奇術師と嘘つき 1
第26話
チェルシーは久し振りに聞く懐かしい声に、目頭が熱くなるのを感じた。
そしてゆっくり目を開いて見ると、そこには銃を持っていた男が大の字になって倒れており、チェルシーのすぐ横には──
「店長ぉ……」
「ったく、心配かけさせやがって。この馬鹿共が。それどころか人様に迷惑かけやがってからに。帰ったら説教だから覚悟しろ」
──ハイドアウト店長、名はダーウィン。かつて、地上の星、《アウトロー》の誇り、などと謳われた《ホタル》という組織に属し、魔術師にも匹敵するほどの実力を誇り、国王に《アウトロー》の権利を確立させた者達の一人。
今は年老いた影響で全盛期ほどの力を持ち合わせてはいないが、その名は今尚語り継がれている──
ダーウィンの登場に、ハイドアウトの者達は活気付く。
「店長! よく無事で……ッ」
「良かった、本当に……」
「俺、店長が死んだと、思って」
見るとチェルシーだけでなく、他の者達も涙を浮かべている。だがダーウィンはそんな彼らに容赦なく拳骨を振り下ろした。
「この、親不幸者共が! 儂を勝手に殺すんじゃないわっ! いや、それだけならいざ知らず、あんな《天神衆》に唆されおって! 恥を知れ!」
普段のダーウィンは温厚で無口で茶目っ気のある人物なのだが、それは年齢を積み重ねる度に培った営業時のスタイルで、これが彼の地なのだ。
「「「ご、ごめんなさい……」」」
「謝る相手が違うわ! お前達が本当に迷惑をかけたのは、あの子達だ!」
そう言ってダーウィンはグレイを指差す。
あの子達。という言葉を聞いたグレイは瞬時にミュウのことだと思った。が、それと同時にあの二人の事も脳裏によぎる。
ここに来る前、町のあちこちで謎の光が炸裂しているのを確認しているため、恐らくミュウが二人にも協力を頼んだのだろう。そしてその場にダーウィンもいたのだろう。彼がここに来たのも、ミュウに作戦のことを聞いたからのはずだ。
頼もしい。これで町の方は安心だ、と思うのと同時に彼らの大会を邪魔してしまったことを悔いる。
勿論、ミュウのその判断を責めるわけではない。むしろよくやってくれたと感謝しなくてはならない。だがやはり、申し訳ない気にもなった。
「くそが。結局生きてやがんのか。やっぱり魔術師なんぞに殺しの依頼なんざするんじゃなかったぜ」
そう溢したのはモーガンだった。ハイドアウトの全員はその発言に驚きを隠せない。だがモーガンらはそのことを隠すつもりはもうないらしい。
「やっぱ、全員始末しねえといけねえみてえだぜ。リビュラさん」
モーガンはここにはいないリビュラの名を出した。それでようやくモーガンの狙いがわかった。つまり、ダーウィンはハイドアウトの監視、及びダーウィンが彼らに接触された時、ダーウィンもろとも全員を処理するつもりだったのだ。
「良かったな最期に店長さんに会えてよ。んじゃ、お前ら全員仲良くあの世に逝って、そこでまた新しく店でも開いてくれや!」
モーガンはそう言って手に持っていた爆弾を放り投げた。
「させねえよ」
だが、その爆弾はグレイが握っていた鉄パイプで打ち返し、空高く飛んだ所で爆発した。
「……とことん、邪魔してくれやがるな! 」
「褒めんなよ。嬉しくねえぞ」
苛立つモーガンを挑発するように不敵に笑うグレイ。
「店長。無事で良かったです」
「すまん。君にも苦労かけた。この恩は必ず──」
「いらねっすよ、そんなの。俺はただの自己中で優柔不断な最低野郎なんで」
ハイドアウトのことを考えて、このことを誰にも通報せず、一人で解決しようとした自己中心的なエゴイスト。
町の人々の命とハイドアウトの未来を天秤に乗せ、結局自分では決断出来ずにミュウに重荷を背負わせた優柔不断さ。
チェルシー達の生い立ちや感情を理解していながらも自分の価値観を押し付けた最低野郎。 その自己評価を再確認して、本当に自分が嫌いになる。
「違う! 最低なのは私だ! 私は自分のことばっかり考えてた。グレイの話をちゃんと聞かなかった! 《天神衆》の話ばっかり信じてて、他の何も信じられなかった! 私の方がもっとずっと最低だった!」
「そうだ。チェルシーの言う通りだ。すまなかった!」
「ごめんなさいグレイ君」
だがチェルシーが、そして続いて他の皆が次々にグレイの言葉を否定する。
「みんな……」
「っかぁ~! うっぜぇんだよお前ら!」
生粋の《神徒》であるモーガンには、彼らは目障りな存在でしかなくなった。
「仲良しごっこはあの世でやれって言ったろ! おいてめえら!」
モーガンは仲間に指示を出し、自分も一緒にグレイ達へと迫る。
──パンッ!
だが、不意のその音にモーガン達は怯み、足を止める。その音の正体は、グレイが強く手を叩いた音だった。
何の合図だ? 今何をした? モーガン達はグレイの行動に何か意味があるのか、と疑う。
魔術師なら、手を叩くだけで魔法を発動出来るのかもしれない。
その、かもしれないという疑惑が、彼らの動きを抑制していた。
だが当のグレイは特に何も起こさないまま店長に話しかけた。
「店長。あいつらの中に見知った顔はありますか? もしかしたらミーティアで《天神衆》に洗脳された人達がいるかもしれない」
「……おらんな。構わん。恐らく全員が外部から来た者達だ」
「そんなのわかるんですか?」
「これでも長く生きとるし、まだボケも始まっておらん。町の人間なら大抵見知っておる」
「……そりゃすげえ。でも安心しました。あまり加減しなくて済む」
「手伝うぞ」
「無理しないでください。今意識保ってるのもギリギリなんでしょ? ここは俺が一人でやります」
グレイは無茶だと制止を呼び掛けるダーウィン達を庇うように立ち、モーガン達に向かって言う。
「ここで俺が魔法を使うのは、やっぱりフェアじゃないよな。それに、今回は使っちゃいけない気もする。だから宣言する。俺は一切魔法を使わないでお前らを倒す」
魔術師が、魔法を使って、魔法を使えない《コモン》を倒す。
それは、何となくだが、駄目なような気がした。ここで、それをやってしまえば、何かが決定的に破綻してしまう気がした。
だがそれはモーガン達には伝わらず、わかりやすいくらいの挑発だと受け取った。モーガンは怒りを通り越して笑ってしまう。
「魔術師が魔法を使わずに戦うだと?! この数を?! 一人でか?!」
「あぁ。現にそこに転がってる奴等は魔法使わずに倒してみせただろ?」
先程グレイが倒した者達の数人は未だ気絶したまま動かない。殺したわけではないので、いつ起き上がってくるかはわからないが、問題はない。あの程度ならいくら増えても、負ける気はしない。
それは驕りではなく、身に染み付き、心に刻まれた経験が、そう確信させているのである。
「俺が一番得意とする戦い方、俺が魔術師になる前に身に付けた、魔術師とも戦える術。それでお前らを倒してやるよ」
グレイはハイドアウト、《天神衆》両名にそう言った。《コモン》である、彼らに向かって。
「はんっ! なら、やってみやがれってんだ!!」
「承知致しました。──それではお見せ致しましょう。夢を無くした道化師の、心踊る楽しいショーを。《天神衆》の皆様は、これから始まる愉快な悪夢を、心行くまでお楽しみください」
グレイは胸に手を当て、仰々しく頭を下げて、まるで用意されていたかのような台詞を吐く。それは自己暗示、意識を切り替えるためのマインドスイッチだ。そしてそれは同時に、相手を挑発する効果も持ち合わせていた。
その証拠に、今の如何にもふざけたやり取りに苛立った《天神衆》の一人が武器を振り上げながらグレイに突っ込んでいく。
だが頭に血が上った相手ほど相手取りやすい敵もいない。下げていた頭を上げたグレイはそのまま宙返りして向かい来る敵の顎を蹴り上げる。その一撃で男は意識を失い仰向けに倒れる。
顔を上げたグレイの表情を見ると、そこには酷く歪な笑顔が張り付けていた。
「夢想遊戯」
続けてグレイは、いつの間に手に持っていたのか、色とりどりの小さな玉をモーガン達の顔面めがけて投げ付ける。
モーガン達は咄嗟に腕で防ぐ。だが、その玉は本当に何の変哲もないただの玉で、当たったところで痛みもほとんどない。
「ふ、ふざけ──ッ!?」
ふざけるな。そう言おうとした者のすぐ真下には、いつここまで移動したのか、不気味に笑うグレイの姿があり、それに気付いた時には既にグレイの拳を受けて宙を舞っていた。
いきなり隣にいた仲間が吹き飛んだと思ったもう一人は、グレイに気付く前に腹部を瞬時に三回蹴られ、地に膝を突く。そして追撃のかかと落としを食らって顔から地面にめり込んだ。
「この……死ねえ!」
グレイから距離を取り、銃を向けるモーガン達。一斉に銃声が鳴り、いくつもの銃弾がグレイに向かって飛ぶ。
しかしグレイは両手をだらんと下げ、薄気味悪い笑みのまま、その銃弾を躱し続ける。一発たりとも当たらずにそのまま確実に相手との距離を詰めて行く。
「うおおおああっ!!」
グレイに底知れない脅威を感じて、銃を投げ捨てがむしゃらに剣を振り下ろす者もいたが、その攻撃は紙一重で躱されて、目の前に先程の小さな玉を放り投げられる。
どうせただの玉だとたかをくくっていたが、その玉はその者の目の前で突如として弾けて火花が散る。
完全に不意を突かれた形となり、悲鳴を上げ、目を両手で押さえながら仰け反る彼の後頭部を、グレイは容赦なく蹴り飛ばし、そいつが落とした剣を足で蹴り上げ手に掴んで色んな角度でその剣を見る。
「う~ん。安物だな、これ。しかもほぼ新品。まさしく急拵えで揃えましたって感じだな」
そう言って剣を真上に放り投げて弄ぶ。くるくると回転しながら落ちてくる剣をよそ見しながらもしっかりとキャッチし、再度放り投げる。
「な、何なんだお前は……ッ?!」
「さあ? 一体何なんだろうな、俺は」
モーガンは今、確かに恐怖を感じていた。グレイの子供らしからぬ強さと戦闘能力。実戦慣れしている隙のない動きと技術。
そして何より、これだけのことをしておきながら一切崩れることのない不気味で不敵な笑み。どこか眠たげな灰色の瞳。その瞳から覗く、底すら見えない圧倒的な『無』。
──俺は一体、何と戦っているんだ?
モーガンの額には、じわりと焦りの色が浮かんでいた。