オレと妹
閑話は一旦ここまで。
割と衝撃的な事実だったのだが、オレはそれを悟られないよう薄く笑顔すら浮かべて茶化した。
そっか~、じゃあ真夏に対しては身も心も隠し事は出来ないな~。
「ん? うん。心も? うん。そう。そうだよ、お姉ちゃん。私に隠し事なんかしちゃダメなんだからね」
腰に手を当てて顔を近づけ、鼻先が触れるような距離で真夏が言う。どきどきするからあまり近付かないでほしい。
覗きこむようにこちらを見る真夏の瞳は上目遣いになっていて反則的に可愛いかった。
と、その目がふいに下へと落ちる。
「胸の事で悩んでるなら悩んでるとちゃんと言ってくれないと……揉んだら大きくなるなんてのは迷信なんだよ?」
視線の先には未だ顕わになったままのオレの控えめな胸があった。
ぎゃあ。
オレはベッドに亀のようにうずくまってその視線から逃れた。
不思議に思われるかもしれないが、女の子になってからこっちオレは胸を見られるのが恥ずかしいと思うようになった。ただ、普通の女の子とは理由が違うかもしれない。オレの恥ずかしさは元々何もないまっ平らだったところに女の子の象徴たる二つの丘があるという違和感からくるものだ。美醜、正誤、適否がわからないが故に秘しておきたいのである。
タダ見してんじゃねー。そこらにあるパジャマをよこせー。
亀のまま顔だけ上げて威嚇するように睨み付ける。
真夏はその迫力に恐れおののいたのか、一瞬口元を押さえて涙目になると素直に床に落ちているパジャマを拾って寄越した。
手渡される時に何故か頭を撫でられたが、まあ気にしないでおこう。
昨夜と同じように後ろを向いているように言ってパジャマを着直し、ベッドに腰掛けて呼ぶと振り返った真夏は何の躊躇もなく隣に腰掛けて身体をくっつけてきた。
こ、これはいわゆる、当ててんのよ状態……っ!
左腕に天上の雲のようなホワホワした感触が当たって幸福感に満たされる。なんという生体兵器。オレはもはや無条件降伏も辞さない構えだ。
そういえば遠目に見た事がある。公園のベンチに座った恥知らずなカップルが昼日中からこういう体勢で乳繰り合っているのを。あの時は周囲の敵意を稼いで何がしたいのかと思ったものだが、こうして当事者になってみると彼らの気持ちがわからないでもない。腕にはえもいわれぬ心地よい感触。少し左に首を回せば愛しい人が上目遣いに切なそうな表情でこちらを見ていたりするわけだ。
今度見かけたら爆破しなければ。そんな事を考えながらも今少しだけこの状況を楽しもうと、オレは少し左に首を回して真夏を見る。
うん、満面の笑みだな。妄想と現実は相容れないものである。
というかなんでこんなに嬉しそうなんだろう。前々から思っていたけどうちの妹ってばそっちの気があるんだろうか。聞いてみたいけれど流石に直接的に聞くのは憚られるな。
少し考えて婉曲な表現を交えつつ遠まわしに聞いてみる事にする。
真夏はさ、お姉ちゃんが欲しかったの?
「んん? ん~、どうだろうね。お兄ちゃ……兄貴が女の子だったらな~とは思った事あるけど、お姉ちゃんが欲しかったっていうのとは違うかなぁ」
ふむ? それって何か違うのか?
オレが女の子だったらそれはお姉ちゃんになるのだから兄に女の子になって欲しいと姉が欲しいは同義じゃないのだろうか。
けれどオレが聞き返すと、
「あー、いや、なんでもないよ。同じ事だった。一緒一緒」
そんな感じで投げやりに返されてしまった。
う~ん、今のだけじゃよくわからんな。もう少し違う方向でいってみよう。
しかしそうなると家族で男が父さんだけになっちゃうな~、父さんハーレムだな~。
「うんうん。お姉ちゃんの事知ったら案外喜ぶかもしらんね」
そうか? 父さん案外真面目なところあるからな。真夏だったらどう? 自分の息子が突然女の子になったとしたら喜ぶ?
「う~ん、まあ戸惑うよね。どうしよーってなる。やっぱ言わない方が良いかな~」
ふむ。これは白か。
単純に父さんの気持ちを慮っているとも考えられるけど、わざわざ真夏だったらどう思うかという聞き方をしたのだから自分自身に置き換えて考えただろう。
喜ぶよりも戸惑うという事ならば少なくとも女の子が好きという感情より家族への愛情の方が勝った発言だと思われる。なら大丈夫だ。
オレは楽観的にそう結論付けて胸を撫で下ろした。
その様子に真夏が不思議そうな表情をしたので慌ててゴマ化す。
そ、そういえばこんな夜中に何の用なんだ?
「いや、だから一緒に寝よーってさっき言ったじゃん」
そうだっけか。言われてみるとドアを開けた時にそんな事を叫んでいたような気もするな。
けどもちろんダメですよ?
「えー、なんでさー?」
おま、ついさっき疑惑を晴らしたばかりじゃねぇか。真夏は女の子同士だから大丈夫って思ってるかもしれないけど、父さん母さんからしたら兄妹とはいえ思春期の男と女なんだからな。同じベッドで寝てるとこなんて見られてみろ。疑惑を通り越して既成事実になっちまうぞ。
あまりにも暢気な妹についつい説教臭くなってしまう。
しかしこのくらい考えなくてもわかるだろうに……
「いや、一緒に寝るならもちろん鍵のついてる私の部屋でって話だよ? 学祭までは朝のランニングも再開するからお母さんより早く起きるだろうしね」
良かった、一応考えてるのか。
けど真夏の部屋で寝るって事はオレの部屋には誰もいなくなるって事じゃないか。そっちを調べられたらアウトだろ。
そりゃあオレだってずっと口すら聞いてもらえなかったのだから仲が良いうちに出来る限り一緒にいたいとは思うが、そのくらいの理由で負うにはリスクが高い。
「そうなったら鍵を開ける前にお姉ちゃんがベランダから出てちょちょっとランニングして戻ってくれば良いんだよ~」
だからオレはベランダから下には降りられないと何度も……
「あぅ…………そうだった」
結構本気で考えていたらしくオレの説得にしょんぼりと項垂れる真夏。
すまない、妹よ。お前の兄は運動神経が切れているのだ。
いや、違うよ? 説得するために敢えてウソを言っただけで、オレぁ本気出せばすっげぇんだよ?
けれど方便のウソを信じた真夏は項垂れたまま立ち上がり、足を引きずるようにして部屋の出口へと進んで行った。
そのままドアを開け、身体半分が廊下に出たかなというくらいになった時、不意にその身体がこちらを振り返る。
「ねえ、お姉ちゃん。一個だけ聞いていい?」
ん? なに?
見るとその表情は真夏には似つかわしくない不安を湛えた弱々しいものになっていた。
そんなに一緒に寝たかったのだろうか。可愛い妹である。
けれどオレはそんな風に考えてしまった自分をすぐに恥じる事になった。
「学校の事。なんか友達の事で悩んでるみたいだったからちょっと聞きたかったんだよね。本当はお父さん達に話して転校とか考えた方がお姉ちゃん的にも良かったんじゃないかと思って…………」
つまりはそういう事なのだった。
真夏はオレの事を心配して、オレの真意を確かめる為に話をしに来てくれたのだ。
明かりの下では出来ない話も暗闇の中でなら出来るという場合もある。その為に一緒に寝ようと提案してくれたのだ。
なにが、そんなに一緒に寝たかったのだろうか、だ。自分の間抜けさに怒りすら覚える。
けれどもオレはお兄ちゃんだ。外見はともかく中身は彼女のお兄ちゃんなのだ。妹に心配を掛けたからといって自己嫌悪に打ちひしがれてはいられない。
心配してくれてサンキュな。でも大丈夫。転校なんかしたら何もわからないまま武山とも話せなくなって一生不安を抱えて生きていかなきゃならなくなる。だったらあいつを殴ってでも本当の事を話させてやるさ。折角真夏が時間を作ってくれたんだしな。
頼もしそうな事を言って笑う。笑ってやる。
優しい妹にこれ以上心配をかけないように。
そんなオレの様子に安心したのか、真夏はほっと息を吐いて微笑むと「おやすみ、お姉ちゃん」と言って部屋の電気を落とし、ドアの向こうに消えて行った。
再び訪れた静寂の中、耳を澄ませると廊下の先で真夏の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。
オレは心の中で再び真夏におやすみを言うと身体をベッドに投げ出して天井を見上げた。
息を吐き、力を抜いてぼーっと眺める天井には緑色の光の残滓が映るのみ。
その残滓の消えゆくを見守りながら、暗闇の中でオレは笑みすら浮かべてひとりごちる。
真っ暗で何も見えないや。
その声は闇に溶けて、まるでこの世界に最初からなかったかのように痕跡もなく消えて行った。
次から本編に戻ります。年明けにあわせろよと。すみません、遅筆なんです。
今回もご覧いただきありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。




