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私と相棒

ちょっと汚い話を含みます。食事しながらの閲覧はご遠慮ください。

 私と姉は見つめ合うと、あは……あはは……と乾いた笑い声を上げてどちらからともなくしがみ付くようにガッシと抱き合い家の前まで全力で走った。

 怖かったのである。

 武山君の態度からするとマジシャンのようにタネや仕掛けで消えた可能性もあるが、雰囲気的には神隠しという方が近かったからだ。


 家の前までたどり着き、荒ぶる呼吸もそのままに門扉を開く。

 見慣れた玄関の灯りに照らされてようやく私は一呼吸吐く事が出来た。

 姉も同じく一息吐けたようで、膝に手をついた姿勢でゼィゼィと呼吸を整えていた。

 けれど落ち着いてくると今度は別の問題が頭を掠める。


 ああ……そいえば帰れないんだっけ……


 辿り着いた公園で色々あったせいですっかり忘れていたが、私は現在兄の影武者として家出中なのだった。

 思い出したら怒りが込み上げて来た。

 目の前を見ると丁度良い位置に姉の頭があったのでリフティングをしておいた。


「痛いじゃないか」


 膝が入ったらしい鼻を押さえて姉が私に抗議の声を上げてくる。

 ふん、自業自得だい。

 私は姉に軽蔑の視線を送りながら門のところまで移動し、公園の方向を確認しつつ門扉を開けて恐る恐る敷地の外へ足を踏み出す。

 その襟首を後ろから引っ張られて、ぐえっという可愛くない声が漏れると同時に私は敷地の中に引き戻された。

 見ると姉が私の襟首をつかんで申し訳なさそうにこちらを見ていた。


「さっきは悪かった。お前が出て行く必要はないから」


 さっき、というのが何を示しているのかわからなくて私は頭に疑問符を浮かべる。

 姉の説明によればどうやらそれはベランダでの事を言っているようだった。


 元々女の子の姿で今まで通りの生活を通せるとは思っていなかった姉は、今日一日の間に準備をして自室に家出用の荷物も揃えていたらしい。

 けれど理由もなく突然姿を消せば失踪扱いで届けが出されるかもしれないと考えた姉は私に接触して口裏を合わせるつもりだったという。

 でも私のとこに来たのって女の子の事を知りたいからって話じゃなかった?


「それは、その………………そう言えばお前の機嫌が良くなると思って」


 なんでやねん。

 思わず突っ込みを入れる私。

 いやゴメン。発想が突飛過ぎて思わず突っ込んでしまったけど、確かに私のテンションはダダ上がりだったわ。

 家出するのだと知っていたらああはならなかっただろう。


 姉はそうして私の機嫌をとって協力を約束させ、元に戻る方法を見つけるまで家には戻らないつもりだったそうだ。

 けれどその途中で母が登場する。

 計画の中で協力者になる私に負担がかかるのを気にしていた姉は、私を被害者という立場に置く事で両親の追求を軽くする事を思いついた。

 それがちゅーしようとした云々の暴露につながったわけだ。


 ところがそれを自分への牽制だと勘違いした私は家を出たまま逃走。

 さらに悪い事に携帯を持ち出していなかったため連絡も取れず探し回っていたところ、武山君が私を襲っているシーンに遭遇したという事だった。

 つまり要約すると私の空回り?


「お姉ちゃんは優しいからそんなにはっきりとは言わないよ」


 そう言って姉はにっこりと笑った。

 私はこれまで張り詰めていたものがふっと緩んだ気がして膝から崩れ落ちた。

 全部私の一人相撲だったわけだ。

 虚しさと後悔の波が交互に私の心に襲い掛かってはお腹の底に溜まって膨れてゆく。

 私はそれまで自分を支えていた姉への怒りがぷしゅ~と抜けていくのを感じて外というのも構わずその場にペタンとへたり込んだ。


 が、その瞬間である。

 地面に落としたお尻の上、ジーパンに包まれた薄い布に違和感がある事に気付いて、私は身体を硬直させた。


 パ…………パンツが湿ってる――――――――!?


 そういえば公園に辿り着いて以降、緊張を強いられては危機を脱するという事が何度もあった。

 その間にちょっとやばいと思った瞬間はあったものの正直それどころではないので気にも止めていなかったのだが、やっぱりちょっと漏れていたようだ。

 人間の身体というのは不思議なもので、意識した途端に尿意が込み上げて来て私は慌てて括約筋に力を入れた。

 う。いかん。緩んでる場合じゃない。


 そんな私の様子を訝しんだ姉が覗き込んでくるが、今は近付かないでいただきたい。

 さあ、誤解は解けたのだ。大手を振って家に入ろうではないか。


 ゴマ化すようにわざとらしい口調で言って立ち上がり、玄関へ向かう。

 今は一刻も早くお手洗いに入って安心したかった。

 けれどその襟がまたしても姉の手によって引っ張られる。

 上を締めると下が緩むので止めてください!


「ちょっと待って、待って。オレお前が使ったルートなんて通れないよ。高所恐怖症なんだよ、知ってるだろ?」


 姉が言っているのは多分我が家の裏ルートの事だ。

 別に落ちても死ぬ高さじゃあるまいし何を大袈裟なとは思うが、車庫の屋根は端っこを通らないと穴が開くし屋根も斜めで滑り易い。考えてみれば危険なルートだ。

 私だってアスレチックが出来るような体調ではないのだが、女子力維持のためにそんな事は口が避けても言えない。

 血を吐く思いで「わかった」と伝えて片手で拝みながら玄関のドアへ消えていく姉の姿を見送った。


 さて、現状裏ルートから部屋に戻るのは体調的に厳しい。

 いけなくはないだろうが一人になった事で再び襲ってきた恐怖感を鑑みれば危ない橋は渡るべきではないだろう。

 ならばと私が向かったのはやはりベランダのある家の庭側である。

 実はその奥には裏口というか勝手口があって台所に繋がっている。

 そこから潜入してまっすぐ進むと廊下に出るわけだが、廊下を玄関とは反対側に進むとそこにお手洗いがあるのだ。

 尿意さえ解消されれば私に怖いものなど何もない。

 後は庭に戻って裏ルートから部屋に戻れば良いという寸法だ。

 私は自分の完璧な計画を自画自賛しながら意気揚々と……いや、刺激を与えないようにそろそろと勝手口へと向かった。


 しかしその途中、庭を通った時に足元からガサリという音が聞こえて身を縮こまらせて驚いた。

 見るとコンビニの袋が落ちている。

 それは私が買ってきたパンツの入っている袋だった。

 すっかり失念していたがどうやら屋根の上から逃げ出した時に落としてしまっていたらしい。

 そもそもこれを買いに出たせいであんな目にあったのにその元凶を忘れているとは、私も結構間が抜けているなあ。

 自嘲しつつ私は袋が音を立てないようコンパクトに巻いたそれをジーパンのぽっけに突っ込んで勝手口へと急いだ。


 それから勝手口に辿り着いた私は慎重に中の音を聞いて中に人の気配がないのを確認するとそっとドアを開けて中へすべり込み、姿勢を低くしたまま廊下へ出る。

 左右を見て誰もいない事を確認し一気に走ってお手洗いに駆け込む。

 ドアを閉めて電気を点けたところで一息吐き、ジーパンを下げて用を足した。


 便座に座って力を抜いていると先ほどまでの事が思い出されてくる。

 女の子になった兄の事。その兄が家出扱いになった事。武山君という名の変態の事。助けてくれた姉の事。武山君が消えた事。

 気になる事はたくさんあるが、今日はもうクタクタだった。

 部屋に戻ったらさっさと着替えて寝よう。疲れた頭を支配するのはもはやそんな思考だけだった。


 けれど用を足し終わって水を流し、ジーパンごとパンツを上げようと手をかけたところで、ふと私は重大な事に気付いた。

 しまった……パンツ濡れてるんだった。


 愕然として上げた腰を再び下ろす私。

 心の中で悪魔がノーパンで帰っちゃえよと囁く声もおそらく部屋で待っているだろう姉の姿を思い浮かべると消えていった。

 私はまだあの部屋で寝巻きに着替えなければならないのだ。


 頭を抱える私にしかし神様は微笑みかける。

 そうだ。さっき拾ったパンツがあるじゃないか。

 日ごろの行いは良くしておくものである。

 姉のためにわざわざ買いに出かけたパンツがまさかこんなところで私の役に立つとは!


 私はその解決策に一も二もなく飛びついて、ジーパンのぽっけからコンビニ袋を引きずり出すと箱を開けてまっさらのパンツを装着した。

 当たり前だがそのパンツは私にぴったりとフィットして最初からそこに収まる運命だったかのようだ。


 優れた装備は自らの意思で装着者を選ぶという。

 おそらくこのパンツは私を装着者に選び、だからこそ私の足にからみついてきたのだろう。

 そうでなければこんなにもタイミング良く私の元に戻ってくるはずがない。

 私はコンビニで買った580円のパンツに選ばれた幸運を感謝し、軽くなった腰を上げてお手洗いのドアから旅立った。


 向かう先に何が待ち受けていてももう怖くない。

 なぜなら今の私には相棒と呼べる存在がいるからだ。

 台所を越え、あんなにも恐怖した夜の闇の中に再び身を投じると、さっきまでの怖さが嘘のようになくなっていた。

 私はハレルヤと叫んで勇気をくれた相棒に感謝した。

 相棒はその感謝の言葉には答えてくれなかったが、その時ほんの少しだけ、ほんのかすかにだが、相棒が笑ったような気がした。



小道具って扱いが難しいですよね。


仕事が忙しくてしばらく変則的な時間帯の投稿になります。

ご覧くださりありがとうございます!

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