私と部長の罠
「ど、どした、真夏ちゃん?」
突然倒れこんで来た私に、押しつぶされながらもハルネ先輩が声をかけてくる。
私はもがくように這ってハルネ先輩の上から退けようとするが、ジーパンに拘束されて上手くいかなかったので横に転がって仰向けに着床した。
そのまますぐにジーパンを履きなおして体を起こすと、姉が撮影スペースから飛び出して行くのが見えた。
直後、怒気をはらんだ姉の声と狼狽したハク兄さんの声が聞こえてくる。
「すみません、着替え中なんで出て行ってもらっていいですか?」
「あ、ああ。気が利かなくてすまない。今のは事故だから、その…………いや、なんでもない」
しどろもどろになりながらもこちらを気遣ったハク兄さんはハルネ先輩に「後で話しがあるからな」と怒鳴りつけてから控え室を出て行った。
部屋の本来の利用者はハク兄さんの方なのに申し訳ない事をしたなあ。
ぼんやりそんな事を考えていると、ハク兄さんに怒鳴られてようやく状況を飲み込めたらしいハルネ先輩が頭を下げて謝ってきた。ハルネ先輩もまだ座ったままなので所謂土下座というやつである。生で初めて見た。
いや~、さっきのお兄さんも言ってた通り事故ですから気にしないでください~。
私は上擦りそうになる声をなんとか抑えて極力軽く聞こえるように応えた。
世の中には焼き土下座だのジャンピング土下座だのとネタとして親しまれている感のある土下座だけど、実際にやられると正直困る。こちらも座っている分だけまだマシとはいえ罪悪感がハンパない。早く顔を上げて欲しいのだが、ハルネ先輩はこちらを窺うようにチラ見するばかりで一向に顔を上げてくれなかった。
困ったなぁ。
それ以上どう声をかけて良いのかわからず頭を掻く。
そうこうしているうちにハク兄さんを追い出した姉が撮影スペースの方に戻ってきた。
まだどこか怒っているような歩調で近付く姉に、ハルネ先輩の背がびくりと震える。やめてー、これ以上私の罪悪感を増やさないでー。
姉はそのままハルネ先輩の脇をすり抜けて私の側まで来たかと思うと膝立ちになって、何を思ったのか私の頭を抱きかかえた。
胸に耳を押し付けるように横向きに抱えられたせいで早鐘のように打つ姉の心臓の音が聞こえてくる。
なんかみんなして大げさな反応をしているけど、私はパンツ見られたくらい気にしてないよ?
そりゃびっくりはしたけど、減るもんでもないんだし大丈夫だよ~。
笑って言う私に、けれど姉は抱きしめる腕を外してはくれず、
「分かってる。分かるから」
そう言って頭を優しく撫でてくれた。
私はされるがままに姉に撫でられながら、ああ、そういう事かと納得した。
私に姉の事がわかるように、姉にも私の事がわかるのだ。そして言葉通り気にして欲しくない私とは裏腹に、姉は昔から必要以上に私の事を気にしてしまう。
全く……そういうところが嫌いなんだよ、お兄ちゃん。
私は聞こえないように呟いて、やれやれと姉の胸に体重を預けた。
その後、ハルネ先輩は恐縮してしまって撮影どころではなくなり、私達は控え室を後にした。
控え室を出てすぐのところにはレジがあるので当然そこでハク兄さんと出くわしたのだけど、さすが大人の男性だけあって落ち着いた様子で改めて謝罪された。
いえ、本当にお気になさらないでください。こちらこそお見苦しいところをお見せしました。
「ハルネにはキツく言っておくよ。お詫びというわけではないけど、君達が着ている服はオレからプレゼントするよ。まだ買ったわけじゃないだろ?」
え、いやそんな悪いですよ。あのくらいで二着も奢ってもらったらお兄さんにパンツを見せに来る人が殺到しますよ。
と自虐を交えつつ遠慮したのだが、苦笑いでかわされてご厚意に甘える事になった。
安いとはいってもおこずかいでやりくりしてる身としてはそれなりだしね。
売り場に戻ってみると何やら真剣な表情で乙女チックなデザインのフレアスカートに魅入っている秋生を見つけてニヤニヤしながら合流した。
私の為に履いてくれるのなら買ってあげても良いんじゃよ?
「購入したとしても真夏の前で着るのだけは御免被るわ。貞操の危機を感じるもの」
冷ややかな目でポーカーフェイスを気取りつつもほんのり頬を染めた秋生に癒される。
「ところで随分早かったように思えますけど、撮影はもう終わったんですか?」
「いや、それがちょっとトラブルがあってっスね……」
秋生とハルネ先輩が話している間に私と姉は着てきた服を畳んでハク兄さんにいただいた紙袋に収納した。
ハルネ先輩が余計な事を口走らないように目を光らせていたのは言うまでもない。
なんだかんだと色々時間を消費してしまったので時刻はすでにお昼過ぎ。
ハルネ先輩も食事休憩に入る時間だったので四人揃ってお昼御飯を食べに行きましょうって事になって私達は地下のフードコートへ移動した。
ピークタイムを若干過ぎていた為か、ちょうど四人席がひとつ空いていたので席を確保してから荷物番を残し、思い思いの店で昼食をゲットし再び集合する。
姉に荷物番をお願いしたので私が二人分購入して戻った時にはすでに他の二人も戻ってきていた。
私は軽めにハムサンド、姉には好物のカツサンドを買ってきた。ハルネ先輩を見ると和風に鯖の味噌煮を主食とした定食だった。
割とがっつり食べるんですね。
「いつもここだから考えるの面倒臭くなってね、毎度日替わり定食なんだよ」
なるほど。今日は日替わりのメニューが鯖みそ煮だったわけね。
で、秋生はそれ何なのかな?
「…………バランス栄養食よ」
分かりきった事を聞くなと目で訴えながら言う秋生の手元を見るとその手には黄色くて平べったい箱が握られていた。
芸者ガールがダイエットに使っているとまことしやかに囁かれるブロック型のクッキーである。
まさかと思うけど秋生もダイエット?
「私じゃなくて貴方に気を遣ったつもりだったのだけど、そんな必要は微塵もなかったようね」
どうやら暗に私にダイエットしろと言っているらしい。
い、いや、一応そのつもりはあるんだよ? ただ、学祭終わるまでは忙しいし体力勝負だから無理なダイエットは良くないと思ってだね……
そんな働かないニートみたいな言い訳をする私に対し、秋生は意味ありげに嗤う。
「後で泣く事になっても知らないわよ」
な、泣かないもん。ってか、後っていつの事さ。
「たぶんその学祭の事じゃないっスかね? うち主催のあれ、まだ人数集まってないんしょ?」
横合いから差し込まれたハルネ先輩の言葉を受け、宙に目を向けて考える。
ハルネ先輩は写真部って話だったよね。写真部が主催の学祭イベントっていうと…………ポートレート撮影会?
「それボツんなったやつ。正式に決まったのはミスコンだよ」
へ~、そうなんですか。管轄じゃない部活動はいまいち把握してないんですよね。
で、どうして私がそれで泣く事になるんでしょうか?
「強制的に参加させられないとも限らないでしょう。統括部の写真部担当が誰かは真夏の方が良く知っているのではなくて?」
うん、知ってる。知ってる……な。
私は部室に張り出されている各自の担当部活表を思い浮かべ、頭を抱えた。
八人程の統括部が三十近い部活をそれぞれ担当するので一人三つから四つの担当を持っているのだが、この担当は無作為に決まっているわけではない。
それぞれ使用する部屋の近さだったり、活動内容の相性などが考慮されているのである。
例えば私の場合、担当するのはオカルト研究会と技術部と文芸部。これは部室の近さもさることながら普段から関わりが深いオカ研と文芸部の担当に回され、それぞれの希望を聞いた上で技術部の協力を申請した結果である。
写真部は確か演劇部と軽音部を撮影する関係で括られて体育館の使用担当に回されていたはずだ。体育館はメインステージとなっている為、時間管理とか色々難しく、慣れている三年生が担当する事になっている。そう、ここまで言えばもうお分かりだろう。写真部の担当者は部長こと渡会先輩なのだ。
やばい。あの部長はやる。参加者が集まらないとかいう怠慢な理由で私をミスコンなんていう晒し者イベントに強制参加させようとしてくる。
うわああああああん! そんなイベントがあるって知ってたら決まる前に全力で潰しにかかったのにーっ!
決まってしまった今となっては後の祭である。もはや私に残された道は参加者を規定の人数集めて自分が組み込まれる余地を失くす事のみだ。
というわけで秋生さん。
「いやよ」
まだ何も言ってないうちから断られてしまった。
ならばハルネ先輩! 二年生代表って事でどうですか?
「いいよ。真夏ちゃんには借りも出来たしね。ただ、あたしも生贄になる側の人間だから、優先順位の問題だけど」
そうか。ハルネ先輩は主催者側だから人数が足りない場合は私よりも先にエントリーされてしまうんだ。
むむむ。それじゃスケープゴートにならんじゃないか。
これは本気でなんとかしなければ楽しい学祭が黒歴史になってしまう。
考え込む私。けれどそれよりもさらに重要な問題がある事を秋生の発言で思い出した。
「まあ学祭の話は真夏に一人で悩んでもらうとして、王子様の話でもしましょうか」
ちょっとイレギュラーな事態がありまして、投稿が一日遅れてしまいました。
来週はまた水曜更新に戻しますのでご容赦ください。
ご覧いただきありがとうございました!