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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ユリカ

作者: 機島わう

大きな衝撃と共に、車が潰れる音がした。

 

 前の席に座っている母さんと父さんが潰れていた。


 ユリカは泣きながら血まみれの母さんにむしゃぶりついていた。


 その時だろう、僕達が変わってしまったのは。


 ●


 はじめた頃は、金属バットや鉄パイプがいいと思っていた。


 一撃の攻撃力が高いし、リーチが長いので、反撃を受けにくいと思った。


 けれど、それも最初の一人を殺した時点でやめてしまった。


 使用済みの凶器としては隠しづらいし、死体を運ぶ時に邪魔になる。


 死体は背中に背負って運ぶ事が多いから、その間身につけておく事が出来る凶器がいい。


 ということで僕は催涙スプレーと折り畳みナイフを使う事が多い。


 場合によってはピアノ線なんかも使ったりするけれど、仕上げにはやっぱり心臓を突き刺す事になるから、ナイフは必需品だと言えるかもしれない。


 などと考えながら、僕はカップルの女の方を運搬している。


 今日は月がとても明るくて、波打ち際を歩く僕の足元を青白く照らしてくれる。


 海は穏やかで、さらさらした波音が気持ちいい。


 風があれば涼しくてよかったんだけど、今日は残念ながら無風だ。


 背中の死体が砂袋みたいに重くて、頬を汗が伝ってくる。


 それと同時に、生温かくてどろっとした液体がシャツの胸元から腹に流れ落ちてきた。


 もしかしたら肺を傷つけてしまったのかもしれない。


 女の顔がちょうど肩の辺りにあるから、きっと死体の口から体液が流れ出たんだ。


 ちょっとだけ不快だ。


 けれどこれも仕事。


 生きていくためには、嫌なこともしなくてはいけない。


 足がつらくなってきたけれど、もう少しの我慢だ。


 目的地はもう目の前だから。


 月明かりに照らされて、ひと目で廃病院だと分かるたたずまいの建物がそびえている。


 2階建ての、金車病院。


 潮風にさらされて灰色にくすんだヒビだらけの壁。


 真っ暗な窓ガラスが並んでいて、いつもそこから誰かに見られているような気がする。


 僕は砂浜から続く草むらの道に入る。


 今では僕くらいしか通ることのない獣道のような細い道だ。


 それは金車病院の裏口に続いている。


 ドアにつけてあった南京錠はさっき外しておいたし、ドアも開けておいたから、僕は三段しかない階段を上って真っ暗な病院の中に入る。


 明りはつけなくても平気だ。


 暗闇にも、院内の構造にも、すっかり慣れてしまっている。


 僕の足音だけが病院中に木霊して、聴覚が急に研ぎ澄まされる。


 開けっ放しの裏口から聞こえてくる波の音がうるさいくらいだ。


 内科の前の廊下を右に曲がると階段がある。


 僕は地下に向かって伸びる階段を、一段一段、丁寧に下りて行く。


 壁や天井から剥がれてきた壁材やホコリで足元がよく滑るのだ。


 地下についたら、階段を右へ30歩くらい。


 両開きの、ドアノブのない大きなドアを肩で押して中に入る。


 糞便と垢と生臭い血の臭いのせいで喉がきゅっと締まった。


 僕は重い荷物を床に放り出す。


 水っぽい音がした。


 疲れていたので、その場に座り込む。


 真っ暗だ。


 自分の手の平ですら闇に溶けている。


 しばらくすると、部屋の奥からごくわずかな音が近寄ってくる。











                    ひた。











                ひた。











          ひた。











     ひた。











   ひた。











 ひた。



















 グチャ。


























 グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャ。























 暗闇の中で、敏感になった聴覚が、人間の肉を咀嚼する音を増幅し続ける。


 音は次第に静かになり、全く聞こえなくなる。


 再び、静寂が世界を支配する。


 太ももに何かが触れた。


 たぶん手が。


 冷たい手。


 それを、そっと握った。


 血と脂と肉片と涎と涙でじゅるっとぬめるけれど、昔から変わらない小ささだ。


「まだもう一人いるから、運んでくるよ」


 立ち上がって、肩でドアを開ける。



 ひた。



 背後で足音がして、Tシャツの裾が引っ張られる。


「ダメだよ。ちゃんとここで待ってなきゃ」


 僕は心を鬼にして、来た道を戻る。


 階段を上がって、1階の廊下に出ると、きらきら輝く海が裏口のドアのカタチに切り取られていた。


 外に出て、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。


 生臭い血の臭いが鼻を突いてげんなりする。


 獣道から波打ち際少しを進むと、カップルの男の方が寝ている位置に人影があるのに気がついた。


 懐中電灯の光の輪が、夜の闇を丸く切り取って、真っ赤な死体を浮かび上がらせていた。


 戻らないと。


 戻って、ここから離れないと。


 きびすを返そうとした僕を、強い光が射抜いた。


「誰だ! おい!」


 怯えた怒鳴り声が聞こえる。


 殺せるだろうか?


 走って戻るべきだろうか?


「警察だ! そこを動くなよ!」


 人影が走ってくる。


 拳銃を持っているだろうか?


 仲間を呼ぶだろうか?


 もしかしたらもう呼んだあとかもしれない。


 まだ距離はある。


 逃げられるだろうか。


 いやダメだ。


 僕だけなら逃げられるかもしれない。


 けれど、僕が歩いてきたのは病院の方角だ。


 女を運んだ時は、血痕が消えるように波打ち際を歩いたけれど、きっとまだ足跡も残っている。


 警察なら、真っ先に調べるだろう。


 それだけは阻止しなければいけない。


 殺そう。


 警官が走ってきて止まった。


 距離はどれくらいだろう?


 懐中電灯が強くてよくわからない。


 5メートルほどだろうか?


「おい、血まみれじゃないか! その血はどうしたんだ! 怪我してるのか?」


 警官はずっと、腰の拳銃に手をかけている。


 僕は考えた。


「あっちに、あの病院に入って行きました」


「犯人か?」


「そうです。うっ、」


 僕は背中を押さえるフリをして尻ポケットに入っている折り畳みナイフをつかむ。


 演技が臭かったかもしれない。


 バレただろうか?


「大丈夫か? 本当に怪我してるのか?」


 警官が一歩前に進んで、僕の様子をうかがう。


 僕は背中でナイフのブレードを展開した。


 でも、警官を殺したら厄介な事になるんじゃないだろうか?


 殺す自信はあったけれど、まだ少し迷いがある。


 すると突然、懐中電灯の光が僕から外される。


 警官が照らしているのは僕の左後方の何かだ。


 そこにはもちろん病院があって。


「あ、あれは……なんだ……人、か?」


 口をぱくぱくさせて、うめくような声で警官がつぶやく。


 その顔は、誰が見たってひと目でパニック状態だと分かる間抜けな顔だった。


 殺そうと思った。


 走った。


 警官が驚いて僕を見た。


 拳銃を抜いたのが見えた。


 僕は体をぶつけた。


 パンと乾いた音がして、カメラのフラッシュみたいに周りが明るくなった。


 ナイフをもう一度。


 それからもう一度。


 警官は動かなくなった。


「人か、なんて、酷いこと言うからですよ」


 最後にナイフをもう一度。


「あれでも、僕の大事な、妹なんです」


 僕は警官の腕を引きずって、ユリカの元へ向かう。


 待ってて欲しいとは言ったけれど、今回ばかりは助けられたみたいだ。


 月明かりの下の妹は芸術的だった。


 世界地図みたいにツギハギだらけの顔。


 伸びっぱなしの髪は地面に着きそうなくらいに伸びていて、脂でぎらぎら光っている。


 僕が買ってきただぶだぶのTシャツは血が固まって厚紙みたいにばりばりしてる。


 にょっきり伸びた腕だけは、本当に月光のように白く滑らかで。


 下半身には糞便で汚れた包帯を巻いてあるだけだ。


 ひさびさにユリカの姿を見た気がする。


 僕は前のめりに地面に倒れた。


 何かにつまづいたらしい。


 体を動かそうするけれど、どうにも上手くいかない。


 体が酷く重い。


 上半身を起こすので精一杯だ。


 今日はたくさん殺したから、疲れているんだろう。


 寒気もしてきたようだし、もしかしたら風邪かもしれない。


 でも、こうしている場合じゃないんだ。


 僕たちは逃げなくちゃいけないんだから。


 目がかすんできた。


 ユリカが近づいてくるのが見えた。


 目の前にしゃがみこんだ彼女は、僕の頭に手をやって撫でてくれた。


 僕は彼女の事が心配だ。


 大丈夫だろうか。


 ちゃんと逃げてくれるだろうか。


 うつぶせ態勢が辛かったので、力を振り絞って仰向けになると、綺麗な月が見えた。


 それからユリカが口を開けた。


 あの日と同じ、悲しそうな顔で。

拙作ですが、ご意見ご感想、あると励みになります。

よろしくおねがいします。

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