私とハエもどき
ドカッというおよそ病院にふさわしくない大きな音を立てて突然ドアが開いたかと思うといかにもな都市迷彩にどこかハエを思わせるマスクをつけた人物が私達のいる病室に突入してきたのである。
背徳的な行為にうつつを抜かしていた武山さんは跳ねるように身体を離すと私を開放して突然の侵入者を睨みつける。その隙に腰の位置をずらしつつ私もそちらに頭を向けると、侵入者は勢い余って跳ね返ってきた引き戸に身体を挟まれたところだった。
あっけにとられる私達の前でドアと枠に挟まれて肋骨を強打したらしい侵入者が悶絶している。
突然の事態に呆ける私。武山さんも一瞬怯んではいたもののすぐにベッドから足を下ろして私と侵入者の斜線を遮るように警戒態勢をとった。
「誰だ?」
侵入者はしかしその質問には答えず、突然ガバッと起き上がったかと思うとその勢いに乗せて何か筒状のものを投げて寄越した。
これを武山さんは軽々と手刀で叩き落す。彼女はその時点で侵入者を敵と判断したらしく、すぐさま侵入者の方に駆け出し、まだ体勢を整える前に蹴り上げるような前蹴りを放った。侵入者はそれを後ろに飛び退いてかわし、そのまま廊下へ出て扉を閉める。武山さんは追いかけてドアを開こうと取手に手をかけるが、どうやら鍵を閉められてしまったらしくドアはびくともしなかった。
な、なんだったの、今の?
「わからない。格好からして密輸組織じゃなさそうだけど、他に襲撃を受ける心当たりなんてないし」
え、襲撃される心当たりあるの?
侵入者とは別という事よりもそちらの方が気になった。普通に生きてる分には襲撃される心当たりなんてない。日本だけかもしれんけど。
「いや、実際にされたわけじゃないけどさ、一応オレと白金はヤバいことやってるいくつかの組織に喧嘩を売った形になってるんだよ」
そう言われて昨日聞いた話を思い出す。
人工臓器の件にからんで恨まれてるって事?
「まあね。といっても企業体は金にならない事はしないだろうから、来るとしたら密輸に関わってたやくざとかかな」
ああ、なるほど。一般的な輸送路が使えない以上、密輸業者とかそういうのを使う必要があるんだろう。そういう人達はお金も重視するけどそれ以上に体面を気にすると聞いた事がある。高校生になめられたままじゃ納まりがつかないと考えてもおかしくない。
ていうか、聞いた話以上に危ない橋わたってたんだねぇ。
「それはまなっちゃんの想像力が足りないだけ。実際この件が医学会や経済界に与えた影響は小さくない。まだ捜査中って話だけど輸出した先がわかれば場合によっては国際問題にもなりかねないくらい大事なんだから」
むぐぬ。そう言われればそうかもしれないけど、最初の一言余計じゃない?
釈然としないものの何も言い返せず黙る。くそう、いつか見返してやる。
私が黙り、静寂の落ちた室内にはシューという音と武山さんがなんとかドアを開こうとするガタガタという音だけが響いた。
って、このシューっていってるのなんじゃらほい?
ドアと格闘する武山さんを余所に音の発生源を探してキョロキョロと病室の中を見回してみる。どうやらベッドの下から聞こえてくるようだ。
ベッドから身を乗り出して下を覗き込んでみると、そこにあったのは先ほど侵入者が投げて寄越したと思われる細長い筒状のものだった。
なんじゃこれ?
拾ってその正体を確かめようと少々無理な体勢のまま手を伸ばしてみるが、その手が届く前にバランスを崩してベッドから転がり落ちてしまう。
世界が一回転して前後不覚になり、続いてくる衝撃に備えて目を瞑ったがいつまで経っても衝撃は感じなかった。
あれ?
不思議に思って恐る恐る目蓋を開くと、遠くに真っ白い天井が見えてすでに床に転がっている事がわかる。
変だなぁとは思いつつ、深く考えないで身を起こそうとしたとき、私はようやく自身の異変に気が付いた。
はれ? 身体がうまく動かない。
「まなっちゃん?」
私がベッドから転げ落ちた音が聞こえたのか武山さんが声をかけてきたけれど、説明しようとしてもすでに舌もうまく動かせなくなっていた。
もしかしてこれは神経ガスとかその類のものではないだろうか。だとしたら換気しないと危ない。
私はなんとか伝えようと声を出してはみるものの、およそ意味のある日本語にはならず、異変を察した武山さんはようやくドアを開くのを諦めたらしく仰向けに倒れた私の側に駆け寄ってきた。
だめ! こっちきちゃダメだ!
必死に叫ぶが、「あー」とか「うー」とかの母音が漏れるだけで不安を煽るばかり。
なんとか目線で筒を示してようやく意図が伝わった時にはすでに時遅く、二人仲良く床を舐めていた。
やがて筒からの音もしなくなり私達がじたばたする力も失った頃、廊下からキュリキュリという金属的な音が聞こえて来た。音は病室の前まで来るとぴたりと止まり、続いてドアを開いてさっきのハエもどきが姿を現した。
一歩また一歩と近寄ってくる足音に祈るような気持ちであっちいけあっちいけと念じるが、ハエもどきの姿はだんだんと大きくなりついには視界のほとんどを埋めて私のすぐ脇に立った。
なんとなくこういう格好をした人は小銃? というんだかサブマシンガンというんだか、両手で使う銃器を構えているイメージがあるのだけど、さすがにそんな事はなく、ただ手ぶらで立ちつくすその姿はちょっと不思議な感じだった。
ハエもどきはしばらく首を傾げたり顔を近づけたりして私を見下ろした後、一度だけ武山さんに視線を送って何かを確認してからがばっと座り込み、私の腕を自分の肩に回して、半ば背負うような形で私を担ぎ上げた。
ハエのマスクが間近に迫る。
こうして近くでまじまじと見るそれは、不気味なのは変わらないもののしっかりとした造りをしていて、おそらく実用的なガスマスクとかそういうものなのだろうと思われた。
本当に襲撃だったの…………?
ここまで自分の身体含め現実味のない展開が続く中、すべての事をどこか他人事のように感じていた心がここにきて初めて間近に感じたリアルに震える。
抵抗したくても動かない身体、乖離する日常、離れていく唯一の知り合い、自分がどうなるのかわからない不安…………そんなひとつひとつの要素が私を苛み、頭がパニック寸前まで押し上げられていた。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう…………助けて、武山君。誰か助けて。お兄ちゃんっ!
叫ぶ声は言葉にならず、ただ意味不明の音が口から漏れるばかり。
それが何かの奇跡を呼ぶわけもなく、私はハエもどきの為すがまま、やがて病室から廊下へと引きずり出された。
そこに、多分ハエもどきが用意したのだろう車椅子があった。病院なのだからあっても不思議はないのだけど、恐怖のあまり私にはそれが何かの拷問器具のように見えて心が潰される思いがした。
やめてっ、やだ、やだやだ、乗りたくない、乗りたくない。
祈りも空しくハエもどきは車椅子に近づいて身をかがめると私の身体を静かに下ろした。
それから一度病室の中に戻って何かをしていたが、私の位置からはよく見えなかった。それからすぐに戻ってきたかと思うと、かろうじて武山さんの姿の見えていた病室へのドアに手をかけ、無慈悲にそれを閉じた。
その瞬間、私は最後の望みを断たれた気がして、抵抗する気力も手段も失い、絶望の淵へと叩き落されたのだった。
喋る人いなくなると一気に文字が詰まるなぁ。読みにくかったらすみません。
ご覧いただきありがとうございました!




