私と彼女の失敗
自己犠牲、と言えば聞こえはいいかもしれない。実際彼女はそう思っていたし、武山さんに犠牲を強いるよりは自分が……と考えるのもわかる。
けれど彼女の記憶から切り離された今の私にはわかる。あれはそんな崇高なものではなくてただ逃げたいだけだ。喪失感を、無力感を、罪悪感を、掲げた清らかな大義名分に押し流して綺麗になりたいだけだ。
残された人の事も先に逝った人の事も何も考えちゃいない。ただの我が侭。
ああ、そうだ。あんたらしい考え方だよ。いつだって自己の主張をせずへらへらと愛想を振りまきながら頭の中で人を動かし自分の手は汚さずやりたいように生きてやがる。本当にあの兄にそっくりだ。
私は腹が立っていた。出生も経緯も性格も何もかも全然違う二人なのに、兄と真夏Bはどうしてこんなにも同様に私を苛立たせるのか。
あの子は多分、自分さえいなければすべての歯車が噛み合った今よりずっと素晴らしい世界になるとでも思っているのだろう。
けれどそんなわけはない。そんな事あるはずがないじゃないか。
それを一番痛烈に感じるのは他でもない、彼女の犠牲の上に仮初の生を受けた白金真冬だ。彼がどんな人物か直接会って話したわけじゃないからわからないけど、少なくとも私だったら誰かの犠牲の上に生きるなんてまっぴら御免だ。それがあの兄だったらと考えるだけでウェッてなる。私が兄を殺す事はあっても私の為に兄が死ぬなんて事はあってはならない。
そう、これはあってはならない事だ。
「なるほど……そんな事を企んでいたわけか」
武山さんに真夏Bの目的を話すと彼女は何か考えるようにしながらそう呟いた。
今にして思えば彼女の言っていた個にして全たるを望む者という言葉も暗に自己の消失を指していたのかもしれない。
とにかくこのまま真夏Bの思い通りにさせるつもりはない。彼女がこれから何をする気かを考え、なんとしてもそれを阻止しなければ。
私はその為の意見を武山さんに求めた。
真夏Bが自分の消失と引き換えに白金君を復活させるつもりだとして、次に何をすると思う?
「ん、オレもそれを考えてた。ただ、これまでと考え方は変わらないんじゃないかと思う。最終的に魂の器になるのが彼女の身体になるってだけだ」
じゃあ、まだ白金君の魂を再生しようとしてるって事?
「うん。けど、そうか。真夏Bが自分自身もコマの一つとして見ているんだとしたら…………マズいかも」
マズい?
何か気付く事があったのか、見れば彼女は美しい顔を焦りに歪ませていた。
私が何に気付いたのかを聞く間もなく、彼女は急に立ち上がったかと思うと部屋の出口へと駆ける。
呆気にとられる私に「ついて来て」と言い捨ててどこへかも告げずそのまま行ってしまった。
なんやねん…………
わけもわからず、言われるがまま彼女の向かったと思しき方向へ廊下に出て追いかけてゆく。
するとそう遠くないところにある部屋の扉が開いており、その中を覗いてみるとそこに武山さんの姿を発見した。
あまりに衝動的な行動に見えたので文句の一つも言ってやろうと声をかけようとして、私は言葉に詰まった。その部屋には見覚えのあるような禍々しい模様が床一面に描かれていたのである。
公共の施設にラクガキ犯発見。
「冗談言ってる場合じゃないから。魔法陣の中央に座ってくれるかな」
言われて模様を良く見ると、それは真夏Bの家で見たような魔法陣になっていた。真ん中には見た事もない変わった模様が書かれていて、中央に座るとその模様を踏みつけるようになるのだけどいいのだろうか。
ためらい勝ちに部屋に入りなるべく模様を踏まないよう気をつけながら歩いて、ともかく私は中央に座った。
するとすぐに武山さんは目を閉じてブツブツと念仏のようなものを唱え――――――――やがて何事もなく終えて目蓋を開いた。
「ああ、なんて事だ。やっぱり遅かったか」
目蓋を開いた武山さんは私を見るなりそんな事を言った。
何の事かわからないけど人を見て露骨に肩を落とすのは止めていただきたい。意味もなく凹むじゃないか。
何の話?
「真夏Bだよ。彼女が次にやろうとしている事に心当たりがあったんだが、どうやらすでに手遅れだったらしい」
ふむ? つまりそれを今の念仏で確認したという事かな?
「念仏……せめて呪文と言ってくれ」
そんな事を言われても私には細かい違いなんてわからないんだもん。仕方がない。
それよりどういう事なのか説明して欲しい。勢いに押されて言う通りにしてしまったけど私は一体何をされたんだ。
「う~ん、言いにくいんだけど本当に聞きたいかい?」
そんな言い方をされたら余計に気になるじゃないか。
もう今更武山さんを疑う気持ちはこれっぽっちもなくなっている私だが、魔術というものに対してはまだ得体の知れないものへの恐怖感がある。その分聞くのが怖いというのも正直あったが、だからといって聞かずに済ませられるほど些細な事でもなさそうだ。
私は焦らす武山さんを睨みつけて威嚇し先を促した。
「あ~っと、だね。まず真夏Bの次の行動についてなんだけど、彼女はこちらですでに白金の記憶を追体験しているよね」
うむ。私の見た彼女の記憶の中にはその時の記憶もあった。と言っても私自身がそこまで見られたわけではない。白金君の記憶に何らかの保護がかけられているのか、それとも加速状態の中で更に加速状態になるのが無理なのか、ともかく真夏Bの見た白金君の記憶は、彼女の記憶として私に共有されただけだ。
ちなみに彼女が白金君として振舞っている間は彼女自身にもその記憶がないので私もその間に何があったかはわからない。
要は私が真夏Bの記憶を追体験して得られたものは彼女自身の記憶と体感に他ならない。
それでも断言できる。彼女の根源、魂と呼ばれるかもしれないその領域に間違いなく白銀君の記憶と思われる影響が存在していた。
それはつまり彼女の魂に白金君の記憶が刻まれているという事だ。
「だとしたらあと彼女に出来る事はそんなにない。白金の身体は失われ、別世界にそれを求めても在るのは性別の違う君の身体だけだからね」
そうだよね…………だからこそ次の手がわからないわけだけど。
「いや、わからないんじゃない。最初から可能性を排除してしまってるだけだ。白金と入れ替わりを経験している彼女にしてみたら、性別の違いなんて些細な事なんだよ」
ふぇ?
なんだか間抜けな声を出してしまった。
それは私にとって盲点もいいところだった。性別云々の事ではない。前にも言ったが私は途中まであくまでも巻き込まれただけのただの傍観者のつもりだったのだ。
故に積極的に関わろうと考え直し、実際にある種の被害を受けた今となっても、最終的に私自身は元通りになるものだと思い続けていた。
けれども武山さんの言った事はその甘えを真っ向から否定するものだった。
つまり、彼女は私の身体目当てだったっていうの?
「言い方…………いや、もう突っ込むのは止めよう。その通りだよ」
頭を殴られるような衝撃的な発言だった。
しかし話はそれだけでは終わらない。元々の質問はそれではない。
嫌な予感でくらくらする頭を物理的に押さえてなんとか持ち直し、床に片手をついてでも身体を支えて私は問う。
では、武山さんが今私に行ったのは何なのか。何を確かめたのか。
武山さんは私と同じように頭を押さえつつ、とても言い辛そうにしながらもはっきりと言った。
「ごめん、君を元の世界に戻せなくなった」
章は変わりませんが、次回からは同じ日の別の人視点になります。
ご覧いただきありがとうございました!




