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第六話 シンパシー

 静佳の左手から白球が解き放たれる。

 俺はミットを動かし、顔の前でその球を受け止める。

 静佳はその球を投げ返してくれることを期待したのだろうが俺はそうはせず、立ち上がって彼女に歩み寄る。

 それだけで彼女は気圧されたように僅かに表情を硬くする。

 どうやら彼女も自分の出来がわかってるようだ。

 俺は単刀直入に訊いてみる。

「なあ静佳、緊張してんのか?」

 俺の問いかけに、彼女が悔しそうに口元を歪め視線を地面に落とす。

「かもしれません。多少は」

 やっぱこいつでも大会というものは緊張するのか。

 ずっと友達と草野球ばかりやってきた彼女にとっては初めての経験だろうからな。

 さて、どうするか。

 今は試合前の投球練習中なのだが、どうにも静佳の調子が良くない。どれもボールが高めに浮いている。

 とはいえ一発で緊張をほぐす魔法の言葉みたいなものは俺も持ち合わせていない。試合の中で本来の調子を取り戻してくれることを祈るしかないか。

 俺はやや厳しめの声で言う。

「腕が振れてないな。ボールをリリースするのが早くて、低めに決まらなくなってるんだ。とにかくちゃんと腕を振って地面に叩きつけるぐらいの気持ちで投げてみろ」

 静佳は、はい!と真剣な顔で返事をして投球練習を再開する。

 しかしやはり調子は良くならないまま試合開始の時間を迎えることになった。

「両チーム整列!」

 球審のお兄さんのその言葉で俺達はホームベース前に整列して対戦相手のチームと相対する。

 相手はその名を『商店街チーム』といい、オッサンばっかりのチームだった。

 初戦なので当然相手がどういう野球をするのかデータはない。

 試合前の様子などを見ても、冗談を飛ばして談笑したりしている和気藹々とした雰囲気のチームだなと感じた。

 お互いに礼!という審判の言葉とともに、お願いします!という声が両チームから発せられ頭を下げる。

 いよいよ大会開幕である。

 守備につくチーム・スプリングのメンバーを紹介しよう。

 ピッチャー、深山静佳。

 キャッチャー、相馬幸平。俺ね。

 ファースト、織編咲夜。

 セカンド、天草千夏。

 サード、方條蜜柑。

 ショート、高原柚希。

 レフト、速薙翼。

 センター、近江春火。

 ライト、水無月麻白。

 さっきスタンドを見た時は、遥介やソフト部トリオ、それに父さんの姿が見えた。他にもウチのチームメンバーの家族などが応援に来てくれている。

 その様子に俺はプレッシャーを感じざる負えない。

 キャッチャーとして、キャプテンとして、一番勝敗に関わる重要なポジションである俺の判断一つで、これだけ多くの人を喜ばせることにも落胆させることにもなるのだから。

 でも覚悟は決めた。

 よし、勝つぞ。

 一回表、商店街チームの攻撃。

 グラウンドに散るナインを尻目に、俺はマウンドで静佳に声をかける。

「実はさ静佳、俺も緊張してんだ」

 そう言って笑みを見せてやると、静佳が僅かに驚いた顔をする。

「だからな、お前の気合がこもったボールで目を覚まさせてくれよ」

 言いながら俺はキャッチャーミットを指差す。

「わかりました」

 彼女は固い表情で答える。うーん、大丈夫かな。

 厳しく接するのも褒めて持ち上げるのも駄目なら他にどうやって緊張をほぐそう?

 俺と静佳はバッテリーを組んで一ヶ月程度の仲、まだまだお互いを理解するには時間がかかりそうだ。

 俺はキャッチャーズボックスに座り、相手の一番バッターが右打席に立つ。

 打てよー山岡さん。頑張れー、などと言う相手ベンチからの声援をバックミュージックに審判がプレイボールを宣言する。

 初球、俺は外角低めボール気味に構える。

 ボールになってもいいから、とにかく低めに投げれるようにしないと組み立てのしようがない。

 俺の構えを見て頷いた静佳がワインドアップ――振りかぶって投げることね――で第一球を投じる。

 ちょっ、真ん中高めの絶好球じゃねーか!

 白球が俺のミットに収まった後、審判がストライクをコールした。

 はー、心臓に悪い。相手が見送ってくれたからいいものの、こんな甘い球が来るなんて。

 静佳は普段低めの制球力に定評があるのだが、今日は見る影もないな。

 とにかく低く、低くと要求するも次の球も高めに甘く入ってくる。

 今度は相手も見逃してくれない! 思いっきりバットで引っぱたき、グラウンドに快音が響く。

 外野の空を疾走する大飛球。しかも飛んだコースが悪い。センターとレフトのど真ん中、長打コースだ。

 こりゃあ左中間を破られるか、と思ったらボールの落下点で春火が足を止めて待ち構えていた。白球は呆気なく彼女のグラブに収まる。

 うわっ、あいつめ。最初からレフト寄りに深く守ってやがったな。

 静佳の調子が悪くて高めに浮いていることもあいつは計算済みか。ちくしょう、頼もしいじゃねえか。助かったぜ。

「ナイスキャッチ春火!」と俺は声を張り上げる。

「オッケー! ワンナーウト!」と上機嫌に言って春火は内野へ返球する。

 当たりが良すぎた。運が無かったなあという声に迎えられて相手のバッターがベンチに帰っていく。

 ふっ、なにもわかってないな。今の運じゃねー。春火のファインプレーだ。

 バッターが打った瞬間、打球の音や角度で即座に落下点を予測してスタートを切る。長年の外野経験により培った春火の経験則は彼女に圧倒的に広い守備範囲を与える。

 外野の名手、センター近江春火。我がチームの守備の要だ。

「ありがとうございます近江先輩」

 静佳が片手を上げてやや覇気を欠く声で礼を言う。

 調子が悪くていい当たりをされたことを認めたくないのだろう、お礼を言うのも悔しくて素直に大声を出せない様子だ。

 俺は言ってやる。

「おい静佳! そんな小さな声じゃ外野まで届かねーぞ!」

 静佳が苦々しい表情でこちらを睨む。

 そして、

「ありがとうございます近江先輩! 助かりました!」

 と、外野に向けて声を張り上げる。

「おう! ってゆーか最初のでも聞こえてたんだけどね」

 苦笑気味の春火からフォローが返ってくる。まあ、聞こえてたと思ってたが教育の為な。

 静佳が心底悔しそうな様子でマウンドから俺を見つめてくる。

 フフ、悔しいか? ならその悔しさをバネにいい球を投げて見せろ。

 次のバッターが右打席に立つ。

 さっきは低めに構えてボールが甘く入ってきたんだから、今度は高めに要求してみるか、と思ったら全くストライクが入らなかった。

 ノースリーからストライクをとりにいった甘いボールを痛打され、打球は三遊間に鋭く突き刺さる。

 あれは追いつけないだろと誰もが思う打球に、俊足を飛ばして高原がダイビングキャッチでボールに飛びつく。

 さっすが高原、抜群のフットワークと反射神経でどんな球にも追いついてきやがる。

「この天才ショート柚希様を抜こうなんて百万光年はっやーい!」

 そう言ってボールを持って立ち上がる。だが、あの球は地面にワンバンしてたはず。

「高原! 一塁(ファースト)だ! それと光年は距離だ!」

 俺はすぐさま指示を出す。

 高原はぺろりと唇を舐め、まっかせてーと言いながら一塁に送球する。

 しかしその球は指に引っかかったのか、ファーストベースの遥か手前で地面に叩きつけられ低くバウンドする。

 あっ、やば!と投げた高原自身が焦るその球にファーストの織編先輩が片足をベースにつけたまま足を伸ばし、低い姿勢でボールを掬い上げる。

 直後にバッターランナーがベースを駆け抜ける。ツーアウト。

 すごっ、後ろ足がベースから離れてたらセーフだったぞ今の。もちろんボールが転がってくるのを待っててもセーフだった。

 ベースから足を離さないままでなおかつ転がってくるボールに近づいて捕球しないと今のは間に合わなかった。あんな無理な体勢で捕球できるのか。流石だな。

「うわー、咲夜先輩ありがとー! 助かったよー!」

 高原が手をあわせて拝みながら歓喜の声を上げる。

 そんな彼女に織編先輩は温かい笑みと言葉を返す。

「大丈夫、ショートやサードって一塁まで遠いもんね。よくあるよくある。それよりナイスプレー柚ちゃん。これからもガンガン積極的なプレーしてね。多少の暴投なんて受け止めてあげるから」

 頼もしいな織編先輩。包容力のある彼女は捕球力も並じゃなかった。元々ファーストミットを持ってただけのことはあり、織編先輩の一塁守備はかなりのものだ。

 守備に助けられたが前の打者二人ともいい当たりをしていたな。こんな調子じゃ打ち込まれるのも時間の問題だぞ静佳。

 頼むからそろそろ目を覚ましてくれ。

 相手の三番バッターが打席に立つ。また右打者か。

 野球では右打者か左打者かというのはそれによって作戦の立て方が変わる重要な要素である。

 だから右利きでも左打席で打つ練習をする者は多い。野球の世界では右投げ左打ちという選手は珍しくない。なかにはどちらの打席でも打てる両打ち(スイッチヒッター)というのもいるくらいだから打席の重要さもわかるだろう。ウチのチームで言えばチナもスイッチヒッターだ。

 だがそれは玄人の話。左利きの人間より右利きの人間の方が圧倒的に多い。野球経験のない素人に右打者が多いのは自然なことだ。

 偏見かもしれないが右打者の多い打線は素人チームと判断できるかもしれない、と俺は目の前のチームの戦力を分析する。

 この打席はどう組み立てよう?

 とにかく低めに投げられるようになって欲しい。今度はボールから入るか。

 俺は外角低め、ボールに外すよう要求する。

 静佳も自分の不調の責任を感じているのだろう。硬い表情で頷く。

 そして第一投。外角、微妙なコースだが僅かにボールに外れている。高めに浮いてるがな。

 そのボール球に相手が手を出してきたのは嬉しい誤算だった。

 打球はライト方向の大空に高く上がる凡フライ。ライトの水無月がライン際に向かってボールを追う。

 捕れればライトフライ、落ちてもファールだろうあの当たりじゃ、と思ったのだが。

 水無月はボールに追いつけず、打球はラインの上に落ちる。一塁塁審が人差し指で外側を指差す。フェアのジェスチャーだ。

 げえ! ギリギリかよ。運がねえ。

 ライン上でバウンドした後ファールゾーンに転がっていく打球を水無月が追う間に、バッターランナーは一塁をまわり二塁手前まで来ていた。

 そして水無月がボールを拾う。同時に敵バッターは二塁も蹴りやがった。

 はっ、調子に乗りやがって。ウチのライトを舐めるな。

「水無月! 三塁(サード)だ!」

 俺は大声で指示を飛ばす。

 水無月はオーバーハンドでボールを投げる。

 空気が唸り声を上げ、恐るべき威力のレーザービームが内野に帰ってくる。チナは腰に手をあて、やれやれという顔でその球を避ける。もはや中継すら必要ない。

 ボールは三塁手前で地面にワンバウンドして方條のグラブに収まる。そしてそのまま三塁に滑り込んできたランナーにタッチする。

「残念でしたね。でも、女の子ばかりだからって私達を甘く見てると痛い目に遭いますよ?」

 悪戯っぽくウィンクをしながら言う方條の言葉の後、三塁塁審が拳を握りしめてアウトを宣言する。スリーアウトチェンジ。

 球場内が水を打ったように静まり返る。だが観客席から少しづつざわめきが広がっていく。

「おいおいなんだあのライトの子!」「すげー肩だな!」「メチャクチャ鋭い送球じゃん!」

 午前に抽選をやったばかりのせいか、結構多くの人が観戦に来ている。フフ、やっぱチームメイトが褒められるのは気持ちがいいな。水無月本人は騒がれたせいで顔を真っ赤にして小さくなってるけどね。

 まだまだ、ウチのメンバーのポテンシャルはこんなもんじゃないぜ。

 呆然とした様子でベンチに帰って行く相手のランナーに、ドンマイ加藤さん。今のは仕方ないよ、あの小さい子があんな凄い肩してるなんて思わないもん。と温かい声が浴びせられる。

「麻白ちゃん、ナイススロー」

 ベンチに戻る途中、静佳が落ち着いた声とともに水無月の胸を軽く小突く。

 お礼を言うならもっと感謝の気持ちを前面に出せばいいのにと思うが水無月にはそれで十分だったようで、ありがと。静佳もナイスピッチ、と嬉しそうに顔を綻ばせる。

 対照的に静佳の顔は不機嫌そうに曇る。

 俺も彼女に声をかけてみる。

「ナイスピー静佳!」

 ジロリと睨まれた。お世辞なんか言わなくても自分の出来は自分が一番良くわかってますよ、という顔をしている。やれやれ。

 静佳と肩を並べながら俺は言う。

「まあ投げ続けてればその内いつものペースを取り戻せるさ」

 俺が笑いかけてやると彼女は毒気を抜かれたような顔を見せる。

 さて。ベンチで防具を外した後、俺は一塁コーチボックスに向かう。三塁側には春火が入る。

 今度はこっちの攻撃だぜ。

 背中に当てたバットを肘裏で挟んで体をほぐしているのは、ウチの一番バッター速薙翼。

 卵の殻を頭に載せたヒヨコみたいなデザインのヘルメットをかぶり彼女が打席に向かう。

「守備ではやることがなかった分、打つほうは張り切っちゃうのですよー!」

 右手でバットのグリップを持ってぶんぶん振り回しながら大はしゃぎで左打席に立つ。

 左投げ左打ち、生粋の左利きだ。

 翼ちゃんガンバレー! かっ飛ばせー、つ・ば・さ! 行けー、切り込み隊長!と織編先輩、春火、高原が声援を送る。この三人の声に掻き消されがちだが、方條や水無月も応援の言葉を送っている筈だ。ここからじゃ声は聞き取れないが表情でなんとなくわかる。

「まっかせてくださ~い。翼が打席に立つからには先制点は頂いたも同然なのです!」

 その自信に見合うだけの仕事をしてくれたらいいんだけどな。

 元気のいい嬢ちゃんだなあ、と相手のピッチャーが和んでいる。

 球審がプレイを宣言すると、相手のピッチャーが振りかぶって第一球を投げる。

 投げた瞬間に速薙はバットを横に寝かせ、左手を添えていた。バントの構えだ。

 バットにコツンと当たった打球は三塁方向のライン際、サード、ピッチャー、キャッチャーのどこからも遠い絶妙な位置に転がる。

 バッティングってのは相手の守備が捕れないほど速い打球を打つのが基本だ。だから内野手は強い当たりに備えてバッターからある程度離れた場所で守っている。

 その裏をかいて弱い打球を転がす作戦がコレ、セーフティバントだ。

 速薙が一塁に向けて猛ダッシュする。

 ボールを拾った相手の三塁手の表情が驚きに染まる。

「は、速い!」

 そりゃあ驚くのも無理はない。俺だって初めて彼女の俊足を目にした時は舌を巻いた。

 高原やチナも足は速いが、このスピードには及ばない。チーム一の俊足。韋駄天・速薙翼。

 敵のサードはすぐに一塁に送球するも、ボールがファーストに到達する前に速薙が一塁ベースを駆け抜けていた。

 一塁塁審が大きく両手を広げる。セーフのジェスチャーだ。

「やったのです!」

 一塁を通り過ぎた速薙がガッツポーズをすると、味方ベンチが盛り上がる。

 俺も一塁コーチボックスから彼女に声をかけてやる。

「ナイスラン!」

「えへへー、とーぜんなのです。翼が可愛いからって油断したらダメなのです」

 得意気に表情を綻ばせる。こういうところは可愛いんだがな。

 ノーアウト一塁、いい滑り出しだ。

 いやぁ速かったなああの子。ドンマイ谷口さん盗塁気をつけていこう、と笑い合いながら向こうの内野陣が声をかけ合う。

 まだ和やかなムードだ。

 余裕? それとも勝利に執着してない証?

 俺には後者に見える。そしてそれなら、こんなチームウチの敵じゃない。

 二番のチナが左打席に立つ。

 つぶらな瞳のキツネ型ヘルメットをかぶった頭を下げながら、宜しくお願いします、と気持ちのいい挨拶をする。

 野球では右投手対右打者、左投手対左打者というのは打者側に不利と言われている。

 相手のピッチャーは右投げ。スイッチヒッターのチナは左打席の方が球の出どころが見やすいというセオリー通りに立っている。

「よし、ここは安全に行こうかな」

 チナは早くもバットを横に寝かせ、左手を添える。送りバントの構えだ。

『はい! はい! こーへーさん質問です』

 なんだね夢見るサンタ少女。

『さっきの翼さんのことはセーフティバントって言いましたよね? セーフティバントと送りバントってどう違うんですか? 私にはどっちも同じようにバントにしているだけにしか見えないのですが』

 いい質問だね。

 見たまえサンタ子よ。相手のファーストとサードがバント処理に備えて前よりに守っているだろう? こんな風にバントを警戒されたら流石にバッターはアウトになることを覚悟しなければならない。自分はアウトになってでもランナーを次の塁に進めようとすることを送りバントって言うんだよ。

『なるほど、それでバッターも一塁に生きようというバントをセーフティバントと言うのですね。セーフティバントを成功させるためには相手がバントを警戒していないときに仕掛けなければいけないということですか』

 うん、その通りだよサンタクロース。だからセーフティバントを狙う時はピッチャーがボールを投げたあとにバントの構えをするのが一般的なのさ。

 でもそれだとバント失敗もしやすい。対して送りバントのときはピッチャーが投げる前からバントの構えをしておいて失敗しないように確実に転がすわけだ。

『はへー、なるほどよくわかりました。ありがとうございました』

 うむうむ、これから野球のことでわからないことがあったらなんでもこの相馬博士に聞きなさい。

『はい! 頼りにしてますこーへーさん』

 閑話休題。

 初球、ピッチャーがボールをリリース――手から放すことね――するとともにピッチャー、ファースト、サードがダッシュしてバッターに近づいてくる。

 でも小技の上手いチナのことだ。送りバントくらい危なげなく決めてくれるだろう。

 ホラ、寝かしたバットをボールに当ててボールの勢いを殺し、てない?

 バントの構えのままバットを振りきり、強い打球が地面を疾走してピッチャーとサードの間に向かう。

 相手もこの至近距離でまさかこんなに速い打球が来るとは思ってなかっただろう。なんなく打球はピッチャーサード間を抜ける。セカンドは一塁ベースカバーに入り、ショートは二塁ベースカバーに入る状況で、がら空きの三塁側グラウンドをボールは転がる。

 相手のショートがすぐにボールを取りに戻り、それを拾ったところで一塁に送球するがそのボールが届く前にチナは口笛を吹きながらベースを駆け抜けていた。

 これでノーアウト一塁二塁。

「男って単純よねー。ホンット簡単に騙せるわ」

 一塁を通り過ぎたところで楽しげにそう言って、クククと笑うチナ。この女狐(めぎつね)め。

『こーへーさん。これも送りバントって言うのですか?』

 いや、今のはプッシュバントだな。

「ボール三塁(サード)!」

 ん? オッサンチームの守備からそんな声が上がったのでそっちの方を見てみると速薙が二塁を回って疾走していた。

「三塁は戴きなのです!」

 あの馬鹿、何やってんだ! 無茶だ戻れ!

 俺は大声でそう叫ぶも、それを聞き入れるポニテっ子ではない。

 一塁からボールが返ってきて三塁カバーに入っているショートがそれを受け取ると、速薙はその目前に迫っていた。

 彼女がスライディングすると同時に相手ショートもグローブでその足にタッチする。

 二人の周りを土煙が覆う。

 果たして、判定は?

 グラウンドを沈黙が支配し、誰もが息を呑んで判定を待つ中。

 白球がコロコロと三塁ファールゾーンに転がっていた。

 速薙の足は三塁ベースについている。三塁塁審は両手を広げセーフとコールする。

 接触プレーの衝撃でボールがこぼれたのか。ならば当然タッチは無効だ。

 うはあ命拾いした、と思ったのも束の間。

「よし、先制のチャンスなのです!」

 速薙がすぐさま立ち上がって三塁を蹴っていた。

 なにやってんの! 折角九死に一生を得たって言うのにその幸運をドブに捨てるつもり!

 三塁コーチャーの春火もこれには呆然としている。

 相手野手がファールゾーンで拾ったボールをホームに送球する。

 速薙がホームへヘッドスライディングを試みる。

 座ったままの体勢でボールを受けたキャッチャーは外側に滑り込む速薙の背中にタッチする。

「アウト!」

 審判が間髪入れずコールする。

 だろうね。間に合うわけがないんだよアレで。

 アウトですかあー! 何故です!と涙声で抗議している速薙の首根っこを掴んで俺はベンチへ連れて行く。

「うっ、キャプテンひょっとして怒ってますか?」

 連行中の俺を彼女はビクビクした様子で見上げてくる。

「こう、やっぱりですね。結果論で選手を叱っちゃ駄目だと思うのですよ」

 愛想笑いを浮かべながら両手の拳を握りしめる彼女の首根っこから俺は手を放し解放する。解放するというのはこのチビッ子のことでもあるし、俺が押さえ込んでいた感情のことでもある。

「こんのアホ! 初試合だからって張り切りすぎなんだよ! どう考えても無理なタイミングだったじゃねぇか! 結果論云々の次元の話じゃないわ! ノーアウトでランナー溜まったチャンスで危険を冒す場面じゃねーだろ! 三塁がセーフだったのにだって所詮は結果オーライじゃねーか!」

 俺が捲くし立てると、みゃーと速薙が頭を抱えて小さくなる。

「うう、ごめんなさいなのですー。次からはちゃんとやりますからー」

 うっ、流石に女の子相手に容赦がなさ過ぎたか。

 でも憎まれ役だって必要だ。どうせにベンチに帰ったら速薙を叱るような人間はいないだろう。

 織編先輩や方條に励まされ、甘やかされるだけのコイツの姿が目に浮かぶ。

 だから俺がはっきり言うべきことは言わないといけない。

 俺だって彼女が悪ふざけでなく、真剣にチームの役に立とうと考えてプレイしていることはわかっている。

 俺はしゃがんで、頭を抱える彼女の横顔に囁く。

「なあ速薙。俺は確かにお前の足に期待して一番を打たせた。だがそれはどんな状況でも考えなしに走ることを期待してるわけじゃない。お前の足を活かす方法は他にいくらでもあるんだ。折角足が速いのに、それをチームの役に立てられなかったら勿体無いぞ」

 キャプテン、と彼女が意外そうに顔を上げる。

 俺はその頭を撫でてやる。

「次からはちゃんと俺のサイン見ろよ。期待してるからな」

 俺が手を放すと、彼女は呆然としながら撫でられた箇所を自分の手で触っていた。

 俺はコーチボックスに戻る。

 ワンナウト三塁から試合再開だ。

 え? なぜ三塁なのかって? 速薙が暴走してる間にチナが三塁まで進んでいたからさ。抜け目ないヤツだ。あの判断力をポニ子も見習って欲しい。

 犬のヘルメットをかぶって左打席に立つのは三番高原。

 先制のチャンスであり、普通なら多少プレッシャーもかかる場面だが彼女に関しては心配要らない。

 高原はバッターボックスで口元に拳を当てて、なにか一人芝居をしていた。

「えー、では今日のヒーローにインタビューをしたいと思います。本日のヒーローは初回に先制タイムリーを打った高原選手です。高原選手、どうでしたか手応えの方は。

 いやー、やっぱバッティングってのは先の先まで読まないと駄目じゃないですかー。ウチも打ったときは今夜の晩御飯のこと考えてましたからねー」

 先の先まで読み過ぎだろ。そこもう野球関係ないし。

 まあ、つまりは自分が失敗する心配なんて微塵もしてない。それより彼女には華麗に先制打を放って仲間の賞賛を浴びる未来しか見えてないと言うわけだ。

 人は物事に挑む時、自分に都合のいい未来と都合の悪い未来を想像する。彼女の場合、その前者の比率が圧倒的に大きいポジティブな思考の持ち主というわけだ。

 さっすが目立ちたがり屋。こういう強いハートを持つヤツでなきゃクリーンナップは任せられない。

 主審が困った様子で、キミもう始めていいかな?と高原に訊く。

 おっけー! いっつでもこーい!と彼女は元気よくバットを相手投手に向けたあと構える。

 頑張れ谷口さん。楽にねー。まだ一球も外野に飛んでないんだから自信持って、という内野陣の声援が投手に送られる。

 相手ピッチャーがその声援に礼を言ったあと投球動作に入り白球を投じる。

 その球はさっきまで投げていたストレートに比べると遅く、緩い軌道を描き高原の方へ曲がってくる。カーブか。

 まさか変化球を持ってるとは予想外だった。高原も読めなかっただろう。ここは一球見送って、

「初球攻撃ぃー!」

 あっ、打った。

 楽しそうな声とともにバットを振りぬいた高原の打球は内野の頭を越えて綺麗にセンター前に落ちるクリーンヒット。

 三塁ランナーのチナは余裕を持ってホームに生還し、一点を先制する。

 湧き上がるチームメイト達とハイタッチを交わしながらベンチに戻っていくチナ。

 一方高原は、「やったー!」とガッツポーズをしながら一塁ベースを駆け抜けた後、コーチャーボックスの俺に話しかけてくる。

「うわあ、びっくりした。カーブだよ幸平君! あの人カーブ持ってた!」

 うん、そうだな。ってゆーかなんで初見の変化球を打てるんだよ。

 そう問うと、高原は人差し指を唇にあて、視線を上に向けて、んーと考え込む。

 そして満面の笑顔で結論を出す。

「考えるな、感じるんだ」

 うん、まあお前が打席であれこれ考えるのが苦手なタイプだってのはわかってたよ。

 しかし相変わらずチャンスの場面での集中力は半端じゃないなコイツ。

 自分の反射神経を信じて、球種もコースも選ばず本能のままに喰らいつくバッティング。だからこそ迷いなくバットを振りぬける。

 まっ、それはそれで弱点があるんだけどね。

 高原が一塁から離れ、リードをとりながら相手投手の動きを見つめる。

「さーって、盗塁決めちゃおっかなー。走攻守と三拍子揃った名ショート高原選手。先制タイムリーを打ったすぐあとに盗塁も決めましたが、あのときはどんな考えがあったんですか?

 やっぱり走塁っていうのは先の先まで読まないと駄目じゃないですかー。ウチも走ったときは今後の日本経済のこととか次の選挙では誰に投票しようかとか考えてましたから」

 お前、意外と大人だな。

 先制点を獲られても和やかムードで励ましあうオッサンチーム。

 兎デザインのヘルメットをかぶった四番の水無月が右打席に立つ。

 その後試合は進み、一回裏ワンナウトランナーなし。

 三対零とリードを広げたチーム・スプリングの攻撃中で、打順は五番。

 オッサンチームの投手はマウンドで呆然としている。

「バ、バカな。ツーランホームランだと」

 キャッチャーのオッサンも目の前の出来事が信じられない様子で呻く。

「あんな小さいのに、あんなに遠くまで飛ばすなんて」

 コーチャーを代わってくれるというチナの言葉に甘えて俺はベンチに戻る。

 その途中で打席に向かう方條に声をかける。羊さんのヘルメットがキュートだ。

「おう方條。試合前のノックを見た限りじゃ、むこうはファースト・セカンド・ライトあたり右方向の守備が雑な印象があったぞ。気が向いたら狙ってみな」

 彼女は若干驚いた様子を見せ、言葉を返してくれる。

「えっ、あ、ありがとうございます。でもなんで私に? そんな話をするならチーム全員に言った方がいいんじゃないですか?」

「だってウチのチームで狙って打つ方向決められる奴なんてお前と水無月ぐらいしかいねーじゃん」

 頑張れよと言って俺は彼女の肩に手を置き、送り出す。

 ベンチに戻ると方條が右打席に立ち、バットを構えているところだった。

 初球はカーブ。ボールは外角低めに外れてワンバンしてキャッチャーミットに納まる。

 あのピッチャー、コントロールが安定してないよな。はっきり言ってノーコンだ。

 水無月のホームランで相手は明らかに動揺している。このチャンスで一気に畳みかけるぞ。

 二球目も外角低めへのカーブ。見送ればボールになりそうな球に方條はバットをおっつける。

 コースに逆らわず流し打った打球はライト線のライン際に落ちる。

 相手のライトがもたつく間に方條は余裕で二塁に辿り着く。

「出た! 蜜柑の悪球打ち!」と一緒にベンチにいた高原が叫ぶ。

「さっすがみーちゃん! 変化球キラーの名は伊達じゃないね!」と春火も絶賛する。

 その春火はバットを持ってベンチから出てネクストサークルに向かうところだ。

 味方からの声援を受けて二塁ベース上で方條は恥ずかしそうに小さくガッツポーズをする。

 一球目のカーブを見て変化の軌道を見切ったな。

 方條は一度見た変化球は完全に変化のパターンを覚えて、同じ球種が来ればたとえボール球でもミートしてくる。

 彼女に同じ球を二度続けることは自殺行為だぜ。

 ワンナウト二塁。再び得点チャンスで、熊さんヘルメットをかぶった織編先輩が右打席に立つ。

 相手ピッチャーがセットポジションで方條に視線を向けた後、バッターの方を向きボールを投じる。

 初球はカーブ。

 織編先輩のスイングが空気を切り裂き、ブオンというスイング音がこっちまで聞こえてくる。

 それほどまでに鋭いスイングだった。まあ当の本人は大空振りして尻餅ついてるんだけどね。

 あはは、と苦笑いを浮かべながら体勢を立て直す織編先輩。

 それにしても相変わらず鳥肌が立つようなスイングだぜ。当たればホームランだな。

 二球目、相手の投げた球はストレート。それを彼女のバットが捉える。

 グラウンドに金属音が響く。なのに、ボールが見えない。

 俺も含め、グラウンドにいる誰もが打球を見失った。

 だが次の瞬間、そのボールが三塁手の顔面に直撃し、彼の鼻血とともに宙を舞っているのに気付く。

 そのままボールがレフト前に落ちる間に、方條はホームに生還する。

 マジかよ。こっちから見ても速い球だとは思ったけど、野手が正面に飛んでくるボールに反応できないんなんてどんだけ速い打球なんだよ。

「でたー! さっちゃんの殺人ライナー!」と春火が大騒ぎしている。

 一塁コーチボックスのチナも、ほんっとアンタが敵じゃなくて良かったわと苦笑いを浮かべながら一塁を踏む織編先輩を労う。

 その織編先輩は、大丈夫ですかー?と相手選手を心配してるようだが、ぶつけられたオッサンにも見栄があるのだろう。鼻血をボタボタたらしながらも、大丈夫大丈夫と強がって笑って見せる。

 これで四点目。

 オッサンの鼻血が止まるまで暫く試合が中断されたが、やがて再開される。ワンナウト一塁でなおもウチの攻撃は続く。

 春火が猿のヘルメットをかぶって、よっしゃあウチの出番だ! かっ飛ばすぞー!と気合を入れてネクストサークルから打席に向かう。

 入れ替わりにネクストサークルに座るのは黒猫のヘルメットをかぶった静佳だ。

 右打席に立つ春火は相変わらずのハイテンションで騒いでいる。

「ついにこのときが来たー! 三振製造機だの併殺(へいさつ)職人だの呼ばれ続けた汚名を今こそ晴らす時!」

 呼ばれてたのか。

 初球から春火は積極的に振っていく。

「喰らえー! はるちん打法ぉー!」

 おいコラ、それは低めのボール球だろ。

 そうやってあのアホが打ち損じた球はセカンドの正面に転がり、セカンドから二塁カバーに入ったショートに送球される。

 一塁ランナーの織編先輩は進む先の塁を潰されフォースアウト。そしてショートから一塁に送球され、春火も一塁に間に合わずアウトになる。併殺(ダブルプレー)でスリーアウトチェンジ。

 守備はいいんだがなコイツ。バッティングはいまいちアテにならない。

「よっ! よく頑張ったな。流石併殺(ゲッツー)職人。職人の技を見せてもらったぜ」

 うなだれて帰ってきた外ハネに俺は明るく笑って言ってやる。

「うう、うるさいわいこーちん! 人に文句つけるなら、自分で打ってみろ!」

「言われなくても。俺、次の打席でホームラン打つ予定だし」

「言ったな? その言葉忘れるな! 打てなかったときは笑ってやるからな」

 ああ、笑ってくれ。多分打てないから。それで自分の凡打(ミス)は忘れてくれ。

 ベンチに戻ると静佳が溜息を吐きながらヘルメットを脱いでいるところだった。

 俺は防具を準備しながら彼女に声をかける。

「おい静佳」

 はい?と静佳が顔を上げる。

 俺は彼女のグローブを差し出しながら優しく言う。

「練習通りに投げればいいからな」

 その言葉に初回の不調なピッチングを思い出したのだろう。彼女は、ハイ!と真剣な顔で頷く。

「防具つけるの手伝いましょうか」

「おう、頼むわ」

 静佳に脛当て(レガース)をつけてもらい準備完了だ。

 チビっこいエースと一緒にグラウンドに出て、それぞれの持ち場につく。

 二回表、商店街チームの攻撃。

 俺はグラウンドに向けて声を張り上げる。

「しまってくいくぞー!」

 八人の仲間から元気のいい返事が返ってくる。

 この回は相手の四番から始まる。

 先頭打者に思いっきり痛打された打球はレフト線のライン際に飛ぶ。

 ヤバイ! フェアグラウンドに落ちてファールゾーンに転がったりしたら長打になりかねないコースだ。

 だがそこにレフトの速薙が俊足を飛ばして回り込み、ワンバンしたボールを捕球する。

 バッターは一塁を回ったところで二塁を狙う素振りを見せたが、速薙が追いつくのが予想以上に早かったので一塁に戻る。

 守備範囲の広い外野においてコイツの足はやはり武器になるぜ。

 速薙から山なりの返球が内野に帰ってくる。やっぱコイツ肩弱い!

 しかし流石に四番ともなると他のバッターとは格が違うな。でも静佳の調子は徐々に上がりつつある。このままエンジンをかけていきたい。

 ランナーが出たことで静佳がセットポジションで構える。

『はい! こーへーさん質問です!』

 うむ、そこの幼女。発言と呼吸を許可する。

『セットポジションって何ですか? さっき振りかぶって投げることをワインドアップって言いましたよね? 今度は振りかぶらずに投げるってことですか?』

 その通り。振りかぶって投げるのは時間がかかるからね。ランナーが居る時は簡単に盗塁されちゃうんだ。

 だから振りかぶらずに横向きの姿勢から投げることをセットポジションって言うのさ。

 横向きだから右投手は三塁側を、左投手は一塁側を向きながら投げるんだよ。

『なるほど。ランナーが居る時はセットポジションで投げないと盗塁されてしまうんですね。でも居ないときならなるべくワインドアップで投げた方がいいということですか?』

 うん、その点はやっぱりスポーツだから自分の体に合った投げ方というか、人それぞれなところはあるね。

 一般的にはワインドアップのほうが速い球を投げられるけど、セットポジションの方がコントロールが安定しやすいと言われてるよ。ランナーが居なくてもセットポジションで投げるピッチャーも世の中には居るしね。

『なるほど、今回のこーへーさんの野球講義もとてもタメになりました。ありがとうございました』

 うむうむ、精進しろよ。我が弟子・野球サンタ。

 次のバッターは早くも送りバントの構えをする。

 四点差だ。バントさせていい。とっととアウト一つ貰おう。織編先輩、方條、バント処理頼むぜ。

 バントさせる為にあえて甘いコースのストライクゾーンに入れた初球。

 静佳が投げるとともに、静佳・方條・織編先輩がバント処理の為にバッターに向けてダッシュする。

 だが同時に一塁ランナーが走り出した! なんだと!と驚く暇もなくバッターはバットを引いてバントの構えをやめ、打ってくる。

 バスターか!

 バントを警戒して前進してきた内野手に、ヒッティングに切り換えて強い打球を返すのがどれだけ有効な作戦か、さっきのチナのプッシュバントを見てればわかるだろう。

 普通はバントの構えからヒッティングに移る分ボールを見極める時間が減るのだが、今回は甘い球を投げてしまったので簡単にミートされる。

 くそっ、まさかこのチームがこんな高度なプレーをしてくるなんて。

 ピッチャー・サード間に鋭いライナーが飛ぶ。

 だが方條がすぐさまグローブをはめた左手を出してその球に飛びつく。

 うわっ、静佳ですら殆ど反応できなかったあの球を捕るかよ。

 流石方條、チーム一の反射神経は伊達じゃない。

「うお!」「嘘だろ!」「あの距離であの打球に反応できるのか!」と相手ベンチもざわめく。

 ノーバウンドでのダイレクトキャッチに成功し、バッターはアウト。さらにこの場合、ランナーにも帰塁義務が生じる。

 方條はすぐに送球体勢になると、自慢の強肩で一塁へボールを投げる。

 一塁ランナーはバッターが打つ前にエンドランで走っている。戻るのには時間がかかる。戻るより前にボールを持って一塁を踏めばランナーもアウトにできる。

 一塁ベースカバーに入ったチナがベースを踏んだままボールを受け取るが、それとほぼ同時に一塁ランナーがヘッドスライディングでベースに手を伸ばす。

 一塁塁審は一瞬判断に悩んだが、両手を広げてセーフのジェスチャーをする。

 ちっ、惜っしいなー。

 俺は明るい声を内野に振りまく。

「惜っしい、惜っしい! でも方條ナイスキャッチ! よく捕ったなアレ!」

「さっすが蜜柑!」と高原。

「助かりました方條先輩」と静佳。

「すごかったねー蜜柑ちゃん」と織編先輩。

「いやー、バスターは予想外だったけど方條の守備力に助けられたわ」と俺が言い、方條はありがとうございますと上品な笑みを浮かべる。

「ナイスキャッチ蜜柑! さーワンナウトワンナウト! しまっていこー!」とチナも言いながら一塁を離れ、マウンドに向かう。

 タイムはかかってないものの一塁にはすぐに織編先輩が戻ったので問題ないだろう。

 チナはマウンドの前に来ていた静佳に寄っていって、彼女のグローブにボールを入れながら話しかける。

「静佳もナイスピッチ。調子上がってきたんじゃない?」

 その言葉に静佳は眉根を寄せる。

「そうですか? さっきからいい当たりばかりで自分では納得いってないんですが」

「いやー、今のは幸平のアホリードのせいよ。気にすんな気にすんな」

 おいコラ、いちいちムカつく狐だなこの三つ編みめ。

 見ろ、静佳のヤツ苦笑いで反応に困ってるぞ。静佳はお前と違って尊敬する相馬先輩の悪口なんて言えないのだ。

 チナがセカンドに戻り、次のバッターが打席に立つ。

 静佳はグローブに左手を入れ、パンと叩きながらマウンドに戻っていく。

 俺はその背中に声をかける。

「おい、ちょっと待て静佳。スパイクの紐ほどけてるぞ」

 え?と彼女は振り返り、自分の足元を見る。

「あ、ありがとうございます」

 そう言って彼女はしゃがんで、スパイクの紐を結び直す。

 しかしタイムがかかってるわけではないのだ。

 一塁ランナーがじわじわとリードを広げ、流石に一塁に戻るの苦しいだろうというくらいの距離に来て一気に走り出した。

 そこでランナーの前にチナが立ちはだかる。

「ほいタッチ」

 すれ違いざまにグラブでタッチして、そのグラブを広げて塁審にアピールする。

 中には間違いなくボールが入っていた。

「ア、アウト」

 驚きながら塁審がそう宣告する。

 ランナーは、ええ?と静佳の方を見る。

 彼女は自分のグローブを開き、中に何も入ってないことをアピールする。

 チナめ、やると思ったよ。

 相変わらず、化かすのが上手い狐だこと。

 さっきチナは静佳と話しているとき、グラウンドの誰から見てもわかるようにはっきりと白球を静佳のグラブに入れた。

 だが、誰からも気付かれないようにそのボールを再び自分のグラブに返すことなんてあいつには難しいことでもないだろう。静佳も静佳でポーカーフェイスは得意だしな。

 まあ俺も、咄嗟にチナの意図を汲み取って靴紐なんてほどけてないのにああいう演技をしてやったわけだが。

 チナはクククと邪悪に笑う。

「だから言ったっしょ? 男なんて簡単に騙せるって」

 コイツが敵じゃなくて良かったよ。まったく。

 ランナーが消えて、これでツーアウト。

「ふ、富士村さんガンバレー!」「ツーアウトからでも点は獲れるよ」「あのピッチャーの子の球なら簡単に打てるからねー。めげずに繋いでいこー」

 相手ベンチからの声援にも動揺が隠しきれてない感じがするな。

 そんなことを考えていると、マウンドの静佳が表情を歪めながらポツリと呟く。

「簡単に、打てる? 私の球が?」

 うお、あの顔はマジでキレかかってないか?

 静佳が俺に何かを求めるような視線を送る。俺は、バッテリーを組んでいる者としての勘とでも言うのだろうか? すぐに彼女の視線の意味を悟った。

 どうしたらこの人から掠りもさせず三振をとれますか? 静佳の目がそう言ってる。

 俺はミットを構える。

 静佳がそれを見て頷き、振りかぶって第一球を投げる。

 コースは殆ど俺が構えたとおり、外角低め(アウトロー)いっぱい。

 審判が声高にストライクをコールする。

 前の回は全然低めに決まらなかった静佳の球だが、ここにきてようやく本調子に戻ってくれたか。

 相手は全く反応できなかった様子だ。まあ初球だし、きわどいコースは見送るよな。

 二球目、インコース高めギリギリにまたも鋭いストレートが決まる!

 これでツーナッシング。

 静佳の球は確かに中学一年生としては速い。だがそれだけでは本来なら大人相手に通用する程じゃない。

 彼女の真の持ち味は、この威力のある直球をコーナーに投げ分けるコントロールを持っているということ。

 バッターの目から遠い位置のアウトローのあと、すぐに顔の近くのインハイへと対角線に揺さぶることで元から速い直球がさらに速く見える。

 よく野球漫画で言うようなボール一個分の出し入れができる、というほどではないがこれだけ投げ分けられれば十分リードのし甲斐がある。

 静佳の投じる第三球、鋭く伸びるストレートが相手のバッターに迫る。

 振ったバットは盛大に空を切り、三球三振。

 インコース高めのボール球を振らせてスリーアウトチェンジとなった。

 静佳は「フン、見たか」とでも言いたげな勝ち誇った笑みでマウンドを降りる。

「ナイスピーッチ静佳!」

 俺は彼女に駆け寄り、その頭をクシャクシャと撫でてやる。

 彼女は困り気味に照れ笑いを浮かべながら、

「も、もう。やめてくださいよ相馬先輩」

 と言いつつも俺の手から逃げるようなことはなかった。

 こいつの力を引き出すにはプライドを傷つけるような挑発が有効なのか。よし、覚えておこう。

 二回裏の攻撃はその静佳から始まる。

 彼女がバットとヘルメットを用意し右打席に立ったところで、俺も狸のヘルメットをかぶりネクストサークルに座る。

 一球目、二球目とカーブが低めに外れる。それを静佳は動じる様子もなく見送る。

 ノーツーからの三球目、ファーストストライクを彼女のバットが捉えた!

 快音が響き、打球はサードの頭を越えてレフト方向ファールゾーンのフェンスにぶち当たる。

 うは、すげー打球。

 静佳はバッティングもかなりの腕だ。

 負けず嫌いの彼女は、ピッチングだけでなくあらゆる分野で誰にも負けたくないのだろう。

 俺は試合前のちょっとした事件を思い出す。



「えー、常に野球をしていないと死んでしまう病に冒された野球中毒の少女達よ。今からスターティングオーダーを発表するぞ」

 試合前、チームメンバーを集めて俺がオーダー発表を行っていた時のことだ。

「一番レフト速薙翼」

「わーい、一番なのです!」と速薙がはしゃぐ。

「二番セカンド天草千夏」

「オッケー」とチナが答える。

「三番ショート高原柚希」

「やったー三番だー!」と高原が喜ぶ。

「四番ライト水無月麻白」

「頑張ります」と水無月が表情を引き締める。

 その頃から俺は突き刺さるような視線を感じていた。いや、その視線の主もわかっていた。

「五番、サード方條蜜柑」

「ありがとうございます。是非ともご期待に副えられる働きをしたいと思います」

 方條がにっこりと笑う。

 俺を突き刺す視線がさらに強くなったように感じた。被害妄想かもしれないけど。

 俺はその方向を見ないようにしながら発表を続ける。

「六番ファースト織編咲夜先輩」

「六番か、まあみんなも上手いもんね。仕方ないか」

 織編先輩が寂しげに苦笑する。

 視線がさらに強くなった気がする。だからこそ俺はそっちを向けない。

「七番、」俺は少し戸惑う、だが自分の意志を貫く。「七番センター近江春火!」

 そして日本人形のように綺麗な少女に視線と言葉を向ける。

「なにか文句あるか?」

 俺と目が合うと、静佳は表情を変えずに答える。

「あるなんて言ってないじゃないですか」

「言葉には出してないけど目がそう言ってるんだよ」

 ふうっ、と静佳はつまらなさそうに溜息を吐く。

 俺は宥める様に言う。

「なあ静佳、ピッチャーは守備の重要ポジションなんだ。野球ってのはピッチャーが何失点に抑えるかで試合が決まるんだ。

 お前の仕事は七イニング投げること。その為に打撃ではあんまり体力を使わないように九番に置く、という話を以前もしたよな?」

 その話をした時の静佳も納得している様子ではなかった。

 現に今も、「私はそんなヤワじゃありません」とキッパリと言い切る。

 多分コイツは典型的なスポーツ万能のガキ大将で『エースで四番』タイプだったのだろう。

 だからピッチングとバッティングを両立できないという前提でものを言われていること自体、プライドが傷つく。

 だが、俺だってここは譲れない。静佳は小柄な中学一年生、体力的に七イニングは楽じゃないだろう。

 静佳がバッティングで手を抜く気がなくても、下位打線に置けば自然と負担は減る。

 でもここで彼女の中に不満を溜めたままプレイボールにもしたくない。少しだけ妥協したところを見せておくか。

「仕方ねーな。八番ピッチャー深山静佳。俺が打つよりはずっといいだろ」

 静佳が僅かに眉を開く。だがすぐに表情を引き締める。その顔が、私が八番くらいで満足するとでも?と言っている。

 俺は口の端を釣り上げて挑戦的な笑みを作って言う。

「投げる方しっかりやれば俺も文句は言わねえよ」



 俺の懸念通りだったな。

 現在静佳の打席。

 ツーツーからファールを打ち続けて、これで七球目。こいつバッティング手を抜く気なんて微塵もねーよ。

 球数を投げさせられて相手の投手にも焦りが見える。

 だが静佳は相手を疲れさせる為にファールで粘っているんじゃない。あくまで打ちにいって結果的にファールになっているだけだ。

 確かにこいつバッティングいいんだよな。ピッチャーでさえなければクリーンナップを打たせたいぐらいだ。

 前の回、ワンナウト一塁で迎えた春火の打席。春火に送りバントをさせて二死二塁で静佳にまわすという選択肢もあった。

 二塁以降は得点圏と呼ばれて、シングルヒット一本でランナーが生還できる範囲である。

 一二三塁と違って外野から本塁は遠いのでバッターが外野へヒットを打って一塁で止まる程度の当たりでも二塁ランナーはホームへ還れるのだ。

 つまり静佳がヒットを打てば追加点が入るという状況にもできたのだ。

 だが、できれば静佳にそんな重要な場面を任せたくない。打てればいいが、打てなければコイツの性格からして悔しがってピッチングに何かしらの悪影響が出かねない。特に前の回は投球も不調だったしな。

 試合終盤で一点を争うような場面だったらそんなことも言ってられないが、序盤で四点リードしているあの状況ではリスクを背負ってまで次の一点を獲りに行く必要はないだろう。

 もし春火が打てなければ二死一塁。ランナーとホームの距離は未だ遠い為、静佳が打てなくてもそれほど悔しがることはないだろう。

 春火が出塁したなら一死一二塁となり、静佳が打てなくても二死一二塁で俺にまわる。どちらにせよ静佳一人に重い責任を背負わせることはない。

 まあ実際は春火が併殺打(へいさつだ)打って終わったんだけどね。

 話を静佳の打席に戻そう。

 敵ピッチャーのオッサンは完全に静佳の威圧感に呑まれている様に見える。

 これだけファールを連発されて静佳の実力を悟ったのと、それ以上に彼女の瞳に宿る真剣さに気圧されているのだろう。

 中学生の女の子だからって甘く見ていたんだろうが、真剣勝負に臨む人間に年齢も性別も関係ない。静佳はアンタみたいに点を獲られてもヘラヘラ笑ってられるような選手じゃないんだよ。

 相手投手の投げる第八球、地面にワンバンするクソボールをキャッチャーが体で止める。これでツースリー、フルカウント。

 長かったこの打席だが流石にもう終わるだろう、静佳が打ってもいいし四球でもいい。どっちにしろ彼女の勝ちだ。

 カウントでは互角だが、実力的にも精神的にも圧倒的に静佳が(まさ)っている。

 俺はネクストサークルで立ち上がる。素振りでもしておくか、そう思っていたところで――――相手投手の投げた球が静佳の左肘に直撃した。

「し、静佳!」

 彼女が地面に倒れる瞬間、俺は反射的に彼女に駆け寄っていた。

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