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第七話 相馬幸平という男

 男なんてみんな馬鹿で幼稚な生き物。

 それが姫宮星巳が十三年の人生で得た結論だった。

 彼女も小さい頃は少女漫画に出てくるようなカッコイイ男性に憧れ、素敵な恋愛を夢見た時期もあった。

 だが自分の周りに居る同年代の男子はいつまでも子供っぽい話題で騒いでいる愚かな存在でしかなかった。

 クラスの仕事をサボる。授業中にウケ狙いの発言をする。そういうのが本人はカッコイイとでも思っているのだろうか? 全く痛々しい。

 真面目で優秀で信頼できる、そんな理想の男子など現実にはいなかった。

 特に相馬幸平という少年の第一印象は最悪に近いものだったと言っていい。

 軽薄で嘘吐きな男。彼女が一番苦手とするタイプだ。

 親友の雪音がこんな男に懐いているのかと思うと心配になる。

 だが、人の評価は第一印象だけでは決まらない。

 彼女の彼への評価もまた――――



「大丈夫ですかね」

 観客席のベンチに座り、星巳は呟く。

 その視線の先では、デッドボールを受けて倒れた静佳が右手を地面について起き上がっているところだった。

 チームメイト達が彼女に駆け寄る。中でもネクストサークルにいた幸平が一番早く彼女の元に辿り着いた。

 ここからでは会話の内容は聞こえないが、幸平を始めとする仲間達が静佳を心配しているのは疑いようがない。

「所詮軟球でしょ」

 興味なさ気な声で麻弓は答える。星巳の右隣に座り、彼女の肩に頭を預けながら。

「でもあの子ピッチャーで、しかも利き手の肘だからねぇ」

 対照的に苦々しく口元を歪めて、左隣に座る要は言う。

 グラウンドでは静佳が、心配する仲間達や頭を下げ続ける相手投手を手で制しながら一塁に歩いていくところだった。見た感じどこかを痛めている様子はなさそうだ。それがソフト部トリオの印象だった。


「こーちん。おい、こーちんってば!」

 春火が俺の肩を揺すってくる。

 なんだよと思いながら俺はそっちに顔を向ける。

「なんだよじゃないって、さっきから球審のお兄さん呼んでるよ」

 言われてみると確かに、アンパイアが、次のバッター早くしないか、と俺を呼んでいた。

「ボーっとしちゃって、やっぱりしーちゃんのことが心配なの?」

 春火が不安げに眉根を寄せながら訊いてくる。ボーっとしてたのか俺。

 まあな、と適当な返事を春火に返して俺は打席に向かう。

 そして歩きながら思う。

 静佳のヤツめ、強がりやがって。

 肘をさするくらいすればいいのに。

 アイツは特に痛がるような素振りは見せていないが、一塁に歩いていく途中もさっきから左腕を全く動かしていなかった。肘を曲げることも拳を握ることもしていない。

 やはり、痺れているのだろうか。

 バットを持って俺は右打席に入る。

 打席の土をスパイクでならしながら考える。

 さて、どうやったら静佳の負担を減らせるかな。

 俺はマウンドに立つおっさんを見る。

 俺には静佳や水無月みたいなバッティング技術はない。

 そんな俺がこの人の球を打つには――――

 俺はできるだけホームベースの近くに立つ。バットを持った腕はすでにベースの上空にあり、アウトコースには対応できてもインコースの球を捌くのは難しい姿勢だ。

 相手の投手は一瞬嫌そうに表情を歪める。


「あの構えは」

 幸平の構えを見て、星巳は呟く。

「死球狙い?」

 その星巳の肩に頭を預けながら、麻弓は疑問符を浮かべる。

 確かに今の幸平はホームベース寄りギリギリに立ち、ストライクゾーンの高めに肘が入っているような体勢だ。インハイに少しでも外れればデッドボールをもらうことになるだろう。

「いや、これは」

 麻弓の疑問に答えるように要は吐き出す。

 彼女は麻弓とは違った見解を持っていた。


 初球がカーブだったのは曲がり始めた頃にわかった。俺はバットを止めてその球を見送る。

 アウトコースにワンバンしてまずはワンボール。

 やはり外角か。

 相手の立場に立って考えれば当然のことだ。

 このオッサンは年下の女の子にデッドボールを当てた罪悪感でいっぱいだ。バッターにぶつける危険のあるインコースは避けたいはず。

 さらに俺がホームベース寄りに立ったことがトドメになる。

 あのときにこの人が見せた苦々しい表情を俺は見逃さない。


「だからデッドボールをもらいやすいようにベース寄りに立って、アウトコースに投げることを誘おうっての?」

 麻弓は訊く。訊かれた要は頷く。

「多分幸平君の狙いはそれだと思う」

 でも、と星巳は口を挟む。

「外角に投げさせようという相馬君の狙いは相手だってすぐわかる筈です。そう簡単に誘いに乗ってくれるんですか?」

 確かにこれがジャンケンなら相手がグーを出させようと誘導してきたならグーを出すわけにはいかない。


 二球目も外角に外れるカーブを俺は見送る。

 やはり内角には投げられないか。

 でも変化球じゃストライクが入らないだろ? どうせ俺も変化球は打てない。

 俺も投手だったからこういうときのピッチャーの気持ちはわかる。

 変化球より直球の方がコントロールしやすい。

 ストライクが欲しい時に投げるのはやはり直球だ。

 コースは間違いなく外角。

 ジャンケンだったら相手がグーを出させようと誘導してきたならグーを出すわけにはいかない。

 だがこれはジャンケンではなく野球だ。

 コントロールの悪いこのオッサンは、この状況でインコースに投げる勇気はない!

 狙いは外角のストレート。甘く入ってきたら持ってかせてもらう。

 相手の投手がセットポジションから第三球を投じる。

 来た球は――――

 その時の俺の口元は多分笑っていただろう。

 狙い通りの球が来たのだから。

 長く持ったバットを渾身の力で振りぬく。

 間近で耳に響く金属音。

 完璧に捉えたのは手ごたえでわかった。

 すぐさまボールの行方を確認。

 その後、一塁ランナーの静佳に視線を戻し俺は声を張り上げる。

「静佳! 走らなくていい!」

 俺の声を聞いて静佳は走りかけていた足を止めて驚いた顔で俺を見る。

 俺は打球の行き先を指差してやる。

 ボールはセンター方向のフェンスを越えてバックスクリーンに吸い込まれていった。

 審判が腕を回し、チーム・スプリングに二点が追加される。

 よし! とりあえず静佳の負担を減らすというノルマは達成かな。


 すごい。

 白球がホームランゾーンに入った時、星巳は幸平の考えを全て理解した。

 外角に甘い球が来たとき、彼は迷わずフルスイングをした。

 コースを読んだだけでなく最初から柵越えを狙って強振したのだ。

 彼は静佳がデッドボールを受けたことを逆に利用してホームランを打ったのではない。

 静佳がデッドボールを受けたからこそ、この打席はホームランを打たなければならなかったのだ。彼女に負担をかけないために。

 星巳はそこまで気付いていないが、幸平は静佳が一塁に歩いていくとき左腕を動かしていないことに気付いていた。

 歩く時はいいが走るとなれば腕を振らなければならない。だから静佳を走らせることのないバッティングをする必要があった。ホームランを狙う必要があった。

 星巳も短くないソフト経験で知っている。ホームランなんて偶発的なものだ。

 普段から強い打球を飛ばそうという意識はある。それがたまたまジャストミートした時は柵の向こうまで飛んでいってホームランになるのだ。

 ホームランなんて自分でだっていつ出るかわからないものだ。

 ましてやそれを狙って打つなど出来るわけない。

 しかし幸平はそれをやった。結果を伴って。

 バッティング技術で言えば幸平は別段突出したものを持っているわけではない。むしろソフト部トリオの足元にも及ばないだろう。

 星巳の感じた彼の『凄さ』とは別のところにある。

 怪我をした仲間を庇ってホームランを打つ。

 狙うだけなら単なる友情物語と言えようが、幸平はホームラン以外の結果はいらないという覚悟で作戦を立てて打席に立った。

 それは打ったときの「走らなくていい」という言葉からも想像できる。

 なんなんだろう、このドラマを必然的に生み出すような力は。

 事実彼はホームランを打ったあとも味方ベンチが盛り上がる中、淡白な表情でベースを回っていた。

 打った瞬間は、よし、と片手で小さくガッツポーズを作って見せたがそれくらいだ。いやむしろそれさえもホームランを打った者の反応としては控え目すぎる。

 まるでこれが当然の結果だとでもいうように。

 星巳は立ち上がって大声で吐き出す。

「ナイスバッティン! 相馬君!」

 そして手を振ってみる。

 しかし観客席には他にも幸平への歓声を飛ばす客が多く。自分の声が届いた自信はない。

 でも自分がここに座っているのは彼も気付いているはず。試合前に目が合ったし。

 そう思っていたのだが、幸平はダイヤモンドを一周してホームに生還するまで星巳の方を向くことは最後までなかった。

 試合前は私の応援があればホームランを打てるなんて軽口を叩いていたというのに。

 試合に集中してしまえば自分なんて視界から消えてしまう程度の存在なのかと思うと軽くムカついた。

 幸平は自覚してないだろうが、彼のこういう態度が星巳の女のプライドに傷をつける。火もつける。いい意味でも悪い意味でも星巳は今後、幸平に無関心ではいられなくなったのだ。

 そもそも幸平が自分に声をかけてきたのはナンパ目的だったのではないのかと思っていたが、それは要の推測に過ぎず幸平がどういう意図で自分に話しかけてきたのか星巳の中では曖昧なままだ。道案内でないことだけは確実なのだが。

 ふうっ、と軽い苛立ちを込めた溜息を()いてベンチに腰を下ろすと、隣の要に「残念だったねん、ほしみん」と苦笑を向けられ、麻弓は枕が戻ってきたとばかりに再び星巳の肩に頭を載せた。


「キャープテーン! スゴイのです!」

 ホームに生還するとさっそく速薙が俺にハイタッチを求めてきたのでそれに応える。

 他の仲間達も既に集まっていた。

 次に話しかけてきたのは高原だ。

「スゴイスゴイ幸平君! まぐれってあるんだね。練習でもあんなに飛ばしたことなかったでしょ」

 無邪気に喜びながらナチュラルにムカつくことを言ってくれる。

 オイコラ、お前ちょっとこの相馬キャプテン様を舐め過ぎじゃないかい?

 そんな高原がエアマイクを持って俺に訊いてくる。

「さあホームランを打った相馬選手へのインタビューです。相馬選手、いかがでしたか感想の方は?」

 ふむ、俺は顎に手をやり真面目な顔を作って答える。

「やっぱりバッティングってのは先の先まで読まないと駄目じゃないですか。俺も打ったときは、俺将来就職大丈夫かな? 野球で遊んでばっかいないで資格とかとっといた方がいいのかな?とか考えてましたから」

「なんでホームラン打ちながらそんな悲しいこと考えてるの!」

 笑いながら俺をぺシペシ叩いてくる高原。

 今度は方條が興奮した様子で、

「ナイスバッティングです相馬さん。素晴らしかったですよ!」と熱賛してくれる。

 これやこれ! こういうのがホームラン打ったときの喜びだよなー。しかも女の子に言われればなおさら。

「カッコ良かったよ相馬君」と織編先輩が頭を撫でてくれる。む、むう、子供扱いされている気がしないでもないがここは甘んじて受け入れておこう。なんだかんだで嬉しいし。

「ナイスだこーちんよくやった!」

 メーターが振り切れんばかりのハイテンションの春火とパアン!といい音をたててハイタッチを交わす。若干後悔するぐらい手が痛かった。

 それは春火も同じだったようで「いってー」と苦笑しながら手を押さえていた。

「流石先輩」と嬉しそうな様子の水無月ともハイタッチする。

「これでアベックホームランだな」俺は口の端を釣り上げて言う。その言葉に水無月は照れくさそうな顔を見せる。

 次にチナが、

「幸平かっわいいー!」と言いながら俺の頭をわしゃわしゃ撫でてきた。

 なっ、テメー! ホームラン打った男を可愛い呼ばわりとはどういう了見だ!

 えーだって、とチナは表情を綻ばせながら、

「女の子の為ならデタラメな力出しちゃうところが可愛いって言ってんの。そういうとこは昔から変わらないんだから」

 うー、くっそう。なんだかこいつには心の中まで見透かされてそうで恐い。

 そう思っているとみんなの陰に隠れがちな一際小さい少女と目が合う。

 彼女は大喜びの様子で捲くし立てる。

『すごいですこーへーさん! さすがです! カッコイイです!』

 ははっ、そんなに褒めるなよサンタクロース。照れるぜ。

 最後に静佳が、やれやれといった感じの笑みを浮かべて言う。

「流石は相馬先輩と言ったところですかね。いつも私の予想を越えてくる。それにしても折角ホームランを打ったんですからもっと喜んだらどうです?」

 喜ぶ? 俺としては十分嬉しいのだが。それでもある程度計算の上で打った一発だからそれほど喜びの感情が表に出ていないのかもしれない。

 俺があまり浮かれているように見えないというのなら、それはそれでチームメイトの気を引き締める為に役立たせてもらおう。

 俺は静佳に向けて答える。

「喜ぶ程のこともないさ。あんな投手打てて当たり前だろ」

 あくまで皮肉っぽくならないように素っ気無く言う。

 俺はチーム全員の顔を見直しながら言葉を続ける。

「お前らもだ。こんな試合、練習にもなりやしない。とっとと終わらせるぞ」

 しかし言ってて内心ビクビクだ。こんな大口、自分がホームラン打ったからこそ言える台詞だよな。

 俺は結論を告げる。

「あと五点獲ってこの回で終わりにしてやれ」

 全員からさっきまでのお祭り騒ぎムードは消え、各々表情を引き締める。

 あと五点。その言葉の意味はみんなすぐ理解しただろう。

 あと五点取れば十一点差。ウチは後攻なのでその場でサヨナラコールドとなる。

 この回で終わらせれば静佳をもうマウンドに上げずに済むしな。

 静佳の肘へのデッドボールがピッチングにどれだけの影響を与えるのかは未知数だ。

 静佳自身、怪我を隠してでも試合に出ようとするタイプだから肘の具合を聞いても正直に答えるとは思えない。ならばこの回でコールドゲームを成立させるのが理想的。

 エースの怪我。それをみんなに意識させることがチームの士気を上げることになるのか下げることになるのか少々計りかねた。

 悩んだ末、俺はやはり言うことにする。

「ちなみにウチのエースはさっき利き腕の肘にデッドボールを喰らったわけだが」親指で静佳を指差しながら「こいつを三回表のマウンドに上げたいと思うヤツはこの中にいるか?」

 みんなの表情が硬くなる。静佳だけはむっとした顔をしているが。

 俺は仲間達の様子をじっくり観察したあと、ニヤリと笑みを浮かべて言ってやる。

「よし結構。ならとっととコールドで終わらせて来い。お前らならできるだろう?」

 僅かな間を置いて。

「もちろん」と年長者の織編先輩が真っ先に自信の篭った返事をする。

「コールドか。面白そうだね」と高原も悪戯っ子の瞳を輝かせる。

「はい! 翼も頑張ります!」と速薙が拳を握りしめる。

「随分人を乗せるのが上手くなったわねアンタも。いいわ、乗せられてやろうじゃない」とチナも笑みを返す。

「はい、私も微力ながらお力になりたいと思います」と方條が遅れて続く。

「静佳の為に、打つ」と水無月が静かな闘志を燃やす。

「お、おー! やったろう!」と春火は周りの空気に置いていかれまいとする。

「私は投げられますよ」拗ねたように言う静佳の強がりには誰も耳を貸さなかった。

 二回裏ノーアウトランナーなしから試合再開。

 打順は二巡目、一番速薙。

 初回と違い真剣な顔で打席に立つポニテっ子に、ホームランのショックが抜け切らない様子の相手投手――確か谷口さんと呼ばれてっけ?――が白球を投じる。

 速薙は迷わず初球を打ち返す。

 鋭い打球が地面を疾走し三遊間の深いところでショートに止められる。そのままショートが一塁に送球するが、素早く地面を蹴り続ける速薙の俊足をそんなもので止めることはできなかった。

 ボールがファーストミットに収まるよりも遥かに早く速薙が一塁ベースを駆け抜ける。

 内野安打でノーアウト一塁。

「やったのです!」

 一塁塁審のセーフのコールとともにガッツポーズを作る速薙。

 続いて二番のチナ。

 彼女は全くバットを振る気配を見せないままツーストライクまで追い込まれる。

 だが簡単に三振はしない。次に来たストライクにはバットを合わせる。そしてその球は後ろに飛びバックネットにぶつかる。

 谷口投手が次の球を放るも、それも三塁方向ファールゾーンに転がる。

 次の球もその次の球もチナはファールを打ち続ける。

 ホント、こういう小技じゃチナの右に出るものはいないな。

 そして次の球は僅かに外れ、審判がボールをコールする。

 追い込まれてるっていうのにあんなきわどいコースを見送るなんて大した選球眼だ。

 その後も釣り球とコントロールミスでボールが続き、カウントはツースリーとなる。

「んー、どうしたのかなー? 疲れちゃったかなー?」

 チナがニヤニヤと意地の悪い笑みを相手投手に向ける。

 対照的に敵ピッチャーには焦りが見える。

 これだけファールが続けば精神的にも肉体的も平常でいられないだろう。

 次の球もボールに外れ、チナは四球で出塁。だが素直に一塁に歩いていく前にネクストバッターの高原になにか耳打ちを残していった。

 ノーアウト一塁二塁で高原が左打席に立つ。

 左肩をバットでポンポンと叩いたあと、「よーし来い!」と気合を入れる。

 初球、相手投手が投球モーションに入るとともに高原はバットを寝かせバントの構えをする。

 飛んできたストレートの勢いを上手く殺し、三塁方向に転がすセーフティバント。すぐさま高原は一塁に向けて走る。

 完全に意表を突かれた様子で慌ててバント処理に来た相手投手が捕球した球を一塁に投げる。

 しかしその送球は横に逸れ、捕球に行った一塁手の足がベースから離れてしまう。

 その隙に高原は一塁を駆け抜け、これでノーアウト満塁。

 なるほどね。さっきのファール連発での相手投手の疲労が守備に響くかもしれないと計算してのセーフティだったのか。チナが高原に耳打ちしていたのはこれだろう。

 もちろん仮に相手がミスをしなくとも高原ならセーフティを成功させるだけの足を持っているから分の悪い賭けではなかった。

 その後、四番水無月、五番方條と連続四球で二点を追加し、これで八点差。

 なおも満塁で織編先輩に廻る。

 静かに息を吐き出し、集中した様子でバットを構える織編先輩。

 ピッチャーが一球目を投じる。

 その球は緩い軌道を描き曲がり落ちるカーブ。それを盛大に空振りしてワンナッシング。

 先輩は、うーん、と困ったような笑みを浮かべながらバットを構え直す。

 速球には物凄く強いんだけどなあの人。相変わらず変化球は苦手か。

 二球目もカーブで追い込まれる。

 そして三球目。

 来た球は、直球!

 変化球でカウントをとり、トドメはストレートというセオリー通りの組み立てのつもりだろうか?

 だとしたらあのバッテリーは本当にアホだ。

 さっきまでの見当ハズレな空振りを見れば織編先輩が変化球を苦手としているのは明らかだろうに。変化球攻めなら確実に打ち取れただろう。

 だがストレートなら、打つぞあの人は。

 大気を揺るがす彼女の一振りが白球の軌道と交差する。

 そして快音を残し打球は外野最奥へぐんぐん飛んでいく。

 あわや柵越えかと思わせたところでボールはセンターフェンス直撃!

 ランナーが一斉に帰ってくる。

 タイムリーツーベース! 高原、水無月と二人帰ってこれで十点差。

 織編先輩が二塁上でガッツポーズをするとチームメイトから賞賛の声を浴びせられる。

「おおー、スゲー! さっちゃんやっるー!」

 大興奮の様子で打席に入るのは七番の春火。

『またさっきみたいにゲッツーなんてことにならないといいのですが』

 俺の隣でベンチに座っているサンタクロースが心配げに呟く。

「心配するのもわかるが今回はその可能性は殆どないよ」と俺は教えてやる。

 そうなんですか?とサンタクロースは驚いた顔を見せる。

「ああ、さっきは一塁にランナーがいたから内野ゴロでゲッツーになったけど、今回はランナー二三塁で一塁は空いてるからな」

 そう言ってやるとサンタクロースはポカーンとした顔をしていた。もっとわかりやすく説明しないといけないようだ。

 俺は人差し指を一本立てる。

「いいかサンタクロース。例えば、もし今春火が前の打席と同じような内野ゴロを打ったとしよう。その場合、三塁ランナーの方條は本塁を狙うことも三塁に戻ることも出来る。二つの選択肢がある為、ボールを持って直接方條にタッチしないとアウトにできない」

 こくりとサンタクロースは頷く。そして、さっきは違いましたよねと言う。

 確かに、前の春火の打席では相手野手はボールを持って先の塁を踏んだだけでランナーをアウトにしてる。タッチプレイは必要なかった。なら前の打席と今の打席とどう状況が違うのか。

 それが塁が埋まってるかどうかの違いだ。

 わかりやすいからランナー一三塁の場面でバッターが内野ゴロを打ったと仮定しよう。

 この場合三塁ランナーはさっきも言った通り、本塁を狙うことも三塁へ戻ることもできる為タッチプレイ以外ではアウトにできない。

 だが一塁ランナーは二塁に進むしかない。一塁には戻れない。なぜなら一塁は今からバッターランナーが向かう場所だからだ。

『なるほど、塁が埋まっていると前の塁に戻るという選択肢がなくなるからボールを持って先の塁を踏んだだけでアウトにされてしまうのですね』

 その通り。

 そこでサンタクロースはなにか閃いたという顔をする。

『はっ! こーへーさんこーへーさん! 私すごいことに気付いてしまいました!』

 俺は微笑ましい気持ちになりながらそれを見守る。

 なんだね。言ってみなさい。

『今の状況は相手にとってはかなり嫌じゃないですか? 三塁ランナーが帰ればその場でコールド負けなんですから。

 もし塁が埋まっていれば本塁を踏んだままボールを受け取るだけで三塁ランナーを殺せますが、今の状況は塁が空いているのでたとえ本塁を踏んだままボールを貰っても、それで終わりではなくランナーへのタッチが必要になるわけです。タッチが間に合わなければホームに生還されてしまうわけです』

 そうだな。守備側としては塁が埋まってる方が守り易いよな。

『ならば例えば春火さんはフォアボールで出塁させて、わざと満塁にするという作戦もアリじゃないですか?』

 サンタクロースが興奮気味に提案する。

 ふふ、賢いなあお前は。

 そういうのは満塁策と言って実際の試合でもよく使われる作戦なんだよと教えてあげる。

 事実、今も相手チームはタイムをとってマウンドに集まっている。

 満塁策をとるべきか否かの相談だろう。

 満塁にすれば守りやすいけど、リスクもあるんだよな。あのピッチャーはコントロールが悪い。

 ならば満塁になったあと、また四球を出して押し出しサヨナラという最悪の展開だってあり得る。

 暫くしたあと、相手は相談が終わったようでタイムを解いて守備に散る。

 試合が再開されマウンドに立つピッチャーがセットポジションで構える。

 そして春火に向けて白球が投じられる。

 春火は見送るが、審判の判定はストライク。どうやら満塁策はないようだ。

 ならば打て、春火! お前が決めろ!

 春火のバットが快音とともに次の球を捉える。

「おっしゃあ! いい手応え!」と春火が快哉を叫びながら一塁へダッシュする。

 鋭い打球がピッチャーの横を通り過ぎ、二遊間を抜けるか――――と思ったが相手の二塁手がその球に飛びつく!

 二塁手は地面に転がりながらもグラブを掲げ、その中に入っている白球をアピールする。

 審判が力強くアウトを宣言!

 まずい! ノーバウンドでキャッチされたならバッターアウトの上にランナーにも帰塁義務が、そう思ったときには既に遅く二塁手は立ち上がって自ら二塁ベースを踏んでいた。

 織編先輩は戻りきれずアウトになる。二塁ランナーは第二リードが大きくなるから仕方ないんだが。

 まさかのダブルプレーでツーアウト。

 折角のいい当たりだったのに何たる不運。

 トボトボと肩を落として帰ってくる春火に俺は笑いながら言葉をかける。

「惜しい惜しい。当たりは良かった。つーかお前もうなんか憑いてんじゃねーの? 併殺の神様とかそんなんが」

 春火が苦笑を浮かべながら「そんな神様はいらん」と答える。

 その隣ではチナが「ホントすごいわ併殺職人の職人芸! 今のはマジでない!」と腹を抱える。

「あはは、確かに今のはありえないよねー」うんうんと織編先輩が同意する。

「ちょっとちーちゃん笑いすぎー」と春火が口を尖らせる。

 しかし二死三塁か。

 静佳が打席に入る。

 こいつにはもう廻したくなかったんだがな。

 いずれにせよ三塁ランナーが帰ればコールド勝ちという状況は変わっていない。

 静佳は右打席に立つと、バットを横に寝かせて右手を添えバントの構えをする。

 どういうつもりだろう?

 ツーアウトだからスクイズは無理だし、セーフティを狙えるほど静佳は足が速いわけじゃない。

 むしろ普通に打ったほうがアイツには分があるはずだ。

 相手の一塁手と三塁手がバント警戒で前に出てくる。

 そしてピッチャーがボールを投げるとともにピッチャー・ファースト・サードがバント処理にダッシュして来る。

 そこで静佳はバットを引いてヒッティングに移る。バスターだ!

 グラウンドに金属音が響いた。



「両チーム整列!」

 審判のお兄さんのその言葉で俺達はホームべース前に並ぶ。

「ただいまの試合、十一対零でチーム・スプリングのコールド勝ちとします。お互いに礼!」

 ありがとうございました!と両チームのメンバーの声が重なる。

 チーム・スプリングの記念すべき初戦突破だ。

 挨拶が終わると相手チームのオッサンが話しかけてくる。

「いやー嬢ちゃん達つえーなぁ」

「まいったまいった。今日は完敗だ」

「やっぱこの腹引っ込めなきゃ駄目だな」

 自分のでっぷりとした腹を叩きながらそう言ってがっははと笑うオッサン達。

 その言葉に春火やチナは照れくさそうに、あるいはくすぐったそうに笑う。褒められて嫌なわけもない。

 だが同時に後ろめたいというか罪悪感みたいなものもある。恐らくそれは俺だけじゃなく他のチームメンバーもそうだろう。相手投手の谷口さんの鼻にティッシュを突っ込んだ姿を見れば。

 彼もまた清々しく負けたと笑っているが、俺達は正直申し訳なくて彼にどう接したらいいのかわからない。

 それは二回裏、コールド目前の十点差で迎えた静佳の打席でのことだ。

 バントの構えで内野手を誘き出したところで、静佳はヒッティングに切り替え思いっきり強打した。

 そして彼女の放った打球は、バント処理の為に前進してきた相手投手の谷口さんの顔面に直撃する。

 谷口さんは鼻血を出しながら倒れ、静佳は内野安打となり方條がホームに生還してコールドゲームで試合は幕を閉じる。

 谷口さんは今でも笑って、そのことは気にするなと言ってくれるいい人だ。恐らく彼は静佳がわざとピッチャー返しを打ったなんて露ほども思っていないだろう。

 実際、打球を狙って相手選手に当てるなんてできることじゃない。それができるならいつでもヒットが打てるし十割打者になってるだろう。

 だが俺達チーム・スプリングのメンバーは静佳がピッチャー強襲ライナーを打った時に誰もが同じことを思った。

 ああ、この為にバスターで内野手を引き寄せたんだな。さっきのデッドボールの報復をする為に。

 チームの誰もが口には出さないが内心では確信している。静佳ならやりかねない、と。

 静佳も打った後は表面上は「大丈夫ですか? すいません」と謝罪の態度を見せたが、内心では作戦成功とほくそ笑んでいるのだろうか?

 しかし谷口さんがあれを単なる事故だと思っている以上、俺は言葉には出せない代わりに心の中で謝る。

 本当にウチのエースがご迷惑をおかけしました。今後はちゃんと首輪をつけて躾けておきますから。

 そのあとチームみんなの静佳への態度が、若干よそよそしくなったような気がした。



 整列が終わるとメンバーの何人かが観客席の方へ駆けていく。

 最初に速薙が、

「遥ちゃーん! 勝ちましたよ、見ててくれましたか!」

 と手をぶんぶん振って、それに続き高原も、

「カズくーん! 見てた? 可愛い妹の大活躍!」

 と観客席に投げキッスをする。

 俺もスタンドに寄って行って知人の姿を探す。

 最初に目に止まったのは父さんだ。

 俺は右手を頭の上に上げて拳を握りしめ、ガッツポーズを作る。

 父さんはそれに穏やかな笑みを浮かべながら拍手を返してくれた。

 へっ、よかった。勝てて。

 次に視線を移し、ソフト部トリオを見る。

 姫宮が温かい笑顔を浮かべながら親指を立てていた。

 俺も親指を立てて応える。

 すると姫宮は笑顔のままその手を百八十度回転させ、親指を地面に向ける。

 えー! なに? 俺なんか悪いことした?

「こーら、いつまで遊んでんのアンタラ?」

 チナのその言葉に俺達はそっちを振り向く。

 チナと一緒にいた春火は両手に大量の道具を抱えて言う。

「さあさあ勝者の特権! 楽しいゲームをさせてくれたこのグラウンドに感謝を捧げようじゃないか!」

 心底嬉しそうな笑顔で彼女は両手に持った道具を差し出してくる。

 グラウンドをならす道具、トンボを。


 スポーツマンとしては道具やグラウンドへの感謝、ともに野球をする相手チームへの礼儀を忘れてはいけない。

 ということで俺達は次の試合をするチームの為にトンボかけをしてグラウンドを整えた。

 その後速やかに球場の外へ出る。

 球場を出たところで俺はキャプテンとしてみんなの前に出る。

「えー、諸君。今日は本当によくやってくれた。そのお陰でチーム・スプリングの記念すべき大会初戦を白星で飾ることができた。今日はこの喜びを噛みしめながら各自家に帰ってゆっくりと体を休め――」

 と俺はそこで言葉を切り、口の端を釣り上げできるだけ邪悪な笑顔を演出してやる。

「なあんて言うと思ったか馬鹿共が」

「な、なんだとー!」

 春火だけが大袈裟に驚く。

 他のメンツはどう反応したらいいかわからない様子だ。

 俺は口元を悪役チックに歪めながら言葉を続ける。

「キサマラは二十四時間三百六十五日年中無休で死ぬまで野球の為だけに動き続けるんだよこの野球マシン共が!」

 その言葉に春火は胸を押さえる。

「何故だろう? 野球マシンと呼ばれるのがすごく嬉しい」

 嬉しいのか。

 試しに俺は春火に言ってみる。

「春火、お前って野球バカだよな」

「褒めるなよこーちん、照れちゃうだろ」

 すごいニヤケ顔で手をヒラヒラさせる外ハネ。

 俺は続けて言う。

「春火、お前ってバカだよな」

「な、なんだとー! はるちんは怒ったぞ! バカって言った奴が眼鏡なんだ!」

 今度は憤慨なされた。やはり野球をつけるのがポイントなのか。

「ホントあんたら仲良しねー」とチナが口元に拳を当てながら笑う。

「はい質問」高原が神妙な面持ちで挙手する。「話を戻すけど、幸平君はこのあともまだチーム練習か何かをする気なの?」

 なんでこんな不安そうな顔で訊いてくるんだろう? ひょっとしてこのあとなにか予定があったのだろうか?

「練習はしない」俺は腰に手を当てて答える。「今後の予定だが、これから次の試合を観戦する。勝った方が次のうちの対戦相手だからな」

 おおー、と高原が嬉しそうに感嘆の声を出す。どうやら俺の提案は気に入っていただけたようだ。

 俺は幼馴染の外ハネに向けて言う。

「春火、ビデオの用意はいいな。ちゃんと撮っておけよ」

 その言葉に彼女は不思議そうな顔をする。

「こーちんは一緒に試合観ないの?」

「ああ俺は」そう言って静佳の頭に手を置く。「こいつを医者に連れてかないといけないからな」

 へ?と突然矛先を向けられてポカンとしている静佳の間抜け面が印象的だった。



 やあみんな! 僕の名前は相馬幸平。アイドル事務所のスカウトから引っ張り凧の絶世のイケメンさ。

 青春真っ盛りの中学生である僕は、日曜である今日も美少女二人をはべらせてホリデーをエンジョイ中だ。

 右手に見えるのは日本人形のように長い黒髪を背中まで伸ばしたおかっぱ頭の少女、深山静佳。

 彼女は昔から密かに僕に憧れていて、野球を教えてもらうという口実で僕に近づいてきたんだ。ふっ、やっぱり美しさとは罪だね。

 左隣を歩くのはフランス人形のように精巧で綺麗な色白の少女、水無月麻白。

 無口キャラなので滅多に喋らないが、彼女が喋ると大変なことが起こる。

 彼女の声には強制力があって、彼女の言葉を聞いた者は誰もが彼女の命令に従わなければいけなくなるという恐ろしい能力の持ち主なんだ。

 そんな彼女に命令された者は数あれど、彼女に命令できるのは世界でただ一人、僕しかいない。ベッドの上では麻白も僕の言いなりさ。

 とかいう感じに中二病的な妄想を繰り広げていると、俺達は目的地である建物に着いた。

 駐車場に自転車を置いてきて、水無月診療所という看板の前に戻ってくると俺は言う。

「ついに辿り着いたな。ここに静佳のちぎれた左腕をくっつけることのできる名医がいるって話だったな」

 いえいえちぎれてませんから、と静佳が苦笑しながら顔の前で手を振る。

「前回までのあらすじー。ロケットパンチで敵を倒した静佳。しかし飛んでいった腕をいくら探しても見つからない。ぴーんち!」

 なってませんなってません!と静佳が否定する。

「とにかく」と俺は話をまとめに入る。「ここには数多の静佳を修理してきた凄腕の静佳修理人が居るってことだよな」

「相馬先輩の中の私は大量生産されてる感じなんですか?」

 静佳は気の抜けた笑みで聞き返してくる。

「まあ一家に一台って感じかな」と俺は答える。

 しかしまあ、ちぎれた腕をくっつけられるような名医なら是非とも居て欲しいもんだね。

 俺達は診療所の入り口に向かって歩く。

「しっかし水無月の家が診療所だったなんて初耳だぜ」

 俺がそう言うと、水無月は頬を掻きながら「先輩も病気や怪我をしたら気軽に来て」とどこか得意気な声を返してくれる。

 ああ、まあ機会があったらお世話にならせてもらおう、と答えて俺は静佳に顔を向ける。

「とにかくここにいる博士に修理してもらうんだ。そしてついでに厳しい修行の果てに新必殺技とか会得して来い」

「なんですか新必殺技って、新しい変化球か何かを覚えるんですか?」と静佳が苦笑する。

「ああその通りだ。スライダーとカットボールとシュートとフォークとSFFとVスライダーとパームとチェンジアップとナックルとカーブとスローカーブとナックルカーブとドロップとシンカーとマッスラとスプリッターとスラーブとサークルチェンジとスクリューとジャイロボールとムービングボールの性質を併せ持つ魔球、その名も“スラカッシュフォSFFVパチェナッカスロドロシンマッスプスラサースクジャイムーボール”!

 これを会得すれば恐いものなしだぜ」

「まずその球自体が恐いですよ! それは果たして人間の会得していいものなんですか!」

 笑いながら反論する静佳の声を聞いていると、診療所の正面玄関に着く。

 そこはガラス張りの自動ドアになっていて、日曜休診と書かれた看板が内側からかけられている。扉の前に立っても自動ドアが開く気配はない。

 こっち、という水無月の先導で俺達は診療所の裏手に周り、裏口らしきところから建物の中に入る。

 中に入るとそこはフローリングの廊下、廊下の先に曇りガラスの扉があり、右手には階段があって二階に繋がっている。どうやらこちら側は普通に生活空間になっているようだ。

 靴を脱いで、水無月の後を追って俺達は真っ直ぐに廊下を進む。

 お邪魔しますとか言った方がいいのかな?と俺は内心悩み、前を歩く静佳の横顔を覗き見てみる。

 その表情は堂々としたものだった。水無月とは小学校からの付き合いなだけあってこの家に来るのも初めてではないということか。

 先頭の水無月が廊下の突き当たりの扉を開けるとともに、

「ただいま」

 と告げる。

 フローリングの床にカーペットを敷いて、ガラスのテーブルとそれを囲うような配置のソファー。(かど)にはテレビもある。

 ここがリビングなのだろう。

 そのソファーに寝っ転がったオッサンが気だるげな声を上げて上半身を起こす。

「おー、麻白お帰り」

 続いてその隣に居る少女に視線を移す。

「おっ! 静佳ちゃんも久しぶり」

 見た感じ三十台半ばといったそのオッサンは威圧的な鋭い目つきで、ちょっと恐い感じに思えた。

 静佳や水無月が親しげに挨拶しているところを見ると、この人が水無月の肉親なのか。

 そしてオッサンが俺の姿を見る。その瞬間、彼の顔色が変わった。

「男だと? 駄目だ駄目だ! 貴様なんぞに娘はやらん!」

 な、なんだと!

 俺は反射的に彼の前に立ち、真剣な瞳を向ける。

「お義父さん、娘さんをください! 必ず幸せにします!」

 俺の言葉にお義父さんは、なんだとう?と眉をしかめる。

 俺は畳み掛けるように言う。

「ならば野球で勝負です! 俺が勝ったら麻白をもらいます!」

 お義父さんは気圧された様子で、たじろぎながら言葉を返す。

「ちなみに俺が勝った時のメリットは?」

「気にすんな!」俺は爽やかに即答した。

「さあ! この勝負受けるのか? 受けないのか!」

 俺がそう迫るとお義父さんは、くっと悔しげに奥歯を噛んで言葉を搾りだす。

「わかった俺も男だ。その勝負受けよう」

「なんで受けるんですか! メリット無いですよね? 勢いだけで押し切られてません!」

 静佳の大忙しなツッコミが入る。

 俺はそれを無視して勝負の内容を説明する。

「ルールは簡単だ。俺がバッターで、お前もバッター」

「両方バッターじゃないですか! 早くも勝負にならなさそうですよ!」と静佳が口を挟む。

「俺達はお互いにバットでボールを打ち、より少ない回数のショットでボールをゴールに入れられた方が勝ちだ」

「ゴルフですよ! そのルールは野球じゃなくてゴルフですよ!」と静佳。

 お義父さんは俺から視線を逸らさないままごくりと唾を飲み込む。そして口を開く。

「いいだろう。これは男と男の真剣勝負だ。勝負の前にまずは自己紹介といこう。俺は麻白の父親、水無月劉璽(りゅうじ)だ」

 お義父さんが紙に自分の名前を書いてくれる。めちゃくちゃ難しい字だった。

「さあ次はお前の番だ」とお義父さんが俺に促す。ようし。

 俺は答える。「俺の名は、トム・クルーズ」

「何故ここに来てそのチョイスなんですか!」すかさず静佳のツッコミが入る。

 お義父さんは俺の目を見つめて言う。

「わかったトム・ソーヤか」

 微妙に違う。

 お義父さんは顔色を変えず言葉を続ける。

「お前はさっき麻白を必ず幸せにすると言ったな。その根拠はなんだ? お前は麻白を幸せにできるどんな根拠を持っている?」

 ふっ、愚問ですよ。俺は迷うことなく答える。

「まず、俺はハンサムだ」

「自分でそういうこと言っちゃうのはすごい自信だな」若干呆れ気味にお義父さんは呟く。

 そこに静佳が申し訳なさそうに口を挟む。

「すいませんこういう人なんです相馬先輩は」

 だが、とお父さんは言う。

「人間大切なのは外見じゃない、中身だ。お前の内面を確かめさせてもらう」

 内面を確かめるだと? 一体なにをする気なんだ。

 そう思っているとお義父さんが一旦リビングを出て、奥の部屋に行ったあと何かを取って戻ってきた。

 両手にメスを持って彼は言う。

「さあ解剖させろ」

 えええええええ! なんで? どうしてそうなるの!

 そう問うとお義父さんはさっきと同じ言葉をもう一度言う。

「人間大切なのは中身だ」

 いや、たしかにそうだけど! 解剖すれば中身がわかるけど! そういう意味じゃないだろ! つーか、本職の医者がこういうことするのはマジで恐ええ!

 そんなことをしていると麻白が劉璽さんの腕を掴んで言う。

「先輩を解剖しちゃダメ」

 むっ、麻白にそう言われたらしょうがないなぁ、と彼は引く。

 なにはともあれ、ふざけるのをやめて話を戻そう。

 俺は片手を上げる。

「どうも。初めまして相馬幸平です。静佳や水無月と一緒のチームで野球やってます」

 その言葉に劉璽さんは眉を開く。

「おー、キミが相馬君か。麻白から話は聞いているよ。野球に詳しくて、キミとバッテリーを組むようになってからは静佳ちゃんがメキメキと腕を上げているそうじゃないか」

「それは静佳の努力の賜物ですよ」

 俺は自然とそう答えていた。それが本心だったから。

 毎日汗だくになって厳しい練習で自分を追い込んでいる静佳の姿を見たら誰だってそう思うだろう。

 俺自身、日々成長していく静佳を見るのが楽しみなくらいだ。

 俺の答えに劉璽さんは、ふっと満足そうに笑う。

 俺は口を開く。

「今日はその静佳のことでお願いがあって来ました」

 そう言っておかっぱ頭の上に手を置く、それが嫌なのか静佳がじとっと睨み返してくる。

「水無月のお父さん、劉璽さんはお医者さんなんですよね?」

「おうよ!」と劉璽さんは胸を張る。だがすぐに表情を(しか)める。

「ん? ということは静佳ちゃん、どこか怪我を?」

 俺は静佳の両肩を掴んで劉璽さんの前に出す。

「手術でこいつの身長を倍増させてください」

「いきなり無茶なお願いしますね相馬先輩!」

 俺の顔を見上げてくる静佳には言葉を返さず俺は主張を続ける。

「見てください中学一年とは思えないこのチビっこさ。ランドセル背負ってても違和感がないくらいですよ。今のままじゃハッキリ言って俺とキスするのも爪先立ちじゃ足りないくらいですよ!」

「そこまで低くはないですよ! 背伸びすれば届きますって!」

 流石に気にしていたのか、静佳がムキになって反論してくる。

「んじゃキスしてみよう」

 そう言って彼女をこっちへ振り向かせる。

「誰がしますか」と言って静佳は俺の顔を手でのける。

 劉璽さんはそんな俺達の様子を真剣な顔で見守っていたあと、目を閉じて静かに言葉を吐き出す。

「残念だけど、医学は万能じゃないよ相馬君。静佳ちゃんの小ささはもはや不治の病だ。彼女の背が伸びることはもう一生ないだろう」

 言いながら力なく首を横に振る。

 俺はそんな劉璽さんの両肩を掴んで揺する。

「そんな! 先生、なにか手はないんですか!」

「残念ですが手遅れです。我々も手を尽くしたのですが」

 劉璽さんは重苦しい様子でそう吐き出すだけだった。

「これでも麻白ちゃんより三センチ大きいんですがね」静佳がコメカミをヒクつかせながらながらそう呟く。

 ふざけるのはこのぐらいにして話を戻そう。

「実はさっきの試合で静佳が肘にデッドボールを受けまして」

 俺がそう説明すると、劉璽さんは楽しげに言う。

「おー、とうとう選手生命が終わったか静佳ちゃん」

 いや、不謹慎だろうと思ったが静佳がそれに怒る様子はなかった。

 苦笑いを浮かべながら彼女は言う。

「そうならない為にここに来てるんです。と言っても私は来なくてもよかったんですが、相馬先輩が過保護すぎて。軟球が当たっただけで大袈裟すぎるんですよ」

 そりゃ、自分でもそう思うけど場所が場所なだけに不安なんだよ。

 そんな彼女に水無月が話しかける。

「静佳、先輩は静佳のことを心配してるんだよ。自覚症状のない重病なんてこの世には沢山あるの。用心に用心を重ねても損することはないよ?」

 おお、流石医者の娘だ。言うことが重い。

 静佳もその言葉に困ったような顔を見せる。

「んじゃ、ちょっくら診てやるからこっちに来な」そう言って劉璽さんは奥の部屋への扉を開ける。その先が診察室へ繋がっているのだろう。

 そして暫くして診察は終わった。

 劉璽さん曰く、今日は休診日なので医者としてではなく、親として娘の友達の怪我を診てるだけだから診療代はいらないとのこと。

 わかるようなわからないような理屈だが、つまりサービスってことだ。カッコイイ!

「診察の結果が出ました」

 再びリビングに集まった俺達の前で、劉璽さんは重苦しい雰囲気で切り出す。

「彼女はもう助からないでしょう」

 その言葉を聞き俺達の体に電撃が走る。

「先生!」

 俺はすぐに劉璽さんに駆け寄る。

 しかし彼は残酷な真実を告げた。

「余命千二百ヶ月です」

 俺は彼の襟首を掴む。

「その話は本人の前ではしないという約束だったはずです!」

 劉璽さんは苦しげに、だが強い意志を感じさせる声で反論する。

「しかし私は、患者には残された時間を有意義に過ごす為にも真実を知る権利があると思っています!」

 そんなやりとりをしている俺達の後ろで静佳が呆れ気味に吐き出す。

「つまりどこにも問題はなかったということですね。あと百年も生きられれば十分ですよ」

 まあ簡単に言うとそういうことなんだけどね。よかったよかった。何事もない毎日が一番だよ。



 そうして俺達三人は球場に戻ってきた。

 球場では試合が行われている。戦っているのは雉村先輩たちの同窓会チーム。

 先輩の試合は第三試合だったはず。ってことは第二試合はもう終わったのか。

 ひょっとして春火達は帰ったのかな?

 あっちゃー、無駄足だったかも。

 先に電話しとくんだったと後悔する。

 とりあえず観客席にチームメイトが残っているか探そうと俺は提案する。

 だが、グラウンドの方へ一度視線を向けるともう目が離せなかった。

 雉村先輩と戦っている相手チームは中学生ぐらいの男の子集団だった。

 全員私服なところを見ると俺達と同じような草野球チームなのだろう。

 対する同窓会チームは中学の野球部なのかシニアなのか、みんなバラバラのユニフォームを着ていた。

 打席には同窓会チームの一番バッター、八咫烏風緒(やたがらすかざお)

 スポーツ刈りの髪型に、アスリートがするようなノンフレームのスポーツサングラスをかけた少年。俺の一つ上の先輩だ。

 相馬先輩、みんなを探すんじゃなかったんですかと静佳が口を尖らせる。

 俺は顔の前で手を立て、静佳と水無月に謝る。

 ワリ、ちょっとだけこの試合を観させて。

 左打者の八咫烏先輩は変化球を痛烈に流し打つ。

 鋭い打球が三塁ファールゾーンを疾走する。

 その打球スピードに相手守備は焦りの表情を見せる。

 そして内外野ともに左寄りに守備を動かす。

 しかし次の直球を八咫烏先輩は思いっきり引っ張った!

 左寄り守備で広く空いた一塁線を打球は駆け抜け、外野グラウンドへ逃げていく。

 ライトが追いつき返球するまでに八咫烏先輩は自慢の俊足を飛ばし三塁に辿り着いていた。

 すっげ。まるでこれを狙ってたかのような広角への打ち分け。いや、狙ってたんだろう。でなけりゃ変化球に振り遅れてたのにそのあとの速球に振り急ぐなんて不自然なことになるわけない。

 それにその後の走塁も俺の知ってた頃からさらに俊足に磨きがかかっている。流石このチームの一番センター。

 続く二番が絶妙なボテボテ具合の内野ゴロを打ち、八咫烏先輩はホームに生還する。

 打順はクリーンナップに廻る。

 三番でショートの雉村先輩が左ボックスに立つ。

 先輩はインコース低めの難しい球を難なく弾き返し、大空に白球を飛ばす。

 俺は思わず拳を握りしめて、おお!と声を上げてる。ホームランか?

 そう思わせた打球は右中間フェンスの高めギリギリにぶち当たる。惜っしー!

 二塁上でガッツポーズを作る雉村先輩。

 そして四番、ファースト筒元昂司(どうもとこうじ)先輩。

 筋肉質で強面(こわもて)の大男が左打席で構える。

 この打線は左打者が主力なんだな。

 無口で感情を表に出すことの少ない人だった。打席の中でも彼は無表情を貫き通す。

 どんな球が来ても動じることはない。そんなバッティングを持っているのだ。

 初球を思いっきり振りぬく。水無月のスイングすら霞むような神速の居合い斬り。

 打球は真後ろのフェンスに当たる。

 真後ろに飛ぶってことはタイミングが合ってるってことだ。ボール半個分でも上を叩けばジャストミートしていた。

 二球目も同じようにフルスイングする。が、それは打者の手前で落ちるフォークボール。筒元先輩のバットは空を切った。

 キャッチャーがボールを投げ返すのを尻目に、筒元先輩は空振りした自分のバットをじっと見つめている。その表情には絶対に打とうという気迫も熱意も、動揺や諦観もなにも浮かんではいなかった。

 この程度の相手には感情を出す必要もないということだろうか。

 筒元先輩はタイムをとって打席から出る。そして淡白な表情のまま数回素振りをする。

 そして、よし、といった顔で打席に戻る。ここからは聞こえないだけで実際に言ったのかもしれない。

 あーあ、可哀想に。これであのフォーク、筒元先輩に覚えられたな。

 俺は元投手であり、今は捕手。配球というものにはいつも考えさせられてきた。

 その中で基本の一つになるのはコースでも球種でも相手の得意不得意を探ることだ。

 例えば、前の打席で直球を打ったが変化球は打てなかったバッターと戦う時は、やはり変化球を有効に使いたい。

 バッターだってそうだろ? 自分が打てそうな球を狙いたいだろ? そういう打者心理を加味してもこの考え方は有効なんだ。

 しかし筒元先輩は厄介なバッティングを持っている。

 筒元先輩が打席に戻るとプレイが再開され、ピッチャーがボールを投げる。

 轟音。それは空気を一刀両断に切り裂く音。

 そんなスイングで叩かれたボールはひとたまりもない、相手ピッチャー自慢のフォークボールは外野フェンスを越え、観客席も越え、球場の外へ消えていった。

 場外ホームラン。その事実に球場全体が沸き立つ。

 はっはは、流石だ。流石ですよ先輩。

 筒元先輩は自分が打てなかった球を狙うバッターだ。

 一度打てなかった球には恐るべき学習能力を発揮し、次の打席か遅くともその次の打席には同じ球を完璧に捉える。

 こういう性格は外国人選手に多いタイプらしい。

 その後、爽やかな笑顔がトレードマークの五番キャッチャー東堂新一(とうどうしんいち)先輩がもう一本ホームランを打つ。

 先輩がダイヤモンドをまわり、ホームで仲間とハイタッチをしたあとベンチに戻るのを何気なく見ていると、同窓会チームのベンチに思わぬ人の顔を見つける。

 倉田監督。

 その姿を見て俺は動揺した。なんであの人がここに?

 そうこうしている内にこの回の攻撃は終わる。

 攻守交代し、同窓会チームの守備。

 いよいよあの男がマウンドに上がる。

 帽子のツバを後ろ向きにして被る。悪戯小僧のように元気に輝く瞳が前を見据える。

 ボールを持った右手とグローブを嵌めた左手を胸の前で合わせる。そして唇を舐めたあと、振りかぶる。

 大谷悟志。

 オーバースローから放たれた白球が大気を震わし、白い光の矢となる。

 矢は次の瞬間にはキャッチャーの東堂先輩のミットに納まっていた。

 審判がストライクをコールする。

 速い! なんつう速球だよ。こんなに成長していたのか。

 もはや同じ生き物が投げたとは思えないくらいの豪速球を目の当たりにして、嫉妬に似た感情を覚える。

 何故俺はああなれなかった?

 その時唐突に聞き慣れた声が鼓膜を震わせた。

「さとちゃーん! いけー!」

 大谷悟志に声援を送る少女が観客席にいた。春火だ。

「やれー! 三者連続三振!」

 やめろ。そんな楽しそうな顔であいつを応援するな。

「相馬先輩?」

 静佳に呼びかけられ俺は、はっとする。

「あそこで大声で応援してる人、近江先輩ですよね? 早く合流しましょうよ」

 そ、そうだな。うん。

 正直に言えば今春火と会話するのはすごく気まずい。つーか、春火に話しかけたらこの試合が終わるまで一緒に観戦している流れになりそうだ。それは非常に辛い。

「それにしても」グラウンドを眺めながら水無月が感心した様子で呟く。「凄い速球」

 流石の水無月もあの球を打てる自信は無いか?

「そうだね」水無月の言葉に静佳も深刻な顔で頷く。「打線も強力だし。レベルの高いチームだね」

「安心しろよ」と俺は言う。「アイツラとは決勝まで当たらないんだ」

 どーせそこまでウチが勝ち上がることもないだろうというニュアンスを言外に込める。

 こんな高校生や大人が参加するような大会で俺達が決勝まで勝ち進むなんて、可能性がゼロとは言わないが決して高くはないだろう。

「なら練習期間は十分あるってことですね」と静佳が言った。

 俺はその言葉に意表を突かれて反射的に静佳の顔を見る。

 静佳は俺の顔を見て、どうしました?と不思議そうな顔をしている。

「決勝とはいえいずれは戦う相手です。今の内から対策を立てておきましょうよ。相馬先輩お得意のデータ野球で」

 そう言って俺の顔を見る。

 こいつと初めて会ったとき、俺は水無月のバッティングを分析することでこいつを水無月に勝たせてやった。

 そっか、こいつは俺を頼りにしてるんだな。

「私も」水無月はどこか嬉しそうな顔で、「あの球と戦うのが楽しみ」

 そう言って目を輝かせた。

 楽しみっていうことは簡単に打てるとは思ってないけど、打てる可能性もあるからこそ生まれてくる感情だ。

「くっくく」

 俺は可笑しくなって笑う。

 エースと四番がこんなにやる気なら、キャプテンの俺が諦めるなんて恥ずかしいな。

 その感情が自然と口をついて出る。

「ああ、俺も楽しみだよ」

 つーかマジで楽しみになってきた。コイツラと一緒のチームで戦っていく、

「これからの大会が」

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