私とモーニングキス
謎の言葉をのこして一方的に電話を切られた私は数瞬ぼけっと考えを巡らせる。
シロガネトールってなんだろ。新種の甘味料か何かかしら。
しかしすぐに一階から母のものと思しき足音が聞こえて思考は中断させられた。
いけない、もうそんな時間か。
我に返ると私は学校へ行く支度を始めた。電話の内容については後で秋生に相談してみよう。気にしてるだろうからどちらにしろ報告しなければならないし、そのついでに聞いてみれば良いだろう。
そう考えて頭を切り替え、自分の支度を終えると姉の部屋へ向かった。
昨夜寝る前に一度だけ姉の部屋に突撃してみたのだけど、未だ自覚が足りないようでパンツ一丁だったのだ。昨夜と同じ状態でもし母が起こしにでも来たらこれまでの隠蔽工作がすべてパアになってしまう。
足音を立てないように廊下を移動し、念のためドアの前で中の様子を窺うも特に異変は感じられなかったのでいつものようにノックもせずにドアを開く。部屋の中を覗くとあどけない表情でベッドの上に横たわる姉のやすらかな寝顔が見えた。
肝心の格好の方はどうかというと、残念ながらセーフだ。
昨夜は雨が降っていたにも関わらず気温があまり下がらず、蒸し暑かったのだろう。肌布団はベッドの下まで蹴落とされ、パジャマも右肩が肌蹴るほど着崩れてはいるものの、幸いパッと見て性別の違いに気付けるほどではない。とはいえ、姉が女の子だと知っている私としてはその色気にくらくらとしてしまう格好だ。
こんな時、妹としてはどうするのが正しい選択だろう?
1、階下の母に聞こえる声でさっさと起きろと怒鳴りつける。
2、馬乗りになっていたずらに興じようとしたところを目覚めた姉に見咎められる。
自分で提示しておいて何だけど、この二択問題は失敗だな。
1は幼馴染の反応、2は妹っぽい反応だけれど上に『義理の』がつく。
血の繋がった本妹として、選ぶべき答えは――――
3、起きないように気をつけながら心行くまで姉成分を補給する。
これだ。
私は再び音がしないように気をつけながらドアを閉めると抜き足差し足でベッドへ近寄り、まずは姉に寄り添う形で自分も横になる。吐息がかかるくらいまで近付いてみるが、姉は気持ち良さそうに寝息を立てたまま起きる気配は微塵もない。
長い睫毛、ぷるぷるの唇、つやのある肌、サラサラの髪。何度見ても見惚れてしまう完璧な造形。見慣れているはずのそれも、自分自身とは違う意思、違う呼吸で動いていると思うと何だか妙に艶かしく映る。
あ、いかん、なんかドキドキしてきた。
高鳴る鼓動に荒くなりそうな呼吸を抑え、クラクラする頭で尚も姉の寝顔を見ていると自然と視線がぷっくりと柔らかそうな唇へと吸い寄せられる。
あー、いや、違うんです、違うんです。ガチ百合とかそういうんじゃないんです。ただの興味。どんなもんかな~って、ただそれだけなんです。
だって気になるじゃないですか。ママゴトの延長とはいえハッキリ口と口でちゅうした事のある兄の唇が、性別が変わる事でどのように変化しているのか。キスソムリエを目指す私としては是非とも経験しておきたいサンプルというわけですよ。てかもう一度舐めちゃったし、あれがノーカンならこれもノーカンさ!
すでに脳の酸素が不足して冷静さを欠いた私は心の中で沢山の言い訳を用意しつつ、上体を起こして覆いかぶさるように姉に顔を近づけてゆく。
風のない空に舞う粉雪のようにふんわりと降りてゆくその動きとは裏腹に、身体は火口に燻るマグマのように熱く火照って、中から破裂してしまうのではないかと思うほど脈動していた。
もう少し。いいの? あと数センチ。本当にいいの? 湧き上がる葛藤を無視して重力に身を任せ、触れ合う瞬間を求めてゆっくりと目蓋を下ろす。
頬に流れた髪の毛を耳にかけて退け、微かな寝息を頼りに姉に降りてゆくと、私の唇が姉の体温に触れた。
もう数ミリ先に越えてはいけない一線がある。
それを自覚した時、私の身体は硬直し、それと同時にどこかで聞いた覚えのある声を聞いた。
「そこまでにしてもらっていいかな。さすがに見てらんない」
驚いて目を開けると、どこか達観したような不思議な表情を浮かべる姉とバッチリ目が合う。
うにゅわぁあっ!
自分でも意味不明の変な声を上げて身体ごと飛び退ると、勢い余ってベッドから転げ落ちた。痛い。
「大丈夫?」
身体を起こして心配そうにこちらを覗きこんでくる姉。
あ~、いや、ダメダメ。今やばい。顔、赤い。見せらんない。
姉に顔色を見られないよう慌ててあさっての方向を向く。
そのまま体勢を直して床に正座しつつ、どう言い訳しようか頭を悩ませていると、横から姉の指が近付いて私の頬をつついてきた。
「ふふ~ん、何しようとしてたのさ~? なんかエロい事考えてましたって顔に書いてあるよ~?」
そんなバカ正直な事書くか。内心で毒吐きつつ、私は尚も言い訳を考えている。
起こそうとしたら貧血で倒れそうになったとかどうだろう。いや顔真っ赤にして言っても説得力がないな。いつもの軽いノリで目覚めのちゅうをしようとしたってのは? まるっきりのウソでもないしいいんじゃない? でもそれって結局本当にしようとしたわけで言い訳でも何でもないような……
保身に焦った私はそんな言い訳を考えるのに必死で姉の様子がいつもと違う事に気付けていなかった。
「別に元は同じもんなんだし、良いと思うよ? ほれ」
そう言って身を乗り出した姉は、まるっきりボールをつかむのと同じ要領で私の頭を両手で挟み、私の唇に自分の唇を重ね合わせた。
首を無理矢理回される痛みと唇に触れる柔らかな感触に、私の理解が追いついたのはたっぷり数秒が経った後――――姉の舌が私の唇をこじ開けようとしたその時だった。
ぷぁっ!?
姉の手から頭を引き抜くように逃げると、先程までの酸欠と相まって私はそのまま床に倒れこんだ。
頭は混乱している。というか身体がパニックを起こしているらしく震えが止まらない。
何が起こってる? 何で私震えてるの? 貧血じゃないよ、血は抜きたいくらい身体中を暴れまわってるよ! 緊張してる? そりゃあんな事しようとした相手にやり返されたら緊張もする……のか? いや、何か違う。緊張してる時ってやっぱり血の気が引いてる気がする。頭ボウっとするほど熱もってる状態で震えるって、それどっちかっていうとアルコール中毒…………いやいやいやいや、飲んでねーわい。じゃあ、なんだーっ!
取り留めのない思考で頭がぐるぐるする。
混乱、焦燥、驚嘆。けれどそんな中で私はようやくひとつの事に気付き始めていた。
大体私がこんなわけわかんない状態になってるのはお姉ちゃんのせいじゃないか。いつもなら逆の立場でニヤニヤしてるはずなのにっ。
恨みがましく視線に呪いを込めて姉を見ると、どこかで見たような笑みを浮かべて、ベッドの上から見下ろすように私をただ眺めている。
あ……れ? この笑い方…………?
それに気付いた時、私の背筋に羽箒でも通されたかのような気持ち悪いむず痒さが走った。
ちがう。お姉ちゃんじゃない。
知らず思った事がそのまま口に出る。
少女の浮かべていた笑みは普段の愛らしいお姉ちゃんからは到底想像も出来ないほどかけ離れた、邪悪で醜悪で性悪な、悪魔のような笑みだったのである。
少女は私の言葉を聞くと、最初ちょっとキョトンとしたが、すぐに満足気に頷いて私に言った。
「おはよう、篠宮真夏。昨夜は私の言葉を信じて行動してくれたようで嬉しいよ」
チェックしてたら日付越えてしまいました。スミマセン m(_ _)m
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