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オレとアレ

 気付くとオレは再び闇の中にいた。物理的にも精神的にも。

 一時の光に焼かれた網膜はただ緑色の残滓を映すのみ。ドアは閉じられたのだろうか。

 見えない目の代わりに耳を凝らせて周囲の様子を探ろうとするも、聞こえて来るのは心臓の音くらいのもので部屋は静寂に包まれていた。

 さっきのは幻か何かだったのだろうか?

 人間十五年。下賎の欲に眩むれば、夢幻も見るのである。眩むればってなんだ。

 意味不明だが無造作に散らかる思考に少しずつ心が落ち着きを取り戻してゆく。人間の脳てのは便利なもので、喉元を過ぎれば熱さすら忘れてしまえるらしい。

 体感で三十秒少々の時間をかけて落ち着きを取り戻したオレは、とにかく元通りの仰向けに戻って寝る体勢を整える事にする。

 いや、そもそもこんなあられもない格好なのがいかんのだ。暑さと湿気で眠れなくなりそうな気はするが、先程のように誰かが乱入して来ないとも限らない。きちんとパジャマを着込んでおくべきだろう。

 オレは腕で上体を持ち上げ、四つん這いから膝立ちに起き上がるとお尻をついてベッドに座り込む。

 ンフフ、アヒル座り。男の時には痛くて出来なかったが、やはりこの身体だと苦もなく座れる。

 自分の身体の変化に感動を覚えつつ、オレは手探りで脱ぎ散らかしたパジャマの上下を探し始めた。


「んいたっ……!」


 その手が柔らかいものに触れた。と同時に短い悲鳴が静寂を引き裂き、オレの身体は過冷却された水のように一気に硬直した。

 鐘楼に鳴り響く鐘のような透き通ったその声はつい先程幻に見た女の子と同じだった。

 そっとドアを閉じて無言で去って行ったものとばかり思っていたが、まさか中に入って来ていたのか!? っていうか、だとしたらこの手に伝わる柔らかい感触は何? 何っていうか、何処っ!

 中指の背がちょこっと触れているだけだが、オレの意思を無視して全神経と全意識がその一点に集中し分析を開始する。頭の中にはその解析結果が現れては消え、消えてはまた現れしながらあらゆる可能性が瞬く間に取捨選択されていった。触れた部分から逃げていく柔らかさ、滑るような肌触り、指に伝わる暖かさ。どれをとっても思いつく答えは一つだけ。つい今しがた自分のと重ねて夢想していた神々しき双丘、天上へと至るあの丘の中腹に到達したのではないだろうか。

 都合の良い解釈かもしれない。がしかし。この結論を否定する要素は皆無。すなわちこの証明は真だ。

 そうオレが確信した時、まるでそれを待っていたかのように指先から天上の感触が離れた。

 そして闇に包まれていたオレの瞳に眩いばかりの光が押し寄せてる。

 ぐ……まともに目を開けていられない。薄汚れたオレに天上の光は強過ぎるのか。

 そんなオレの苦悩を哀れんだのか、神は光を遮る位置に立ちあまりにも似つかわしくない気安い調子でこう仰ったのだ。


「びっくりしたぁ。お姉ちゃん、ピンポイントで口内炎のところ突くんだもん。めっちゃ痛かったよ~」


 そう言って自分の頬を庇うように手を添える影は、逆行の中でも間違えようがない。生まれた時からずっと毎日顔を合わせているオレの妹、篠宮真夏だ。どうやらオレの指先が触れたのは彼女のホッペだったらしい。

 いや、わかってた。わかってたよ。ラッキースケベとか主人公補正とかそういう属性はオレにはないんだって。生涯一脇役だもん。どちくしょう。

 己の不運に行く末が見えて不安と不満に口を尖らせる。普段こんなに表情に出したりはしない方なのだが、今や目の前の妹と同じ顔になっているからか、それとも性別の壁というものがあるのか、オレは女の子になってから随分素直になってしまったような気がしていた。

 真夏もそんな慣れないオレの態度にとまどっている様子だ。

 ってか、眩しいと思ったら電気点けてくれたのか。

 眩しさに眩んだ視界が闇から光に慣れてくると、明かりを背にオロオロしている真夏の表情がよく見える。その顔は戸惑っているというより、気まずそうだった。


「あ~、その…………ごめんなさい」


 オレは一瞬何の事だかわからなかったが、直前の事を思い出して顔に血が上るのを感じた。

 そうだった。ベッドの上で胸を揉んでいるところを見られたのだった。

 いや、違うんだ、あれは知的好奇心というか自分の状態を確かめたかったというかそういう確認的なものであって決して何かやましい事をしていたわけでは……

 しどろもどろになって我ながら何を口走っているかもわからないまま言い訳が口をつく。こんな時に言い訳などしても無意味であるのはわかっているのに。

 けれど返って来た反応は思っていたのとは違っていた。


「え? あ………………あ~、いや、その……そういうのだと思ってないし…………」


 ほんのりと頬を染めつつ言葉尻を小さくしながらも真夏が応える。

 信用してくれているという事だろうか。それはそれで自己嫌悪に陥ってしまいそうなのだが。


「いや、信用とかじゃなくてホラ、わかるじゃん、そういうの」


 ああ、感覚の共有か。オレは真夏の歯切れの悪い言葉を聞いてすぐにその事に思い当たった。

 なるほど。先程ノックもなしにドアを開け放ったのも事前にそういうぷらいべいとな事をしている感じがしなかったから…………ってちょっと待て。そんなわけないじゃん。流石にそんなところまではわかんないでしょ。いくらなんでもぷらいべいと過ぎるでしょ。あ~、今お姉ちゃんがエッチな事してる~って。それわかっちゃったら大変な事になっちゃうでしょ、色々と。

 ノックをしないでドアを開けた言い訳のつもりだろうか? そんな何でもかんでも感覚共有のせいにしたって騙されてはあげないぞ。オレも同じように感じるのだから。

 そう思って鼻で笑ったオレに対し、しかし真夏は本気で不思議そうな表情のまま聞き返してくる。


「え? お姉ちゃんはそこまではわかんないの?」


 え…………え? いや、冗談でしょ? え、だって、わかんないよ? そんなのまでわかったら気まずく…………あっ。

 混乱しながら、頬を引きつらせ冷や汗を流し、過去の自分の所業を思い出しながら、それでも信じられなくて、というか信じたくなくて言葉を繋ぐオレ。けれどその途中で気付いてしまう。そういえば真夏が冷たくなったのは中学に上がってまもなく、思春期真っ盛りで悶々とした毎日を過ごしていた頃からだった。

 ええええっ、じゃあ口聞いてくれなくなったのってそれを感じて気まずくなったからだってのか?


「ちがっ……最初はそう……だったかもしれないけど! これでもあの頃よりは色々…………なんだ。知識も入ったし、男の子の……その、そういうアレも理解しているつもりなのだよ。だから今となってはそれとこれとは全く別モノなの!」


 そう………………なのか。

 オレは安心したようながっかりしたような微妙な気分だった。

 ともあれ、どうやら真夏の方がより多くのあれやこれやを共有しているというのは本当のようである。以後気をつけようと思う。

 少なくとも真夏が家にいる時は、絶対、やめておこう………………


本年は拙作にお付き合いいただき誠にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

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