私と抱き枕
ベランダから自室へ戻るとそこには思った通り姉が待っていた。
ベッドの上に私のお気に入りのクマのぬいぐるみを抱いて座っている。
その姿は誕生日プレゼントをもらった子供のようで私の保護欲が刺激されまくった。
え、なにコレ。狙ってんの? 狙われたいの? あんまり可愛い事してると襲っちゃうよ?
考えるよりも身体は正直で、気付くと私はクマのぬいぐるみを抱く姉に向かってダイブしていた。
「おぅふっ! こ、こら真夏いきなり飛びつくな」
本能に任せた私の行動に姉の叱責が飛んでくる。
いやしかしこれは姉が悪いと思うの。
ぬいぐるみを抱いた姉は外見が私そっくりのはずなのにロリ可愛かったのである。
ちなみに私は美人系ではないけれど可愛い系と言うには若干顔つきがキツイ。ロリ系などはもってのほかだ。
そう思っていたのだが目の前の姉を見る限りでは案外この路線もいけるのかもしれない。
先ほどまでの疲れはどこへやら。何をしても私自身にフィードバックされて来る姉の可愛さに、私のテンションはまた上がっていった。
我を忘れて顔中べたべたになるまでちゅーを繰り返し、気がつくと姉が顔を真っ赤にして私を見ていた。
んー、可愛ゆっ!
まあ、今回に関しては姉が悪い。可愛いは罪だ。
とはいえ私も少しは理性を取り戻したので反省して姉を解放する。
好きな子にちょっかいかけて嫌われる小学生男子ではないのだ。加減しなければ。
さて、姉で栄養補給した私は脳にも栄養が行き渡り、考える力が戻ってきた。
そこで当面考えるべき事柄を姉と相談する。
まずは今夜姉をどうするかという事だ。
そもそも姉は家出をしてどこへ行くつもりだったんだろう?
まさか女の子だという自覚もないままに野宿とか考えていたんだろうか。だとしたら問題だ。やりたくはないが性技の鉄槌をくらわせて自覚を促さなければいけないかもしれない。いやいやいや、やりたくはないんだよホントダヨ?
意思に反して上がろうとする口角を必死に下げながら私が問うと姉は非常に言い辛そうに首をキョロキョロ動かして「あー」とか「うー」とか呻いていたが、黙って言葉を待つ私からは逃れられないと悟ったか、ようやく重い口を開いた。
「あー、実は……武山の家に止めてもらおうと思ってたんだ」
あまりの言葉に私は姉の正気を疑った。
アレの家に泊まるだとぅ?
「いや、調べたり準備したりでこんな時間になっちゃったし、あいつなら一人暮らしだから迷惑もかからないと思って。それにあれでも一昨日までは普通に良い奴だったんだよ」
驚きのあまり目を見開いた状態で迫る私に怯えた様子で姉が捲くし立てる。
一昨日まで良い奴だったって事は昨日から悪い奴になったんじゃないか。
「悪い奴というか、危ない奴になったというか」
それがわかってて泊まりに行くとか考えてたのか。襲われたい願望でもあるんじゃないの?
厳しい私の言葉に姉の顔が今度は青くなった。赤になったり青になったり忙しいなあ。
「いや、いやいや、男同士で襲われるとかないでしょ。そりゃ確かにキスされたけど、うちの学校じゃままある事だし……」
ままあるのか。けしからんな男子校。
姉の言葉に妄想が捗りそうになるが、そんな場合ではないと堪えて尚も私は攻め立てる。
お姉ちゃんは男同士のつもりでも向こうはそう思ってないはずだよ。
私の中では確信になっている事実に今度は姉が疑問符を浮かべた。
「そう思ってないってどういう事だよ?」
やはり姉が話したわけじゃないのか。
あるいは女の子になってしまった事を電話で武山君に相談していたのではないかと思っていたのだが、そういうわけでもないようだ。
私は武山君が私の豊満なる胸を確認した上で襲い掛かっていた事を姉に説明した。
「あいつに見られたのかっ!?」
説明した途端に姉は私の両肩をがしっとつかんでそんな事を聞いて来た。いきなりだったのでちょっとびびってしまった。
あんまり思い出したくないんだけど、あの距離あの位置あの角度であの視線の方向だと見えてないはずはない。
私は顔が熱くなるのを感じつつこくりと頷いた。
姉は「あの×××野郎」とか憤っているが済んだ事だ。今更言っても仕方がない。
それより問題なのは女の子だと確認した上で尚、私を兄だと思ってたという事だ。
「つまり、武山はオレが女の子になっている事を知ってた?」
そう。そして姉が話したんじゃないならそれを知っているのは姉をこんな姿にした犯人だけだ。
彼には兄を好いていたという動機もある。
尚且つ私達の目の前から一瞬にして姿を消した事を考えれば何かしら超常的な現象に精通している可能性もあった。
私の推測に姉の顔色が青を超えて更に白くなっていく。
ふふふ。これでもう今後も友達の家に泊まるという選択はなくなっただろう。
私は内心でほくそ笑む。
まあ、そんなわけだから武山君の家はダメ。絶対。
私が念を押して言うと姉は力なく頷いた。
その素直さがまた可愛くて私は再び姉に近寄るとその身体を優しく抱きしめた。
姉の瞳が上目遣いに私を捉える。
危うく理性が飛びそうになりました。
けれどまだやらなきゃいけない事のあった私は飛び出そうとする理性の尻尾をつかんで何とか引き止め、目を背ける事で正気を保った。
やらなきゃいけない事。それは着替えだ。
私達は二人とも外出した時の格好のままだ。
外出するにはラフな格好といえどジーパンは寝るには適さない。
私はベッド下の収納からパンツとタンスからキャミソールを取り出して姉の前に放った。
突如目の前に飛んできたその小さな二つの布に姉の視線が釘付けになっている。
恥ずかしいのか、それとも着かたがわからないのか、硬直して動かない姉に着せてあげようかと声をかけると、姉は勢い良く首をぶんぶんと振って応えた。
ショボーン…………。
まあ手助けがいらないというなら自分でやってもらうとしよう。
私は切り替えてタンスからパジャマを取り出すと、一応姉に背を向けた状態で着替えた。
女同士とはいえ私は着替えを見られるのは好きではない。見る専だ。
そんな風に気を遣いながら着替えて姉の方を見ると、姉は未だに同じ格好で布を凝視していた。
なんだろう。私がパジャマで自分がキャミを着るのが気に入らないんだろうか。
けれどこれは必要な措置だと私は思っている。
今後女の子として生活するのであればどうしたって服装の問題は出てくる。
小振りとはいえブラだってしないわけにはいかないし、場合によってはスカートを履く事もあるだろう。
そんな変化に早く順応するためにも今のうちから慣れてもらわなければ。
そう思って声を掛けるが、姉が気にしていたのはそれとは別の事だった。
「いや、慣れなきゃいけないのはわかってるけど……こ、これお前のじゃん。買ってきたのはどうしたんだよ」
ああ、なるほど。姉は先ほどのお手洗いでの私の苦悩を知らないのだった。
妙に納得した私ではあるが、もちろん説明する気はない。
うるさい、失くした、いいから履けの三つの言葉で何とか説得を試みる。
けれども何が気に入らないのか姉は一向に首を縦には振らなかった。
「だって……男同士でだってパンツの貸し借りなんてしないし……ましてや、い、妹のパンツ履くなんて変態みたいじゃないか」
消えそうな声で姉が応える。
しばらく黙って聞いていると尚も「失くしたならまた買ってくれば……」とか「走った道を辿ればどっかに落ちてるんじゃ……」とかブツブツ言っている。
その言い訳とも独り言ともつかない言葉を聞いているうちに私は黒い感情がたまっていくのを感じていた。
…………つまり私のパンツが履けないと申すか。
グチグチと文句を垂れるだけで着替えようとしない姉の言葉を遮るように私の口から言葉が漏れた。
その声が苛立ちを含んだものになったのは致し方ないと思う。
誰のせいであんな目にあったと思っているのか。
誰のためにこんな事をしていると思っているのか。
なんで私が姉のために買ってきたパンツを自分で履くハメになったと思っているのか。
思い返すと今日の出来事が走馬灯のように蘇って来て、なんだかだんだん腹が立ってきた。
頭に血の上った私は自分の部屋を飛び出すと一階へ下りて脱衣所へ駆け込み、脱衣籠の中から先ほど脱いで放り込んだ小さな布をつかんで部屋へと駆け戻った。
あまりの勢いに驚いた父の声が階下から追いかけてくるが、扉を閉めて遮断する。
ドアロックを掛け、誰にも邪魔されないようにした私は布をつかむ手を後ろに隠しながら姉に向かってゆっくりと足を踏み出した。
「ま、真夏? なんか顔が怖いんだけど…………」
表情を引きつらせて姉が後ずさって行くが、逃げる隙など与えない。
ガッと頭を捕まえて片腕で固定。これだけだと髪の毛がすべってすぐに逃げられてしまうのでもう一方の手を振りかざして顔のど真ん中にべチンと叩きつけた。
「にぁっ!? 冷てぇっ」
そーかそーか、冷たいか。あんたが振り回してくれた結果だ。触れて、嗅いで、しっかり味わってくれたまえ。
半ば以上やけになってぐりぐりと姉の顔面に押し付ける私の手にはつい先ほどまで履いていた使用感溢れるパンツが握られていた。
お前とお前の友達に振り回された結果こういう事になったから、買ってきた奴は私がもらったの!
言うつもりのなかった事まで口走っていたが、気付いた時にはもう遅かった。
布の正体に気付いた姉は半狂乱になって頭を振ったのだがそのせいで余計に被害が広がったのは言うまでもない。
その後。
私の誠意が伝わったのか、顔を洗って戻ってきた姉は「着替えるからあっち向いてて」と言って用意した布を手にとった。
初めての下着にとまどう姉の姿をニヤニヤしながら眺めたいという切実な思いはあったのだが、先ほどはさすがにやり過ぎたと反省していたので大人しく後ろを向いて姉の着替えを待つ。
服を着替える衣擦れの音だけが聞こえてそれはそれで良いものだった。
途中戸惑うような「えっ?」とか「うわぁ……」とかいう声が漏れて来たりもして、結局私は見なくてもニヤニヤしっ放しだった。
「も、もういいよ」
姉の言葉にどきどきしながら振り向いた私は女の子らしい服装になった姉を見て酷くがっかりした。
そこには思った以上に普通に着こなしている姉の姿があったのだ。スタンドミラーの中でよく見る姿と言っても良い。まあ胸のサイズは違いますけど!
もっとこう後ろと前を間違えてたりとか股と頭を間違えてたりとかして欲しかった。
そんな私の無念を知ってか知らずか姉は恥じらいながらキャミの裾を持ち上げて、
「な、パンツこれで合ってる? 腰穿きみたいで気持ち悪いんだけど……」
とか言いながらパンツの位置を手で直したりしている。
OH、キュート。
私は姿形にこだわってしまった自分を恥じた。
しかしこれは天然……なのだろうか?
だとしたら私は姉を見誤っていたかもしれない。
圧倒的ヒロイン力! 思わず片手で顔を覆いつつ指の隙間からその様子を覗いてしまったほどだ。
武山君、あんた良い目してるよ。
感動に打ちひしがれて声もなく泣いていると姉が不安そうな表情をしたのでそれで合ってるというかむしろそれが正解というような事をジェスチャーで伝えた。
姉はそれでも「こんな不安なもの履いてスカートで歩いてるのか」と女子の偉大さに畏怖を覚えているようだった。
ともあれこれで今日のうちにやっておくべき事は終わった。
私はベッドに倒れこむと壁側半分を空けて横になった。
そして寝ようかと姉に声を掛けると姉は何故かドアの方へ向かって足を踏み出す。
「じゃ、じゃあオレは自分の部屋に戻るわ」
そう言って部屋を出て行こうとする。
ちょっと待ちなさい。
私は上半身を起こして声を掛け姉を引き止めた。
「ナニカナ?」
ドアノブに手を掛けた状態でカタコトになって応える姉。
私は立ち上がってその姉に近付くと後ろから羽交い絞めにしてもろともにベッドへ飛び込んだ。
その格好で兄の部屋に行くなど言語道断。母に見つかったら居ない間に兄の部屋に忍び込んでベッドをくんかくんかしてる変態妹と間違われるだろうが~。
というのは半分冗談だが、今の格好の姉が兄の部屋で寝ているところを見つかるのはとてもややこしい事になる気がして私は全力で引き止めた。
武山君の言っていた言葉の中で少し気になっている事もある。
何より私の部屋にはドアロックがあるけど兄の部屋にはついていないのだからこちらで寝るほうが安全なのだ。
というような話をすると姉は渋々ながらも納得してくれたようで、私達は一緒に寝る事になった。
随分と状況や関係は変わってしまったが、小学生の頃から数年ぶり、姉妹になってしまった私達は久しぶりに同じベッドで一夜を過ごす事になったのだった。
あー、やっと一日目終わり!
ご清覧ありがとうございました!