第八話 初恋の人
「臣事ー! わりい、遅れたー!」
青年が走りながら手を挙げる。
逆立ち気味のツンツンした髪型。高校生のようなガタイに子供のように無邪気な笑顔を浮かべた青年が球場の前に辿り着く。
そこに待っていたもう一人の青年――臣事と呼ばれた彼が手に持っていたボールを投げながら、皮肉げに口元を歪めて言う。
「まったくだ。早起きは三文の徳という言葉を知っているか星辰? 早く来ていれば面白い物が見れたのに」
こちらもツンツン髪の青年に負けないくらいの長身で、太い腕に広い肩幅と、服の上からもわかるくらい鍛え抜かれたアスリートの体をしていた。
首筋を隠すほど伸びた後ろ髪と、同じように長めの前髪はスポーツマンと言うよりバンドマンのようだが、生憎髪を染めているわけでもお洒落な髪型をしているわけでもない、釣り目がちの鋭い目つきの男だった。
星辰と呼ばれたツンツン髪の青年が不思議そうな顔でボールを受け取る。
「なんだこりゃ。くれんのか?」
その問いに臣事は答える。
「欲しければやるぞ。大会第一号のホームランボールだ。たまたま俺のところに飛んできたのをキャッチしてな」
「なに! ホームラン!」その言葉に星辰は目を輝かせて臣事の両肩を掴む。
「ど、どんなバッターだった! 凄かったか?」
臣事はそんな友人の様子に満足げに口元を歪めながら言葉を返す。
「スプリングというチームの四番でな。そいつを見たらお前はびっくりするだろうぜ」
その言葉をどう解釈したのか星辰は興奮気味に捲くし立てる。
「ま、まさか身長二メートル越えの毛むくじゃらの大男で、歩くたびに地震が起きて、打った後は、あーああー!と叫ぶような怪物バッターなのか!」
その反応に臣事は、クククと含み笑いをしながら言葉を返す。
「まあ、それは実際に会ってみてからのお楽しみだ」
「うあー、マジかよ! 会ってみてー!」
星辰が大はしゃぎで拳を天に突き上げる。
臣事は流石にそのテンションについていけない様子で呆れ気味に吐き出す。
「そんなに興味があるのか。たかがホームラン一本打ったくらいで」
その声は星辰にしっかり届いていたようで彼は答える。
「当然だぜ! ピッチャーとしてはよ、すげえバッターとの戦いはワクワクすんだよ!」
流石にそこまで期待されると恐縮してしまうなー、と俺は思った。
ビデオを見ながら俺は呟く。
「隠し撮りはいい趣味じゃないな」
確かに俺は春火に第二試合のビデオを撮ってくるように言った。だがそのビデオに何故、どこの誰とも知らない高校生二人組(会話からして星辰・臣事という名前なのだろう)が撮影されているのか。
「まあ試し撮りってヤツかな」
一緒にソファーに座っていた春火が楽しげに答える。
俺はそんな幼馴染に少しだけ説教をすることにする。
「なあ春火。自分がやられて嫌なことは他人にもしちゃいけないって教わらなかったか?
例えば俺とお前がいつも通り雑談してるだけでも、知らない奴にそれを盗撮されたら恥ずかしいだろ?」
そう言ってやると春火が、むっと表情を顰める。
「こーちんといつも通りの雑談か」
そう呟きながら少し考える。そして言う。
「例えば、今夜どう?とか」
俺はそれに答える。
「すまん。物質転送装置の調子が悪いんだ。また今度にしてくれないか?」
春火は言う。
「なら爪楊枝を渡す。これで装置を直せ!」
俺は驚く。
「そんな! こんな高価なものを? なら金を出すよ」
その言葉を春火は頑固に突っぱねる。
「いらん。それはタダでくれてやる!」
俺は恐縮する。
「そんな、悪いよ」
一連の会話シミュレーションを終え、春火は顎に手をあてる。
「なるほど、こんな会話を撮られたら確かに恥ずかしいね」
「だろ?」
「いや、アンタラ普段どんな会話してるのよ!」
唐突にチナの声が割り込んできた。一緒にリビングのソファーに座ってテレビを見ているのだから驚くことでもないんだが。
「え? いつも教室とかで今みたいなやりとりしてるけど」
春火はキョトンとした顔で答える。
「気になるのよ! ツッコミどころ満載で、教室とかでそんな会話されたら気になって聞いちゃうのよ! 既にその雑談は公害と言ってもいいレベルなのよ!」
焦り気味にそう捲くし立てる。隣で高原もそれに、うんうんと頷いている。
「そーかぁ? 遥介とか隣の席だけど、全然俺らの話なんて聞かずに自習してることよくあるぜ」
そう言って俺は首を傾げる。
速薙が渇いた笑いを浮かべる。
「遥ちゃん、凄いのです。この会話を隣でされてスルーできるんですね」
「凄いね、遥介くん。ある意味尊敬できるよね」と織編先輩が深く深く頷く。
さて、今の状況を説明しておこう。
試合を終えた俺達は、その後春火の家に集まり次の対戦相手が決まる試合を撮ったビデオを全員で見ながらミーティングを行うことにした。俺がキャプテンとしてそう提案した。
尤も医者に行っていた俺・静佳・水無月の三人以外はリアルタイムで試合を観ている為、同じゲームをもう一度観せるのは心苦しかったが、やはり一緒に試合を観ながらみんなで相談できる場が欲しかった。
反対意見は特に上がらなかった。まっ、解散になるのはみんな寂しいんだろうね。
ここにいるヤツラは全員野球が好きで集まってるんだし、今日球場で試合をやったのを宴会に喩えるならこれは二次会と言えるのだろう。
そんなわけで春火の家のリビングに九人が集結し、撮ったビデオをテレビで再生しているワケだが。
「んじゃ、そろそろ本編かな」
という春火の言葉に俺はテレビに視線を戻す。
画面の中では、方條が一人、自販機で飲み物を買っていた。
「ちょっと! なんでこんなところ撮ってるんですか!」
方條が恥ずかしそうな様子で文句をつける。
そんな彼女に春火はピースを返す。
「これがはるちんの盗撮スキルなのさ。みーちゃん、自分が撮られてるどころか、近くにウチがいることも気付かなかったっしょ?」
そう言って得意満面な笑みを見せる。
そんな様子に方條は、もう、と苦笑を浮かべる。
春火は腕を組んで得意気に言葉を続ける。
「以前男子更衣室を盗撮して、その映像から全校男子生徒のスリーサイズを割り出したこともあるよ。データ欲しい?」
いらねええええ!
つーか、男子更衣室盗撮とか流石に嘘だろ。本当はそんな度胸ないくせに。
俺としては本編なんて言うから肝心の試合が始まるのかと思ったが、まだまだ始まらねえ。
画面の中では方條が、苺ミルクのパックを買って、オマケについていた羊のストラップを見て、「やった。メエちゃんが当たった!」と嬉しそうな声を漏らしているところだった。
「方條、可愛いんだけど」
俺は笑いを堪えきれず、口元を押さえる。
「ああ! ち、違うんです相馬さん!」
方條は慌てた様子でそれを否定しようとする。
その時だった。一人の男が方條に、「ねえ、キミ」と声をかけてきた。勿論画面の中での話だ。
「はい?」と返事をして方條が振り向く。
さっきの高校生ほどではないが背の高い男だった。デコが広く空いたストレートなセミロングの髪型に、憎めない感じのするタレ目。白い布地に青いラインの入った、袖部分だけは完全に青い野球のユニフォームを着ている。
そしてそのユニフォームの胸元にはYATSUHASHIというロゴが描かれていた。
男は自分のユニフォームの裾を掴みながら言う。
「この辺にさ、俺と同じユニフォームの奴見なかった? ゆるフワパーマの男でさ。どーせどっかの日陰とかで寝てるんだと思うけど」
いえ、見かけませんでしたが、と方條は申し訳なさそうに首を横に振る。
そっか、いいよいいいよ、と男は笑ってみせる。
「じゃあさあ、この近くで昼寝とかするのにいい場所ある? どっかベンチとか草むらとか」
そう問うと方條は顎に手をあて、視線を男から外す。
「いくつか心当たりはあります」
方條のその答えに男は、おお!と感嘆の声を漏らす。
「じゃあよかったらその場所案内してくんない?」
そう言って男は方條に笑みを浮かべる。
普通ならその場所を教えてって言うよな? 初対面の相手に案内して欲しいというのはいささか図々し過ぎるような。
俺の感じた違和感など方條は感じてない様子で、得意気に「こちらです」と男を先導する。
純粋に、困っている人を助けられるのが嬉しいという顔だ。人助けをすると自分も気持ちよくなるというやつだ。本当いい子だなこの子。
そしてカメラも二人の後を追う。今更だが改めて言いたい。なにやってんだ春火。
並んで歩きながら男は言葉を吐き出す。
「いやー、ホント困ってたんだよ。もうすぐ試合だってのに仲間の一人が行方不明でさあ。アイツいつもこうなんだよ。サボリ癖があるって言うかさあ」
あはは、と方條は苦笑を浮かべる。
大変なんですね、と相槌を打って彼女は男に質問を返す。
「試合というと貴方も草野球大会に参加されるんですか?」
おうよ、と男は答え、自分のユニフォームの裾を引っ張ってウィンクとともに言う。
「見るからに野球少年って感じだろ?」
確かに、と方條が笑いを浮かべる。
なんか、どっかで見た光景のような気がする。
男は言う。
「キミは前の試合に出てたよね。サード守ってた子だ。カッコ良かったよ」
ありがとうございます、と照れくさそうに方條は笑う。
「私達の試合も観てらしてたんですね」
そう言って方條が男に視線を向けると、男は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、
「可愛い子にはついつい目が行っちゃうんだよ」
と返す。
「それは褒めすぎですよ」と方條が苦笑を漏らす。
すると男は意地悪な笑みを浮かべて、
「いや別に誰も可愛い子イコール君のことだなんて言ってないけど?」
と、とぼけたことを言う。
えー、と方條が困り笑いを見せると、
「でもキミはすっごい可愛かったからずっと見蕩れてたけど」
とからかうような笑みを見せる。
「どっちなんですかー」
と方條は気の抜けた顔をする。
これってアレじゃね。ナンパじゃね?
方條はそこまで深く考えてないようだがこのロンゲ男、前の試合を観て方條のことを知ってたわけだし、お近づきになりたいという下心でもなきゃこんな会話しねーよ。同じ男として断言できる。
道案内を口実に女の子に声をかけるっていう手口も、
『昼間、こーへーさんが星巳さんをナンパしてたのと同じ方法ですね』
そんなこともあったかな? 俺は過去を振り返らない男なんでね。
そんなときだった。画面の中から別の声が聞こえてくる。
「あー、タカ君が蜜柑のことナンパしてるー!」
楽しそうにロンゲ男を指差す高原が、見知らぬ少年と一緒に歩いてきた。
少年、だよな? 背も高原よりちょっと低いし女顔だけどロンゲ男と同じユニフォーム着てるし。
柚希、と方條が驚いた顔を向ける。
「この人と知り合いなの?」
方條の疑問に高原は親指を立てて得意気な笑みで答える。
「野球やってるヤツは大体友達!」
「そうだね愚問だったね。ウチの野球部のユニフォーム着てるんだから柚希が知らないはずなかったね」
方條の顔に納得の色が浮かぶ。
「蜜柑ちゃん、おひさ」とショタっ子が片手をあげて挨拶する。
「お久しぶりですね紫苑君。これから試合ですか?」と方條も挨拶を返す。
一方高原はロンゲ男をからかって楽しんでいる様子だ。
「駄目だよタカくーん、蜜柑は男の子に免疫ないんだからあんまりおイタしちゃ。代わりに私を好きなだけ口説いていいから」
そう言ってロンゲ男を見上げる高原に、彼は苦笑を返す。
「おい高原」俺はそこで口を挟む。「知り合いでもない奴ばっか出てくるビデオを見せられても退屈なんだが。ちょっとコイツラのこと軽く紹介してくれ」
会話を聞いてるとこのショタっ子とロンゲはウチの学校の野球部員なんだよな?
うん、いいよ。と言ってお下げっ子は説明を始める。
テレビ画面に映るロンゲ男を指差しながら、
「まずこっちのナンパ君は、野球部の三年で日下嵩倖。通称タカくん。ポジションは蜜柑と同じサード」
高原がそうやって紹介している間にもビデオは進む。
ショタっ子が楽しそうに言う。
「しっかし二回戦で早くも柚希ちゃん達とあたるなんてね。試合の時はたっくさんたっくさん苛めてあげるからね。楽しみにしてて」
嗜虐的な笑みを浮かべながらそう告げると、画面の中の高原は、わーいユウくんがいつも通り変態だ。安心するなぁ、と和んでいた。
画面の外の高原は紹介を続ける。
「こっちの変態は二年の紫苑勇。通称、ユウくん。ポジションはセカンド」
なんか、濃いお友達ですね。と速薙が渇いた笑いを浮かべる。
「つーか、野球部が草野球大会に出てるのか?」
俺は素朴な疑問を投げかける。
それに答えてくれたのは方條だった。
「ええ、正確には野球部という組織で出ているわけではなく。野球部内の仲のいいメンバーが集まってチームを作っているんですが」
なるほどね。
そこでチナが口を開く。
「そしてこの野球部チームが」
重々しい様子で言葉を吐き出す。まさか、この野球部チームが次のウチの対戦相手だと言うのか?
「あんな末路を辿ることになるとは、このときは私達は想像もしてなかった」
いやあー! 不吉なモノローグやめてええええええ!
チナのモノローグに一同爆笑したあとそれが一段落すると高原が楽しげに切り出す。
「そして次はお待ちかね!」
その言葉に視線をテレビに戻すと、そこに新たな登場人物の姿があった。
ロンゲ&ショタと同じユニフォームに身を包み、楕円形のノンフレーム眼鏡をかけた長身の男だ。
俺は動揺した。まさか、眼鏡キャラだと! 俺とキャラが被るじゃないか!
男は口を開く。
「こんなところで油を売っていたんですか貴方達は。月城は見つかったんですか?」
呆れ気味にそう吐き出す眼鏡の男に、画面の中の高原は嬉しそうな声を上げる。
「あっ、カズくん!」
そして画面の外の高原は誇らしげに胸を張る。
「この知的でクールなイケメンこそが野球部のキャプテン。三年、ショートの高原和希」
「たかはら?」
その紹介に水無月が不思議そうな顔で苗字を呟く。
その言葉に高原は待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべて答える。
「そう! カズ君は私のお兄ちゃんなんだよ!」
へーっと女子共から感嘆の声が上がる。
「話には聞いてたけど、柚ちゃんのお兄さんってホントカッコいいんだね」
春火が感心したように言う。
そんな! 春火が、春火が俺以外の男のことをカッコイイって、カッコイイって言った。
『こ、こーへーさん! 気を確かに持ってください』
な、なんだねサザンクロス。お、俺は別に精神に大ダメージを負ったりとか一切してないからな。してないぞ。
『私は南十字星じゃありません。いいから落ち着いてください。こーへーさんだって春火さんにカッコイイって言われたことの一回や二回あるはずです! そのときのことを思い出して精神を安定させるんです』
そ、そうだな。よし。
俺は全然取り乱したりなんかしてないけど、大人な俺様はサンタクロースに付き合ってカウセリングごっこを受けてやることにする。
すーはー、すーはー。
画面では未だビデオが再生され続け、その中で高原は飼い主を見つけた子犬のように嬉しそうにお兄さんに駆け寄っていく。
「カズ君これから試合でしょ。頑張って! そんで二回戦でウチらと戦お」
お兄さんはその言葉に疲れたような頭が痛いような顔をして言葉を返す。
「その試合に出れるかどうかの瀬戸際なんですがね。今は」
そうだったね、と高原(妹)が納得して、それじゃあみんなでテッちゃんを探しに行こう!と指揮を執る。
その後、一行は方條の案内の元、球場から少し離れた自然公園を捜索することにする。
森と表現してもいい道でそれぞれ手分けして人探しをする。道中お兄さんは他のチームメイトにも連絡してここに集まるよう電話で話していた。
高原はお兄さんに何気なく質問を投げかける。
「そういえばカズ君のチームのピッチャーって結局誰になったの? 三年の浜谷さん?」
「いや、浜谷はどうにもこの大会に乗り気でないみたいでね。参加してないんだが」
そこまで言って、その続きを言い辛そうにお兄さんは言い渋る。
じゃあ誰?と高原が不思議そうな顔で問う。
その疑問はすぐに氷解する。
「おーい、先輩方。こんなところにいたんすか。で、月城先輩は見つかったんすか」
そこに新たな登場人物の声が響いた。
野球部のユニフォーム姿ながらポケットに両手を入れた鋭い目つきの少年。
言葉こそ敬語だが、先輩相手に尊大な態度に見える。
高原はその少年を見て、驚きに目を見開き口をパクパクさせている。
そして次の瞬間、その少年を指差し大声で叫ぶ。
「源健人ー! なんでお前がここに!」
あ?と不機嫌そうに少年は高原を見る。そして言う。
「誰、お前?」
その言葉に高原の怒りは頂点に来たようで表情を歪めて歯を食いしばる。
なんだろうこの険悪な雰囲気? 高原はこの少年になにか因縁があるようだが。
ビデオの再生を見続けているこちらの高原も不機嫌そうな顔をしている。
因縁らしき二人の間にお兄さんが入り、源と呼ばれた少年に告げる。
「私の妹の柚希です。というかアナタ会ったことありますよ。一年前に部活中に勝負したでしょ」
その言葉に源は記憶を辿るように視線を彷徨わせたあと、あー、と納得した声を出す。
「あんときの女か、悪かったな」
殊勝な態度を見せた源を高原はキッと睨み返す。
そして心底機嫌が悪そうに言葉を返す。
「べっつにー、あんなの謝る必要なんかないしー。っていうか勝負は私の勝ちだったし」
はあ?と源が不思議そうな顔をする。
そして高原兄に訊く。
「俺って嫌われてんの?」
その問いにお兄さんはしょうがないという顔をする
「まあ源一人が悪いわけではないんですがね」
未だ敵意を剥き出しにする高原を方條が宥めに入る。
高原は源を指差しながら言う。
「っていうかカズ君。まさかこいつがカズ君のチームのピッチャーだなんて言わないよね?」
「悪いか?」
お兄さんが答えるよりも早く源が言う。
その言葉に高原は今にも噛み付かんばかりの強い視線を源に送る。
「悪くはないけどね。それなら滅多打ちにしてやるだけよ。覚悟しときな」
そう言って源から視線を外す。
行こ蜜柑、とっととテッちゃん見つけちゃお、と言って方條の手を引く。
そこに思わぬ声がかかる。
「月城先輩ならここに居るよ」
ビデオに写る全員が声の方向へ注目すると、画面もそちらを映す。
ふくよかな体格の丸い顔の少年が茂みのむこうを指差していた。
ユニフォームを着ているということはこいつも野球部チームのメンバーか。
こいつはキャッチャーだな。見た目からしてそんな感じだ。ちなみにサッカーだとキーパーだ。見た目的に。
「高原、今の二人も一応紹介してくれ」
ウチのメンバーも高原と源の関係が気になっている中、俺はみんなを代表して本人に訊く。
高原は、憎い相手と言い争っていたシーンがビデオに流れて恥ずかしいのか、バツが悪そうな顔で軽く説明する。
「態度悪い方がピッチャーの源健人。太ってる方がキャッチャーの西園智也。二人とも二年生」
覇気のない様子で簡単にそう説明する。
やはりあの丸い方はキャッチャーだったな。
あっ、トモちゃんはいい人だよ優しいし、と彼女は付け足す。
そしてビデオは、茂みの向こう側に回りこんでそこで寝そべっている人物を映す。
ゆるフワパーマの男が間抜け面で昼寝していた。
「最後に、この人が三年でファーストの月城徹志。見ての通りだらしない人」
と高原が苦笑とともに紹介すると同時に、テレビの中では源が月城の脇腹に蹴りを入れていた。
「起きろっつの! 試合だぞ!」
こいつ、先輩への態度じゃないだろこれ!
月城がぐへっ、と呻き声を上げて目を覚ます。
「うあ? わりーわりー」
口に手をあて、欠伸をしながら上半身を起こすゆるフワパーマ。
「ほら、いいから来いよ月城。もうすぐ試合だぞ」と日下が促す。
「はー、めんどー」と言って月城が地面に手をつき立ち上がる。
「だいじょぶっすか月城先輩? すんませんゲンさんがご迷惑をおかけして」と西園が愛想笑いを浮かべる。
「おー、いい蹴りだったぜ」と月城はさして怒った様子もなかった。
ゲンさんというのは源の渾名だと高原が説明してくれた。
しかし、改めて思うがこれらのシーンをずっと盗撮していた春火は趣味悪すぎるな。
「しかし、改めて思うがこれらのシーンをずっと盗撮していた春火は趣味悪すぎるな」
口に出して言ってみる。
「それを言うなよこーちん! いや、ウチも最初はドッキリみたいに飛び出していこうと思ってたんだけど、どんどん人が増えてくるし出るに出られなかったんだよ!」
春火が必死に言い訳していた。
テレビの中では場面が切り替わりいよいよ試合が始まる。
野球部チームの攻撃を見ながら俺は呟く。
「足速ーな、こいつら」
上位を打つ野球部員達がどいつもこいつも俊足揃いなのだ。
セーフティバントや盗塁をバンバン決め、相手が足を警戒してきたらその裏をかく。ランナーとバッターの連携攻撃も見事だ。
「ウチの野球部は機動力野球こそが真骨頂だからね」と高原(妹)が胸を張る。何故お前が自慢気なんだ。
一二三番を打つ三年生トリオは特にバッティングもいい。なかなか三振しない粘り強いバッティングという印象を受けた。
そしてその連携の妙は守備でも生きている。
内野陣全体の息の合ったコンビプレー、全員が一つ一つのプレーの目的を理解し全体への意思疎通が行き届いている。
連携、サインプレーか。俺達のチームに一番欠けているポイントだよなあ。是非とも見習いたい。
守備面に注目するなら、やはりピッチャーの源にも言及しておかなければならないだろう。
源の球はスピード自体は静佳と対して変わらない。コントロールに関しては静佳のほうがずっといいくらいだ。
だが球種が多い。
中学二年にしてスライダー、カーブ、チェンジアップと三つも変化球を持っている。
ストレートも含めれば四択、一つ一つの球はそれほど大きな変化をするわけでもないので何が来るかさえわかれば打てそうだが。
多彩な球種で的を絞らせないタイプのピッチャーか。
源は立ち上がり制球に苦しみ、四球絡みの失点を喫したものの回が進むにつれ調子を上げていき内野ゴロの山を築いた。打線の大量援護もあり試合は野球部チームがコールド勝ちで二回戦に駒を進めた。
俺は言う。
「ところで高原、一応外野三人についても紹介してもらえるか?」
外野三人は野球部員ではないらしい。確かに打順も下位だし、実力的にも内野陣に見劣りする。
「いーよ。まずセンター鈴木君、レフト佐藤君」
鈴木、佐藤、なんて平凡な名前だ。コイツラはきっと脇役だな。名前的に。
『こーへーさん、全国の鈴木さんと佐藤さんに謝ってください』
サンタクロースが嘆息とともに吐き出す。
いや、俺は謝らない。全てはコイツラのありがち過ぎる苗字がいけないんだ。悔しかったらパソコンで一発変換できないような珍しい名前を持ってこい。
俺がそんなことを考えてる間にも高原は説明を続けてくれる。
「で、ライトが鬼川原君」
オニガワラー! なんか凄い苗字出てきたー!
ビビった。ちょービビったよ俺。完全に不意打ちだった。
ちっくしょう前の二人が平凡な名前だったのはこっちを油断させる作戦だったのか。
『いや、誰もこーへーさんを驚かす為だけにそんな作戦立てませんから』
俺は勇気を出して高原に訊いてみる。
「下の名前はなんていうんだ?」
んーとね、と頬に指をあて悩んだあと高原は答える。
「佐藤君の名前が太郎で」
びっくりするほど平凡な名前だった。いっそ何かの悪意さえ感じるくらいに。
「鈴木君の名前が一郎でね」
一郎、だと?
なんてこった。ヤバイ、こいつは将来の大リーガーだ。
『なんで! 名前だけでなんでそんなに評価が上がったんですか!』
俺が動揺しているところに高原は容赦なくトドメの一撃をぶち込む。
「鬼川原君の名前はシンジュウロウっていうの」
シンジュウロウ? 一瞬、新十郎という当て字が頭に浮かぶが、高原が携帯のメモ帳でシンジュウロウ君の漢字を教えてくれる。
そこに表示された文字は、神獣狼。
神獣狼。神の獣たる狼と書いてシンジュウロウ。
カ、カッコイイ!
負けた。完全に俺の負けだ。
もはや相馬幸平なんて名前が平凡に思えてくるくらいだった。
サンタクロース、俺は今気づいたぜ。
鬼川原神獣狼。この男こそ真のラスボスだ。きっとすんごい魔球とか投げてくる。
『ま、魔球? 消える魔球とかですか?』
冷や汗を浮かべながらサンタクロースが訊いてくる。
いや、消える魔球とかそんなレベルじゃない。むしろ消える地球だ。
ピッチャーがボールをリリースした瞬間、地球は消滅する。
『なんですかその核兵器より危険な超魔球は!』
俺達はいつの間にか地球の運命を懸けて野球をしていたんだな。
覚悟を決めるんだサンタ子。世界の危機を救うために戦うのは少年誌のお約束だ。
『嫌です。私は平和に野球がしたかったです!』
とにかく、この野球部チームが俺達の次の相手ってワケだ。
俺は高原に訊いてみる。
「なあ高原、もっとコイツラが試合してるビデオとかないか?」
野球部のキャプテンを身内に持つ彼女なら、お兄さんが出る試合を撮ったビデオなどを持ってるかもしれないと思い訊いてみる。
あるけどさあ、と言って高原は苦笑を浮かべる。
「うーん、なんか複雑。カズ君の活躍を撮る為のビデオがそんな目的に使われるなんて」
そんな目的って言うとなんかいかがわしい意味に聞こえるな。
俺がそうツッコムと、高原が口元に手であて楽しそうに聞き返してくる。
「えっ、なに幸平君。ひょっとしてカズ君の出るビデオをいかがわしい目的で見るつもりなの? 周りに沢山女の子侍らせてるのはカモフラージュで、実は男の人が好きなの?」
ちょっ、なんでそうなる!
「そうだったんだ幸平」とチナが口元を片手で覆う。
そして憐れむような目で言葉を続ける。
「大丈夫。アタシ、幸平がそっちの人でも軽蔑とかしないから。みんながどう思おうとアタシは幸平の味方よ」
うぜえ。現在進行形で俺を苛めているヤツのどこが味方だと?
そして春火までそこに口を挟んでくる。
「そうだったんだ。ごめんね今までこーちんのこと正しく理解してあげられなくて。これからは何か悩みがあったらなんでもウチに言ってね。恋愛相談とか乗ってあげるから」
違うっつの! 俺はノーマルだ! ちゃんと女の子が好きなの! むしろ女誑しなの!
えー、ホントかなー?と言って高原は俺に近づいてくる。
そして俺の腕をとって自分の腕を絡めてきた!
ちょっ、何のマネだ高原!
ああ、なんか密着してるし。腕に高原の胸の感触が!
しかも手を繋いで指まで絡めてきたし! やめろ指を変な風に動かすな!
そして挙句の果てには俺の胸に頭を預けて寄りかかってくる。
高原は悪戯っぽい笑みを浮かべて俺の顔を見上げながら小さく囁く。
「幸平君の心臓、凄いドキドキしてる。どうやら本当に女の子が好きみたいだね」
てめえ、今すぐ襲ってやろうか。
そう思った次の瞬間には方條が高原を引き剥がしていた。
方條はにっこりとした笑みを高原に向ける。
「あんまり相馬さんを困らせないように」
はーい、と高原が残念そうな返事を返す。
ふー、やっぱり方條は人間が出来てるなぁ。助かったよ。
別に名残惜しいとか思ってないぞ? 全然思ってないからな。ホントだぞ? ホントだってば!
抱きつかれて嬉しいとか思ったら負けだと思います。
とにかく高原にビデオを借りる約束を取り付けて一段落だ。
この大会は毎週日曜にだけ試合が行われるというスローペースなので当分は一回戦が続く。
俺達の次の試合は一ヶ月以上先だ。
その一ヶ月の間に、静佳にはクイックを覚えさせて俺も送球練習を徹底しとかないとコイツラの足じゃ走られ放題だな。
野球部の練習を見て連中のデータを集めるってのも手か。
とりあえずビデオは見終わったし、今日はこんなところだろう。
俺が解散を告げると、各々お喋りをしながら帰り支度を始める。
「変化球かー、私苦手なんだよね」と織編先輩が溜息を吐く。
そこに水無月が控えめに先輩の服の裾を掴む。
「私、変化球の打てるバッティングセンター知ってる」
ありがとね麻白ちゃん。今度一緒に練習に行こう、と織編先輩が笑みを返す。
で、それってどこにあるの?と話し込んでる横で高原が荷物を持って立ち上がり、言う。
「まっ、次の試合は私がかっ飛ばすから安心してよ」
やけに自信に満ちた顔だな。
そんな高原に俺は質問を投げかける。
「なあ高原、なにか源の球を打つ秘策とかあるのか?」
源の投げる球種を予測できるようなクセを知っているのかも、と僅かに期待を込めて訊いてみる。
高原は口元に拳を当てて、んーと悩んだあと、その表情を自信満々の笑みに切り換えて宣言する。
「来た球を打つ!」
なるほど、何も考えずバットを振るお前らしい答えだ。
マウンドに立つ静佳はセットポジションで構える。
左足でプレートを踏んだまま一塁ランナーの速薙に視線を送る。
そして最小の動きで素早くホームに投げる。
クイック投法、足の速いランナーを警戒するときにセットポジションよりさらに少ない動きで投げる投法である。
静佳が投げるとともに、速薙がスタートを切る。
打席に立つ水無月はバントの構えで俺の視界を多少なりとも塞いでくる。
水無月がバント空振りした球を俺は捕球すると、すぐさま二塁へ送球。
二塁ベースカバーに入ったチナが高めの送球を背伸びしてキャッチする。しかしタッチする間もなく速薙がその足元に滑り込み盗塁成功。
くー、まだまだか。
いつものグラウンドで、今は内野陣の合同守備練習中である。
外野三人にはバッター・ランナー役をやってもらって、まずは静佳のクイックや牽制、そして俺の送球練習をしているのだが。
ウチの外野三人は俊足揃い、中でも速薙は対野球部チームを想定するにはうってつけのランナー役であり、俺はそんな速薙を一度として刺せたことがない。
くそっ、次こそ刺してやる。もう一回頼む――そう言おうとしたところで、俺より先に静佳が言った。
「すいません。もう一回お願いします」
お安いご用なのです、と言って速薙が服についた土を叩きながら一塁に戻ってくる。
静佳は多少の悔しさを感じさせる顔で、俺に向けてマウンドから声を張り上げる。
「すいません相馬先輩。次こそは刺しましょう」
あーいや、謝られてもな。今の盗塁成功は俺の責任の方が割合が多いと思うんだが。
でも静佳だって改善の余地がないわけではない。
俺は言う。
「静佳、お前投げる前に視線がホームに向くからわかりやすいんだよ。できるだけランナーを見ながら投球動作を始めるようにしろ。それでタイミング盗まれてんぞ。
まっ、それを逆手にとってホームの方を見ながら牽制球を投げるってのも手だがな」
あっ、はい。やってみます、と静佳が素直な返事をする。
「なんだか翼を刺し殺す為に邪悪な相談をしてるのです」と速薙がぼやく。
邪悪じゃないって、これは狩りの相談。おいしい鶏肉を狩る為のな。
「むむ、確かに翼のお肉はとてもおいしいので食べたくなる気持ちもわかりますが、翼とてそう簡単に狩られはしませんよ」
勇ましい表情を見せる速薙にチナが話しかける。
「翼、アンタ走り始めて何歩かは小さい歩幅で外側に蹴り出すようにステップしてみなさい」
あっ、はい。と速薙は虚を突かれたような顔で反射的に返事をする。
チナが補足を加える。
「あと走り始めた最初のうちは顔を下に向けておくことね。こうすると上体を低く保てるからね」
わかりました。と速薙が元気よく返事をする。
チナは以前速薙のことを、自分より足は速いのに技術面が不足していて勿体無いと言っていた。
いつの間にか彼女は、このチームの走塁コーチのような位置づけでみんなに技術指導をするようになっていた。
「それから幸平はもっと送球を低くね」
ニヤリと意地悪に口元を釣り上げながらこっちにも駄目出しが飛んできました。
照明のないこのグラウンドでは暗くなったら練習を切り上げなければならない。
練習後はチーム全員で俺の家に集まってミーティングを行うのが恒例となっている。
和室に集まって座布団に座ったチームメイト達の前に立ち、俺は壁にかけたホワイトボードにグラウンドを描き、マグネットを野手に見立てて配置しながら説明する。
「ランナー一塁で相手がバントの構えをしてきた時。ピッチャーはウェストボールを投げ、ファーストとサードがバント処理の為にダッシュしてくる。するとファーストがいなくなったことで一塁ランナーは警戒を解く。この隙にセカンドがランナーにこっそり近づき、キャッチャーからの牽制球を受け取りランナーを刺す。これをピックオフプレーと言い、」
そこまで言かけて俺は周りを見て言葉を失う。
高原と速薙が瞼を閉じて頭を揺らしていた。
「寝るなお前ら」
そう言って二人の頭を小突くと、ね、寝てません!となぜか方條が過剰に反応していた。
ひょっとしてこいつも居眠りしてたのか?
俺は彼女の方を見る。
「方條、今何の話をしていたか言ってみろ」
方條は、え、えっと、と困った様子を見せながら答える。
「ランナー一三塁でダブルスチールされた時のカットプレーについてでしたよね」
その話は大分前に終わった。そんなに前から寝てたのか。
「不正解だ。お前は居残りだな」
す、すいませんと生真面目に謝る方條。
そりゃあれだけハードな練習をこなしたあとだから眠くなるのも仕方ないと思うけどさ。
俺の話ってそんなに退屈かな。
このミーティングの為に買い揃えたホワイトボードやカラフルなマグネットを見ながら俺は内心虚しくなる。
俺は速薙と高原に視線を戻す。
「つーか、お前らも起きろ。速薙、お前いい加減サイン覚えたんだろうな」
速薙が眠い目を擦りながら、は、はい。とーぜんなのです!と答える。
そして俺が決めたブロックサイン――体の一部を順番に触ることでサインを出す方法――を再現してくれる。
「まずキャプテンが左肩を触って、そのあと眼鏡を触ったら次で盗塁」
実際は体のあちこちを順に触るが、その殆どがダミーである中で左肩に触るのがキーになっている。
速薙は言葉を続ける。
「左肩のあとどこにも触らなかったら、自己判断で走っていいという合図です」
そこまで言って満足気に胸を張るポニテっ子に俺は言う。
「他には?」
速薙は、え、えっとと困ったような顔をしたあと笑顔を取り繕って言葉を返す。
「日々勉強中です」
「たった二つじゃねえか! しかも盗塁に関するサインばっか! お前自分が走ることしか考えてないだろ!」
自分が好きなことにしか興味が向かない典型的な子だった。
彼女は怯えるように頭を抱えながら、盗塁は野球のロマンなのですー、と訴える。
「でもキャプテンの言うピックオフプレーなんて相手がよっぽど油断してる時でないと成功しないのです。こんなミーティング役に立たないのです」
んだと?
速薙のその反論に、俺は言い返したい言葉が十は浮かんだ。
けど言っても無駄だと気付く。
こいつは俺のミーティングに興味がないんだ。
暖簾に腕押し、そんな言葉が頭に浮かんだ。
こいつの中で俺の存在はとても軽い扱いなんだな。
その時の俺はどんな表情をしていただろう?
速薙が俺の顔を見て、しまったという顔をする。
「翼ちゃん!」
織編先輩が速薙に厳しい声と顔を向ける。
俺は内心落胆しながら告げる。
「今日のミーティングはここまでにする。解散」
その言葉に周りの全員が困惑した顔を見せる。
だがやがてチナに促され、少しづつ部屋を去っていった。
一人になった部屋の中で、俺は腰を下ろして自分の作ったプリントを見る。
状況に応じた様々な守備陣形とそのサインについて書かれたプリント。みんなにも同じものを配っているが思った以上にそれは軽んじられているようだった。
今は一人になりたい。そう思っていたとき、廊下の方から誰かの足音が聞こえた。
父さんが帰ってくるには早過ぎる時間。すぐにさっき帰ったチームメイトの誰かだと思い至る。
障子を開け、その人物が姿を現す。
「落ち込んでるかい少年」
それはチナだった。
落ち込んでなんかいねーよ。そんな強がりさえ言えなかった。
俺は彼女を見上げる。
彼女はとても優しい顔をしていた。
どうしたの? なんでも相談してみなさい。そう言わんばかりの顔だった。
俺は彼女を呼ぶ。
「ちなつう」
自分で思っていた以上に弱々しい声が出た。
「俺のプリントってわかり辛いかな? やっぱもっと色ペンとか使ってカラフルにした方がいいかな? 女の子のノートとかって華やかだもんな。これじゃ地味過ぎるのかな」
チナが優しく俺の頭を撫でる。
「頑張ってるわね幸平。このプリントだって、みんなにサインを覚えてもらうために読み手のことを考えながら色んな工夫をしてる。そこが幸平のいいとこだと思うよ」
チナがクスリとなにかを思い出したように笑って言葉を続ける。
「さっきね、帰り道で静佳がぼやいてたの。みんな相馬先輩の凄さがわかってないんですよ、って。あの子は真面目にノートとって幸平の話聞いてたからね。ミーティングが中止になったの凄く残念そうだった。それに春火もね、もちろんアタシもアンタのことは認めてるわ」
そっか。そう言ってもらえると助かる。
彼女は言う。
「咲夜だって空気の読める子だからアンタを立ててくれると思う。でも他のメンバーはまだそこまでアンタのことを信頼してるわけじゃない」
そうだな。それをどうすればいいのか。
実はね、と言って寂しげな表情でチナが続ける。
「こうなるんじゃないかって心配はあったの。このチームのメンツを見たときから」
そうなのか?
「女の子ばかりのこのチームの最大の弱点。それはチームワークのなさだと思う」
どうしてだ? 俺は不思議に思う。なんで女の子ばかりだとチームワークがないって決め付けるんだ?
チナは俺を見つめ返して言う。
「わからない? チームワークっていうのはチームを纏める指揮官がいてこそ意味を持つものなの」
あっ。
「アンタや春火はリトルリーグに入ってたから監督の指示に従ってチームプレイに徹することを知ってるかもしれない。でもアタシも含め他のメンツは指揮官なんていない草野球で個人個人が好きなようにやってきた。今更誰かの指示に従って野球をするなんて窮屈にしか感じないし、なまじ実力がある分なおさらサインなんかなくても勝てるという意識が強い」
それなのか。あいつらが俺のミーティングを軽視している原因はそこにあるのか。
「もちろん、アタシもこのままじゃよくないと思ってる。この前の野球部チームの試合を観たらなおさらね」
チナは腕を組んで厳しい表情をする。
「ハッキリ言って野球部チームは強い。その強さの理由は、攻撃でも守備でも一つ一つのプレイにみんなが同じ目的を共有していることにある。チームとしての結束力がウチとは段違いなのよ」
確かにそうだ。俺もあれだけまとまってるチームが理想形だと思った。ウチもあんな風になれたらと思う。
チナは意地悪げに口の端を持ち上げながら俺の目を見る。
「さて、ウチの唯我独尊メンバーをサインに従わせ、チームワークを生み出すにはどうしたらいいと思う?」
どうしたらいいんだ? 今まさにそのことで悩んでいるんじゃないか。
チナはニッと笑みを浮かべて答える。
「簡単よ。アンタはリトルリーグ時代、なんで監督に従ってたの? 自分より遥かに年上で野球に詳しいと思ったからでしょう」
えっと、つまり?
チナが言おうとしているその言葉の先がなんとなく予想できてしまって嫌な予感がする。
「幸平」
彼女は決意と優しさを込めた瞳で俺の目を見つめる。
「アンタはこれからこのチームの誰よりも野球に詳しく、誰よりも野球が上手くなってみんなから尊敬されるキャプテンになるの」
優しい口調で断言する。それはまるで予言だった。
彼女はふっと穏やかに微笑む。
「いっそこのチームをアンタのハーレムにしちゃうくらいの気持ちでやってみなさい。一人のカリスマの下にメンバー全員がまとまった時、それがこのチームの本当の強さが発揮される時よ」
それは全然簡単なことじゃないだろう、と思ったがその思いはすぐに掻き消された。
「アンタならできる。そう思ったからアタシはアンタをこのチームのキャプテンに推したの」
微笑とともにそう告げるチナの顔を見たら、きっとできるような気がしてきたから。
「チームで一丸となる野球の楽しさをあの子達に教えてあげて。それがあの子達の為でもあるからね」