魔術師の性 2
──時はやや遡り、まだ朝日が顔を出していない時刻。エルシアとアシュラは傷を負った店長と町の水路で遭遇し、そこから一番近い宿屋へと彼を運び込んで治療していた。
最初、彼らは店長を病院へと運ぼうと思っていたのだが、店長は意識を失う前にどうしても病院だけには連れて行くなと切羽詰まるような声で訴えたのだ。
なのでエルシアが急遽回復魔法を掛け、今は宿で休ませているのである。
しかしエルシアの魔法、《ライフ・ライト》は傷の回復は出来るが体力の回復までは出来ず、意識は失ったままだった。
「どうなってるのよ? 何で店長がこんなにボロボロに」
「んなこと知らねえっての。だが、良くないことになってるってのはわかる」
「それくらい私にだってわかるわよ」
またすぐに喧嘩に発展しそうになっていた二人だったが、怪我人の前で大声で騒ぐわけにもいかず、そもそも他の客に迷惑にもなる。だが二人とも冷静ではいられないのだろう、アシュラは部屋を歩き回り、エルシアはずっと店長に付き添っている。
すると店長がわずかに目を開き、二人の顔を確認する。
「店長! 大丈夫ですか?!」
「君、か……。あぁ、大丈夫だ。まだ体の自由は利かないが、峠は越えたようだ。君らのおかげだな」
「わりい店長。感謝より先に事情を説明してもらえるか? 今何が起きてる?」
アシュラはいつものふざけた調子を潜め、至極まともな質問をする。
「そうだな。巻き込んでしまったのだから君らにも話さねばなるまい。しかし、まずここを移動せねば。場所を知られてしまった可能性がある」
「誰に?」
エルシアが尋ねると突然扉がぶち破られ、何人もの人が部屋の中へと飛び込んできた。
「……奴等にだ」
「「わかりやすい!!」」
これ以上ない証明だった。何せたった今ここに不審者が飛び込んで来たのだから店長の言葉を疑う余地もない。
「いたぞ! 奴だ! 今すぐとどめを刺せ!」
「他に二人ガキがいるぞ! どうする!?」
「構わん殺せ!」
なんとも穏やかではない言葉が飛び交い、二人はすぐに行動に移す。エルシアが魔法で不審者の目を眩まし、アシュラが店長を背負って窓から飛び降りる。続いてエルシアも窓から飛び出し、その場を離脱する。
後ろから何人もの声が聞こえてきたが、一切振り返ることなく真っ暗な夜道を逃げ回った。
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「……なんとか逃げ切ったか?」
「そうね。近くに人の気配はしないわ」
あれから三人は謎の襲撃者から逃げ切り、ようやく安堵の息を吐き、アシュラはベンチに店長を座らせる。
「重ね重ねすまんな。あの通り、儂は命を狙われとる。それに加えて敵が誰なのか、どこにいるのか、それすらわからん状況でな」
「どんな状況だよ、それ……?」
「いや。敵の組織の名前はわかっている。《天神衆》だ。だが現状誰が《天神衆》なのか見分けがつかんのだ」
おそらく、宿屋の店主も《天神衆》の仲間か何かで、居場所を他の仲間に知らせたのだろう、と店長は言うが、二人の意識は別のところにあった。
《天神衆》。その名を聞いた途端、彼らの脳裏に浮かんだのはグレイのことだった。これで繋がった。やはりグレイは騒動のただ中にいる。
何が起きるのかはわからないが、相当ヤバイことになっているのは、あの襲撃者達を見ても明らかだ。
「だが、何で店長が狙われるんだ? 奴等の目的は魔術師だろ?」
「儂のことを殺しておいた方が、あいつらを動かしやすいんだろうな。いや、もしくは儂はもう死んだことにされてるかもしれんが」
「え……? あいつら、って……。ま、まさか……!?」
エルシアは何かに気付いたように口を抑え、アシュラもなるほどな、と頷く。
「ハイドアウトのみんなが《天神衆》に荷担してるってわけか。いや、荷担っつーよりは利用されてる、だな。それでグレイがそれをどこかで知って、一人で勝手に動いてる。そういうことだな」
《天神衆》の行う宣教活動には魔術師はよほどのことがない限り介入できない。だがもし、武力による反逆に出ればいくら《神徒》だろうと問答無用で逮捕される。
そうなればハイドアウトのみんなも当然捕まることになる。いくら利用されていただけと言ってもこれも立派な犯罪行為だ。恐らく無罪放免にはならない。
そしてグレイはどこかでハイドアウトが《天神衆》に荷担、もしくは利用されていることを知り、それを阻止するべく動いており、彼らのことを思って魔術師団にも通報していないのだろう。
「で、でも店長の生死を確認もしてないのに、何でハイドアウトのみんなが協力してるのよ?!」
「それには、秘密がある。外道の使う魔薬の仕業だ」
「魔薬だぁ?! あれは普通、魔術師にしか効かねえんじゃ?」
「確かにそうだけど、逆に魔力を持たない人にも効く薬があるのよ。薬草とかが良い例ね」
「そう。薬草は法薬で、害のないものだが、奴等の使っている魔薬は最悪だ。人の恨み、妬み、怒りといった感情を増幅させ、正常な判断が出来なくなるのだ。加えてあの宣教師は言葉巧みに人の心に眠る暗い感情を呼び起こし、思いのままに操る。まるで洗脳のようだ」
その魔薬は甘怨香という香水だ。甘怨香の香りは魔力耐性のない《コモン》には感じることは出来ない。しかし魔力耐性のある魔術師には、拒絶反応が出るようで、すごく甘ったるい匂いがするらしい。
「その匂いを嗅がされて、思考がままならない状態になっとるんだ」
「おいおい。それってヤバくねえか? 匂いってのは感染るもんだろ。それじゃいずれはこの町全部が敵になっちまうことに」
「いや、それはない。あれはオリジナルの甘怨香の匂いを間近で嗅いだ者にしか効果はない。それに匂いを嗅いだとして、恨みなどの感情が昂るだけだ。そこに宣教師の言葉を聞いた者が、所謂“儂らの敵”となるのだ」
だが、決して少なくない人間が《天神衆》に操られているのも事実だ。それに操るまでもなく最初から《神徒》であったなら、匂いを嗅ぐまでもなく《天神衆》の仲間になるはずだ。
誰が敵かわからない。規模がどれくらいなのかもわからない。それはダーウィン達の行動を大幅に制限するものである。
そのため下手に人通りのあるところには出られない。病院に行くのをを頑なに拒否したのは、その敵が待ち伏せしている可能性が大いに考えられたからだ。
魔術師には甘怨香の効果は効かないようだが、だからといって彼らに協力を求めるわけにはいかない。グレイの意向を汲み取るならば、この事件は魔術師に、特に魔術師団の者達に決して知られてはならない。
「操られてる人達はどうやったら正気に戻せるの?」
「ぶっ飛ばせばいいだろ」
「そんなことすればまた恨み買うことになってややこしいことになるでしょ!? 余計に状況が悪くなるだけじゃない!」
「なら、絞める」
「なら、って何!? 問題は何一つ解決してないでしょ!」
「落ち着かんか。騒げば見つかるぞ。操られとる奴等の目を覚まさせる方法も、一応なくはない……のだが」
だが店長は苦虫を噛み潰したような表情をする。黙って店長の言葉を待つ二人を見て、店長は懐から一つの小さな玉を取り出す。
「それは?」
「リラクリアというものだ。これを使えば甘怨香の効果を打ち消し、昂っていた感情も落ち着かせることが出来る。そうなれば必然的に洗脳も解けるはずだ」
「ちょっ!? んな便利なもんあるならさっさと出せよ!?」
「アシュラ! 口が過ぎるわよ!」
「いや、彼の言う通りだ。だが問題がある」
「なんだ? 副作用でもあるのか?」
「いや、そうではない。問題というのは、これがこの一つしか残っていない、ということであり、使いきりの道具だということだ」
「んだよ。そんなことか。なら今からでも集めりゃいいじゃねえか。どこにあんだよ?」
「いや。この町にはもうないだろう。《天神衆》も馬鹿ではない。そもそもそう数の多いものでもないし、既に買い占められているだろう。儂が独自に集めたものも、ほとんど奪われてしまってな。既に処分されているはずだ」
放火事件のあったあの日。店長は密かにリラクリアを買い集めていたのだ。だがその時はまだ《天神衆》がここまで派手に動くとは思っておらず、あくまで念のための準備、といった程度のつもりだった。
しかしまさかその日のうちに闇討ちに会うとは予想もしていなかった。
「マジかよ……。八方塞がりとはこのことか?」
「…………いや。まだよ」
アシュラが諦めかけたその時。エルシアは一つの希望の光を見つけた。
「そのリラクリアと同じ効果のある魔法を創ればいいのよ」