私と姉の希望
「女の子として第二の人生を歩むか、この世界から完全に消滅するかの希望だよ」
夏の湿った風に髪をなびかせながら、爽やかな笑みすら浮かべて、武山君はサラリとそんな事をのたまった。私は二の句が継げず黙り込む。
どうしてそんな極端な選択になるのか。そんな二択なら私の一存で前者に決定だ。姉だってそのつもりで私に相談に来たのだったはずだし。いやいやちょっと待て。今問題なのは姉の希望じゃなくて選択肢の内容だ。この世界から完全に消滅するってなんだ。わざわざ"この世界"ってつけてるんだから向こうの世界で生きるって事でしょ。つまりこの二択はこちらの世界(女)で生きるか、向こうの世界(男)で生きるかという事だ。でもそれこそおかしいよね? 武山君の目的は姉をこちらの世界に戻す事じゃなかったっけ? どちらを選んでもその目的は達成されないわけなんだが。なんでこいつ爽やかに笑ってんの? バカなの? 死ぬの?
頭の中で思いついた事を心の中で呟いているうちに沢山の疑問が湧き上がる。さっき察しが悪い天然女みたいな言われ方をしたけど、むしろこれで察せる方がおかしい。
武山君の言い様に不満を抱きつつも、私は疑問を解消すべく平静を装ってなるべく穏便に聞いてみる事にした。
えーと、まず伺いたいのですけど、その選択肢だとどちらを選んでも武山君と真夏Bの目的は果たせないよね?
「うん、そうなるね。ただ、オレはともかく真夏Bについてはその目的を達成出来るかをはっきりさせたいから話を聞いて欲しいんだ。彼女のもともとの目的は白金真冬を蘇らせる事であって、篠宮についてはその課程に過ぎないし、そもそも当初の予定では向こうの世界に飛ばされるのはまなっちゃんだったはずだからね」
あ、やっぱし? うん、そんな気はしてた。
ドッペルゲンガーの話をしている時に思ったのだが、武山君の説明を鵜呑みにするなら私は土曜の夜に姉と顔を付き合わせた段階で向こうの世界に飛ばされていなければおかしい。にも関わらず実際に飛ばされているのは姉の方だし、顔を突き合せる前に飛ばされている。それも身体だけだ。
どうしてそんな事になったのか。わからないけど、真夏Bがこちらの世界に来ている以上、当初の予定では私と入れ替わるつもりだったのだろう。
その辺はわかるし、予定を修正する為に兄の身体をこちらの世界に戻したいというのもわかる。あー、でもそうなると今度は私が向こうの世界とやらに行かなきゃいけないのか。武山君が私に協力を求めてきたのってそういう事?
「いや、結果としてそうなる可能性はあるけど、それで済むならわざわざ君に事情を話す必要はないよ。協力してほしいのはあくまでも真夏Bから話を聞きだすところまでだ」
聞き出す? 話を聞いて欲しいってだけじゃなかった?
「君が思ったより察しが悪いんでね。はっきり言おう。オレが君に頼みたいのは真夏Bから彼女の本当の目的を聞き出す事だ。彼女は今の状態を予想していた節があるし、そうじゃなかったとしてもオレに何かを隠している」
それを私に聞きだして欲しい、と。
本来武山君は真夏Bの協力者なのだから自分で聞き出せばと思わなくもないが、今朝の電話を思い出す限り、今は仲違い中で聞くに聞けないのかもしれない。
けど、それを聞き出せたとして武山君はどうするんだろう?
「場合によってはオレ一人でも儀式を進めるよ。ただ、オレの想像通りなら正直篠宮の身体をこちらの世界に戻すのは難しい。少なくとも今オレが把握している限りじゃ不可能だ。真夏Bはそれを可能にする何かを隠しているはず。でなけりゃ自分が元の世界に戻れなくなるからね」
そうか。武山君は儀式について二つの世界を股にかけた難しい魔術だと言っていた。それなのに儀式半ばにして本来の予定とは大幅に違う結果が出ているのだ。すでに計画が破綻していたとしてもおかしくない。
さっきの武山君が言った二択は真夏Bが打開策となる情報を持っておらず、計画が破綻してしまった場合に姉はどうするか、どうしたいかという選択なんだ。
「そういう事。ここまで迷惑をかけた以上、オレは篠宮の希望に沿って行動するし、真夏Bと敵対もする。けど真夏Bからその情報が引き出せない限り、篠宮を元の身体に戻す事は出来ないから、儀式とは関係のないまなっちゃんに聞き出して欲しいわけ」
けど、そういう事なら話を聞いてから姉の希望を聞いた方が良いのではないだろうか。そんなに長いこと話したわけじゃないけど、どうも真夏Bは表に出ていない間の事も把握しているように思う。だとしたら姉との会話は真夏Bにも聞かれていると思って臨む必要がある。
そこのところを尋ねると、武山君もあっさりと同意した。
「オレもそう思うよ。でもね、だからこそ先に聞いて欲しいのさ。さっき言った二択なら自殺願望でもない限り女の子として生きる方を選ぶだろう? それはつまり篠宮の中にいる真夏Bを向こうの世界にある篠宮真冬の身体に向けて追い出すって事だ。そうなると真夏Bは手の打ちようがなくなる。真夏Bは別の選択肢を提示してでも篠宮に協力を求めるだろう。元に戻れるって選択肢をね。真夏Bは篠宮の意識がない時にしか表に出られないから、今後篠宮の協力は絶対必要だ。けど直接話しかける事は出来ないから、直後に話しかければまず、まなっちゃんに元に戻る方法を教えてくれるだろうさ」
なるほど。向こうの世界で生きると言わず、こちらの世界から消滅するという言い方をするのはその為か。武山屋、お主もワルよのう。
「いえいえ、真夏様ほどではございません。そんなわけだからさ、頼むぜ、相棒」
という感じで勝手に相棒認定された挙句、押し付けられてしまった。
長くなってしまったが、姉に話してはいけないもう一つというのはつまり、この話が武山君の指示によるものだという事である。
姉はもともと女の子として生きたいと言っているのでそんな事はないと思うのだが、万が一姉が消滅を選んだ場合は多分真夏Bは篠宮真冬本人に協力を求めようとするだろう。そうなった場合に限り、正直に話して両者に協力を求める事になっている。
が、まあこれは武山君の杞憂である。
説明の後、ストレートに予定通りの質問を切り出した私に返ってきたのは、キョトンとした表情と予想通りの答えだった。
「いや、だから女の子として生きるよ?」
ですよねー。
あまりに予想通り過ぎて私も苦笑いだ。
ともあれ姉の希望は真夏Bも聞いていたはずである。後は姉の意識を奪って真夏Bから元に戻る方法を聞き出せば良い。
問題はその方法なのだけど…………面倒だし、落とすか。
このところ色々考える事が多すぎていい加減面倒臭くなっている私は、姉が寝るまで待つという選択を放棄して、背中側から姉の首に巻きつけるように腕を回した。
大丈夫。ちょっと頚動脈を締めるだけだから。やった事ないけどすぐ意識がなくなるはずだから。それまでの間、背中で私の豊満な胸の感触を楽しんでくれても構わないからね!
バタバタと暴れる姉の身体を押さえつけてムズムズした気持ちになりつつ、腕をタップされるのも無視して首を絞め続ける私。けれどそろそろ落ちるかなーと思い始めた頃、私は姉の首から手を放して代わりに口元を押さえ、ドアの方に耳をそばだてる。
数瞬の後、ドアの向こう、階下から聞こえてきたのは、玄関のドアが開く音とただいまーという母の声だった。
うーん、整理しきれてないなぁ。
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