せようとする必死な顔、そして何より、腹の底から嫌っている相手に自分の感情を一切悟らせなかった。どれを取って見ても本当に素晴らしいと言える代物だった。だからこそ、君の本当の顔も見せてもらいたいな。《天神衆》としての、君の顔を」
鋭い目付きでエミーシャを睨むリールリッドの視線に堪えきれなくなったのか、エミーシャは突然震え出す。
否、震えているのではない。必死に堪えているのだ。だがとうとう我慢の限界に達したのかエミーシャはいきなり笑いだした。
「あはははっ! すごい。一体いつです? どこでバレたんです? これでも結構自信あったんだけど」
つい先程まで怯えていた彼女の姿はもうどこにもなく、リールリッドに対してずっと貫いていた敬語すら使わず、歪な笑い声を上げる。
「おっと。まさかただ鎌をかけたつもりだったが、それが君の本性なのかエミーシャ。しかしなるほど。実にらしいじゃないか」
鎌をかけた、とはいえ、どことなく彼女に違和感を覚えていたのは事実だ。エミーシャはわずかに、失敗した、という表情を見せたが、気にせず話を続けた。
「いや、違和感を感じたのは本当についさっきだよ。あの時、《プレミアム》二人の試合開始の合図を出した直後、君だけはこのコロシアムにいる他の誰とも違う表情を浮かべたんだ。何故、《プレミアム》の二人が棄権したのか、ではなく。何故、コロシアムに仕掛けたはずの爆弾が起爆しないのか、というような表情を」
それを聞き、エミーシャはしくじったなぁ、と小さく呟く。
「そうか。あの時か。貴女の力を封じたから気が緩んじゃってたのかしら。失敗したわ」
「いやいや。そうは言ってもそれもほんの一瞬の間だったよ。ともすれば見逃してしまっていた可能性もあった。《コモン》だと思ってまるで警戒していなかったよ。謝罪しよう」
「いやいやいや。ちょっとやそっと馬鹿にされた程度じゃ怒りませんよ。プロですから」
そう。まさしくエミーシャはプロとして演じきってみせたのだ。『少々抜けているところもあるが真面目でプロ意識もしっかりと持っていて、だが臆病で重要なことは誰にも伝えられず、脅迫犯の言いなりになってしまう』、そんな『人畜無害で臆病なエミーシャ』という虚像を。
だが、エミーシャは自分の正体を見破られてしまったというのに、まるで怖じ気付く様子がない。もう全て諦めたのか、それともまだ何か奥の手があるのか。
「エミーシャ。悪いことは言わない。このまま大人しく捕まりたまえ。私とて手荒な真似はしたくないからな」
「ふふ。何言ってるんですか。嫌ですよそんなこと」
「そうか。なら何故そう余裕ぶっていられるのか気になるな」
「だって。一番怖い貴女は既に封じましたし、それに私以外の仲間は別の作戦を今も実行中ですから」
「封じる? あぁ、これのことか」
そう言ってリールリッドは左手に填められた手錠を見せる。だが、その手錠は次の瞬間、音を立てて粉々に砕け散った。
「…………えっ?」
ここに来て、はじめてエミーシャは素の、驚愕した表情を見せた。
「私の魔力を封じ込めたいなら、もっと質の良い物を買ってくるべきだったな。これくらいの枷、破壊出来なくては魔女は務まらんよ」
魔力を吸収し、外部に放出させないために作られた魔術師封じの手錠。並の魔術師なら、これを填められた時点で詰みだ。
しかしリールリッドはその手錠の魔力吸収を逆手に取り、大量の魔力を流し込み続け、内部から破裂させたのだ。
常識はずれの力を持つ魔女。決して油断したわけではない。ただ単にリールリッドが規格外だったのだ。
これにより、リールリッドは再び《聖域の魔女》としての力を取り戻したことになる。だが、エミーシャは一度表情を歪めただけで、すぐに元の表情に戻った。
「あらら。こちらこそ失礼しました。貴女という魔人の化け物っぷりを読み違えていました」
「気にしなくていい」
先程とは真逆のやり取り。エミーシャもリールリッドも腹の底で何を考えているかわからない。
さっきまでとは一転し、圧倒的に不利な状況となったエミーシャ。だというのに、この不気味なまでの余裕な態度は何なのか。エミーシャという人間の思考は一体どうなっているのか。
リールリッドはありとあらゆる可能性を考える。彼女の目的を。《天神衆》の目的を。
自分を封じ込めてコロシアムを爆破する。それが本当の目的なのか。違う。それならもっと早くに起爆しておけば良かった。なら別の目的があることになるが、それは一体何なのか。
そして気付く。エミーシャが自分で言っていたではないか。自分の目的は、リールリッドを封じ込めることだと。もっと的確に言えば、リールリッドの魔法を一時的にでも遮断すること。
そうすることによってリールリッドが発動させていた魔法の全てがキャンセルされる。この町に張っていた魔法も。そして学院に張っていた魔法も全て、だ。
「そうか。だからこの手錠をかけた直後に私を殺しに来なかったのか。私ほどの存在が死ねば何が起こるかわからない。何か特別な仕掛けを施している可能性もあり得る。そしてその何かが起これば他の作戦に支障をきたす恐れが出てくる。すなわち、その他の作戦の中にこそ、君達の真の目的があるというわけか」
「ご明察です。流石は博識でいらっしゃる。私ら如きの浅はかな《コモン》の考えは、即座に看破出来るというわけですね」
自嘲気味にリールリッドを称賛するエミーシャ。彼女が余裕なのは、既に自分は役目を終えていたから。ここで自分が殺されようと、その作戦すら成功していれば何も問題はないから、だから彼女は何も恐れることなくリールリッドに喧嘩を売れるのだ。
「目的は、学院か」
「さぁ? どうでしょう」
「…………『秘宝』か」
その言葉にエミーシャはほとんど無意識でわずかに肩を震わせる。その反応を見逃すほど、今のリールリッドは甘くない。
「そうか……。その情報をどこで仕入れたかはさておこう。しかし恐らく、その作戦は失敗に終わるだろうな」
だが、リールリッドは一気に安心したかのように脱力した。それを見たエミーシャから、余裕の表情が消えた。
「…………何故、失敗に終わると?」
「本来ならわざわざ教える義理はないが、今回は特別に教えてやろう。学院にはカーティスを置いてきているからだ。相手が魔術師ならまだしも、君と同じ《コモン》なら、おそらくその者に勝ち目はないだろう」
「それはまた、大きく出ましたね。ですが、その作戦には私達の中で一番強い者を向かわせたんですよ? 今貴女の学校の主要な魔術講師はほとんどミーティアの防衛に当たっている。魔術師とはいえ、彼に勝てる人物なんてそうそう──」
「カーティスは聖騎士だ」
それを聞き、今度こそ、エミーシャの余裕は完全に消え去った。
聖騎士。自らの技と魔術装備を使い、魔術師にも引けを取らない実力を持つ、《コモン》が辿り着ける最高で最強の称号。
いくらリビュラでも、そんな相手に簡単に勝てる保障はない。エミーシャは第一目標達成が極めて困難、いや不可能なのだということを悟る。
「……そう、ですか。なら──仕方ない」
だから、誰も知らない──リビュラにすら伝えていない作戦を決行することを決意した。
「ここで、終わりです!」
「無駄だよエミーシャ。もう──終わっている」
突然エミーシャが懐に手を忍ばせたかと思えば、途端に彼女の体は動かなくなった。否、動かせなくなったのだ。まるで見えない何かに縛りつけられているような感覚。
それがリールリッドの魔法だということに気付くのに、数秒時間が掛かった。
「な、に……を?」
「別に。動きを拘束しただけだ。《コモン》の君には気付けなかっただろうが、私が手錠を壊した瞬間にこの部屋には私の魔力が充満していた。君が何かしらの行動を起こそうした時、すぐに君を拘束出来るように仕掛けていたのさ」
事も無げに言うも、リールリッドは魔法を使う素振りを一切見せていなかった。
リールリッドにとって魔法を発動するのは息をするのと大して変わらないもの。エミーシャはそのことを失念していた。
「は、はは……。自爆、も、出来ないなんて」
「私ごと吹き飛ぶつもりだったか。だが、それは遅すぎだったな。手錠をかけた瞬間に使えば、あるいは私を殺せたかもしれんが」
「あぁ、失敗、した……。死なずに、済むならそれが、いいだなん、て、思ったせいで……」
《天神衆》のためになら命を捧げる覚悟もあったというのに。昨日、通話越しに聞いたリビュラの声を思い出してしまったせいで、死ぬことに躊躇いを覚えたせいで、千載一遇のチャンスを無駄にしてしまった。
「……見事だったよエミーシャ。自爆覚悟の相手なら何度も見てきたが、ここまで作戦を練り込んでまで仕掛けてきたのは君達がはじめてだ。まあ、決して褒められた行為ではないのだがね」
リールリッドは小さく笑い、指を鳴らす。その瞬間、エミーシャの体に巻き付けられていた爆弾が一人でに外れ、まるで水圧に潰されるかのように空中で押し潰される。爆発は起きず、そのまま塵となって消えた。
「さあ。エミーシャ。どうせなら、最後まで君の仕事をやり遂げてはもらえないか? これがおそらく、君の最後の仕事になるだろうから」
嫌に笑顔なリールリッドがエミーシャに向かって頼み込む。見ると舞台ではちょうどレオンとウォーロックの試合に決着が付いたところだった。
「あとは三年生の決勝戦だけだ。頼まれてくれ。優秀な司会の、エミーシャ」
「………………はぁ。最低最悪の最後です」
そう呟き、何もかも諦めたような表情をしたエミーシャは、しかし次の瞬間には『司会者』の顔をしていた。
『ついに決着ぅぅ!! 栄えある一年生の部、優勝者は──』