奇術師と嘘つき 2
「すごい……」
チェルシーは思わずそう呟いていた。大人数を相手に、まるで怯む様子もなく、むしろ圧倒している。だがグレイの戦い方は、チェルシーの知る魔術師の戦い方とはまるで違っている。
当然だ。なんせ今グレイは魔法を使っていないのだから。それに、小道具まで使っていて、これを魔術師が見たら邪道と罵られそうだった。
だが、これはグレイが魔術師になる前に、死に物狂いで身に付けた技術だ。相手の不意を突き、欺き、騙して、奇襲する。とても実戦的な戦い方だ。
だが実戦主義を謳っているにも関わらず、学院では小道具の使用までは認められず、試合や大会などでは主に魔法と肉弾戦のみで戦ってきた。
だが、学院の外で、しかも試合ではない場合で使う分には何も問題はない。とても久しい感覚がした。
「くそ! 何が魔法は使わないだ! ペテン師め!」
「ん? いいや。使っちゃいねえよ」
「嘘吐くんじゃねえ! どうせ魔力で身体強化してんだろ! そうじゃなきゃそんなスピード出せるわけねえ!」
「してねえよ。本当に。ただ全力で走っただけだ」
そう。グレイは本当に魔法も、魔力による身体強化すらしていない。単に彼らがグレイの走る姿を見ていなかっただけだ。なんせその時の彼らの意識は、眼前に飛来する玉にだけ向けられてあったからだ。
グレイはその意識の外側を走っただけに過ぎない。足音を殺していたというのも理由の一つだが、こんなもの魔法と呼ぶのもおこがましい単なる小細工なのだ。
「そ、それに何だよあの爆発する玉は!? ありゃ魔法じゃないのかよ!?」
「はぁ? それ本気で言ってんならお笑いだぜ? あんなのはただのおもちゃだよ。小さい花火だ」
そう言ってグレイは剣を弄ぶ手とは逆の手に乗っている小さな玉を手のひらの上で転がす。
「い、いつの間に……?! さっきから一体どうやって……?」
「これもお前らの言うところの魔法だっていうなら、お前らも努力次第で魔法使いになれるな。だが、違う。これは魔法じゃない。ただの手品だよ」
グレイは小さな花火を持つ手を握り締め、再度開く。すると花火の数は二つに増え、さらにもう一度同じ動作をすると、今度は三つに増えていた。
「確かにお前ら《コモン》は魔術師にはなれない。でも努力次第で奇術師ならなれるはずだ」
別に馬鹿にしたわけではない。ただの事実だ。だが、モーガンはそれを挑発と受け取った。
「殺すッ!」
モーガンは近接戦は不利だと悟り、遠くから小型の爆弾を放り投げてくる。グレイは持っていた花火をその爆弾に見事にぶつけて誘爆させる。
爆発で生じた黒煙のせいでグレイの姿を見失う。まさにそのタイミングで黒煙を貫いて飛来してきたのは、先程までグレイが片手で弄んでいた剣だった。
モーガンらはギリギリ対応が間に合い、回避行動に移る。が、その剣から突然大きな破裂音が連続で炸裂し、思わず耳を塞ぐ。
実はグレイは剣を投げて弄ぶフリをしながら、剣の柄に大きな音が鳴る火薬玉を紐でくくりつけていたのだ。
全員の注意が剣に向かう。それは反射的な行動であり、意識してやったことではない。そしてグレイはその無意識の隙間に潜り込む。
剣の方にばかり集中していた男は、急に膝裏を突かれ、膝が曲がり、姿勢が低くなる。続けざまに顔面を捕まれて、そのまま地面に後頭部を叩きつけられた。
また一人仲間が気付かぬうちに倒され、半狂乱になって更に三人がグレイに襲いかかる。
しかし、それはグレイの思う壺だと言うことを、彼らは理解していない。
グレイは大きく手を広げる。半狂乱となった彼らにとってはたったそれだけのことで、注意はグレイの上半身だけに向けられる。
上半身に注意を引き付けた後、グレイは足で地面を蹴り上げ、砂を巻き上げる。
目潰し。単純ながらも高確率で相手を怯ませることの出来る実戦的な戦法。冷静さを欠いた状態の人物は、そんな単純な手にも簡単に引っ掛かる。
動きが止まり、視界を奪われた相手に、グレイは容赦なくそれぞれ鳩尾、顎、後頭部を狙って殴り、三人の意識を狩り取った。
そして残ったのはモーガン一人となった。何人もいた仲間が全員倒されたことにより、モーガンは迂闊に動くことすら出来ずにいた。
「さぁ。そろそろショーも大詰めだな。最後の演目は、俺がもっとも得意とするナイフ投げだ」
そう言ってグレイは懐から七本のナイフを取り出した。
「この七本のナイフ。うち六本は偽物だが、一本だけ特別なのがある」
試しにグレイが六本のナイフを自分の手のひらに突き立てた。しかし、ナイフの刃はカシャカシャと動くだけで、手のひらには傷一つ付いていない。
だが最後のナイフだけはグレイの手のひらにわずかに刺さり、刃に赤い液体が伝い、やがて地に落ちる。それを見たモーガンの喉がごくりと鳴る。
「今からこれをシャッフルして、一斉にお前に投げ付ける。狙う場所は顔、右腕、左腕、心臓、肝臓、右足、左足だ。好きなところを守るといい」
グレイはそう言ってナイフをジャグリングのように宙に投げる。モーガンは目を血走らせながら、七本目のナイフを追う。全神経をそこに集中させ、決して見逃してはいけないという強迫観念に従う。
そしてそれは、すごい集中力を発揮させるのと同時に──他のところの注意を散漫にさせることに繋がる。
グレイは例の七本目のナイフをわざとより高くに放り投げた。モーガンの視線は無意識に、あるいは意識的にそのナイフを追いかける。
今まで何度となく引っ掛かった視線誘導トリックだが、グレイの異様な強さと雰囲気、ほのかに薫る死の匂いに、ついさっきのことすら忘れてしまっていた。
「終わりだ」
ナイフを追うため視線を上に向けていたモーガンのすぐ真下から声が聞こえた。
次の瞬間、モーガンの鳩尾にグレイの拳がめり込み、モーガンは両手で腹を抑え膝を突く。体の大きなモーガンの姿勢が低くなり、痛みからか頭も下がる。グレイはその後頭部に強烈な手刀を叩き込み、モーガンはそのまま気を失い地面に倒れ伏した。
グレイはちょうど落ちてきた七本目のナイフを掴み取り、既に意識のないモーガンにネタばらしする。
「実はな。このナイフもおもちゃなんだよ。特別に、刃の先端から赤い液体が出るんだ。良く出来てるよな」
それをモーガンは勝手に本物のナイフだと信じきっていた。別にグレイは本物のナイフだとは一言も言っていないのに。しかし、彼は恐怖を感じ、単純なトリックに引っ掛かった。
だが何もおかしなことはない。死の恐怖は人間誰しも感じるものなのだから。そして死の恐怖は冷静な判断力を失わせる。あの時モーガンはグレイに恐怖するあまり、グレイの言葉通りに動かされ、反撃することすら忘れていた。
グレイの奇妙な奇術によって。
──過去、グレイが魔術師と戦うために身に付けた奇術。それは、かの有名な最強の魔術師団《シリウス》の隊長をすら騙し、傷を負わせてすら見せた。魔法を使えない小さな子供が、技術と奇術のみで、である。
だが魔術師と言えど人間だ。ナイフで切れば傷が付き、フェイントにだって引っ掛かる。油断もすれば、緊張もするし、焦りもすれば失敗もする。戦場で、命のやり取りをしている最中だというにも関わらず、敵が不気味に笑っていれば、たとえ相手が魔法を使えない相手だとしても、うすら寒い、底知れない恐怖を感じることだってある。
そこに付け入れば、魔法を使わずとも魔術師を封殺することだって出来るのだ。事実グレイはそれが出来た。
そして彼の師は魔法を使わずにその《シリウス》の隊長に勝ったことすらあるのだ。
だからこそグレイは《コモン》にだって無限に可能性が広がっていることを知っている。
だからこそグレイは、その可能性の一つをチェルシー達に見せてやりたかったのだ。諦めるには、まだ早いのだと言うことを、教えてやりたかったのだ。
「これにて本日のショーは終了だ。それではどうぞ、今宵は楽しく良い夢を──」
まるで感情のこもっていない、まるで用意されていたような台詞を最後に呟く。
するとグレイの表情から笑みが消え、普段の眠たげでめんどくさげな表情へと戻った。
「あぁ……疲れた」
グレイはその場に座り込む。その様子をチェルシー達は静かに見ていた。本当に、たった一人で全員を倒してみせた。傷一つ負うことなく、一人も殺すことなく。
これほどまでの強さを、どこでどう身に付けたのか、チェルシー達には計り知れなかった。
そのグレイはすぐに首に掛けているデュアル・クロスに魔力を通す。
するとデュアル・クロスはミーティアではなく、東門付近を指し示した。
「そっちは、まさか……」
その方角には、《天神衆》の最後の作戦の要となるものがある。まさか一人でそれを片付けるつもりなのか、と不安になっているところに、白い雷がグレイ達のすぐ近くに凄まじい勢いで降ってきた。
「やっと、見付けたっ!」
「エ、エルシア……?」
その雷の落ちた場所から現れたのは、やはりエルシアだった。そのエルシアはすぐにずっと心配していた人物に抱きついた。
「良かったぁあ! 無事なのね?! 怪我とかしてないわよね? 変なことされてないわよねっ!?」
「ちょっ、エルシア。大丈夫だって。私は平気だから」
急に降ってきたエルシアにいきなり飛び付かれて、慌てふためくチェルシーを遠目に見てグレイは「あぁ、うん。相変わらずだな……」と呟いた。