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第四話 キミに相応しい場所へ (後編)

「そういやさ、静佳のフォーシームは誰に教わったんだ?」

 投げ込みを終えて、野手組の練習が終わるまでベンチに座って待っている俺は、隣で麦茶を飲む静佳にそう訊いてみる。

 このあとバッティングピッチャーをやる分の球数を残しておかないといけない。

「フォーシーム?」

 静佳が不思議そうな顔で首を傾げる。

「そ、ボールにバックスピンかけて投げてるだろ」

「ああ、あれフォーシームって言うんですか」

 知らなかったらしい。

 名前すら知らなかったとすると本で読んだとかそういうのでもないんだろう。我流でフォーシームに辿り着いたとは思えないし、やはり誰か大人の人に投球指導を受けたことがあるのだろうか?

 静佳は遠い目をして、語る。

「ずっと前に、従兄弟のお兄さんに教わったんです」

 従兄弟のお兄さんか、その人とチームを組んでもよかったのでは?と思ったが、続く言葉にそれは否定された。

「と言ってももう何年も会ってないので、その人の顔もよく覚えてないんですが」

 そう言って苦笑する。

「あはは、そりゃひでぇ」と俺も相槌を打つ。

 恩師の顔を忘れるとはこいつもなかなかの恩知らずだな。まあ小さい頃のことみたいだから仕方ないか。

 気付くと、春火達が練習を終えてこっちへ戻って来るところだった。

「おい春火、アレはなんだ?」

 俺はついさっきからずっと気になっていたグランドの端にある仕掛けを指差しながら訊いてみる。

「おや? こーちん、あれが何かわからないの?」

 春火は不思議そうな顔をする。いや、わかるんだが。わかりたくないというか。いつの間にかあったんだよなアレ。あんなアホなもの作るの春火ぐらいだと思うが。

 春火は得意気に腕を組んで語る。

「あれこそ我がチーム・スプリング・ファイアズの残りのメンバーを確保する秘密兵器。こーちん、我がチームに入るのにどんな条件が必要かわかる?」

 眼鏡をかけてることか?

「違う!」

 違うのかよ!

 俺はツッコミ役としての役割をこなす。

『いえ、こーへーさんのそれはボケだと思います』

 呆れ顔のサンタクロースにツッコまれてしまった。

 春火は組んでいた腕を解き、人差し指を一本立てて、言い聞かせるように説明を始める。

「いい? 私が求めているのは運動神経がいいとか野球が上手いとかじゃないの。技術や体力なんてのはあとあとの練習でも身につく。でも毎日の厳しい練習に耐えるには野球が好きだという熱い思いが必要なの。好きこそものの上手なれ! 野球を愛する心が名プレイヤーを作り上げるの! だからウチは野球が心から好きだという情熱を持った人材を求めている!」

 それを求めた結果があの仕掛けなワケか。

 俺は改めてグラウンドの端にあるソレに視線を向ける。

 斜めに立てられた笊につっかえ棒がしてあって、その棒に紐が巻きつけられている。

 笊の下に餌を撒いておけば、それを小鳥が食べに来て、そのときに紐を引っ張るとつっかえ棒が外れ、笊が倒れて小鳥を捕獲するような仕掛けに見える。

 ただし春火の作った仕掛けに置かれているのは小鳥の餌ではなく、野球のグラブとボールだが。

 うん、少なくとも野球ができるだけの知能を持った生き物はあんな罠にひっからないと思うんだ。

「てやんでい!」

 そう思って呆れていると春火が奇声をあげて紐を引っ張っていた。

「はわ! 捕まってしまいました!」

 そして、しゃがんでグラブに手を伸ばそうとしたポニーテールの少女が、笊に手を挟まれていた。

 春火は猛然とその少女に駆け寄っていって後ろから抱きかかえる。

「翼ちゃんゲーット! もう放さない! この子はウチだけの抱き枕だい!」

 チームメイトにするんじゃなかったっけ?

「は、放してください春火さん。翼は権力になんか屈しないのです。卑劣な罠になど負けないのです。正義は必ず勝つのですー」

 その少女は紛れもない、ついさっき学校で会ったポニテっ子。白地の半袖Tシャツに青いショートパンツと私服姿の速薙翼だった。会話から察するに春火と知り合いだったのか。

「いやー、翼ちゃんのほうからウチに来てくれるとは感激だね。まさに飛んで火に入る夏の虫!」

 チームメイトを虫扱いとかやめろよ。

 あと火がスプリング・ファイアズを指してるとかうまい事言わなくていいから。

「違うのです! 私はこの前、ここに忘れてきたグローブを取りに来ただけなのです!」

 ああ、あのグローブってこいつの忘れ物だったのか。どおりで見覚えのない左利き用グローブだと思った。静佳のものでもないみたいだし。

「あの子って知り合いなの?」

 俺は隣に座るチナに訊いてみる。

「ん?」

 でもチナはなんかモグモグやっていて喋れないご様子だった。

「あっ、幸平も林檎食べる?」

 それを飲み込むと、チナは綺麗に切り分けられてタッパーに入った林檎を差し出してくる。

 生憎林檎は皮が全部剥かれていて兎さんにはなっていなかったが。

『私は兎さんよりトナカイさんがいいです。リンゴの皮がトナカイさんの角みたいに剥かれていたら凄い嬉しいです』

 えっ、ああ、そうだね。

『こーへーさん、やってくれるんですか?』

 サンタクロースが期待に満ちた目でこっちを見ていた。俺の曖昧な返事を変な風に解釈されてしまったらしい。

 いや、そんなこと一言も、

『やったー! 楽しみです。トナカイさんのリンゴー』

 ああ、うん。そうだね。頑張るよ。

 なんか、彼女の喜ぶ顔を見ていたら断われなかった。

 林檎の皮をトナカイの角みたいにかぁ。ハードルたけぇな。

 話を戻そう。

「おいチナ、その林檎はどこから出てきたんだ?」

 俺は訊く。今日のチナの荷物にそんなものが入っていた気配はなかった。

 しかしその問いに答えたのは、全く別の声だった。

「私が持ってきたの。相馬くんもよかったら食べてみて」

 声の方に視線を向けるとそこにいたのは織編先輩と、遥介だった。

 赤とオレンジ系のチェック柄の長袖オープンシャツを着た織編先輩は落ち着いた雰囲気を纏っており、遥介の服装は、あー、もういいわ、男のファッションチェックなんてテキトーでいいよね。ふつーにどこにでもあるような紺のTシャツですよ。リアル画風の象がプリントされてる。下も織編先輩と同じようなジーンズだし。

「おっす、幸平」

 遥介が片手を挙げて挨拶する。

「おう、どうしたんだ。お揃いで」

 俺は彼らがこの場にいる理由が掴めずに困惑する。

「まあまあ、折角咲夜さんが差し入れを持ってきたんだ。食えよ」

 遥介はそう言って先程の林檎が入ったタッパーを示す。すでに静佳達もそれを食べ始めていた。

 じゃあお言葉に甘えて。

 俺は与えられた爪楊枝でタッパーの中の林檎を刺そうとして、その手をチナに(はた)かれた。

 何すんだよ、と彼女を睨み返す。

「モグモグ。幸平、タダより高いものは無い、って言葉知ってる? モグモグ」

 食いながら喋るな。行儀悪いぞ。

 その言葉なら聞いたことがあるぞ。旨い話には裏があるってことだろ?

 俺も小さい頃よく親から、知らない人から眼鏡を貰っちゃいけません、って教えられたもんだ。

「そう、よくわかってるじゃない。モグモグ。つまり、この林檎は賄賂なのよ。モグモグ。これを食べたら、あとあと頼みごとをされたときに、モグモグ。断わり辛くなるの。モグモグ。よく気をつけなさい。モグモグ」

 いや、現在進行形でモグモグしてるお前に言われても微塵も説得力がないんだが。

「まあアタシは咲夜と親友だからね。モグモグ。賄賂の一つ二つ踏み倒しても、モグモグ。壊れるような関係じゃないってわけ」

 親友の基準おかしくね?

 千夏ー、相変わらず傍若無人だよねー、と織編先輩が苦笑いする。

 だが一部、状況は理解した。

 どうやら織編先輩と速薙は遥介や春火達と知り合いらしい。どおりで俺のことを知ってたわけだ。

「おーい、お前らも遊んでないで林檎でも食えー」

 俺は速薙と、それを羽交い絞めにしている春火に声をかける。

「遊んでなんかいません! この状態でどうやって食べろと言うんですか!」

 速薙が体の自由を奪われたままの状態で抗議する。

 春火がそれを抱きかかえながらこっちに来るので、俺は爪楊枝に刺した林檎を速薙の口元へ持っていってやる。

「じゃあホラ、食べさせてあげるよ。あーんってしてみ?」

「ちょっと、そういう方向の気の利かせ方を求めてるんじゃなくてですね。まずは春火さんの方をどうにかしてくださいよ」

 速薙が小さい身体をジタバタさせて健気な抵抗を試みるが、リーチの差は大きく、春火に抱えられたまま地面に足をつけることすらままならない。

 ここは俺がカッコよくお姫様を助ける場面だ。

 俺は春火に向けて指を指して宣言する。

「おい春火、速薙を放せ! さもないと後悔することになるぞ」

 春火は、ほう、と感心したように息を漏らす。

「こーちん、まさかウチを脅迫するつもり?」

 ああ、その通りだ。俺は言葉を返す。

「春火、速薙を解放しないなら地球が滅ぶことになるぞ。それでもいいのか?」

「脅迫の規模が大き過ぎなのです!」

 速薙がすかさずツッコム。

 俺は説明する。

「速薙が春火に抱きしめられると物理法則とか色々なものが乱れて、地球が太陽にゴッツンコしてアイタタタってなっちゃうんだ」

「可愛く言っても駄目です! 言ってる内容は破滅的です! 私は地球滅亡の原因になんかなりたくないのです」

 そう主張する彼女に、俺は瞼を閉じ、重く言葉を吐き出す。

「残念だが速薙。これはお前が生まれたときから決まっている運命なんだよ。お前の肩に地球の命運がかかっているんだ。それが選ばれし者の宿命なんだ」

「何に選ばれたんですか私は! 抱きしめられただけで地球が滅ぶ運命なんてヒロインでもヒーローでもなくただの疫病神じゃないですか!」

 まあ細かい設定は気にするな。

 そんなこんなで、俺は春火に向けてはっきり結論を突きつける。

「さあ春火! 地球を犠牲にして速薙を抱きしめることを選ぶか、地球を救うために速薙を手放すかどっちにするんだ?」

 俺の言葉に春火は表情を歪ませる。

「くっ、悩むね。これは究極の二択だ」

「悩まないでください! 普通に地球の平和をとりましょうよ」

 そんな速薙の言葉も意に介さず春火は、キッパリと告げる。

「だがウチはたとえ世界を敵に回しても翼ちゃんの抱き心地をずっと味わっている方を選ぶ!」

「なんでそっちを選ぶんですか! 私の抱き心地はそんなに人の心を狂わせるんですか?」

 くっ、なんという鋼鉄の意志! 春火の速薙を抱きしめることに懸ける想いは生半可なものじゃないと思い知らされた。

「甚だ不本意です!」と速薙は叫ぶ。

 だが、俺も諦めるわけにはいかない! なんとしても速薙を救い出す!

 俺は同情するような視線を春火に向ける。

「それでいいのか春火?」

 春火の顔に僅かに動揺の色が浮かぶ。その隙を見逃さず俺は説得を試みる。

「お前は自分の幸せの為だけに地球を見捨てるのか? そこにはお前の大事な人達も暮らしているんだろう? その人達を見殺しにして本当にいいのか?

 例えばお前の可愛い妹である雪音。あいつが地球と太陽が近づきすぎて焼け死ぬところを想像してみろ。死に際に『いやあ、今日も暑いねー。蝉がミンミン鳴いてるし、夏真っ盛りだねー』という言葉を残して無惨にも命を散らしていく彼女の姿を思い浮かべてみろ! お前はそれに耐えられるのか?」

「割と余裕のある断末魔ですね!」と速薙が口を挟む。

 俺の言葉に春火が自分の行いを悔やむように表情を歪める。

「そ、そうだ。こーちんの言うとおりだ。ウチはゆっきーを見殺しになんてできない。ゆっきーが最期の一瞬まで苦しみながら『暑いー、クーラーつけてー。アイスも食べたいー。お姉ちゃん、どっちがアイス買いに行くかジャンケンで決めよ。妹想いのお姉ちゃんはグーしか出しちゃいけないことにしよう』という言葉を残して息絶えるなんて想像するのも嫌だ!」

「だからその断末魔、全然苦しんでませんよね!」

 春火は悔恨に顔を歪ませながら速薙の拘束をゆっくり解く。

「くっ、許してくれゆっきー。ほんの一瞬でも世界を滅ぼそうとした悪いお姉ちゃんを」

「ほんの一瞬でも割と許せない思想です!」

 解放された速薙は警戒心を剥き出しにして春火に向き直る。

「よかったな速薙。これで林檎が食べれるな」

 俺がそう声をかけると。むっ、そうですね、と表情を緩ませて速薙がベンチに腰を下ろす。

 俺は爪楊枝に刺した林檎を改めて彼女に向ける。

「じゃあホラ、口開けろ。あーんてしてみ?」

「もうそんなことしなくても自分で食べられますよ!」

 うっ、傷ついた。速薙の叫びに俺の心は深く傷ついたぞ。

『こーへーさん嘘っぽいです』

 俺はちょっと声のトーンを落として、寂しげに視線を落とす。

「そっか、速薙は俺に林檎食べさせてもらうのそんなに嫌なのか。そこまで嫌われてるなら仕方ないな。ごめんな、もうしないからさ」

 俺は俯く。

「俺、ちょっと調子に乗りすぎてたな。ホントごめん」

 そう言って彼女から顔を背ける。

 えっ、ちょっと、という戸惑った速薙の声が聞こえる。

 そして数秒の逡巡の気配のあと、わかりました食べますよ、という声が届く。

 くく、計画通りだ。やはりこいつは見た目通りのお人好しよ。

 俺は振り返って安堵の笑みを浮かべながら、じゃあ、と控えめに爪楊枝を差し出す。

 速薙は恥ずかしさ半分、仕方なさ半分といった様子で口を小さく開ける。

 その口に林檎を入れ、彼女が口を閉じたら爪楊枝を引き抜く。

 しばらくの間シャリシャリと咀嚼する。

「旨いか?」俺は訊く。

 その問いに彼女はクスリと笑みを浮かべて、こくんと林檎を飲み込む。

 そして穏やかな笑みとともに言葉を返す。

「おいしいですよー。これで満足ですか。まったく先輩は甘えんぼさんですねー」

 うっ、可愛い。こいつ凄く可愛いぞ! もっと甘えさせてくれ。

「速薙、速薙! 今度は俺に食べさせてくれよ」

 そう言って俺は自分の口を指差す。

 視界の隅で遥介が口元を緩ませながらヤレヤレという顔をしていて、織編先輩が微笑ましいものを見守るような笑みを浮かべているのが見えたが気にしない。

 もー、と笑いながら速薙が爪楊枝に林檎を刺してこっちに差し出してくれるので俺はそれに食いつく。

 爪楊枝が引き抜かれ、モグモグして飲み込んだあと、俺は言った。

「うめえわ。速薙の味がする」

「そんな味しませんー。林檎の味しかしないはずですー」

 彼女が照れ笑いを浮かべながら軽く俺を小突いてくる。

「いやあ、速薙の愛情が一杯詰まってるから特別美味しいんだって。もう一口くれ」

 俺がそう頼むと、仕方ないですねー、お口開けてくださーい、と言って速薙が林檎を差し出してくる。

 それが俺の口に入る寸前で方向転換し、速薙の口に向かっていき、はむっと彼女がそれを食べる。

「あー、ずりい速薙! 俺に食べさせてくれるんじゃなかったのかよ」

 苦笑とともに文句を言う俺。

「これも教育ですよー。先輩も翼離れしなきゃ駄目なのです」

「やだー、離れたくないー。その林檎は俺のもんだ。口移しでちょうだーい」

 駄々をこねるように言って、俺は速薙の両肩を掴む。

 きゃー、セクハラなのですセンパーイ!と彼女が笑いながら逃げようとする。

 不意に冷たい視線を感じて顔を上げると、春火が「このバカップル、マジウゼー」みたいな目でこっちを見つめていた。

 うっ、いや、違うんだ春火。これには深い訳があってだな。

「ふん、相変わらずのナンパ君だねこーちんは。まあ、いいや。その調子で翼ちゃんをウチのチームに勧誘してよ」

 春火のその言葉に、速薙は強い決意を感じさせる表情を向けて反論する。

「何度言われても私の返事は変わりません。翼は子供会チームを引っ張る主力選手なのです。みんなを裏切るようなことは絶対にしないのです」

 俺はそこに口を挟む。

「そうだぜ春火。速薙にも速薙なりの事情があるんだ。無理に誘っても駄目だろ」

 先輩、と速薙が意外そうな顔をしてこちらを見る。てっきり俺が春火の味方をするものと思ったのだろう。

 ああ、実を言うと俺は春火の味方だぜ。この言動も全ては速薙をこのチームに引き入れるための作戦なのさ。

 さっきの林檎食べさせあいっこも大事な作戦の一環だったんだ。なっ、わかるだろ春火?

『いえ、そっちは絶対にこーへーさんが楽しむ為だったと思います』

 うん、サンタクロース。日本人にはな、あえて言葉にしないほうが美徳という時があるんだ。

 俺は速薙の肩にポンと手を置き、寂しげな声音を意識して告げる。

「まっ、本音を言えば俺も速薙と一緒のチームでやれたら楽しいだろうなと思ってたんだけど。あんまし我儘言うわけにもいかねえよな」

「あっ」

 彼女が何か言おうと口を開くが、それは何の言葉にもならなかった。

 速薙は眉を八の字にして、凄く申し訳なさそうな顔をしていた。くく、計画通り。

 春火が俺の隣に座って、俺が速薙の肩を持ったことにグチグチ文句を言っていると、遥介が俺達に向けて口を開く。

「じゃあそろそろ本題に入っていいか?」

 むっ、本題だと? さっきチナがこの林檎は賄賂だと言っていたのを思い出す。つまり今からなにか俺たちに頼み事があるということなのだろうか。

「まさか」俺はその頼み事の内容に思い当たり、遥介の顔を見つめながらそれを口に出す。「愛の告白か?」

 その言葉に、彼はふっと笑った。

「ばーか、そんなことこんな他のヤツラが沢山いるとこでするかよ」

「いえ、そのツッコミはおかしくないですか! 二人っきりなら(よう)ちゃんは相馬先輩に告白するんですか!」

 速薙がいつもどおりいいリアクションをする。

 俺はあえて速薙を無視し、遥介の顔を見つめたまま告げる。

「遥介、このあとウチ来ないか? 親は夜まで帰ってこないから俺達だけだぜ」

「幸平」遥介が若干の驚きと戸惑いを含んだ顔をする。

「は、はわわ! お、お二人がそんな関係だったなんて。翼はどうしたらいいんでしょう? やはりここは祝福してあげるべきでしょうか? それともまともな道へ戻してあげるべきでしょうか? お、お姉ちゃん、翼はどうしたら!」

 速薙が顔を赤くしながら織編先輩に助けを求め、先輩がその頭を撫でてるところで、「お前らキモイんじゃ!」という言葉とともに春火が俺と遥介の頭を(はた)く。

「相変わらずだな近江さんは」遥介は苦笑する。

「嫉妬してんだよ。春火は俺のことが好きだからな」と俺は言う。

「ウゼーんだよナルシス眼鏡。消えろカス」と春火が俺に嫌悪の表情を向ける。

「なんかボロクソに否定されてるぞ」遥介の呆れた視線がこっちへ向く。

「あれはアイツの本心じゃないさ。好きな人には素直になれないってやつだよ」俺は余裕の表情を見せながら答える。

 春火の罵詈雑言は親しい間柄だからこそ言えるちょっとキツめの冗談であって、本心ではないのさ。

 それがわかってる俺は彼女の罵倒されても傷ついたりしない。傷ついたりしてないぞ? ホ、ホントだからな。ホントに全然気にしてなんかいないんだからな!

『こ、こーへーさん。元気出してください』

 な、何故お前に励まされなきゃならん! 俺は元から落ち込んでなんかいないぞ!

『大丈夫です。こーへーさんには私がいます』

 だから優しくするなよ!

 幼女から顔を逸らすと、チナがなんか「やれやれ、仕方ないヤツラだな」みたいな達観した顔をしていた。だからなんなんだお前のその反応は。

「こーちんのクソ妄想はどうでもいいから! それで本題ってのはなんなのさ」

 春火が訊くと、遥介が、そうだな、と言ってゆっくりと口を開く。

「このグラウンドを」

「断わる」

 春火が一喝した。いや、最後まで言わせてやれよ。

 春火は腕を組んで頑固そうな顔で告げる。

「言わなくても大体わかるよ。人は生きる為にどれだけ他人を犠牲にすることが許されるかって話でしょ? 例えば臓器移植。臓器提供を待つ患者の数に対して臓器のドナーが圧倒的に足りないのが医療界の現状。誰が臓器提供を受けるかというのは、そのまま生きる権利の奪い合いを意味する!」

 そんな重いテーマの話だったっけ? グラウンドがどうとかって話じゃなかったっけ?

「まあそんなところだ」と遥介が首肯する。

 おい、ツッコメよ、とでも言いたげに春火が不満そうな顔をする。

「お前ら、一ヵ月後の草野球大会に出るんだろ?」

 遥介はそう切り出す。

「おう」と俺は答える。

「まあ最終目標は世界征服だけどね」と春火が付け加える。

「それでな、ウチの地区でも子供会でその大会に出ることになったんだ」

 遥介は春火をスルーして言葉を続ける。

 虚しそうな顔してる春火が不憫だ。

「相変わらず委員長は右方向によく打球が飛ぶこと」

 皮肉めかして春火はそう吐き出す。

 委員長というのは、春火が遥介を呼ぶときの呼称だ。実際クラス委員長だしな。

 遥介を始め、みんなが不思議そうな顔をしているので俺は説明してやる。

「流すのが上手いって春火は言いたいんだよ。遥介はよく春火のボケを流すだろ?」

 俺の説明を聞いてチナが、ぶはっと吹き出す。

「ちょっ、なにこの夫婦。チョー以心伝心じゃん」

 そして爆笑しながらベンチをバシバシ叩く。

「だって俺が説明しないと誰も意味わかんないだろ」

「そりゃあねー、ぜってー今の幸平じゃなきゃわかんないって! はー、おっかしい! ヤバ、息苦しい」

 ヤバイわ春火、幸平。ウチを笑い殺す気? 今まで育ててあげた恩も忘れて、とか(のたま)いながらチナが腹を抱えて一人で修羅場を迎えていた。こいつはほっとこう。

 遥介の話をまとめるとこうだ。遥介と速薙と織編先輩は子供会チームの中でも年長者として、チームをまとめる役割らしい。速薙がさっきから春火の勧誘を頑なに断わり続けるのもこれが理由だ。

「それでな、子供会チームの練習の為にこのグラウンドを使わせて欲しいんだ」

 それが遥介達がここに来た目的らしい。

 一応言っておくがこのグラウンドは俺達の所有物じゃない。公共のものだ。

 基本は早い者勝ちが暗黙の了解だろうが、お互い少なくない人数を連れて練習に来る以上、他のチームが先に使ってた、仕方ない帰ろう、では駄目だろう。事前にどっちのチームがいつグラウンドを使うか取り決めておくべきだ。

「お前らがほぼ毎日ここで練習してるのは知ってるよ。ウチは週に一、二回、一度の練習は半日ほどでいいからさ」

 遥介はそう提案する。

「本当はもっと練習したいんですけどね」と速薙が零す。

 織編先輩がそれを優しく諭す。

「気持ちはわかるけど翼ちゃん、子供会の子は誰もが翼ちゃんみたいに野球好きってワケじゃないからね。あんまり練習が厳しいと野球が嫌いになっちゃうかもしれないから」

 そこに方條が控えめに挙手する。

「あの、合同で練習するっていうのは駄目でしょうか?」

 うーむ、なかなか平和主義な意見だ。

 織編先輩は困った笑みを浮かべて腕を組む。

「私はそれでもいいけど。千夏や春火ちゃんが納得しなさそうなんだよね」

 先輩はそう言って二人に視線を向ける。

「駄目に決まってるだろ!」と春火は吼える。

「大会で当たるかもしれない相手だからね。意識しちゃうし、思いっきり練習できないと思う」チナも芳しくない表情でそう結論する。

 そうですか、と方條は肩を落とす。

「でも、まあ週に一、二回くらいなら」

 チナが言いかけて、同意を求めるように春火に視線を向ける。

 だが春火はそんなこと全く意に介さず大胆なことを言い出した。

「じゃあ勝負で決めよう!」

 ほう、と遥介が春火を見る。

 その視線を受けて彼女は言葉を続ける。

「それぞれチームの代表者を出して一打席勝負! 勝負さえ受けてくれればどっちが勝っても週一回のグラウンド使用権を譲ろう。そっちが勝ったら週二回でもいい!」

 春火にしては気の利いた条件だ。それだけにこっちが勝ったときに求める報酬が気になる。

 春火は言葉を続ける。

「ウチらが勝った場合は翼ちゃんとさっちゃんをウチのチームに貰う!」

 速薙と織編先輩を指差しながらそう宣言する。さっちゃんって織編先輩のことなのか。

 翼がむっとした表情になる。織編先輩からも笑顔が消える。

「おい、春火。そりゃいくらなんでも」

 俺は流石に幼馴染の無茶な提案を止めようとする。

 織編先輩と速薙を賭けた勝負。勝負を受けなければグラウンドを一切使わせないということだ。別にこのグラウンドは春火のものでもないのに横暴な話である。

 だが春火は俺を睨み返す。

「こーちん、七人だよ七人。まだあと二人足りないんだよこのチームは」

「でもホラ、俺の友達とかにも大会に出てくれる奴はいるし」

「大会に出るだけならね。ウチがこのチームにどんな人材を求めてるかさっき話したよね?」

 ぐっ、確かにそうだ。

 春火は言った。

 技術や体力なんてのはあとあとの練習でも身につく。でも毎日の厳しい練習に耐えるには野球が好きだという熱い思いが必要だと。

 そしてそんな野球が心から好きだという情熱を持った人材を求めていると。

 俺の友人などにも人数合せに大会に出るだけなら了承してくれる奴はいる。

 でも普段の練習に参加してくれる奴は一人もいなかった。

 そんなにスポーツが好きな奴はどこかの部活に入ってるもんだしな。

 自慢じゃないがウチのチームはいつも暗くなるまで練習している。部活やってる奴らにも負けないほどの練習量だ。

 ウチの学校の野球部には女子は入れないから、春火達のような野球好きの女子はこうして草野球で腕を磨くしかないのだ。

 このチームが女子ばっかりなのも偶然じゃない。自然な流れなんだ。

 そして恐らく高原も方條も速薙も織編先輩も、春火がチームに入れたいと思うほどの野球好きなのだろう。

 彼女らを集めてこそ、春火の思い描くドリームチームが完成する。

 叶えてやりたい、と思う。

 元々俺が野球をやる理由は春火の夢を叶える為なのだから。

 その為にはやはりこの二人をなんとかして口説き落とさないといけないな。

 どうしたものかと俺が考えてると、不意にその悩みを一発で解消する言葉が聞こえた。

「いいぜ、その勝負受ける」

 遥介の口から。

 春火がニヤリと、引き攣った笑みを浮かべる。

 勝負を受けてくれたことへの嬉しさと、自分が負けることなんて微塵も心配していない遥介の態度への焦りが混ざった複雑な表情だった。

「よ、遥ちゃん。いいんですか? そんな軽々しく」

 速薙と織編先輩も驚いた顔を遥介に向ける。

「翼」

 遥介は視線だけ動かして、横目に速薙を見つめながら名前を呼ぶ。

「俺が負けると思ってるのか?」

 その言葉に、速薙は何も言えなくなる。その表情は驚いてはいたが、決して不安を感じているものではなかった。

「うん、遥介君がそう決めたなら私はなにも言わない」

 織編先輩もそう言って納得する。

 よし、と言って遥介はベンチから立ち上がる。

「投げるのは俺でいいだろ?」

 うっ、なんだこの余裕の態度は。俺は直感する。遥介は相当腕の立つ投手なのだと。

 小学生の頃に怪我で野球を離れ、中学に入ってからこいつらがプレイしているところを殆ど見ていない俺は、遥介の腕がどれほどのものかはわからない。

 だがこれだけ自信があるようだと簡単に相手の土俵に乗らない方がいいんじゃ、

「いいよ。委員長の揺れ球なんてかっ飛ばしちゃる」

 はい、ウチの外ハネは一秒で相手の土俵に乗りましたー。

 だが、よく考えろ。春火は俺と違って遥介の手の内をよく知っているハズ。それに、

「では先生、お願いします」

 そう言って春火は水無月の背後に回りこんで、ズズイとその背中を押す。

 ウチにはコイツがいるじゃないか。

 早速肩を作るために遥介と織編先輩と速薙は三人でキャッチボールをする。

 やがて織編先輩がしゃがんで、左手に嵌めたミットで遥介の球を受け、本格的に投球練習が始まる。

 それを観察しながら素振りする水無月。

 その様子をベンチで静観する静佳は平然としている。

 仮にも私のライバルなんだから無様なバッティングは見せないでよ、みたいな心境だろうか? 俺の憶測だけど。

「おし、こっちの準備はオッケーだ。始めようか」

 そう言ってマウンドで右肩を回す遥介。

「よーし、いつでもかかって来い!」と言って左打席に立つ高原を俺は即行で取り押さえた。

 おいコラ、協調性って言葉知ってるか?

「我が辞書に協調性の三文字はない!」

 なにその自己中なナポレオン。

「ゆーずーきー♪ ちょっとこっちへいらっしゃい」

 方條がにっこりと一部の隙もない笑顔を見せながら手招きをする。

 俺は高原の手を引っ張って行って方條へ引き渡す。説教は任せた。

「えー、私も打ちたいー。ねー幸平くーん、打たせてよー」

 なんか駄々をこねているぞ、この目立ちたがり屋。

「打たせてくれたら胸触らせてあげるから」

 え、今なんと?

「蜜柑のを」

 と高原が付け加えたところで方條がその頭を(はた)く。

 ですよねー、流石に駄目ですよねー。

 なんだかんだで決闘開始である。

 遥介がマウンドで声を張り上げる。

「勝負は一打席。明らかな凡フライやボテボテのゴロ以外で内野を抜けばお前らの勝ち、ってルールでいいな」

 内野。織編先輩と速薙の二人だけで守っているあの内野か。

 おっけーおっけー、と春火が返事をした後、水無月に何か耳打ちする。

 それが終わると春火は水無月の背をバンと叩き、打席へ送り出す。

 春火がベンチ前に戻ってきたので俺は訊いてみる。

「水無月と何話してたんだ?」

「友情の力があればどんな困難も乗り越えられるよねって話を延々と」

「そんな話をされた水無月も可哀想だ」

 俺が溜息を吐くと、春火はそれを笑い飛ばす。

「冗談冗談。狙い球とか、好きな芸能人の話とかしてたの」

「お前の発言はもはや冗談の割合の方が多いな」

「うん、実は狙い球の話してたってのも冗談なんだ」

「そっちが冗談なのかよ。何一つ有意義な会話してねーな」

 しかし狙い球か。

 投球練習のときは、遥介は直球しか投げてなかったようだが。さて。

 水無月が右打席のベース寄りに立ち、勝負が開始される。

 遥介が振りかぶってオーバースローで第一球を投じる。

 鋭い直球が空気を切り裂き、ホームベースを通過していく。

 速い。こんなに速い球投げられるのにどうしてコイツは野球部に入らないのかと思うくらい速い。

 キャッチャーなんていないのでボールはそのままバックネットにぶつかる。

 初球は外角にやや大きく外れるボール球だった。単なるコントロールミスか、様子見でわざと外したのかはわからない。

 俺はボールを拾いに行って遥介に投げ返す。

「言っとくけどフォアボールでもお前の負けだぞ」

「わかってら」

 うざったそうにそう言って再び投球姿勢に入る遥介。

 二球目もストレート。

 いくら速いといっても静佳と対して変わらない程度だ。配球に工夫もないようだし、水無月の敵ではない。

 水無月のバットが神速で振り抜かれる。

 グラウンドに快音が響き、打球はレフト方向の空をぐんぐん飛んでいく。

「なっ!」

 遥介達が驚愕の表情を浮かべて、その打球の方向を見る。

 思いっきり引っ張ったボールはレフトフェンスの外へと運ばれていった。

「よっしゃあ! ホームランだー!」

 春火が万歳して喜びを表現するがすぐに速薙の、

「違います! 今のはファールです!」

 という言葉に動きを止める。

 うん、確かにホームランといっても申し分のない飛距離だったけど、今のは誰が見ても明らかなファールだったよ。強引なテンションで押し切ろうとするのは止めなさい春火。

 相変わらず飛ばすわねえ、と笑みを浮かべるチナ。

 私のライバルならこれくらい当然です、という顔をする静佳。

 初めて水無月のバッティングを目の当たりにしたことで、ポカンとして言葉を失っている方條と高原。

 焦燥の表情を浮かべる織編先輩。

 むむ、遥ちゃんの球がぁー!と悔しそうに地面を蹴る速薙。

 ちっくしょう! 惜しいなー!と地団太を踏む春火。俺はそんな春火を宥める。

「まあまあ、今ので遥介のストレートごとき水無月の敵じゃないってわかったろ? この勝負、もらったも同然だぜ」

「だからこそだよ」

 春火が険しい表情のまま吐き出す。俺なにかマズイこと言ったか?

「だからこそ委員長がストレート投げてる内がチャンスだったのに」

 その言葉に嫌な予感がした。

 まさか遥介はなにか凄い変化球を持っているのか?

 そのことを春火に聞き返す暇も無く遥介が三球目を投じる。

 遅い。さっきまでのストレートと比べると明らかに遅く、緩い軌道でバッターに向かって来る。その球速差にも水無月は踏みとどまり、タイミングを合わせてバットを振り抜く。

 しかしその球は不規則に揺れながらホームベース上に落ちる。不可思議な変化についていけず水無月のバットが空を切った。

 驚きに目を見開く水無月。その気持ちは俺も同じだ。

 これが遥介の持つ必殺の変化球なのか。

 打席に立つ水無月がバットを構え直しながら呟く。

「まさか、ナックルボールなんて」

 そんな水無月に、速薙がバックネットにボールを拾いに行きながら嬉々として話しかける。

「見ましたか! これが遥ちゃんのウィニングショットです! この球をたった一打席で攻略なんてできるわけないのです。自慢じゃないですけど未だに翼もお姉ちゃんも打てたことのない球ですから!」

 マジで自慢にならねぇな。そんなこと胸張って言うな。

 水無月が表情を引き締める。

 バットを拳半個ほど短く持って、バッターボックスの一番後ろに立つ。

 確かにバットを短く持てばパワーは落ちるがボールに当てやすくなる。打席の後ろの方に立てばボールを見る時間も増えるだろう。しかし。

 速薙がマウンドに駆けていって遥介にボールを渡しているところで俺は口を挟む。

「タイム! 作戦タイム!」

 そう言って俺は水無月の元へ走り寄る。

 別にいいけどよ、と遥介が呆れ気味に吐き出すのが聞こえた。

 なんだろう?という顔をしている水無月の首に腕をまわし、こっちへ引き寄せて彼女にだけ聞こえるように声を潜める。

「ナックルはカットで逃げてストレートが来るのを待つ、なんて考えてねーよな?」

 水無月が驚いた顔をする。その様子だと図星か。

 こーへーさん、カットってなんですか?とサンタクロースが訊いてくる。

 カットっていうのはわざとファールを打つことだよ。ファールを打つとストライクカウントが増えるけど、ツーストライクからファールになっても三振にはならずに打席を続けられるからね。

 ヒットを打つにはしっかりボールを捉えてバットを振りぬかないといけないけど、ファールは最小限の動きで当てるだけでいいからそっちの方が簡単なんだ。

 打つのが難しい球はカットして別の球種やコースに来るのを待つ、なんてのは有効な作戦なんだよ。

 だけど今回は、

「言っとくけど、遥介はもうストレートは投げないぜ。あれだけ完璧に捉えられたらな」

 俺の言葉を聞いて、確かに、と水無月は頷く。

「だからナックルを狙え。ナックルを打ち砕け」

 そう言ってやると、水無月が不安そうに眉根を寄せる。

「なんだお前、ビビッてんのか? そんなにプレッシャー感じることないだろ。負けたって別に春火の我儘が通らなくなるだけの話じゃねーか」

 俺は気楽に笑いながら言う。

 そ、そうかな、と若干彼女の表情から緊張が抜ける。もうちょっとだな。

 俺は耳打ちを続ける。

「ナックルだけ狙えばいいからな。打席の一番前に立って変化する前に叩け。あとバットはいつも通り長く持て、当てに行ったスイングじゃどのみち内野は抜けねーぞ」

 うんうん、と彼女は頷く。

「よーし、オッケー打って来い。お前なら打てる」

 俺はそう言って彼女の背中を押す。

 背中を押されながら水無月は顔だけ振り向いて、

「ありがとう。今度は先輩のこと信じていいんだよね」

 と小首を傾げる。

 ああ、この前の時は敵同士だったから騙し合いもしたが、今は仲間だからな。と俺は言う。

「安心しろよ。俺ってホラ、最強だから。俺が仲間にいるってだけで勝ちは決まったようなもんだぜ」

 その言葉に、彼女はクスリと笑いを零す。

「確かにそうかも、先輩は頼もしい」

 そう言い残して打席に向かう。大分緊張もほぐれたようじゃねーか。期待してるぜ、ウチの大砲さん。

 水無月がバッターボックスの一番前に立つと、遥介は言葉を零す。

「幸平の入れ知恵を受けたみたいだな。おもしれぇ」

「来いよ遥介、決闘再開だぜ」

 俺は人差し指でちょいちょいと手招きする動作で挑発してみせる。

 おし、翼、咲夜さん、準備はいいな、と遥介はバックの守備を確認する。

 おっけーなのです。いつでも来いなのです! 打たせていいよ、遥介君頑張れー! という二つの声が返ってくる。

 遥介は水無月と向き合って、胸の前でグラブを構え、静止したあと振りかぶって四球目を投じる。

 さっきと同じ緩い軌道で揺れながら落ちるナックルボール。

 それを水無月の音速のスイングが切り裂く。

 金属音が響き、打球は三塁方向ファールゾーンに勢いよく転がっていく。

 ちょっと打ち損じはしたが、あれだけ速い打球が打てるなら大丈夫だ。

「いいぞ水無月、その調子その調子」

 俺は親指を立てて声援を送る。

 それに同調するようにみんなもエールを送ってくれる。

「ナイスバッチしろちゃん! ガンバレー!」と大興奮の春火

「かっとばせー、麻白ー」と暖かく見守るチナ。

「そんな球打って当たり前だから。麻白ちゃんなら」とつまらなさそうに吐き出す静佳。

 次の球も同じように引っ張り方向のファールゾーンに転がる。

 その次の球はホームベースの後ろに転がる。

 当たってるとはいえ、ゴロ打ちにしかならないのが心配なところだな。

 そして第七球目が遥介の手から投じられる。

 速い。ストレートじゃねえか。

 今まで遅いナックルばかり相手にしてきた水無月は直球のスピードに体がついていかない。

 俺はすでに彼女に言ってしまった。

 ストレートが来たら絶対に手を出すな、と。それはボール球で釣ろうとしてるだけだから。

 高めに外れるボール球に水無月は手を出さなかった。俺の言いつけをちゃんと守ってくれたな。いい子だ。

 遥介が舌打ちする。今のを打たせたかったのだろう。

 そして八球目。

 今度は甘いコースに入って来る。その失投を水無月は見逃さない。

 待ってたぜこれを。遥介は投球練習ではナックルを投げていなかったからな。いつかはこういう球が来るんじゃないかと思ってた。

 水無月のフルスイングが白球を捉える。

 グラウンドに快音が響き、ボールが大空を舞う。

 打球はレフトフェンスにぶち当たり地面に落ちる。

 文句なしのフェンス直撃弾だった。



「よっしゃー、今日から翼ちゃんはウチの抱き枕だー! 誰にも渡さないぞー」

「放してください春火さん! 苦しいのです!」

 相変わらずの様子でじゃれている二人の間に入って俺は速薙を背後に庇う。

「春火、やっぱりこんなに嫌がってる相手を無理にチームに入れるのはよくないって」

 むっ、と春火が微妙そうな顔をする。

 こーちんめ、何を企んでいる?という顔だ。

 俺は速薙に向き直り、目線を彼女の高さに合わせて話しかける。

「なあ速薙、こんな理不尽な賭け気にすることないぜ? お前はお前の意思でチームを選んでくれればいいから」

 相馬先輩、と彼女は驚いた顔をする。ふふ、優しいだろう俺。いい男だろう。

 速薙が視線を地面に落とし、少しの間逡巡を見せる。

 そこに春火の暑っ苦しい声が飛んでくる。

「翼ちゃん! お前も勝負の世界に身を置く人間なら約束は守れ! それが正々堂々戦った者同士の義理ってもんだろ!」

 いいぞ春火。交渉ってのは強引な手と搦め手を交互に使ってこそ効果があるんだ。

 子供会チームには野球素人も多いだろう。それに比べればこっちは実力が近しい者同士の集団の中、速薙にとっても学べることが多いはずだ。

 それにやはり自分と同じ野球好きの女の子が沢山いるチームでプレイしたいだろう。

 速薙が僅かでもこのチームに魅力を感じているなら、賭けに負けたことを言い訳にしてウチに入ってくれる。

 春火がこの勝負を持ちかけてくれたのは本当に良かった。速薙達が自分の意思でウチに入ってくれるためには、まず子供会チームを裏切ることへの免罪符が必要だからな。

 だがそれでも断わるなら? その時は俺は自分がフラれたことを素直に認めなければならない。

 速薙が迷っているところで織編先輩は遥介を一瞥してから口を開く。

「私は千夏達のチームに入るよ。今日から宜しくね」

 織編先輩が片手を上げるとチナがその手をパンと叩く。

「ビシバシしごいてやるわ。覚悟しときなさい」

 意地悪な笑みとともにチナはそう返した。

「お、お姉ちゃん!」

 この裏切り者ー、みたいな視線を速薙は織編先輩に向ける。いや違うか。子供会チームのまとめ役という立場を遥介に押し付けてチームを出て行くのだから、もっと複雑な感情があるはずだ。

 速薙は遥介の方を振り返る。

 遥介はそんな速薙の耳元に顔を寄せ、何か囁いた。

「なっ、私はそんなつもりじゃ!」

 何を言われたのかはわからないが速薙は驚いた表情で後ずさる。

 そんな速薙の頭に手を置き、遥介は優しく撫でる。

 速薙は意外そうな顔で遥介を見上げる。

 残念ながら俺からは遥介の表情は見えないが、速薙は口の中で小さく、遥ちゃん、と呟いたような気がした。

 たったこれだけのやりとりで分かり合えるものがあるらしい、幼馴染ってのは。

 羨ましいな。俺なんか春火のこと、わからないことだらけだってのに。

 速薙はこっちへ向き直り表情を引き締める。

「仕方ありません。翼は賭けに破れた身。約束は守ります。今日から一緒のチームとして宜しくお願いします」

 そう言って頭を下げる。

「よっろしくぅー」

 そう言ってチナが頭を下げた状態の速薙の後頭部を撫でる。

「よーし! これでチーム・スプリング・ファイアズ本格始動だ! みんなー、円陣組むぞー!」

 そう叫んで春火もチナに手を重ねる。

「おーし! 声出していこー!」と高原もそこに手を重ねる。

 そのあとに、やれやれという様子の静佳が、にっこり笑顔のままの織編先輩が、戸惑い気味の方條が、申し訳なさそうな水無月が、それぞれ手を重ねる。速薙の後頭部に。

「お、重いのです。首が戻らなくなりそうなのです。これが新人イジメってやつですか。体育会系の縦社会ってやつですか。そうなんですね」

 速薙が苦しそうに呻く。微妙に怒ってるぞコイツ。

『こ、こーへーさん。あんまり翼さんを苛めちゃ可哀想ですよ』

 サンタクロース。お前いいヤツだな。

 俺は助け舟を出すことにする。

「おーしみんな、円陣もいいがここは胴上げだろ」

 俺がそう告げると、おっ、いいねぇ!と春火の目が輝く。

「胴上げですか、なんだか嬉しいような恐いような」

 リンチ円陣から開放されたポニテっ子がビクビクしているが、お構いなしに頭がスプリングなウチのメンバー達に胴上げされ、きゃー、高いのです!と悲鳴を上げる。

 そんな女の子達の微笑ましいじゃれあいを尻目に俺は遥介に話しかける。

「ついでに遥介もウチに入っちゃえよ」

 遥介を目を閉じて首を横に振る。

「俺がいなくなったら誰が子供会チームを引っ張るんだよ」

「そっか、でも今日くらい一緒に練習してってもいいだろ」

 そうだな、一汗流させてもらうか、と頷いてくれた。

 女子達の方を見ると、胴上げを終えてブルブル震えている速薙を織編先輩があやしているところだった。

「しっかし」遥介は速薙に謝っている水無月の姿を見つめながら言う。「あいつはすげえな」

「当然! しろちゃんはウチの四番候補だからね!」

 いつから聞いてたのか、春火が口を挟んできた。

「四番ねぇ。三番に最強打者を置く監督もいるぜ」

 遥介は何の気なくそう吐き出す。

 そうか、打順か。

「そういえば、打順とか誰が決めるんだ?」

 俺はふと疑問に思って訊いてみる。

 春火も、そういやそうだねー、と顎に手をあてる。

「采配やオーダーを決めるチームの監督的ポジション。いや、選手も兼ねるんだからキャプテンと言った方がいいかな? とにかくそういう存在が必要だよね」

 言いながらうんうんと一人頷く春火。

「キャプテンの命令には絶対服従。キャプテンが死ねと言えば、命懸けの危険な任務にも挑まなければならない」

 どこの軍隊だ。野球で命懸けのプレイなんかしたくないわ。

「野球はチームの戦い。チームメイトのことを考えられて、野球にも詳しくて、そんなキャプテンが必要だよね」

 まあこのチームは春火が作ったチームだ。好きにするといいさ、そう思っていると。

「よし、こーちん任せた」

 ぽん、と肩を叩かれた。えっ?

「な、なんか今すっごい適当に決めなかったか?」

 春火のことだから自分がなるか、チナあたりをキャプテンに指名すると思ったんだが。

 俺は春火の顔を見返す。

 彼女はぐっと親指を立てて簡潔に言った。

「ガンバ」

 こいつ適当だ、すげぇ適当だ!

「こーへ」

 チナが俺の肩をツンツンつついてきた。

 なんだと思う暇も無く顔を近づけてきて、声を潜めて言う。

「春火は、アンタを頼りにしてるんだからね」

 むっ、そうなのか。アイツのことだからマジで適当なノリで決めてそうなんだが。

「春火はアンタが思ってるほど単純じゃないわよ」

 そう言って俺から離れる。

「頑張れ、幸平。いい男は女の子の期待を裏切らないもんよ」

 チナは指で作ったピストルを俺に向ける仕草をしてニヤリと笑みを浮かべる。

 ちっくしょう。やる気出てくるじゃねえか。

 よし、覚悟を決めて俺は声を張り上げる。

「よっしゃあ今日から俺がこのチームのキャプテンだ! みんな俺について来い!」

「やだ」

 指名した本人に拒否された。

 春火なんか嫌いだ。ピーマンの次くらいに。

「ウソウソ! ジョークジョーク! ほら、好きな人には素直になれないってヤツよ。こーちんチョー頼りにしてる。一生ついていきますぜ旦那!」

 彼女は慌ててそうフォローする。

「相馬キャプテンの誕生だね」と織編先輩が拍手する。

「頑張ってくださいキャプテン」と速薙。

「私も、どこまでもついていきます」と方條。

「幸平君がキャプテンならウチはボスで」と高原。うん、お前は黙ってろ。

「先輩ならやれる」と水無月。

「この上なく適任だと思います」と静佳。

 こうして、みんなに温かく迎えられて俺はチーム・スプリング・ファイアズのキャプテンに就任した。

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