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番外編 野球は奥が深い

 野球、それは人知を越えた複雑なルールの競技。

 そのルールの全てを理解できたものは未だこの世界にいないと言われる。

 だが、それでも人は願う。いつか野球がやりたいと。

 そしてここにも、野球をやることを夢見てそのルールを体得したいと願う少年が居た。

 少年の名は相馬幸平。職業は勇者。

 つい昨日、街で暴れていたドラゴンを退治したばかりだ。

 少年は友人の少女、近江春火に告げる。

「春火、俺はやるぞ」

「こーちん、まさか」

「俺は野球のルールを覚える!」

 その言葉に春火は驚愕の表情を浮かべる。

「危険すぎるよ! 今まで誰一人として生きて帰って来た者はいないんだよ!」

「それでもだ! 俺は絶対に野球をやれるようになりたいんだ! そしてその時は、お前も一緒に野球しようぜ」

 幸平に笑みを向けられ、春火は勢いを失う。

「こーちん、決意は固いんだね」

 春火は幸平とともパーティを組んで旅をしている仲間である。職業は魔法使い。

 その昔、神への反逆罪で北東の山に封じられていた幸平の封印を解いた恩人でもある。

「雪音、アレを持ってきてくれ」

「うん、わかった」

 幸平は同じくパーティメンバーの上咲雪音に命じる。

 彼女は幸平と春火のことを実の兄や姉のように慕っている年下の少女だ。職業は商人。

「持ってきたよお兄ちゃん」

 雪音が十メガネメートルはある分厚い本を抱えてくる。

 これが呪われた書物の異名を持つ野球のルールブックなのだ。ここに書かれている内容を全て理解した時こそ真の野球マスターになれる。

 だが、その道は長く険しい。今まで多くの研究者達があまりに難解なルールに眩暈や吐き気、頭痛、くしゃみ、鼻づまり、喉の痛みなどを訴えて挫折してきた。

 しかし千里の道も一歩からだ。幸平達三人はこくりと唾を飲み込んだあと覚悟を決めてその一ページ目を開く。

 野球のルールその一。試合で勝ったらケーキが貰える。

「ケーキ! 欲しい!」

 早速雪音が目を輝かせる。

「ああ、雪音。俺は野球マスターになってお前にでっかいケーキをプレゼントしてやるぜ。一生かかっても食べきれないようなヤツをな」

「ありがとうお兄ちゃん。でもケーキって賞味期限すぐ来るよね」

 これで彼らが野球を目指す理由がまた一つ増えた。彼らはもう引き返せない。

 続いて二つ目のルールに目を通す。

 野球のルールその二。勝ったチームは負けたチームの選手を一人貰える。

「全国大会優勝チームとか凄いスタープレイヤー揃いになってそうだよね」と春火が呟く。

「どうしよう。負けちゃったら私、相手のチームに盗られちゃうかも」

 雪音が子犬のように怯えた目で幸平に救いを求める。

 幸平はその視線に庇護欲をくすぐられ、思わず雪音を抱きしめる。

「大丈夫だ雪音! 俺は絶対に負けない! 必ずお前を守ってみせる」

「うう、お兄ちゃん。絶対だよ。雪音との約束だよ」

「ああ、約束する」

 雪音を安心させるようにその頭を撫でる幸平。

 よし次のルールは、と三人が再びルールブックに目を落とした時、

「すいません。そこの若人(わこうど)さん方」

 突然話しかけられた。

 声の方向に目をやると、そこに居たのは長い黒髪の小柄な少女だった。

「どちらさまですか?」と雪音が訊く。

「すいません。私、魔王の深山静佳と言います。ちょっくら世界を征服しに来ました」

 その言葉に幸平は間髪入れず答える。

「あっ、ウチ間に合ってますんで」

 実はこの世界はすでに魔王に征服されているのである。

「その魔王ってのが酷いヤツでね。裏金だの脱税だの問題ばかり起こしてるんすよ」と幸平は愚痴る。

「いやいや、私は違いますよ。私が新しい魔王に当選した暁には消費税増税に断固として反対します。どうか新しい魔王に深山静佳を! 深山静佳に清き一票を宜しくお願いします!」

 どうやら彼女は選挙活動の為に幸平達に声をかけたようである。

 幸平は、どうする?と仲間の二人に意見を求める。

「えー、政治とか興味ないしー」と春火は言う。

「選挙とかぶっちゃけメンドイ」と雪音も吐き出す。

 そんな二人の反応に静佳は拳を握りしめて憤慨する。

「なんてことです! 若者がそんなに政治に無関心ではこの国に未来はありません! ちゃんと選挙には行ってください!」

「嫌だ。メンドイ。選挙には絶対に行かない」と幸平も主張する。

「ならば勝負で決めましょう!」と静佳は言う。

 勇者と魔王の勝負。その種目といえばそれは野球しかない。

 魔王・静佳はボールを持って言う。

「ルールは簡単です。私の投げる球を打てたら貴方達の勝ちです」

「いいのか? 野球ってもっとストライクとかボールとか色んなルールがあるんじゃないのか?」

 幸平は首を傾げる。

 静佳は答える。

「いいんです。私だって野球の詳しいルールは知らないのでそんな感じの簡単なルールにします」

「いいだろう。わかった勝負だ」

 幸平がバットを構えて勝負が始まる。

 静佳が振りかぶって第一投を投げる。

 魔王の攻撃、ダーク・カタストロフ!

 静佳の手から放たれた暗黒の球体は大地を腐らせ、周囲の草木からは全ての生命エネルギーを根こそぎ奪う。

 幸平はそんな暗黒の波動を前に秘密兵器を使うことにする。

 勇者の眼鏡(ブレイバーグラス)。それは前のダンジョンのボスキャラを倒した時に手に入れたアイテムだった。

 このアイテムの効果であらゆる攻撃を分析することが出来るのだ。

 静佳の放った暗黒の波動が幸平の前を通り過ぎたあと幸平は言う。

「ふっ、魔王よ。今お前が投げたのは高めのストレートだな」

「それ、見送ったあとに判っても意味ないんじゃないですか」

 静佳は冷静に言う。

「勇者さん。残念ですが魔王との絶対的な力の差をわからせてあげましょう」

 静佳の手から二度目のダーク・カタストロフが放たれる。今度は幸平もバットを振ってその球に当てる!

 だがそれは幸平の手に痺れを残すだけで、前には飛ばなかった。

「くっ、魔王め。なんていう威力の攻撃だ。この攻撃力は軽く百億メガネは越えている。しかも今のファールチップで俺は手が痺れてしまった」

 幸平は麻痺状態になった。数ターンの間、動きが鈍くなる。

 静佳は不敵に笑う。

「ふふ、野球は攻撃力の高さだけでは決まらないのですよ。こうやって相手を状態異常にして弱らせるのも立派な作戦です」

「流石だ魔王。野球を知り尽くしている」

 悔しげに奥歯を噛む幸平に、静佳は言う。

「さあこれでツーナッシングです。いよいよ追い込みましたよ勇者さん」

「なに! ツーナッシング? どういう意味だ!」

「さあ? 私も野球のルールは知らないので適当に言ってみただけです」

「くそっ、未だにルールはよくわからないが俺は追い込まれてしまったらしい! 一体どうすれば」

 幸平の心が折れそうになったその時、

「お兄ちゃん諦めないで!」

 雪音の声が届いた。

「こーちん! ガンバレー!」

 春火もまた幸平に声援を送ってくれる。

 野球のルールその三。諦めたらそこで試合終了だよ。

「こーちん! ウチもまだ野球のルールはよくわからないけど、この前読んだ野球漫画で言ってたよ。野球はチームプレイだって! だから一人で悩まないで! どんな逆境も私達で力を合わせて乗り切ろう!」

「お姉ちゃんの言うとおりだよ! 私達のチームワークで魔王を倒そうよ!」

「春火、雪音、お前ら!」

 春火は魔法の呪文を唱えた。幸平の攻撃力が上がった。防御力が上がった。魔法攻撃力が上がった。魔法防御力が上がった。素早さが上がった。

 雪音は薬草を使った。幸平は麻痺状態から回復した。

 幸平は自分の両手を見る。

「痺れが消えて力が漲ってくる。これがチームプレイ。これが本当の野球なのか。春火、雪音、ありがとう。お前らの力受け取ったぜ!」

 その様子に静佳の表情に焦りが浮かぶ。

「勇者さん、復活しましたか。でも無駄です。無敵を誇る私のダーク・カタストロフの前にアナタは敗れるのです」

「そこまで言うなら来いよ、魔王」

 幸平は人差し指でちょいちょいと手招きする仕草で挑発する。

「いいでしょう。これで最後です勇者さん。この一撃で世界は我が物となるのです」

 静佳が両手を天に広げ、三度目のダーク・カタストロフを放つ。この一撃をまともに喰らえば幸平は敗れ、次の選挙では真面目に投票に行かなければならない。

 幸平だけでない。それに雪音や春火も巻き込んでしまう。

 そんなことは、それだけは絶対にさせない!

 魔王の野望を阻止する為に、その想いが彼に力を与える。

「喰らえー! 勇者打法!」

 幸平のバットが暗黒の波動を捉える。

 さっきはその球に力負けしてしまったが、仲間の力を得た今の幸平にはもはやその程度敵ではなかった。

 正義のバットが闇を切り裂く。そのバットから放たれた光が暗黒の球体を両断し、その勢いのまま光は静佳を襲う。

「そんな、私が、この私が負ける? バ、バカな! あ、ありえないー!」

 表情を歪ませながら静佳はその光に飲み込まれる。

 光が消え去ると、呆然とした様子で静佳が地面に膝をついていた。

 そこに幸平がゆっくりと近づいてゆく。

 慰めに行ったわけではない。

 幸平は言った。

「楽しかったぜ魔王」

「え?」

 予想もしてなかった言葉をかけられて静佳は聞き返す。

 幸平はキョトンとした顔で言う。

「なんだよ。そんなに不思議なことか? 野球って楽しむ為のものだろ? お前みたいな凄い球を投げるピッチャーと戦えて俺は凄く楽しかったんだ」

 幸平は感服したように言葉を続ける。

「お前は凄いよ。俺一人の力じゃとても勝てなかった。俺が勝てたのは仲間の力のお陰だ」

 確かに静佳には仲間がいない。一人で選挙活動をしていた。

「自慢ですか?」奥歯を噛みしめながら静佳は言う。

 幸平はそれには答えず、彼女に手を差し出す。

 その意味が判らずに、静佳は不思議そうに幸平の手を見つめる。

「野球のルールでは勝った方が負けた選手を一人貰えるんだ。静佳、お前は今日から俺達の仲間だ」

 静佳は呆然と幸平の顔を見上げる。

 その言葉が静佳の耳に入り、言葉の意味を頭の中でゆっくりと咀嚼する。

 幸平は優しく告げる。

「俺もまだ野球のルールは勉強中だがよ、球を投げる奴がいるなら捕る役もいるよな。今日から俺がお前の球を捕るよ。俺がお前を支える。仲間同士支えあってやる野球はきっともっと楽しい筈さ」

 静佳は何も言わない。ただ悔しさと照れが混じったような顔を背けながら幸平の手を掴む。

 その手を引き上げ、幸平は静佳を立たせる。

 そこに春火と雪音も手を重ねる。

「ようし! 今日からこのメンバーで野球の勉強開始だ!」と春火が声を張り上げる。

「うん、頑張って勉強しようね」と雪音も頷く。

 ところで、と彼女は言葉を続ける。

「野球ってピッチャーが投げてバッターが打つってことはわかったけど、打った後ってどうするの?」

 その疑問に春火は答える。

「えっ、そうだね。打った後は走るんだよ」

「どこに向かって?」と雪音は首を傾げる。

「夕日に向かって!」春火は力強く即答した。

「おお、流石春火! 野球に詳しいな!」幸平もその答えに感心する。春火は得意気に胸を張って言葉を続ける。

「うん、それで夕日に辿り着いたら点が入るんだよ。この世界はお皿みたいになってて下で象さんが支えてくれてる感じの天動説上等の世界だからいつか夕日にも辿り着けるのさ!」

 よしわかったぜ、と幸平は納得すると仲間達に向けて言葉を吐き出す。

「じゃあみんな! 早速ベースランニングの練習だ! あの夕日に向かってダッシュだ!」

「おう!」「はい!」「わーい」

 四人が声を揃えて、夕日に向けて駆けていく。

 幸平達の野球マスターへの道は始まったばかりである。

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