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私と声

頭の方ちょこっとホラー注意

 なんでこのタイミング? 先ほど駅前で別れてからまだほんの三十分程度だ。リビングから窓の外に目をやれば陽の光に照らされた庭木の緑がサラサラと揺れている。

 不思議に思ったがぽっけから鳴り響くメロディは母の耳にも届いているはず。無視して気の重い話を続けるには少々ライトなJ-POPだった。

 私は母にちょっとごめんと断りを入れて通話ボタンに触れる。このバカ姉が何を言ったかは知らないが、丁度文句を言いたいと思っていたところだ。大きく息を吸い込んで心に移りゆく由無し事をそこはかとなく喚き散らす準備をしてからボタンに触れた指に力を込める。

 もしもし。そう言おうとした私の言葉は音になる前に喉につまって止まった。


 何が起こったのかはわからない。けれど通話ボタンを押した瞬間、背中を後ろに引っぱられたかと錯覚するほど強い悪寒に襲われたのだ。

 先ほどまでとは明らかに違う何かが私の心を圧迫してくる。

 息は詰まり、身体は強張って動かず、視界は薄闇の中にいるかのように意味あるものを映さない。ただ何かが忍び寄るような気配と視線が背後から物陰から湧き出しては、生まれて初めて開眼した私のシックスセンスを嬲ってくる。動かない身体の代わりに目を必死に動かして周囲を探るも、視界は暗くて何一つ意味のある物を捉えられない。

 耳に当てた携帯のスピーカーからはザーっというホワイトノイズが聞こえるのみ。いや、時折プツ、プツ、と途切れる音が混ざったり、チューニングするようなキュォォ……という音がしたかと思うと誰かの、あるいは何かの声らしき音が意味がつながらない程度に断続的に耳にさわる。

 心を支配するのは焦燥感。それは水に潜って限界を超え、空気を求めて水面へと急ぐ感覚に似ていた。


 なにコレ、怖い怖い怖い怖い…………っ!


 私は悲鳴を上げた。けれどそれも擦れた音が口から漏れただけで声と呼べるものにはならなかった。

 目の前には変わらず母の姿がある。けれど俯き、項垂れる母の表情は髪に隠れて窺い知れず、それが先ほどまでと同じ人間なのかすら判断がつかなかった。

 怖さに冷えた心と気持ち悪い汗に濡れた服に挟まれて強張る身体は、気づかないうちにガタガタと震え始めていた。


 ……っ…………ぁっ………………


 やがてどれくらいの時間が経っただろう。恐怖と焦燥でへとへとになった私の耳が、携帯から流れてくるホワイトノイズの中に先ほどまでとは違う何かの声を聞き取った。

  

 …………し……や……ぁっ………………


 こんな状況下にあって不思議と私はその声を怖いとは思わなかった。ただ、気持ち悪いとは思った。

 その声は私が意識すると、先ほどから頻繁に聞こえるチューニングのような音を伴ってだんだんとはっきり聞き取れるようになっていき、ついには意味のある言葉となって私の耳に届いた。


 しのみや……まなつ…………


 そいつは私の名前を呼んでいた。

 金属を叩いた後の余韻のような硬質な響きを持つ女の子の声だ。姉の声に似てはいるが、喋り方が全然違う。発音が全体的に緩くて舌足らずなその声は、どこかで聞いた事があるような初めて聞くような不思議な印象で、それがとてつもなく気持ち悪かった。

 誰……?

 思わず聞いてしまう。携帯の表示は間違いなく姉からだったが、私には声の主が姉とは思えなかった。そもそも姉は私をフルネームで呼んだりしない。


 しのみや……まなつ…………良かった……


 何が良かったのか、意味がわからない。とりあえず私の質問はスルーされたようだ。気に入らない。

 私は強がるように鼻からフンッと息を吐き、今度は刺々しい声音になるよう気をつけながら問いを繰り返す。

 貴方は誰ですか?

 けれどまたしても相手からまともな答えは返って来なかった。


 篠宮真夏……時間がない……よく聞いて…………マトが女の子になっている事は言わなくていい…………男の子として家に帰らせて……


 驚いた事に声の主は姉の事情を知っているようである。

 けれどやはり姉本人ではない。姉は自分の事をマトなんて呼び方は絶対にしない。私の知る限り姉の事をマトと呼ぶのは親類縁者だけだ。もちろんその中にも聞こえてくる声のような喋り方をする人物は思い当たらない。


 もう少しだけ待ってて……必ず元通りに戻すから…………


 最後に声は誓いのような決意のような言葉を残し、チューニングがずれる音をたてて再びホワイトノイズへと戻った。

 それきりこちらが声をかけても何も応答はなく、やがてプツッという音がして通話が切れた。


 なんだったんだ、今のは?

 私は音のしなくなった携帯を握ったまま力なく腕を落として呆然と立ち尽くした。

 気づくと身体は動くようになっており、酸素を求めて肩で荒い呼吸を繰り返している。

 体中の穴という穴から汗が吹き出て、いただいたばかりのワンピースも含め服は冷たくぐっしょりと濡れていた。

 そして目の前には、そんな私を不思議そうに見上げる母の瞳。


「急にどうしたの、マカ?」


 え…………? あ、いや…………なんでもない。

 適切な応えが思いつかず、首を振ってゴマ化す。

 急にってどういう事だろう? 私が声に向かって発した言葉は目の前にいる母にも聞こえていたはずだけど、そういえば通話が始まってから切れるまでずっと母は俯いたまま微動だにしていなかった。あんなに険悪な声を出していたというのにおかしくはないだろうか。

 単に私が母の動きを見落としていただけ? いや、だとしたら私がおかしい。目の前で顔を上げて瞳を覗き込んでくる母に気づかないなんて普段なら絶対ありえない。

 思い返せば着信メロディがなった直後、私は母に断りすら入れて電話に出たのだ。少なくともこの時点までは母に会話内容を聞かれる覚悟で通話ボタンに指をかけたはず。なら母の動作には細心の注意を払って然るべきである。にも関わらず私は険悪な声を作って二度三度と同じ質問を繰り返した。つまりこの時点ではもう母の事は意識の外になっている。

 シックスセンスに開眼した弊害だろうか? いや、まあ、あれは冗談だけど。

 通話ボタンを押した直後の、一種別世界に放り出されたような異様な感覚。恐怖心に支配されたあの状況が私の頭の中から母の存在をすっ飛ばしたという風に考えられなくもない。

 ああ、うん。なるほど。だから、つまり私が母の挙動を見逃しただけ。そうだね。きっとただそれだけだ。うんうん。


 私は自分にそう言い聞かせて無理矢理納得した。

 そうだ。なぜ母が先ほどの電話がなかったかのように振舞っているか、なんて些細な事だ。


 納得した私は汗をぬぐって母に携帯を手渡すと、電話をして姉に帰って来るよう伝えてもらった。声の言った事を信じるわけではないが、明日はもう平日だ。学校をどうするかという問題がある。母の協力が得られるならそれに越した事はないのだ。

 自分で直接かけなかったのはまた先ほどのような現象が起きたら怖いからである。

 姉の声は完全に女の子のソレだが、不思議な事に母がそれに気づいた様子はなく、有無を言わせぬ迫力で迫られた姉は早々に白旗を上げて帰宅する事になった。


 それから私はシャワーを浴びて汗を流した。

 パジャマに着替え、脱衣所を出てリビングのソファに座り込み、湯上りの麦茶を飲んでようやく一息ついた頃、玄関のドアが開く音がしてついに姉が帰って来た。


 さあ、ここからが正念場である。


水曜に間に合いませんでした! すみません!

執筆速度を上げるアイテムってどっか売ってませんかねぇ……。


ご覧いただきありがとうございました!

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