私とブラ
上がったテンションを下げるつもりもなく私は狭い試着室の中で姉に襲い掛かった。
まずは羽織っているきちゃないYシャツに手をかけて剥ぎ取る。袖に手を通しているだけなので多少抵抗されても難なく剥ぎ取る事が出来た。
突然の私の凶行に姉は訳がわからないという目でこちらを見ながら手をリスのようにして身を守っている。
その手首をつかんで壁に押さえつけ、無理矢理万歳の姿勢をとらせてから、私は姉の胸元を覗き見た。そこにはキャミに包まれた控えめなサイズの胸が呼吸に合わせて上下していた。
やっぱりブラしてない……
「え……いやそんなの持ってないし……」
私の咎めるような視線を受けて姉がさも意外そうに応える。今朝着させたのも一応ブラなんだけどな。
まあ姉の言う事もわかる。チューブトップブラとはいっても姉に渡したのはオヘソの上まで覆うタイプなのでブラというよりはインナーというイメージだ。姉の認識ではブラの範疇に入っていなかったのだろう。
しかしそういう事ではない。問題は持ってるとか持ってないとかそういう事ではないのだ。
小振りとはいえうっすらと下乳にラインが出来る程度にはあるのだ。ブラなしでは普通に歩くだけでも揺れると思うのだが、擦れて痛くなったりしなかったのだろうか。
思った時には手が動いていてキャミの上から姉の胸を触っていた。頂点付近に指がかかった瞬間、姉の口から「いひゃっ」という変な声が漏れた。
やっぱり痛いんじゃないか。
「え……女の子ってみんなこういうもんじゃないの?」
そんなわけあるかー。
姉のあまりにもズレた言葉に思わず突っ込みを入れる。
ちょっと触れるだけで声を上げてしまうような痛みにずっと耐えてるってどんなプレイよ。
「いやー、まあ、オレもおかしいなーとは思ってたんだよ。ホントだよ?」
いつものニヤけた笑顔でゴマ化す姉。なんか怪しいな。
こいつ……わかっててわざとつけて来なかったんじゃないだろうな。
一瞬、脳裏に不安が過ぎる。
考えてみれば男の子に一番縁のない衣類って言えば真っ先にブラが思い浮かぶ。
胸に脂肪がないのだから当たり前といえば当たり前だが、そう考えるとやっぱりブラをつけるのには抵抗があるのではないだろうか。
そういえば今朝私が選んだ服も着て来なかったし、私の部屋にはいくらでも女の子らしい服があるはずなのに姉が来ている服はほとんど男の子も同然だ。
姿勢は多少意識しているようだけど一人称は相変わらず『オレ』
口では調子の良い事を言いつつもやっぱり男の子としての意識が消えないのではないだろうか。
だとしたら本当は買い物にも来たくなかったのでは?
一度噴出した疑問は疑念に変わり、留まることなく膨れ上がってゆく。
急に私が黙ったので不安になったのか、姉が「真夏……?」と声をかけてくるが、私は一睨みしてそれを黙らせた。
それから姉にしばらくここで待ってるように伝えると試着室のカーテンを引いて隙間からスルリと外に出た。
とにかく姉のつけるブラを買ってこなければ。
「あら、終わったの?」
試着室の近くで飾られた帽子を見ていた秋生が出てきた私に声をかけてくる。
いや、どうやらブラをして来なかったみたいだからちょっと先に買ってくる。お姉ちゃんが逃げないように見張ってて。
「他人が入らないようにではなく、お姉さんが逃げないようになのね。サイズは大丈夫なの?」
ん、たぶん大丈夫。間違ってもレシート捨てなきゃ交換してもらえるっしょ。
試着室に入るときに脱いだ靴を履きつつ秋生と話して大体の事情を伝えた私は小走りに近くのランジェリーコーナーへと向かった。
表からざっと眺めて一番安そうな場所に置かれている下着に近付くとブラを物色する。
昨日見た感じだと姉の胸は少し前の私と同じくらいだったのでB70と仮定してサイズがないか漁った。そうして最初に見つけたブラの値札を確認するとまあまあ手頃な価格だったのですぐにレジに行って購入し、再び二人の待つ試着室の前まで急いで戻った。
息を切らせて戻って来た私に秋生が呆れた声を出す。
「どうしてそんなに焦ってるのよ。お姉さんならずっと中で大人しく待ってくれているわよ」
秋生の言葉に私は少しだけ安堵した。
いや、だって生まれて初めてブラつけるのって女の私ですら嫌だったし、逃げられるんじゃないかと思って。
言い訳めいた本音が口から漏れる。
そう、私は姉がいなくなるのではないかと恐れていた。
そもそも姉は買い物自体乗り気ではなかったように思う。一応建前として今後の生活の為と言ってあるので付き合ってくれているが、私が押し付けている感は否めない。ぶっちゃけ胸以外はそんなにサイズは変わらないので私の服を貸せば事足りるのだ。
姉もそれはわかっているんじゃないかと思う。
わかっていてそれでも付き合ってくれるのは、きっと私が兄を毛嫌いしていたからだ。
女の子になって以降、割と普通に話しているが、一昨日まで私が兄とまともに言葉を交わす事など年に数回もなかった。
兄にとっては息苦しい生活だっただろう。
だから今普通に話せるようになってその状態を続けるために多少嫌な事でも笑って許してくれているのではないだろうか。
だとしたら、本当に決定的に嫌な事があれば姉は私から逃げ出してどこへともなく消えてしまうかもしれない。
そう考えると不安で仕方がなかった。
そんな私の複雑な心境を少しだけ吐露すると、秋生はわざとらしいくらい盛大にため息をついた。
「本当に貴方は兄弟の事になると何も見えてないのね」
米国人のような大げさなジェスチャーまで交えてそんな事を言われた。
どういう意味でせう?
「お姉さんは嫌がってなんていないわよ。怯えてはいるけれど」
秋生の言葉に私は試着室のカーテンを見る。その奥には狭い空間で暇を持て余しながら、姉が私の帰りを今か今かと待っている。
そうか。と、思った。
別に私は姉をひん剥いて試着室から出られないようにしたわけでもない。出ようと思えば出られるのだ。
鏡しかない退屈な空間に篭って待たなくても、少し外に出て服を見たりした方が暇を潰せるというもの。
姉がそれをしないのは、たぶん私の言葉を信用しているからだ。
女の子として何が正しいのかわからなくて。女の子として何が間違っているのかわからなくて。唯一頼れる妹の言葉を頑なに信じているのだ。
姉は家から七ヶ瀬の駅前まで、一人きりで来た。ひょっとしたら自分にわからないところで大恥をかいているかもしれない、そんな不安と戦いながら。
だから目立たない格好を選び、だから男の子のような格好を選んだ。ただそれだけの事だった。
ああ、なんか心配して損した。
私は肩の力が抜けて頬を緩めた。信用されてるってのは悪くない気分だ。
緩んだ頬を隠すように踵を返し、元来た道を戻る私。
「どこへ行くの?」
ふっ。こんなに信用されちゃ、早く戻るのは返って失礼ってもんだ。パンツも買って来てやんよ。
背中越しに秋生にそう伝えると私は再びランジェリーコーナーへと戻り、私は姉に似合うブラとパンツを選び直してあげたのだった。たっぷり三十分ほどかけて。
B70てのはアンダーが70cm前後のBカップって事みたいですよ!
間違ってたらすみませんm(_ _)m
ご覧いただきましてありがとうございましたー!