私と初心なあんちくしょう
震える手を反対の手で抑えて待つ事しばし。なんとなくカウントしていたコール音が十を数えようとする頃、ようやくプツッという音と共にコール音が途切れて相手が電話口に出た。
出た……と思うのだけど、特に何も言わず微かに警戒しているような息遣いだけが聞こえてくる。
まあ番号非通知にしてあるから当然の反応か。仕方ない。初心な武山君の気持ちを汲んでこちらから声をかけてあげよう。
もしもし、武山君ですか~?
『ああ、なんだ、あんたか』
む? あんた?
警戒を解く為にわざわざ声を掛けてあげた私に対し、武山君の第一声は随分とぶっきらぼうで馴れ馴れしいものだった。
少々、ほんの少し、極僅かに、天使たる私の心にも苛立ちのような感情が湧き上がったけれど、健全な高校生ならまだ惰眠を貪っているような時間である事を思い出し堪える。
あー、うん。すまない。私なんだ。こんな早くに申し訳ないね~。
『いや、そっちの事情はわかってるさ』
う~ん、どこまでの事情を知っているんだろうなぁ……。
疑問だけど聞いたところで素直に答えてはくれないよね。
なら時間もない事だし、今日のところは言う事だけ言ってさっさと終わらせよう。
実は武山君にお願いしたい事があってね。
『お願い? なんだよ、改まって?』
いやいや、改まらないような関係でもないでしょ。
ってか、さっきからなんか馴れ馴れしいな。まあ、昨日私の事を『まなっちゃん』呼ばわりしてきた男なので、これが彼の個性なのかもしれない。
ある意味、羨ましい性格だ。
そんな羨ましい武山君にイライラを募らせつつも、私は極力声に出ないよう努めて明るく話を続ける。
うん、まあ、わかってるとは思うけど、今日からお………………真冬が学校に行くわけだよ。
お姉ちゃん、と言いそうになって慌てて言い換える。私の立場からお姉ちゃんと言えば思いつくのは一人だけだけど、世の中には別のお姉ちゃんも別の意味のお姉ちゃんもいるので分かり易いようにという配慮だ。
武山君はお姉ちゃんの事を苗字で呼んでいたのでその方が分かり易いかもしれないけど、それだと今度は私だかお姉ちゃんだかわからなくなるもんね。
その辺り察してくれたのか、そもそも呼び方なんて気にしていないのか、武山君は気のない相槌を打って私に先を話すよう促している。
真冬は男の子だし、自分の事には無頓着なところがあるから、私としては身体の事がバレやしないかと心配なのだよ。
『ああ。あんたからしたらそりゃそうだろうな。で?』
けど当然私が付き添うわけにはいかない。だからね、武山君。真冬を守ってもらえないかな?
そう告げると、今までふむふむと聞いていた武山君の相槌が聞こえなくなった。
私がこんな事を言うのは意外だっただろうか。
いや、私だって彼にこんな事を頼むのは本意ではない。
でもさ、私のイメージする男子校って、どうしても女子に飢えてる獣の巣窟ってなっちゃうんだよ。当たらずとも遠からずでしょ?
そんなところにあの外見の姉が通っているというだけで妄想が膨らむのに、それが今や生物学的にも女の子になってしまっているのだ。
骨をしゃぶって空腹を紛らわせている狼の前に血の滴る生肉を置くような行為だよ。
ただ、幸いにもこの生肉はラッピングされているので狼にひん剥かれなければバレる事はない。故に肉を守る為の番人が必要なのである。
武山君が番人にふさわしいかと言えば、私はノーと答える。
いかに職務に忠実な番人であっても空腹になれば肉を食べたいと思うだろう。
けれど彼が狼と違うのは、彼の欲しているのはただの肉ではなく自分の守るその肉だけだという点だ。
ラム肉でも馬肉でも肉なら何でも構わないという奴に国産の高級牛肉を提供する人間などいるだろうか? ましてそれが自分がこの世で一番欲していた幻の霜降だとしたら。
否。答えは否である。
私だったら死に物狂いで肉を守ろうとするだろう。けして私の食い意地が張っているわけではない。
故に彼になら任せられる。私はそう判断し、こうして朝もはよからお願いする事にしたのである。
本当は直接会ってお願いした方が良いのだけど時間的にも気持ち的にも会うわけにはいかないからね。そこは大目にみてもらいたい。
電話の向こうからはなかなか返事が来なかった。
耳を澄ませると戸惑うような気配が感じられる。
うん、そうだろうな。私が武山君の立場だったとしても、わーい信頼されたーやったーとは思えないだろうよ。考えるのは罠の可能性とかそっちだ。
気持ちはわかるものの信用してもらわなければ埒が明かないのでダメ押しに一つ言葉をかける。
真冬の事を愛してるなら、やってくれるよね?
これが私がイニシアチブを取れると豪語していた理由である。
こういわれて奮起しない男の子がいるだろうか。いやいない。それどころか女の子だって奮起する魔法の言葉なのである。ついでに武山君の中の獣に釘を刺す意味もある。
案の定、私の言葉に後押しされたのか、今度はすぐに武山君の応えがあった。
『当たり前だろ。そんな事を確認する為にわざわざ連絡を寄越したのか?』
そう言う武山君の声は相変わらずぶっきらぼうだったけど、どこか少し楽しんでいるような響きも含んでいた。
うむ。これなら大丈夫そうだの。
私は本日最初のミッションをコンプリートした安心感でほぅっと息を吐く。
あ、違う違う。まだ終わったらあかん。ついでに聞いておきたかった事も聞いておかねば。
あともう一つ用があるんだけど、良いかな?
『いいよ。そんなに話せる時間もないんだろ?』
うむ。早起きしたとはいえ私も学校があるからね。手短に済ませよう。
真冬の事なんだけど、いつまであのままなの?
『っ…………!』
何気ない風を装いつつ、ずっと聞きたかった最重要情報の取得を試みる。秋生も小細工される事はないと言っていたし隠す理由もないと思ったので、案外すんなりと教えてもらえるのではないかと思ったのだけれど、電話の向こうからはかなり焦ったような気配が伝わってきた。
考えてみればこの質問って姉をあんな身体にした犯人以外にはかけない質問だよね。
私の中ではすでに犯人=武山君となっているが、そうとは知らない武山君に問いかけるには少し唐突すぎる内容だったかもしれない。少し反省。
電話の向こうに耳を澄ませてにニヤニヤする私の耳に、しかし返って来たのは予想していたものとは全く違う、意味不明な叫びだった。
『わかってる! そっちこそシロガネトールの攻略考えとけよっ』
慌てたようにそう捲くし立てると、そのままブツッという不快な音を残して電話は一方的に切られてしまった。
えーっと…………えー……っと…………ぇぇー………………
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次回もよろしくお願い致します。




