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私と仮定

 私は脱兎の如く駆け出した。ところで脱兎ってなんだろう。まあ今はどうでもいいことだ。

 玄関で律儀に靴を揃えようとしている姉の首根っこを捕まえてそのまま襟をちぎらんばかりの勢いで階段を駆け上がる。

 母には怪しまれるだろうが、今の格好のままで会わせるわけにはいかない。

 姉に自分の部屋で男物の服に着替えてもらい、その間に簡単に状況確認を行う。


 まず、姉は私に電話を掛けた覚えはないそうだ。まあ、あの声が姉じゃないのはわかっていた事なのでこれはただの確認だ。問題は私に着信した番号が姉の携帯電話である事。念のため発信履歴を見せてもらったが、やはり姉の携帯から掛けられたものだった。

 とすると、姉が気づかないうちに携帯を盗んで私に電話した後また戻したという事か。


「そんなわけないだろ。その直後には母さんからの電話をオレが受けてるんだぞ」


 まあ、そうなんだけどね。

 姉の的確な突っ込みに私は少し困りながら応じる。う~ん、姉から振ってきたんだし、いっか。

 ふっと息を抜き、少しだけ視線を反らせてから話を続ける。

 そうなると、残る可能性はひとつだけ。お姉ちゃんの身体を通して別の何かが喋ってたって可能性だけだよ。

 言った後チラッと姉の方を見ると、姉は神妙な表情で頷いた。

 わかってるといわんばかりの表情だ。そりゃそっか。

 なら遠慮なく聞くけど、夢遊病とか多重人格とか、そういう症状と関係ありそうな病気にかかった覚えは?


「ないよ。あったらオレより家族の方が先に気づくはずだろ」


 ああ、そういえばそうか。本人は記憶にないんだもんね。

 となると女の子になったのがきっかけで発症したという事だろうか。別の何かが入った、かもしれないけど。ん? 入った……? そういえば昼聞いた話の中にそんな話があった気がする。

 確か銀のなんとか団が魂みたいなのを呼び出したとか定着させるのに人形がどうとか。

 姉の身体が変化した夜に行われていた儀式。そして武山君が奪ったという魂的な物。身体と魂。


 私は素人なので魔術についてはわからない事ばかりだけど、状況だけで単純に考えると、武山君が奪った魂を兄に定着させ、それによって姉の身体が変化したとは考えられないだろうか。形のない魂というものが身体に物理的な変化を起こせるのかどうかは大いに疑問だが、これなら一応筋は通る気がする。 

 つまり、私に電話してきた声は、儀式で呼び出され姉の中に入った魂的な何かという事だ。


 いやもちろん突拍子もない事なのはわかっているのだけど、魔術がからんでいる時点で突拍子もないのだからどうしようもない。魔術なら仕方がない、というやつである。

 念のため姉の意見も聞いてみたかったが、そうこうしているうちに姉の着替えは終わっていた。あまり母を待たせるわけにもいかないし、声の正体については今は置いておくとしよう。今はそれよりも目先の母をどうするかの方が重要だ。


 姉に着替えをさせている事からもわかるように、私は声の言う通り男の子として通すのが良いと思っている。

 母なら兄が女の子になったと言っても信じてくれそうな気もするが、問題なのはその後だ。

 うちの両親は高校生にもなる子供が二人もいるというのに未だに仲が睦まじい。お互いに秘密を持たないという夫婦にありがちな協定を結んでいるのもあって、母に話すのはイコール父に知られるという事になるのだ。問題はその父である。

 父はなんというか、ちょっと家族愛の旺盛な人なのだ。

 学校行事は可能な限り夫婦で参加してくるし、門限も決められていて遅くなった場合は父が車で迎えに来る。


 兄は男の子なので私よりはずっと放任されているけれど、女の子になったとなればそうはいかないだろう。

 まず、転校させられる。男子校に通わせるなんてもっての他だ。

 続いて、引越しさせられる。突然女の子になった男の子に世間の風は冷たいだろう。

 その後は海外へ行く事になるかもしれない。将来を考えてもっと理解のある国へという発想である。

 そうなるともう真相を調べるどころの話ではない。

 せめて夏休みに入る来週までは隠し通さなければ。


 着替え終わった姉を見ると、とりあえずぱっと見は普段通りだらしない感じの兄に見えるようになった。

 しかし今は夏場である。家の中とはいえあまりクーラーを使わないエコな家庭である我が家ではあまり厚着をする事が出来ない。姉の格好も白地に和風な柄の書かれたTシャツと下はスウェットだ。これでは旨の膨らみを隠す事は出来ない。

 私は姉にもっと濃い色のTシャツを用意するように言って自分の部屋へ移動すると収納ボックスを引っ張り出した。着物を着る時に使う、胸を潰すためのサラシがあったはずなのだ。半透明の収納ボックスを横から透かすように見て探すと奥の方で何に使ったのかわからない布材に押しつぶされているサラシを発見した。

 それを持って戻ると、丁度姉が白いTシャツを脱いで黒いTシャツに着替えようとしているところだった。

 ほほほ、良い格好じゃのう。

 両手を上げて袖に腕を通している姿は見ようによっては縛られているようにも見える萌えポーズだ。

 もう少し、あと五分といいつつ小一時間眺めていたい気になる光景だったが、今はそんな場合ではない。残念だけど、姉で楽しむのは後にしよう。

 私は姉の着替えに待ったをかけるとサラシを手渡した。


「なにコレ?」


 サラシだよ。さすがにTシャツだけだと膨らみがわかるからさ、これ巻いて胸がわかんないように潰して。

 Tシャツの色を変えたのは白だと透けてしまうからである。ブラじゃないから問題ないかとも思ったが用心するに超した事はない。これで一応見た目は問題なくなるはず。

 けれどサラシを手渡された姉は困ったように私を見返すだけで一向に着替えようとはしなかった。

 これはアレか。巻き方がわかんないから助けてくれという目か。

 聞いてみると思った通り手伝って欲しいという旨の返答が返ってきた。

 えー、だってぇ~、胸を潰すにはぁ~、胸を押さえなきゃいけないわけでぇ~、サラシを巻きつけるのもぉ~、身体に密着させないといけないしぃ~。

 もったいぶって嫌がるJKみたいな声を出す私。キンモ~☆

 いやまあ、つまり何が言いたいのかというとだな!


 …………触ることになるけど、い、いいのかい?


ひと月ほど早いですが、来週は帰省のため更新できません。

次は再来週。よろしくお願い致します。


ご覧いただきありがとうございました!

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