私と痛い親友
昨夜とはうって変わって白いYシャツに黒のスラックスという制服のように地味な格好をした武山君は、私達の座っているテーブル席まで来ると図々しくも私の隣の席に座った。
彼が近くに来た途端にバニラのような甘い香りがふわっと香る。
うぇぇ、こいつ香水つけてやがる。
「暑ぃなー」とか言いながら人のドリンクに手を伸ばしてくるのを叩いて迎撃すると悲しそうな表情をされた。
いや、もう中身はないんだけどね。関節キスとかしたくないからね。
というかなんで武山君がここにいるんだ?
「君に会いに来たんだ」
歯の浮く台詞をサラリと返されました。気持ち悪っ!
私は粟立つ肌を摩擦して鎮めつつ、武山君から離れる方向にお尻をずらして距離をとった。
ふと視線を移すと正面に座る秋生の顔が見えたが、未だにどこか動揺したような表情で無遠慮に武山君をねめつけていた。
その常とは違う態度に嫌な予感を覚える。
惚れたとか言わんでおくれよ、親友……面だけはいいからなぁ、武山君。
昨夜暗がりの中で見た彼もこの世のものとは思えない美形ぶりだったけど日の光が当たる場所で見る武山君は健康的なイケメンといった風情で、とても中身が残念な事になっているとは思えない爽やかさだった。
親友を守る意味でも早めにお引取り願いたい。
そんな私の切実な思いを感じ取ったのか武山君は秋生に一言「すぐ終わるからちょっとごめんね」と謝罪を入れてから、私の方に椅子ごと向いて話し始めた。
近い近い。
「昨夜は突然その……抱きついたりしてごめん! 落ち着いて考えたら随分酷い事をしてしまったと思って一言謝りたかったんだ」
予想に反して存外真面目な表情をした武山君は、そう言って膝に手を付き深々と頭を下げた。
思いも寄らない行動に私は面食らって言葉を返す事も出来ない。
それをネガティブな反応と受け取ったのか、武山君はこれまでの不敵な態度が嘘のように俯いてモジモジと言い訳をし始める。
「篠宮に妹がいるのは知ってたけど、こんなにそっくりだと思ってなくて勘違いしてしまったんだ。オレの方もすげえ混乱してて逃げるみたいになってしまったけど君には本当に悪い事をした。一晩冷静に考えて朝一で謝ろうと思って来たんだ」
それはまた殊勝な事で……
呆気に取られて思わず相槌も適当になってしまう。
武山君は今や私とは目も合わせられない様子で、俯いたまま左の人差し指に嵌めたシルバーのリングをいじりながら話していた。そこにはどこかで見たような三角の図形が描かれていて私は逃避するようにソレが何だったかを考え始めていた。
なんか有名な企業のロゴだっけな。結構頻繁に目にする気がするんだけど何だったかなー。
思い出すように天井を仰ぎ見るがどうも思考に霞がかかったように思い出せない。そしてそんなあからさまに話しを聞いていない態度をとっていても俯いた状態の武山君には伝わらず、お互いに上の空でただ武山君の言い訳だけが続いていた。
「罵られる覚悟で篠宮に電話したら七ヶ瀬の駅前でまなっちゃんと待ち合わせしてるから後で電話するとか言われて、でも居ても立っても居られなくて探し回ってたんだ」
そっかー、それならギリストーカーではないのかな~
聞き流しつつ、私の意識はどうしても三角の図形に集中してしまっていた。
三本の角材が組み合わさったような立体的な図形なのだけど、それぞれ奥から手前に向けて斜めに出ているのに引っ込むところがない。三次元的にあり得ない、騙し絵のような図形だった。
「篠宮には完全に嫌われたみたいだから、卑怯だけどあいつが居ないうちにと思って……」
「えーと、すみません。よろしいでしょうか」
ぐだぐだになり始めた状況を打破したのは他でもない。傍から見ていた秋生だった。
突然横から掛けられた声に武山君もようやく顔を上げてそちらに目を向ける。釣られて私も秋生の方に意識を移した。
「横からごめんなさい。ですが、突然の事で真夏も混乱している様子ですのでひとまず今日のところはお引取り願えませんか?」
うぁーい「お引取り願えませんか?」なんて実際に使ってる人初めて見た。
これには武山君もびっくりしたようで「いや、でもオレの気持ちが……」とかなんとか取り繕おうとしているが、言葉はしどろもどろになって動揺しているのが丸わかりだった。
「貴方のお気持ちはちゃんと真夏にも伝わっていますよ。そうでしょ、真夏?」
お、おう。
突然こっちに振られて私まで動揺してしまったぜ。
とにかく武山君がここまで謝りに来たっていうのだけはわかった。秋生の言う通り今は混乱しているので考えがまとまらないが、それはそれとして謝罪があった事実だけは覚えておこう。
私は身体ごと向きを変えて武山君にちゃんと向かい合い、その目を見ながら頷いた。
「そ……そうか。うん。それなら良かった」
武山君は今一つ納得し切れていないといった表情ではあったものの、ひとまず伝える事は伝えたからと椅子から立ち上がった。
そして座っていた椅子を元の向きに戻してから再度頭を下げて私に謝罪をすると、秋生にもお礼を言ってから去っていった。
その背中を私は複雑な心境で見送ったのだった。
嵐の過ぎ去った後、私達は窓の外に映る景色から武山君の姿が消えるまで一言も喋る事なく見送った。
そしてその姿が見えなくなった後、秋生はおもむろに私の隣の席――――つまり先ほどまで武山君が座っていた席へ移動すると、不可解な行動に出た。
手の届く範囲のテーブルの裏や椅子の裏などをごそごそとまさぐって調べ始めたのである。
と、突然何してるの?
「盗聴器とか仕掛けられていないかと思って」
とそんな事を言い出した。
盗聴器って。ドラマや映画じゃあるまいし。
いくら武山君の中身が残念でも謝罪に来たその手で盗聴器を仕掛けていくとか、そこまでではないと思いたい。
先ほどの彼の態度は十分に紳士的なものだった。最後こそぐだぐだになってしまったが、ああいう女々しいぐだぐだ感は兄で慣れている。
そんな風に好意的に受け止めて少しだけ武山君の事を見直しかけていただけに、秋生の行動が過剰に思えてしまったのだ。
しかし秋生はまったく逆の感想を抱いていた。
「アレはそういうタマではないわ」
これこれ、女の子がタマとか言ってはいけませんよ。
一通り調べて元の席に戻る秋生をいつもの癖で茶化してしまう私だったが、秋生の表情は真剣だ。
「ペンローズ三角形の描かれた指輪、香りの強い香水、無地の服装、さらには視線誘導。多分だけど全部計算尽くよ」
えーと、話が見えないんだけど……どういう事?
私は冗談を無視され、空気を読み違えた気まずさに言葉尻をすぼめながらも秋生に問う。
秋生はそんな私の態度など気にも留めていない様子で、零れそうになる笑みを無理矢理抑えているような不細工な表情を私に向けた。
「アレは私と同じ人種。自己を制御し世界を造り変えんと欲する者」
あ、あかん。コレいつもの悪い癖が出てる時の口調だ。
気づいて後悔するも時すでに遅し。
陶酔するような艶やかな表情を浮かべた秋生は自分の世界に浸るようにそっと目を閉じて言う。
「即ち魔術師。彼もまた魔に魅入られし呪い子なのよ」
小野田秋生。魔術師を自称する私の痛い親友は、出会った時から変わらず持病の厨二病を患い続けていた。
前回に引き続きお姉ちゃんの出番なし。次回は多分出ると思います?
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