私と疑惑
さて、そんじゃ行こうか。
未練がましく姉の背中が見えなくなるまで見送った私は頭を切り替えて秋生に言った。けれど秋生はそれを無視するように微動だにせず、動くつもりはない様子だった。
いぶかしんで向ける私の視線にも反応はない。ただ眉間にしわを寄せてテーブルの天板を睨むように見つめている。
どしたの?
「少し聞いて欲しい話があるのだけれど、良いかしら?」
私はポカリと口を開けて目が点になった。
おまい、私と姉を引き離してまで急がせたくせに何を言っておるのか。
呆れて相手をする気も起きなかったので私はさっさと移動しようと一人、腰を持ち上げた。
「その、お姉さんの事よ」
けれど遮るように発した秋生の言葉に浮いた腰が止まる。
視線を上げ、私の目を真っ直ぐ見つめてそういう秋生の瞳にはどこか楽しんでいるような火が灯っていた。
「彼女にはあまり聞かせたくないから席を外してもらったの」
ほう。それは聞き捨てならない話だね。
浮かせた腰を降ろし、テーブルに肘をついて私は身を乗り出した。
詳しく聞かせてもらおうか。
「と言っても正直、情報が少なくてあまりはっきりとした事は言えないのだけれど」
両肘をついて手を組み、口元を隠すようにして秋生を見る。
構わん。続けたまえ。
「7月13日。これが何の日か分かる?」
一昨日? 何かあっただろうか。
記憶を頼りに思い出してみる。学校があったので祝日というわけではない。マイナーな記念日になら指定されているかもしれないが、そんなものを把握しているようなマニアでもない。
なんだろう、わかんない。
「記念日……なるほど、そういう意味でもあるのね」
私の独り言に勝手に納得する秋生。
私にはなんの事やらさっぱりなんだけど。
「7月13日はオカルト記念日なのよ。これは銀の結社の都合でしょうね」
銀の結社の都合? ああ、さっき日記に書いてあった儀式を行った日か。言われてみれば確かに日記の冒頭には7月13日と日付が書かれていた。
オカルト記念日なんてものがあるなんて知らなかったけど、儀式を行うには良い日和なのかもしれない。結婚式も大安吉日って言うし。
で。それがお姉ちゃんと何の関係があるのさ?
「少しは頭を回しなさいな。まだ拗ねてるの? お姉さんが現れたのは昨日の夜。本人の言によれば同日の朝、目覚めた時からすでに女性になっていたのでしょう? つまり変化があったのはそれ以前……一昨日の夜から昨日の朝までの間という事になるわ。そして一昨日の夜に行われた儀式の現場に現れてかき乱したという青の王子はお姉さんの変化の事を知っていた。これはただの偶然かしら?」
う……む? そう言われると何か関係があるように思えるけど……
考える。そうだ、早起きと昼ご飯の影響でちょっと頭が回ってなかった。
時系列と武山君の関与について符合するのは秋生の言った通り。私が睨んだように武山君が鍵を握っているのは間違いないようだ。
けど、姉が銀の結社とやらと関わりがあるとは思えない。とすると……奪った儀式とやらの成果を使って姉の身体にいたずらしたと?
「いたずらというレベルかしら。まあ気になる点があるにはあるけど、そう考えるのが妥当でしょうね」
気になる点って?
「日記の通りならアストラル体を定着させるのに人形を使っているのよね。とすると使い魔の類だと思うのだけれど、術者に力を与える存在というと普通は悪魔や天使なのよ」
ふ~ん? それって何か変なの?
意味がわからず、私は聞き返した。悪魔や天使だって魂とか霊魂と同じようなもんだろうし、人間の形をしているものは多いのだから問題ないように思える。
要は用意した人形に何かの魂を憑依させるようなもんなんでしょ?
「その何かが問題なのよ。普通天使や悪魔は概念存在でしかないから人形を用意したところで憑依、定着はしないわ。悪魔は稀に憑依して悪魔憑きになる事があるけれど、あれは儀式に不備があったり禁忌を犯していた場合に身体のコントロールを奪われるだけだから」
へぇ。よくわからんけど人間とか畜生の魂とは違うんだ。
魔術って面倒臭いもんなんだねと続けそうになって私は慌てて口をつぐむ。
秋生の様子を見る限り今は茶化して良い場面ではなさそうだし、機嫌を損ねて大事な話を聞き逃してはたまらない。
えと…………つまり、予想される儀式の内容に対して結果が食い違っているという事?
私の問いに対し、秋生は神妙な様子で首肯した。
ふむ~? 再び、私は考える。ちょっと話を整理してみよう。
まず、銀の結社という人達の行った儀式はアストラル体と呼ばれる魂みたいなものを人形に定着させるものだった。そしてそれが行われたのは一昨日、金曜日だ。
次に儀式の結果だけど、その成果は武山君に奪われたらしい。日記が書かれたのはその後だ。
翌日、つまり昨日だね。土曜日の朝。その武山君から求愛を受けていたという兄、篠宮真冬がなぜか女の子になってて、少なくともその日の夜の段階では武山君はその事を知っていた。
そこから先は私も知っている通りだ。
さて。秋生の言う通り、タイミング的に儀式と姉の件が無関係だとは考え難い。
けれど儀式の内容はわからず、鍵となる武山君は秋生が今朝追い払ったので、両者がどういう関係にあるかはわからない。
以上を踏まえた上でこれから私達がとるべき行動を考えなければならないわけだが……
そもそも私がこの件について調べたいと思っているのは姉がどの程度の期間、女の子のままでいられるかを知りたいからだ。一週間? 一ヶ月? 一年? 一生? それによって私の、というか私達家族の向き合い方が変わってくる。とても重要な事である。
重要な事ではあるのだけど、そこに秘匿性があるかと言えばないように思う。私達家族以外にはあまり意味のない情報だろう。とすると――――
結局、武山君に直接聞いてみるのが一番早いのかな。
聞かせるつもりで呟いた私の一言に、秋生は驚いたように目を開いた。
「本当に貴方は時々色々な肯定を飛ばして確信をつくわね」
うん? それは褒め言葉かな。もっと称えてくれても良いんじゃよ?
調子に乗ってそう言った私の頭を秋生はぺしっと軽く叩いて制した。痛い。
叩かれた場所を大げさに擦りつつ、私は正直に話す。
いや、今朝姉とも話してたんだよ。電話で武山君に直接聞いてみようかって。朝食の時は意表をつかれたのもあってうやむやにしちゃったけどさ。
「電話で、か。ふぅん……それはどちらが言い出した事なの?」
電話で話そうって事? えーと、たぶんお姉ちゃんだったと思う。
私はそもそも武山君と話すの自体あまり乗り気ではなかったのだ。電話でと言われて容認したはず。
それがどうかした?
「ならちょっと待った方がいいかもね。魔術師と話すのに電話はとても良いアイデアだけれど、空間を繋ぐという意味ではもっとも手軽な兵器でもあるから」
突然出てきた物騒な単語に私はうろたえた。
兵器って……何の話をしているのかわかんないよ。
「そうね。私も予測ばかりだから現段階ではっきりとした事は言えない。説明責任を放棄している自覚はあるわ。けれど憶測でものを言いたくはない。だからこれは忠告と思って聞いておいてほしいのだけど……」
そう言って言葉を区切って間を空け、私の瞳を覗き込んできた秋生の目は先ほどまでの火が消え、闇を取り込んだような漆黒に見えた。
深遠を覗き込みながら私はその言葉を聞く。
「お姉さんを信用しないで。少なくとも彼女が本物かどうかはっきりするまでは」
付け焼刃の知識で書くべきじゃないなと痛感中。。
ご覧いただきありがとうございます。




